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ギシリ。
少しだけ空いたドアの隙間から指が入ってきた。
ヒュ、と冷たい空気が肺に入るような感覚がして、またベッドの縁まで後退する。
全員と顔を合わせたはずだ。それでもまだ、こんなにも新鮮な恐怖を味わうことが出来るのか。
脳裏にあの赤黒い床がよぎる。まだ私は、あの恐ろしい出来事から解放されたわけではない。
ギギ、と少しだけ扉が開いた。その指の主が扉の隙間から顔を覗かせる。知らない人だったら、と畏怖の心を抱きながら、入り口をじっと見つめた。
それは意外な来客だった。あの車でここに私を連れてきた人…たしか、ギアッチョさんという名前だったと思う。バツの悪そうな顔をしたギアッチョさんは一度入り口で歩みを止めると、こちらに問いかけてきた。
「あー…入んぞ」
正直意外だった。車の中で起こったことを思い出しても、あまり人に気遣いができるタイプではないと思っていたから。失礼だとは思うが、人に対して配慮ができるように思えない、あの荒れた口調や苛立った仕草を見たときはそう感じていた。
この人はもしかしたら、あまり怖い人ではないのか…?いや、でも私をここに連れてきている時点で物騒な人だという認識に変わりはない。
表情からして、現時点では私に危害を加えたりしないだろうと踏んだ。ひとつ頷き、部屋に入る許可を出すと、そおっと扉を開き、また小さな音を立ててぱたりと閉めた。ここもまた意外なところだった。バタンバタン音を立てそうなのに…と思ったのはここだけの秘密だ。
彼の右手にはお皿が、その上にはサンドイッチがふわりと乗っかっている。見るからに新鮮そうなレタスに、瑞々しいトマトが挟まっているのがこちらからも伺えた。側にはオリーブの酢漬けが数個転がっていて、まさに理想的な食事だと思った。
くう、とまたひとつ腹から音が響いた。何でこんなタイミングで鳴るんだ、と言わんばかりに腹部を両腕で抑えると、ギアッチョさんは乾いた笑みをこぼしながらつぶやいた。
「食い意地張ってるところはずっと変わんねェんだな」
ずっと、という言葉がどうしても引っかかる。前にも説明を少し聞いてはいるが、まだ納得がいかないというか。少しくすぐったいような気持ちもあるけれど、私の知らない「私」を知っているという
その事実が、やっぱり少し恐ろしいと思った。
それにしたって仮にも女性に向かって何を、と言わんばかりにじとりと睨みつけてみたが、彼には何も効いていないようだ。ずっとこちらの動きを見張るような様子に、私も少々緊張してしまっている。このままだと食べづらいので、とりあえずベッドサイドに腰掛け、ギアッチョさんから遠い位置まで移動した。
チェリーブラウンの少し古びたべッドサイドテーブルにお皿を置く。振動で、食材がふるりと揺れた。よく見たらハムも結構入ってる。それにチーズも入っていて美味しそう。
でも、これを食べていいものか…?こちらを伺い続ける彼の表情はまだ固いままだ。毒が入っていたら?食べてから何かを代わりに寄越せと言ってくる可能性だって。
頭の中で言い合いをしていると、その様子に気付いたようだった。
「ンだよ、ロクに食ってねェだろ。毒なんざ入ってねェよ、早く食えや」
対価を求められたりは…と目で訴えかけてみても、私とサンドウィッチを交互に眺めるだけで何も言ってこない。
このままだと埒が開かない。ええい、構うもんかと手に取り、試しに一口頬張ってみる。シャキリとした触感が歯を叩いて、柔らかなパンと食感と、ハムやチーズの旨みがふわりと口に広がった。悔しいが美味しい。たしかにここに連れてこられてからというもの、何も口にしていなかった。
『…美味しいです、ありがとうございます』
彼なりに気を遣ってくれたんだろうと思った。無理に近づいたりせず、食事だって手から渡さなかったのも怖がられると感じたからなんだと思う。今も眉間にしわこそ寄っているものの、イライラした様子は見えない。どちらかと言うと、何か言いたげな、生まれたばかりの赤子の動きを観察している様子に似ていた。少し気まずい気持ちもあったが手は止まらず、あっという間に1つ目のサンドイッチを平らげてしまった。
2つ目を食べようか少し迷っている間に、ギアッチョさんは、ベッドの縁まで歩み寄ると、少し離れた位置に腰かけた。重みでギシ、とベッドがきしむ。その音がやけに頭の中に響いて、心がしくしくと痛む。いつもだったらこんなこと考えないのに。なんでだろうか、心が空洞になってしまっているかのようで、なのに胸のあたりがずっしりと重い。
なんだか自分のことがわからなくなっているかのようで、それが怖い。私ってこれからどうなるんだろう。ここにいて、あの人たちに“誰か”の代わりにされて。いつか心から笑える日がまた来るんだろうか。また外に出て、風を浴びて、生きていて良かったと思える日が来るのだろうか。それから、それで、
少しだけ空いたドアの隙間から指が入ってきた。
ヒュ、と冷たい空気が肺に入るような感覚がして、またベッドの縁まで後退する。
全員と顔を合わせたはずだ。それでもまだ、こんなにも新鮮な恐怖を味わうことが出来るのか。
脳裏にあの赤黒い床がよぎる。まだ私は、あの恐ろしい出来事から解放されたわけではない。
ギギ、と少しだけ扉が開いた。その指の主が扉の隙間から顔を覗かせる。知らない人だったら、と畏怖の心を抱きながら、入り口をじっと見つめた。
それは意外な来客だった。あの車でここに私を連れてきた人…たしか、ギアッチョさんという名前だったと思う。バツの悪そうな顔をしたギアッチョさんは一度入り口で歩みを止めると、こちらに問いかけてきた。
「あー…入んぞ」
正直意外だった。車の中で起こったことを思い出しても、あまり人に気遣いができるタイプではないと思っていたから。失礼だとは思うが、人に対して配慮ができるように思えない、あの荒れた口調や苛立った仕草を見たときはそう感じていた。
この人はもしかしたら、あまり怖い人ではないのか…?いや、でも私をここに連れてきている時点で物騒な人だという認識に変わりはない。
表情からして、現時点では私に危害を加えたりしないだろうと踏んだ。ひとつ頷き、部屋に入る許可を出すと、そおっと扉を開き、また小さな音を立ててぱたりと閉めた。ここもまた意外なところだった。バタンバタン音を立てそうなのに…と思ったのはここだけの秘密だ。
彼の右手にはお皿が、その上にはサンドイッチがふわりと乗っかっている。見るからに新鮮そうなレタスに、瑞々しいトマトが挟まっているのがこちらからも伺えた。側にはオリーブの酢漬けが数個転がっていて、まさに理想的な食事だと思った。
くう、とまたひとつ腹から音が響いた。何でこんなタイミングで鳴るんだ、と言わんばかりに腹部を両腕で抑えると、ギアッチョさんは乾いた笑みをこぼしながらつぶやいた。
「食い意地張ってるところはずっと変わんねェんだな」
ずっと、という言葉がどうしても引っかかる。前にも説明を少し聞いてはいるが、まだ納得がいかないというか。少しくすぐったいような気持ちもあるけれど、私の知らない「私」を知っているという
その事実が、やっぱり少し恐ろしいと思った。
それにしたって仮にも女性に向かって何を、と言わんばかりにじとりと睨みつけてみたが、彼には何も効いていないようだ。ずっとこちらの動きを見張るような様子に、私も少々緊張してしまっている。このままだと食べづらいので、とりあえずベッドサイドに腰掛け、ギアッチョさんから遠い位置まで移動した。
チェリーブラウンの少し古びたべッドサイドテーブルにお皿を置く。振動で、食材がふるりと揺れた。よく見たらハムも結構入ってる。それにチーズも入っていて美味しそう。
でも、これを食べていいものか…?こちらを伺い続ける彼の表情はまだ固いままだ。毒が入っていたら?食べてから何かを代わりに寄越せと言ってくる可能性だって。
頭の中で言い合いをしていると、その様子に気付いたようだった。
「ンだよ、ロクに食ってねェだろ。毒なんざ入ってねェよ、早く食えや」
対価を求められたりは…と目で訴えかけてみても、私とサンドウィッチを交互に眺めるだけで何も言ってこない。
このままだと埒が開かない。ええい、構うもんかと手に取り、試しに一口頬張ってみる。シャキリとした触感が歯を叩いて、柔らかなパンと食感と、ハムやチーズの旨みがふわりと口に広がった。悔しいが美味しい。たしかにここに連れてこられてからというもの、何も口にしていなかった。
『…美味しいです、ありがとうございます』
彼なりに気を遣ってくれたんだろうと思った。無理に近づいたりせず、食事だって手から渡さなかったのも怖がられると感じたからなんだと思う。今も眉間にしわこそ寄っているものの、イライラした様子は見えない。どちらかと言うと、何か言いたげな、生まれたばかりの赤子の動きを観察している様子に似ていた。少し気まずい気持ちもあったが手は止まらず、あっという間に1つ目のサンドイッチを平らげてしまった。
2つ目を食べようか少し迷っている間に、ギアッチョさんは、ベッドの縁まで歩み寄ると、少し離れた位置に腰かけた。重みでギシ、とベッドがきしむ。その音がやけに頭の中に響いて、心がしくしくと痛む。いつもだったらこんなこと考えないのに。なんでだろうか、心が空洞になってしまっているかのようで、なのに胸のあたりがずっしりと重い。
なんだか自分のことがわからなくなっているかのようで、それが怖い。私ってこれからどうなるんだろう。ここにいて、あの人たちに“誰か”の代わりにされて。いつか心から笑える日がまた来るんだろうか。また外に出て、風を浴びて、生きていて良かったと思える日が来るのだろうか。それから、それで、