第12話 理想
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「(身分と権力、騎士と平民)」
リリーティアにとっては当たり前のことをして、当たり前の言葉をかけただけだった。
なのに、あれほどに涙して、その言葉に感謝する老夫。
あの老夫にとって、平民出身者、その中でも最も貧しい暮らしを余儀なくされている下町出身者にとって、それは当たり前ではないということをあの涙は語っていた。
貴族と平民、また、<帝国>に仕える者と平民とでは、その間に大きな壁がある。
近寄りがたく、近寄らせない、見えない壁。
以前にもあのような光景を見た。
貴族出身の騎士が平民出身の市民に向かって怒鳴っている姿を。
相手は何度も謝っているというのに、許す様子もなく怒鳴り散らしていた。
それは、弱い者に日常の鬱憤をただ晴らしているようにしか見えなかった。
そこには騎士の姿などない。
まして、誇りなど尚更で。
「あれが現実、か・・・」
リリーティアは儚げに呟いた。
騎士団本部の広い廊下。
廊下の横は白い柱が同じ感覚で建ち並び、見事な装飾が彫られている。
その柱を境にして、向こう側には緑色の絨毯(じゅうたん)が敷かれているように青々とした芝生が広がっていた。
四角く切り取られた空から太陽の光が射し、中庭を照らしている。
壁の隅には色とりどりの花が風に揺れていて、それぞれの色に分けられて綺麗に並んでいた。
廊下にも仄かにその花の甘い香りが漂っている。
彼女は中庭から吹く爽やかな風を肌に感じながら、数時間前、下町で出会った老夫とあの見習い騎士のことを思い返していた。
「リリーティア、どうかしたのかね?」
何やらひとり呟いている彼女に、前を歩いていたアレクセイはその足を止めて振り向いた。
彼女とアレクセイはつい先ほど補佐官らとの会議が終わったところだった。
「あ、すみません。少し考え事をしていました」
「ふむ、考え事か・・・。また一人でなにか悩んでいるのか。どうしたのだ?」
生まれた時からリリーティアを知るアレクセイは彼女の性格もよく理解していた。
彼もまた、彼女が何でも一人で抱え込む性質(たち)であるのを心配していた。
まるですべてを自分の責任だとして抱え込み、改めようと必死に努力する。
過失を素直に受け止めて改める姿は美点と言ってもいいだろうが、彼女の場合、ある意味欠点とも言えた。
それはつまり、彼女はあまりにもすべての過失を受け入れすぎるのだ。
だから自分が改めるべきなのだと必要以上に無茶をするのである。
そんな彼女がまた何か思い悩んでいる様子であることに、アレクセイはその身を案じた。
リリーティアは彼の言葉にしばらく押し黙っていたが、中庭を見詰めながら静かにその口を開いた。
「現実は現実でしかなく、やはり変わらないものなのでしょうか」
「・・・・・・」
憂い帯びた彼女の横顔にアレクセイは険しい顔つきで目を細めた。
そこには苦悩の色が見える。
しばらく二人の間は静寂に包まれ、ただ緑薫る風だけが中庭に咲く花の香りを乗せて二人の間に流れてゆく。
「変わらないものなどない」
中庭に視線を移し、アレクセイはぽつりと話し始める。
リリーティアは彼の横顔を見上げた。
「人も、世界も、時が流れるにつれて変わっていくものだ」
長い時間をかけ、今まで世界は変わってきた。
変わって、そしてまた変わって巡りにめぐり、今のこの<帝国>がある。
いい方向に変わっていったのか、ただ悪い方向に変わっていったのか。
それは人それぞれに捉え方は違うだろう。
どちらにせよ、人の営みも考えも、在り方すべてが、長い時を経て必ず変わっていくものだとアレクセイは言った。
彼は、天井から覗く青く澄んだ空を見上げた。
「ただ、私たちの理想がその変化の一部に、そして、いい方向に流れていくかどうかは、私たちの努力しだい・・・ということなのだろう」
空を仰いでいるアレクセイは空を漂う白い雲よりも、そのずっと先を見詰めているように見えた。
それは、どこか遠い未来の先を見詰めているようで。
リリーティアにはそんな彼の姿がどこか痛々しく見えてならなかった。
同時に彼を取り巻く周りの人々に対して苛立ちを覚える。
「それは・・・、周りが受け入れないだけではないのですか。閣下はこの<帝国>のために今まで努力を惜しまずやってこられました。父も母も、そうです。みんな必死で今までやってこられた」
リリーティアも空を仰ぎ見た。
彼女が生まれる前、もうずっと長い時の中で、<帝国>を市民にとってよりよいものに変えていこうと、
その理想の下(もと)にヘリオースとリュネール、そしてアレクセイはその身を粉にして奔走してきた。
尽力を惜しまず、<帝国>の在り方を変え、市民を守り、すべての営みを守ってきたのだ。
「それでも、現実は変わるどころか変わる兆しも見えません」
彼女の言葉にアレクセイは苦笑を浮かべた。
「そう思うかね?」
すると、彼は踵を返し、広い廊下を歩き始める。
数歩ほど歩いた後で、彼はリリーティアへと振り返った。
「この現実の中で私たちの理想を見に行ってみるか?」
そう言って微笑むアレクセイ。
その笑みはどこか誇らしげであった。
彼のそんな表情をリリーティアはこれまで見たことがなかった。
そして、彼は再びスタスタと歩き出したが、彼女は立ち尽くしたままその後ろ姿を訝しげに見詰め続ける。
彼の言葉の真意も、その表情の意味も、彼女には分からなかった。
「どうした、見に行かんのかね?」
一体、どこへ見に行くというのか。
それよりも、彼の言う『理想を見る』という意味がまったく理解ができなかった。
リリーティアは困惑しながらも、言われるがままに彼の後を小走りに追いかけたのだった。