6
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
震える手で電話を取った。携帯の番号は覚えている。それでも押したくはなかった。でも逆らったらどうなるかわからない。どっちつかずな態度を見せる私が不快なのか、リーダーさんは指をトントンとサイドテーブルに打ちつけ苛立ちを露わにしていた。母ともう会えない、そんな言葉を信じたくはなかった。
保護の名目だけれど、おそらく監禁と同意義だろう。彼らの言う前世というものを私は覚えていないけれど、どうやら彼らにとって私はなくてはならない存在らしい。知らない人間に求められてもどうとは思わないが、先程のあの人たちの反応は少し異常だった。求める云々よりも、執着や固執といった歪んだ感情のように思えてしまったからだ。…イルーゾォさんには会えなかったけど。
これほどまでに母親が電話に出なければいいのにと思ったのは初めてだった。この時間が少しでも長く続けば色んなことを考えなくていいと思ったから。自分の考えがあまりに浅はかで、そんな自分がとことん嫌いだ。
『なまえ?』
ああ、母の声だ。会っていない時間はおそらく数時間から1日しか経っていないのだろうが、もはや懐かしささえ感じる。母の声は心配そうで、自分のせいで気疲れを起こさせてしまったことなんて容易に分かった。
助けてほしい。ここから出たい。この先何が起こるかわからない。怖い。その優しい腕で抱きしめてほしい。…こんなことを言ったら、リゾットさんは私を殺してしまうだろうか。そうに決まってる。彼の目はあいも変わらず何を考えているか分からなくて、『殺されてしまう』という事実が目の前にあるような気がしてならなかった。
「母さん、」
あのね、聞いてほしいことがあるんだ。私は今訳あって男の人たちといて、その人たちが言うにはもう二度と母さんに会えないらしいんだ。だから最後に、ここまで育ててくれてありがとうって言いたいの。…色んなことを伝えたくて堪らないのに、言葉が出てこない。唇は使い物にならなくなってしまったみたいに震えて、言葉にならない言葉が漏れ出る。
この時間が終わって欲しくないと思ってしまう。このまま母の声を聞いて死ねた方が楽なのではないかと思ってしまうのだ。
『今どこにいるの?何かに巻き込まれてるのなら警察に言わなきゃいけないから、』
慌てた様子で母は私を問い詰めた。最後まで心配をかけるような子供でごめんね。私がついてこなければ、私が外に出ていかなければこんなことにはならなかったのに。ついはしゃぎすぎてしまってこんなことになったんだ。まだまだ私が子供だから、だから母さんを苦しめてしまった。
「あの、ね。訳は話せないんだけど、もう母さんに会えないんだ、…だから、お別れをしようと思って」
息が苦しい。心臓は溶けて、胸なんて裂けてしまいそうだ。電話の向こうでは母が息を飲む音が聞こえる。それもそのはず、行方がわからなかった娘に突き放されては正常でいられないだろう。
『そんなこと言われたって……、本当に、大丈夫なの?だってあなたここの土地勘だってないし、それにまだ高校生なのに…無理よ、やっぱり助けに行くわ』
大丈夫な訳が無い。泣きそうで、叫びたくて、今すぐにでも助けて欲しい。
でも無理だ。そんなことをしたら母さんだってどうなるかわからない。自分を守って、母さんも守るにはこうするしかないんだ。そう自分に言い聞かせて、震えを止めようとしていた。なんて私は弱いのだろう。
…最期に残すのはこの言葉がいいと思った。だからまだ涙は出ないで欲しい。ほんの少しだけでいいから、安心して欲しいんだ。
「大丈夫、大丈夫だから。…1人は慣れてるし、怖くない。ここまで育ててくれて本当にありがとう、大好きだよ。…幸せになってね、いつまでも元気でね」
もうダメだ、泣いてしまいそうだ。正直半分泣いていたかもしれない。訳もわからず電話を切った。切ってしまった。もう母には会えない。この訳のわからない人たちと生活しなくてはならないのだ。
「ようこそ、俺たちのチームへ。…おかえり、と言った方が正しいか」
後ろからがばりと覆いかぶさってくるのはリーダーさんだ。今までただの少しせっかちだけど温和な人であったはずなのに、今ではさながら悪魔のように見える。全身真っ黒で、私を地獄へ引き摺り込む冥界の主のような、そんな姿に。
「大丈夫だ、守ってやる。不安になることはない。安心して眠ってくれ」
ああ、そんなことじゃあないんです。私が不安なのはこの悪魔の巣窟にいることなのであって、漠然とした死に対してではないんです。そう言おうとしたが、喉元でぴたりと止まった。どうやらストッパーが仕事をしてくれたらしい。こういうときばかり役に立つ。
リーダーさんはぎゅう、と強く私を抱きしめると、背後のベッドにぼすりと私もろとも身を沈めた。いやらしい雰囲気なんてまるでない、ただ相手の存在を求めるかのように、私を離さなかった。
これは檻だ。私が逃れる隙間なんて1つもない牢獄だと思った。私は前世なんてわからない、逆になんでこの人たちが私を知っているのだろうか。彼らが知っている理由は見つかったとしても、私の前世についてわからない限り、この憂鬱な感情が消えることはないだろう。
母さんにはどうしても私の代わりに幸せになってほしかった。ああでも、現にその幸せを私は奪ってしまっているんだ。こんな親不孝な子供を持ってしまって、電話の向こうで母はきっと泣き崩れているだろう。
来世では母を幸せに出来るだろうか。もしかしたらバチが当たって母の子に生まれることは出来ないかもしれない。それでも、なまえの母というラベルがなかったとしても、彼女にはどうか幸せになってほしかったのだ。
きっと今日もいつも通り日が沈む。私も意識を手放して、いつしかこの生活が当たり前になるのかもしれない。いつも通りはいつのまにか現れて、いつのまにか消えていくものだから。
母との生活も、父の存在も、全てが全ていつも通りで当たり前だった。今となってはもう手に入らない、尊き生活だ。
先のことを考えるのが恐ろしいと思うことはこれからなくなるはずなのに、何よりも明日が来るのが怖かった。それを感じ取ったかのようにリーダーさんが私の頭を1つ撫でたのが憎くて、それでもやはり安心してしまう手で余計に悲しかった。
そうだ、プロシュートさんが言うように、私も宿り木が欲しい。安定が、いつも通りが欲しくてたまらないのだ。
これから始まる奇妙な日常が、『手放さなくて良い当たり前』になるようにと願って、私は意識を飛ばすために目を閉じた。まぶたの裏でいつしかの母が静かに笑っていて、少しだけ涙をこぼしたけれど、明日からはその雫が当たり前にならないようにと願うばかりだ。
4/4ページ