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名前変換
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怖い、帰りたい、助けて欲しい、怖い。
その言葉が頭に響いて止まらなかった。さっきのお兄さんは私を路地裏へと引っ張り込むと、住居の壁に押さえつけた。両手首はお兄さんの手によって壁にぴたりとつけられていて動かせそうにないし、目の前にはお兄さんの体が立ちはだかっている。つまり、絶体絶命というやつだ。
お兄さんは先程からずっと私の顔をじっと見つめているが、何かを喋り出す気配はない。あまりにも気まずすぎる。せめて何か言ってくれるのならいいが、ここまでされて何も言わないというのも理由があるに違いない。その言葉を待ってどのくらい時間が経ったのだろう。時間が過ぎるのが長く感じた。
「…知らねえみたいだから言っておくが、俺はグイード・ミスタだ。憶えたか?」
グイード、ミスタ。頭の中で何度もその名前を繰り返す。
どこかで聞いたことのある響きのような気がするが、絶対にこのお兄さんと面識はないのだ。おそらく気の所為だが、なぜだかその名前が引っかかって仕方がなかった。私が頷くのを見ると、お兄さんは満足げに鼻を鳴らした。
「早速で悪いがよォ、俺のことは知らねえんだよな?」
「、はい。知らないです、ごめんなさい」
震える声でそう告げると、ミスタさんは手首から手を離し、ズボンのポケットから数枚の写真を取り出した。よくボロボロにならないな、なんて考えてしまうほど、私の脳は余裕らしい。そう安心しきっていたら、間髪入れずにミスタさんの足が私の足の隙間にガツンと入れられてしまった。彼の膝の上にのっかる形になるため、また私は逃げられなくなってしまったみたいだ。心臓はばくばくと音を立てて脳にその緊張ぶりや恐怖を伝えていた。
「じゃあ、こいつら知ってるか?」
ぱらり、写真の表面がこちらに向いた。
写真は全部で9枚あり、映っている人間は全員違っていた。全員個性的な見た目ではあるが、揃って美しい人達だと感じた。年齢も服装もバラバラで、目にマスクをつけている人や髪の毛が特殊な形をしている人、目が黒くて謎の頭巾を被っている人もいる。こんなに個性的な見た目であれば忘れるはずがないが、1人として記憶している人間の姿はなかった。
「知らないです、1人も」
そう告げると、ミスタさんは大きく息を呑んだ。その瞳には恐怖の色や不安が滲んでいた。不安なのは私の方なのに、早く帰してほしいのに。
ミスタさんは写真を元のポケットにしまい、両手を私の肩へと置いた。まるで、子供を叱っているときの母親のように。
「いいか、今から言うことをよく聞け。絶対に守って欲しいことだ、いいな?」
その声は今までにないくらい張りつめていて、ぴりりと緊迫した空気が流れる。ばくばくとまた鼓動が大きくなる。血液が送られてきていないみたいに指先が冷えている。あまりに脈動が痛くて、心臓が壊れてしまいそうだ。必死に何度も頷くと、ミスタさんは至極真剣な顔で私にこう告げた。
「今の写真のやつらを憶えたな?こいつらともしかしたら偶然会っちまうかもしれねえ。だがなァ、目が合ったら速攻で逃げろ。向こうが気づいていてもいなくてもだ。絶対に逃げろ。俺に路地裏へ連れていかれるよりもっと怖い目に遭うぞ。もう二度と家族と会えなくなるかもしれねえ。俺ァこいつらとは…あー…知り合いだ、一応。だがお前と今日会ったことはそいつらに言わないでおく。お前もこのことは誰にも言うな。もしも忘れちまうってんなら、この写真もやる。ジョルノに…いや、上司に怒られちまうかもしれないが、洗濯しちまったとか言って誤魔化しておくさ。その代わり、今のことは絶対に守ってくれ。約束だ」
いつの間にか震えは止まっていた。代わりに、何かがお腹の底からじわじわと湧き上がってくる。種類の違う恐怖だ。この先の未来に対する、恐怖。
この人たちは誰なのだろう。ミスタさんは何故私を知っているのだろう。なんで私は逃げなければいけないのだろう。質問したいことは山ほどあるのに、ひとつも言葉にならないで喉の奥へと吸い込まれていった。
「じゃあな、ガッティーナ。また会うかもしれねえが、なるべく会わない方がいいかもしれねえな」
質問すらできない弱い私に、ミスタさんはそう言って額に口付けると、颯爽と路地裏から飛び出していった。ミスタさん、と名前を呼んだが振り返る様子はなく、路地へと出てみてももう彼の姿はなかった。
…まるで霧のような人だった。突然やってきて、気づいた頃にはふわりと空気に溶けて消えていく。私の手には再び起こった震えと、9枚に及ぶ写真が残されていた。
「…逃げろって、どうやって」
彼に出来なかった質問が、口の端からほろりと流れ出た。そんなの今更すぎるかなんて自嘲すると、その言葉はまるで彼のように空気中に溶けて、誰にも気づかれることなく消えていった。
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