第12話 理想
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「もうこんな時間!急がないと!」
切妻屋根がひしめき合い、その建物に挟まれて伸びる道が続いている。
その道も平らではなく出っ張りやへこみがあり、まったく修補されていない荒れた道であった。
この道を普段からよく通っている者でも、足元に十分注意して歩かなければ危険なほどに荒れている。
そんな危険ともいえる道を足早に駆ける者がいた。
それは、リリーティアだった。
羽織っている魔導服(ローブ)が一歩一歩駆け出す度に激しくなびき、左胸にある徽章も同じように揺れ動いている。
彼女は騎士団本部へ向かっていた。
定期的に行っているアレクセイと補佐官らとの会議の時間が迫っていたのだ。
他の用事を早々に済ませて、彼女は平民地区、その中でも貧しい地区の舗装されていない道を急いでいた。
「うるせぇんだよ。さっさと道を教えたらどうだ」
「?」
どこからか男の声が聞こえた。
明らかに怒っているその物言いにリリーティアは急いでいた足を止めた。
「で、ですから、この道は複雑に入りくんでおりますので、わたくしがご一緒して-----」
今度はしわがれた男の声が聞こえた。
急がないといけないが彼女はどうしても気になり、その声のする方に向かった。
行ってみると、そこには年若い見習いの格好をした騎士と、その向かいに肩を縮こませている老夫がいた。
「お前みたいな平民と一緒に歩けっていうのか。じじいの鈍い足にあわせてたら日が暮れるんだよ」
「し、しかし、ここは、迷いやすい道で----、」
「だから、道を教えろって言ってんだろ!貴族のオレに平民風情が逆らうつもりか!」
若い騎士の男は一方的に怒鳴り、老夫の言うこともろくに聞こうともしていない。
そんな騎士の態度を目の当たりにして、リリーティアの胸の奥にはとめどない感情が溢れる。
それは悲しさではなく、怒りに近い悔しさであった。
彼女はぐっと拳を握り締めると、意を決したように騎士と老夫へと歩み寄った。
「そんな、め、滅相も-----」
「何をなさっているのです」
騎士の男はリリーティアへと振り向いた。
男の鋭い目つきに少しばかり怯んでしまう彼女だが、何とか自分を奮い立たせる。
ここで見て見ぬふりをすることこそ、自分の生き方に反する行為だ。
彼女は堂々とした出で立ちで、その騎士と老夫の間に立った。
若い騎士は訝しげに、見下ろすように彼女を睨み続けた。
「なんだよ、お前」
「ご老夫になんという暴言を吐くのですか」
「んだよ、生意気な女が」
騎士の男は一瞬リリーティアの左胸を飾っている徽章に目をやったが、<帝国>に属している徽章を見ても特に何の反応も示さなかった。
それは相手が女で、しかも子どもだからなのか、はたまた己自身の地位を鼻にかけているからか、
彼女を見るその目はさらに見下したものになり、ますます鋭くなる。
それでも彼女は一歩も怯まずに引くことはしなかった。
「騎士は常に市民の為にあるのです。それが、騎士の在り方というものでしょう。あなたには騎士としての誇りはないのですか」
騎士は常に市民の為にあるもの、それが騎士の誇り。
それは口癖のように言っていた、母であるリュネールの言葉。
それが騎士としての在り方だ。
まして、老夫に対する男の態度は人としても恥ずべき行為だ。
だというのに、騎士でありながらもあのような振る舞いをする男を、リリーティアはどうしても許せなかった。
許してはならないのだ、決して。
「誇り~?はっ、何が誇りだ。だったら市民のために頑張っているオレたち騎士様をもっと敬えってんだ。オレたちのおかげでこの街は守られてんだからよ。まぁ、平民連中に敬まれたって何の特にもなんねぇけどな。ろくな稼ぎにもなんねぇのに、誇りもくそもねえよ」
嘲笑う騎士の男。
あまりの酷い言い様にリリーティアは絶句する。
「(どうして、どうしてこんな・・・!)」
彼女はぎゅっと拳を握りしめ、歯を食いしばった。
<帝国>騎士団の有り様を見た彼女は、アレクセイ、そして、父ヘリオースと亡き母リュネールのことを想った。
瞬間、さらに怒涛たる悔しさが込み上げる。
「それに、オレはこのじじいに道を教えろって言ってるだけだろ」
リリーティアは深く息を吐いた。
ここで事を荒立ててはいけない。
それは老夫にも迷惑が掛かる上に、場合によっては今よりもさらに面倒なことに成りかねないのだ。
そう自分の言い聞かせ、彼女は心を静めた。
「・・・・・・分かりました。私が道順をご説明致します。それで宜しいでしょうか?」
「ふん、まぁいい。ちゃんと教えろよ。間違った道なんか教えると、ただじゃ済まさないからな」
不機嫌な騎士の男に、リリーティアは此処から貴族街に出る道を教えた。
しかし、ここは入り組んだ道が多いため、その騎士は一度ではその道順を覚えられず、何度もその説明を催促した。
挙句の果てには、「説明の仕方が悪いんだ」と難くせをつける始末であった。
それでも、彼女は平静として振る舞い、何度も繰り返し説明した。
しばらくして、ようやくその道順を覚えたのかは分からないが、男はぶつぶつと文句を呟きながら彼女の前を去っていったのだった。
去っていく男の後ろ姿に、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「おじいさん、大丈夫ですか?お怪我は?」
リリーティアは振り返ると、老夫の顔を窺うようにして尋ねかける。
老夫は半ば呆然としていて、少し遅れてから反応を返した。
「お、おお。これはこれはありがたいことで、助かったわい。ありがとうよ、お嬢さん」
「いえ、礼には及びません。どうか気になさらないで下さい」
老夫は安堵した笑みを返し、何度も頭を下げる。
彼女はそんな老夫に苦笑をもらした。
「本当に、なんと優しいお嬢さんで-----っ・・・!?」
老夫は突然言葉を切ると、その表情が一変した。
目は驚きに見開き、その顔がさっと青ざめる。
「こ、これは、これは・・・!あ、あなた様も<帝国>に従事されているお方でしたか。失礼をお許しくだされ。大したものはご用意できませんが、何かお礼でも・・・」
「・・・・・・」
態度を改めた老夫にリリーティアはふっと悲しげに目を細めた。
老父が態度を改めたのは、彼女の左胸にある<帝国>の徽章を見た途端であった。
その変わりようは相手をひどく恐れているようなものに近かった。
この時、老夫との間に見えない壁が出来てしまったのだ。
そう感じて、彼女は胸の奥が痛んだ。
「お願いです。どうか、かしこまらないで下さい。私は確かに<帝国>に仕える身ですが、それは私たちとの間には関係のないことです。貴族でも平民でも、そして、<帝国>に仕える身であっても、私たちは同じ人なのです。困ったときはお互い様ですよ。おじいさんのそのお気持ちだけで十分ですから。何より、お怪我がなくて良かった」
リリーティアは必死で言葉を紡いだ。
自分たちを隔てるこの壁を、身分という壁を、早く取り除きたかった。
最初の時のように、気兼ねなく話して欲しかった。
その想いで、彼女は言葉を続けた。
「もしよろしければ、おじいさんの家までお送りいたします。この辺の道は危ないですし、先ほどのこともありますので。ご迷惑でなければ、どうか私もご一緒させて下さい」
リリーティアは老父へと微笑みかける。
老婦は目を瞠り彼女を見詰めると、その瞳を大きく揺らした。
「あ、ありがとう。・・・ありがとうよ、お嬢さん」
老夫はリリーティアの手を強く握り締めると、軽く上下に振りながら、何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。
その瞳からは涙がこぼれ落ち、彼女の手を濡らしていく。
「本当に、こんな老いぼれに何と嬉しいことを・・・。本当にありがとう」
涙はとても温かく、そのぬくもりから老夫の感謝の想いが伝わってくるようだった。
老夫の涙はとても嬉しいものだったが、反面、悔しさと悲しみ、やるせなさ、様々な感情が入り混じり胸が苦しかった。
今も尚、平民出身の人たちが貴族出身の人たちに、どんな風に思われてどんな扱いを受けているのか。
その涙が全てを語っていた。