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1冊目

分かってはいた。いつかこの日が来るって。でもそれはまだ先だと慢心していた。こんなにも早く、来てしまうなんて。

「エミさんおめでと~!」
「いやぁありがとうございます」
「やっと春が来たんやなぁ」
「せやなぁ、これで安心して美味い煙草が吸えるわ」
「お前いっつもやろ」

いつもの居酒屋での飲み会で、エミさんから春が来たと報告があった。メンバーが彼を次々に祝福する中、俺はみんなの話を終始俯いて聞いていた。俺だけが別の世界に取り残されたような疎開感を覚える。

「ゾムもほら、何か声掛けたれや」
「あ、せやな…」
「…ゾムさん?」

彼が不安げに顔を覗き込んでくる。
俺は今の気持ちを悟られたくなくて、必死に笑顔を取り繕った。

「ごめんごめん、ぼーっとしとったわ!いやぁエミさんやっと冬越せたんやなぁ、おめでとな!」
「え、あの」
「何やろ、体調悪いんかな?何かおかしいわ。ごめん俺もう帰るわ、ほんとごめんな」
「何やねん、しっかりせぇや!」

そそくさと席を立つと、みんなが笑って“お大事にな”と声をかけてくれる。俺はそのまま彼の顔を見ることなく、逃げるように居酒屋から出ていった。

さて、外に出たは良いものの、行く宛がない。
どうしたものかと考えていると、ふと視界の端に海が見えた。海か。ええかもな。
何となく、家にいるよりはマシに思えた。特に理由も無いが、俺は海へ行くことに決めた。

「…綺麗やな」

久々の海だった。最後に来た時は確か…エミさんも一緒だったはず。

『ゾムさん!』
『ちょぉ水掛けんでやぁ』

彼との記憶が、嫌でも思い出される。
エミさんは…その声で、その顔で、いつも俺を慕い俺の名を呼んでくれた。

「…エミさん……えみ、さん…っ」

俺は彼に想いを寄せていた。
博識な彼に、努力家な彼に、あざとい彼に、よくイキる彼に、可愛い彼に、かっこいい彼に。
でもそれを伝えることはしなかった。その結果、エミさんに彼女が出来てしまった。

「っ……うぇ………ぅ…」

涙が止まらない。俺は自分でも気づかないくらいに彼を愛していた。愛していたからこそ、困らせたくなかった。
伝えた所で、そもそも俺は男だ。エミさんだって性別は気にするだろう。

「……なぁ、えみさん。俺には…月、眩しすぎるわ…」

いつか彼が言っていた言葉を思い出す。
夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したと。
それなら俺の「I love you」は。

その日は月が眩しすぎる程に綺麗だった。
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