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ギアッチョさんは私の頭を自らの肩に寄せると、階段を上がって2階のドアを開けた。ギィ、と錆びた音が鳴り響くと、ギアッチョさんは帰ったぞ、とだけ声をかけた。やはり誰か他に仲間がいるらしい。複数の息遣いが部屋の中から聞こえた。ということは、ここはリビングだろうか。私の視界からは木で作られた床しか見えないため、ただの予想に過ぎないのだけれど。
「おお、そいつが例の怪我させちまった女か。お前でもやらかすことがあるんだなァ?」
「うるせえ、言ってろ」
誰かがギアッチョさんをからかうようにして言葉を吐くと、ギアッチョさんはぶっきらぼうな返事をした。数人の笑い声も聞こえることから、仲間は1人や2人ではないらしい。もしかしたらあの写真の人たちが全員いるのではないか、と考えると恐ろしかった。笑い声も男の人たちのみだったし、可能性としてはない話でもない。
…話の流れからして、私は偶然怪我をした女ということになっているらしい。どうして誤魔化しているのかはわからないが、何か理由があるのかもしれないし、ギアッチョさんが怒るとのちのち怖いので何もしないでやり過ごそう。
するとぎしりと何かが軋む音がして、足音がこちらへと近づいてくる。ギアッチョさんの体が一瞬硬直していたのがわかった。
「…見られたか」
先程ギアッチョさんをからかった人ではない声だ。やけに心地のいいバリトンボイスが空間に響いた。どことなく貫禄を感じることから、この人が仲間の中での頭なのかもしれない。彼が喋った途端にしん、と空間が静かになった。
フードが被さっていない部分から姿を確認したけれど、足元しか確認が出来ない。あまり妙な動きをすると、ギアッチョさんにどうされるかわからないからこれだけで我慢しておく。靴の大きさや脚の太さからしてかなり大柄な人物であることだけはわかった。
などとぼんやり考えていると、ぬっと目の前に手が現れて、私のフードを取り払おうとした。当たり前だ、突然現れた女が真っ黒なフードを被っていたら警戒するに決まってる。だがフードが取り払われたらまずい。思わずギアッチョさんの服を握りしめると、ギアッチョさんは私を落ち着かせるように背中に回した手を不器用に動かしていた。
撫でてるつもりなのかな、もしかしたら気のせいかもしれないけれど。気まぐれかもしれないし、はたまた私が不安であることを察して宥めてくれているのかもしれない。一概に悪い人でもないのかな、と思わされてしまった。人攫いであることに間違いはないけれど、そんな少しの希望に縋りたい気持ちになった。
伸びてきた手はやけに白くて武骨で、メローネさん達とはやけに違うように見えた。大人の男の人だ、と素直に思ったが、この手が私の首でも絞めたらひとたまりもないだろうとも考えた。背中がぶるりと震えて、ギアッチョさんが早くこの場を切り抜けてくれることを願った。
「…バレてねえ。車ン中で確認したが魔法かなんかだと思ってるみてェだ」
緊張のせいか、少し固い声で返答をしていたような気がする。私の感情を読み取る力は人並みだからわからないけど、やっぱり私に関する何かは隠し通したいのだろう。それを知らないことは不安だが、とにかくここを切り抜けなければ始まらない。頼むから、もう私のことは放っておいて欲しいだなんて思ってしまった。気づかれてしまうことで、何かを失う気がしたから。
「本当にそうか?」
どうやらバレてしまったらしく、彼の指先が私のフードを摘む。私でもギリギリわかるかどうかだったのに、相当観察力がある人のようだ。この人がもしリーダー的ポジションに就いていると言うのなら適任であるだろう。ひゅっと息がつまる感覚がして、ああもう駄目だと同時に思った。
まずい、バレてしまったらそのあとどうすれば…覚悟してぎゅっと目を瞑った。
「〜〜〜ッ、男が苦手なんだとよ!だからあんま触ンな見ンな!!」
ギアッチョさんはそう叫び散らすとその場から足早に去った。唾飛んでて汚かったしずんずん進むから凄い揺れる…そもそも男の人が苦手だなんてどんな設定なんだろう…言わないけどふと考えてしまった。
揺れる視界の中、見えるのはダークブラウンの床だけ。それがゆらゆらと私の視界の中で踊っていて、これは一体いつまで続くのだろうと感じた。狭そうに見えたが、どうやらこの建物は広いらしい。予測できるのは客間だろうが、どうしても私の存在を隠したいようだし、メローネさんかギアッチョさんの部屋に運ぶのが妥当だろう。
それにしても、なぜだか先程の男の人の手を忘れられない自分がいた。目の前に彼の手が現れたとき、胸がざわりとしたのだ。恐怖でもなく嫌悪でもない、寧ろ一種の安堵に近い情で心が満たされた気がしたのだ。勿論彼も写真のうちの1人だろうし、私が知っている人物ではないことも確かだ。信用しているわけでもない。彼の姿は足元しか知らない。しかし、写真で切り取ったかのように彼の手が脳裏から離れなかった。
(…父さんの手も、あんな感じだったかもな)
いつの間にか消えていた私の父も人より随分大きな手をしていて、よく私の頭を撫でてくれた。頭を預けることに不安などなくて、私の全てを委ねたって大丈夫だった。笑顔はいつも温かくて、私の心を優しく包んでくれていた。
そんな父さんはもういない。私なんて最初からいなかったみたいに、1人で煙のように消えてしまった。私が愛した笑顔も、大きな手も、全部空気に溶けて消えてしまったのだ。未だに母さんは父さんのことを話してはくれない。今は父さんなんていなかったみたいに振る舞うのだ。
私だけが、何も知らない。
私は今、何をしてるんだ?私って、なんなんだ?
なんてことを考えると、どうしても気持ちはどろどろと溶け出して、ぼたりと私の腹の底に消えていくのだ。
不安だ、ものすごく。何もかもが不安だ。
「オラッ、どこ見てんだよ。着いたぞ」
はっと意識を呼び戻すと、私は真っ白なベッドの上に腰掛けていた。
「運んでるときに返事がなかったがなんだァ?ホームシックにでもかかってんのかよォ…」
ギアッチョさんは至極面倒くさそうな顔をして、大きなため息をついた。当たり前だ、いきなりこんな場所に連れてこられて。私が少し眉をひそめると、苛立ったかのように目の下を痙攣させた。車に連れ込まれたときであれば怖いのみで済んでいただろうけど、ぐずぐずの心にはそうはいかなかった。ぶすり、針のようなものが心を貫いていく。
「ああ、良かったな。一時はどうなるかと思ったが、ここまで来れば少しは安全だろう」
安全って、何。私は母さんの元を離れた時から安全だなんて一度も思えていないのに。ぶすり、ぶすり、汚い気持ちがまた私を醜くする。醜い自分をこれ以上見たくなんかない。もうやめてほしい。全部秘密を話してくれればこんな気持ちにならずに済んだのに。みんな私を置いていってしまうんだ。
…かえりたい、
かえるって、どこに?
「ッ!?お、オイオイ泣くなよ…なんなんだよお前はよォ…!」
焦ったような声を出してギアッチョさんが私の顔を覗き込む。メローネさんも困ったような顔をして私の涙を拭おうとしていた。今は触らないで欲しかった。車中ではあんなに愛おしさを帯びていた手が、今は悪魔が地獄へ導いている動作に見えて仕方がなかった。そこに私の意思などないからだ。
駄目だ、もう我慢できない。何度も止めようとしたけれど、涙は私の頬を伝って膝元に垂れていく。空虚さに押しつぶされて消えてしまいそうだった。誰も私のそばになんていなくて、母さんとの約束さえ守れない自分はさながら世界で一番悪い人間であるかのように思えてしまった。彼らだって、なんでこんなにも私を守ろうとしているのかさえ教えてくれないし、なんで私のことを知っているのかだって言ってくれない。
頭の中はぐちゃぐちゃで、消しゴムなんてないから忘れることすら出来ない。誰かに助けて欲しいけど助けてもらうことも出来ない。気持ちはどんどん良くない方向に流れていって、涙も止めどなく溢れてどうしようもなかった。
「こんななまえ今まで見たことねェし…こういう時はどうしたら良いんだよ!?オンナの扱いはプロシュートに任せれば良いが言える訳がねェ!」
「落ち着けギアッチョ、声がデカすぎる!なまえがここにいるなんて知られたらヤバい…特にプロシュートとリゾットが知ったらもっとヤバいことに……ッ」
私のせいで余計に困らせてしまっているようだ。2人は混乱気味に双方をまくし立てていたが、思わぬ形でこの喧騒は破られることになった。
聞こえたのは破壊音。何かが砕け散って地面に撒き散らされる音だ。それから息を呑む音。
「……なまえが、なんだ?」
元々扉があった場所に立っていたのはスーツを着こなした金髪の男の人だった。涙で滲んで見えづらいけれど、おそらく抜群のルックスの持ち主だろう。ただし、アーモンド型のぱちりとした目はどこまでも冷ややかで、冷徹さをひしひしとこちらに伝えてきている。言われなくても怒りに震えていることが見て取れた。
顔が美しい人が怒ると怖いなんて言うけれど、怖いなんてものじゃあない。この世の人間とは思えないほどの迫力を身にまとっているし、あまりの恐ろしさに涙さえ引っこんでしまった。今すぐにでも逃げたかったがこの部屋に逃げ場などない。万事休すだ。
男の人はずんずんとこちらに近づいてくる。メローネさん達は硬直してしまっていて今は使い物にならない。私が何とか出来るビジョンは浮かばない。
ああ、今日は厄日だ。そう思うことで、目の前の出来事を処理するしかなかった。自分がこの先どうなるかはわからない。が、良い結果にならないことだけはわかった。明日が確かなものではないと生まれて初めて感じてた。あの綺麗な朝日をきちんと拝んでおけばよかった、などと今更後悔してしまったのだ。
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