第16話 選択
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リリーティアはその目に焼き付けるようにじっと広大な海を見詰めた後、街道に引き返そうと踵を返した。
そうして歩き出した直後、何者かが草を踏み鳴らす音が聞こえた。
わざわざここまで登ってくる物好きは自分ぐらいなものだろうと思っていた彼女は、少し身を固くして近づいてくる気配を感じていた。
その気配の人物が誰なのか知った時、彼女は一層その身を固くし、驚きにその目を大きく見開く。
向こうも彼女の姿を認めたようで、微かに眉をひそめたように見えた。
リリーティアはただその場に立ち尽くし、その者が近づいてくるのを見ていた。
そして、その者の腰に携えられた剣へと視線を移す。
その剣は、宙の戒典(デインノモス)。
皇帝の佩刀にして、皇位継承の儀に不可欠な<帝国>の至宝。
あの〈人魔戦争〉の後、すぐに行方知れずとなっていた宝剣だ。
先帝崩御後もなかなか後継者が見つからないのは、当初はこの剣が行方知れずになったからだと聞いていた。
けれど、それだけではないことをリリーティアは知る。
『おかげで我々と評議会はぶつかり放題という訳だ。それだけが理由ではないし、却って幸いしている面があるのも確かだが』
それは、アレクセイがシュヴァーンに宙の戒典(デインノモス)のことについて話をしていた時に言っていた言葉。
今、その宙の戒典(デインノモス)を奪い去った者が目の前に現れたのだ。
彼女は絞り出すようにして、その者の名を言った。
「デュークさん」
後に宙の戒典(デインノモス)はデュークが奪い去ったということはアレクセイから聞いていた。
だから、彼が持っているということに、彼女は別段驚きはしなかった。
話によると、人間との決別を宣言し、その剣を奪ったらしいが、彼がなぜ人間との関わりを絶つまでに至ったのか、その理由までは知らない。
「おまえは・・・」
デュークは立ち止まると、僅かに険しい顔つきでリリーティアを見る
意外な人物との遭遇に、彼女はどんな表情をすればいいのか分からなかった。
「・・・お久しぶりです」
彼女は軽く会釈をする。
けれど、彼は〈人魔戦争〉の折に会った時と同じように、それに対して何の反応も返すことはなかった。
〈人魔戦争〉の時に会った日以来、彼とは一度も会っていない。
最後に会った日から長い月日が流れ、彼は彼女のことを何処まで覚えているのかは分からないが、彼女自身は最後に彼とあった日のことをよく覚えていた。
とくに、----------私の前から立ち去ろうとした時に見せた、あの表情は。
あまり感情を表に出さない彼が見せた表情。
何かを言おうとしてためらい、その後に浮かべた僅かな変化。
悲しみでもあり、苦しみでもあり、その中に、悔しさがあるような。
そんな、複雑な感情が入り乱れた表情。
それは、あまりにも----------痛々しかった。
その表情が痛々しすぎて、あの時、私は言葉を失ったのだ。
彼はその日のことを覚えているのだろうか。
「・・・死人とは違うようだな」
デュークは独り言のように呟いた。
瞬間、リリーティアの表情が強張った。
その声にはっきりと嫌悪感というのが感じられた。
彼から伝わる嫌悪感は自分にではないようだが、自分を通して誰かを見ているようだった。
死人。
死んだ人。
一体、何のことを言っているのか。
一体、誰のことを----------?
瞬間、頭の中に流れる映像。
----------闇の中に浮かぶ残像
----------絶望という闇
----------墜ちた、瞳
----------彼の、彼らの、
----------”薄ら笑う顔”
リリーティアは微かに表情を歪めた。
それは、忘れようとしても忘れられない残像。
消そうとしても消せない残像。
長い年月(とき)が経った現在(いま)でも、この残像は記憶に焼きついて離れることはない。
これは、この身が滅ぶまで、一生背負うべき罪であり罰なのだ。
忘れるわけがないし、忘れてはならない。
リリーティアは一度目を閉じると、デュークをひたと見据えた。
彼女のその瞳には、強い意志と、怒りが見て取れた。
彼が誰のことを言おうが、自分には関係のないことだ。
けれど、もしも、あの彼(ひと)のことを”死人”という者あらば、---------- 誰であろうと許しはしない。
彼女はじっとデュークを見据え続ける。
そんな彼女に、デュークの目は一層鋭くなった。
「意志ある者。おまえは何を考えている?」
彼はどこまで知っているのか。
それとも、何も知らないのか。
自分がこれまでやってきたこと。
あの人がこれまでやってきたこと。
すべてではなくとも、彼は何かを知っている。
そんな気がした。
だから、それを問うのかもしれない。
リリーティアは黙したまま、彼を見据え続けた。
彼は何を考え、その問いを投げ掛けるのか。
結局、その問いには答えなかった。
分からないふりをした。
いや、分からないというのもあながち嘘ではないが。
それに、その問いの真意を分かっていても、答えられない。
短い沈黙。
デュークはしばらく睨むように見ていたが、やがて彼女を視界から締め出すように目を伏せた。
「人との関わりを断った身だ。干渉はすまい」
そう言うと、デュークは再び歩き出し、リリーティアの脇を抜けた。
彼女は彼の背をじっと見た。
その姿が、あの日の記憶、砂漠の中へと去っていく彼の姿と重なる。
そして、ふと思い出した。
あの日は、彼の背と、もうひとつ背があったのを。
名前は----------。
「あの、・・・ひとつ聞きたいことがあるのですが。あなたと一緒にいた、金色の髪をしたあのクリティア族の------- っ・・・・・・」
彼女は言葉を呑み込んだ。
金色の髪をしたクリティア族。
その言葉が出た途端、デュークは鋭い目をこちらに向けたからだ。
あまりの彼の鋭い視線に、それ以上の言葉が出せなかった。
彼のその瞳には、怒りの色が見えた。
単なる怒りではなく、そこには怒涛のごときの怒りを感じた。
けれど、リリーティアには彼の怒りの意味が分からなかった。
あの日、彼の傍らに寄り添うようにして、そこいた人物。
金色の長い髪に、褐色の肌をした端正な顔立ち。
どこか柔らかな雰囲気が漂い、なんとなく親しみやすい印象だった。
悲惨な現実を前にして、愕然とする私に声をかけてくれた人。
その声は、優しさ溢れた温かみのある声色だった。
そして、クリティア族の彼もまた、その表情は痛々しいものだったのをよく覚えている。
『助けられなくて・・・ごめんね』
私に向けた言葉でありながら、それは己自身を深く責めていうような言葉でもあった。
今思えば、彼は心から悔やんでいたのだ。
強大な敵から守れなったことを。
彼を、彼らを、本当に助けたかったのだろう。
リリーティアは、あの時、彼に何も言えなかった事が少し悔やまれた。
そして、それは目の前にいる彼に対しても同じで・・・・・・。
デュークは背を向けて、再び歩き出していた。
今になって、彼にその時の礼を述べるのは正しいことなのか分からず、彼の背を見詰めることしかできなかった。
その背は、景色には目もくれず丘の頂の外れに向かうと、木々に隠れて見えなくなった。
一体、何の用でここに訪れたのか気になったが、どうしても追う気にはなれなかった。
あの瞳を見たからなのか、それとも、また違う理由があったからなのか、リリーティアは彼に会ったことを胸の内に秘めた。
彼は”存在しない人”だ。
〈人魔戦争〉の後、デュークの名は<帝国>のあらゆる記録から抹消されていた。
この件に関しては、アレクセイとあの評議会とが一致協力しさえしたらしい。
リリーティアの知る限り、その抹消は相当徹底したものだった。
けれど、その真なる理由は知らない。
おそらくデュークが人との関わりを絶ち、宙の戒典(デインノモス)を奪い去ったことと何か関係があるのだろう。
でも、それだけではないようにも思えた。
<帝国>が裏で何かの事実を隠したかったのかもしれない。
そこに、彼が人との関わりを絶つに至った理由があるような気がする。
彼女は漠然とそう考えていた。
リリーティアは今になって宙の戒典(デインノモス)を取り戻すべきだっただろうかと考えた。
だが、すぐにかぶりを振った。
確かにあれはアレクセイが取り戻したがっている剣だが、今ではアレクセイが取り戻したがっていた剣でしかないのだ。
すでに、宙の戒典(デインノモス)の代わりとなるものを考えている。
そして、それは今や最終段階に入っているのである。
ならば、今更デュークから取り戻すことも無駄だろう。
もしも、今だにその剣の代わりとなるものがなかったら、自分はその剣を前に彼との戦いに臨んでいただろうか。
彼女は考えた。
いや、臨んだとしても自分が彼に敵うはずがない。
どちらにしても無理なことだ。
リリーティアは深い息を吐くと、絶景に背を向けて丘を下っていった。