アンビバレント

マクシミリアン・テルミドールはプラン通り旅団に戻った。
だがあの演出、演技はやりすぎたかもしれない。
観測するモニタの前で自他共に覚えのある鉄仮面が痛むほど笑ってしまった。
傍にいたスタッフのあんぐり開いた口を見ていかに自分が笑わない人間かを再認識したものだ。
無事回収した後、ずぶ濡れの彼にその事を伝えると自慢げに鼻を鳴らしていた。
彼自身、喜劇のつもりだったのだろう。
わざわざ前振りをしてからあの熱演だ。
根っからの完璧主義も愛おしい。
そう、愛おしい。
私はテルミドールへの恋慕を抱いている。
例えば二人きりで気の抜けた表情で笑う時、扇動の為に美しい低音を響かせる時、必要のない感情が頭を離れず欲が鎌首を擡げる。
瞼を閉じるたび脳はテルミドールの一挙一動を夢想し声を繰り返す。
あの鋭い言葉と落ち着きを与えながら情熱を感じさせる声。
長らく通信越しにしか聞く事がかなわなかった。
「メルツェル」
まただ、頭の中がテルミドール一色に染まる。
こんな事を考えるべき時ではない、やっと計画が進み始めたのに。
例えこの恋心を伝えたところで時間を忘れて睦む事は無い。
明日も分からぬ身だ、人類の黄金時代の為に私達は居る。
自身が死しても成就させるべき事だ。
戦場に斃れることを互いが承知している。
だがそれは理性の話だ。
優先すべき事柄を自分に繰り返し言い聞かせるが感情は黙らない。
己の感情は制御の効かない子供のようなものであり、縛り付けるほどに矛盾と反発を繰り返し内側の苦しみが強まるだけ。
そもそも自分の恋心とは何か。
ありのまま吐き出してみるべきだ。
ソファに深く凭れ己の心を観察しようと試みる。
愛おしい。目的を捨ててでも連れ去ってしまいたい。二人きりで過ごしたい。……深くふれあいたい。
あまりにも率直で単純な己の欲望に思わず顔を手で覆う。
「……メルツェル?」
私が死んだ場合テルミドールにどうなってほしいのか、そこが最も矛盾している。
屍を踏んででも成就してほしい。
悲しんで私の亡骸に縋ってほしい、私だけに!
無防備に心を辿るほど悲鳴のような願望が内で強まる。
これを正直に告げてしまえば楽になれるだろう。
だが押し付けられた心は彼の重荷になってしまう。
テルミドールは受け入れるだろう、たとえ本心から同じ気持ちでなくとも。
長く人生を共にして彼がどう考えるのか分かっているつもりだ。
「おい」
いつの間にかテルミドールが背後にいた。
時計を見る、今後のプランについて話し合う約束の時間だった。
脳内の声では無かった事に身体が固まるほど動揺する。
ぎこちなく顔を彼の方に向ければ、目が合ったのを確認し、テルミドールは正面のソファに腰を落ち着けた。
感情的になっていたせいか、二人を遮るものがない密室だからか心臓が落ち着かない。
なんとか冷静を取り繕ってやっと言葉を返す。
「……ああ、久々の再会はどうだった?」
先程まで談話室で旅団員達と酒を飲みながら挨拶をしていたはずだ。
「熱烈な歓迎を受けたさ」
普段の完璧に作りこんだヘアスタイルは見る影もなく嵐に巻き込まれたように乱れ、その顔は高揚と愉快そして不満を隠さない。
「その髪、はは」
「ふん、また小僧扱いだ」
「愛されている証拠だ」
「お前までそんな事を」
アルコールで気が緩んでいるのか拗ねた子供のように眉を顰めている。
「我らの旅団長だからな」
「……それより、随分と考え込んでいたが計画に思うところでも?」
普段より柔らかく、潤んだ瞳と目が合う。
こちらを案じる真剣な眼差しに、先ほどの自身の思考に居心地が悪くつい目を背けてしまった。
「いや、個人的なことだ。計画に支障はない」
二人きりの時だけ演じていない表情を見せてくれる。
その事実がたまらなく胸を満たす。
これまでの付き合いで得た信頼であり、素で居られる相手であってほしいという期待。
私にとっても言うまでもなく恋愛感情を抜きにして特別な人間だ。
だがテルミドールも同じ気持ちで居てくれるというのは過ぎた思い込みで、ただの願望だろう。
この気持ちは隠し通すべきだ。
「……違うだろう、いい加減言うことがあるはずだ」
呆れたように言い放ち、苛立ちの覗く仕草で長い足を組みなおしこちらを見ている。
「言う事?」
見当がつかないとは言えない。しかし
「私に皆まで言わせる気か?」
ソファから身体を乗り出したテルミドールが手袋越しに私の手を強く握る。
その手は心なしか震え、緊張しているように見える。
これは、私に都合が良すぎる。
こちらを見つめる瞳から逃れられない。
「……こんなにも近いのにお前は触れてくれさえしない。私の勘違いか?」
一度言い淀み、それでも強い口調ではっきりと告げられた。
瞬時に顔が熱くなるのを感じる。
頭に血が上って物を考えられそうにない。
こんなことがあっていいのか?
立ち上がり、手を離そうとするテルミドールを衝動的に引き寄せてしまった。
「勘違いじゃない。ずっと触れたいと、……お前を愛する許しが欲しいと思っていた。お前に言わせたことは謝ろう。情けない事だ」
考える前に言葉が零れてしまう。なんてことだ。
感情に突き動かされ抱きしめる、暖かく愛おしい存在を全身で感じ、もはや溢れる気持ちが止められない。
「私がどれだけ待ったと思っている」
消え入りそうな声は耳元でなければ聞こえなかっただろう。
「すまない、だがいつから」
「お前が星座の本に目を輝かせていたときから」
肩に伏せていた顔を上げ、まつげが触れるような距離で顔を合わせた。
熱のこもった切なげな瞳が揺れている。
「ずっと、同じだったのか」
確かに覚えている。
十にも満たないころ研究所の資料庫で一緒に星に憧れていた。
あの頃の自分と今も同じ感情を抱えている。
違うのは使命の有無のみ。
そして今許された。
「待った時間だけお前が愛してくれ」
テルミドールからの愛を確信できる。
彼も同じで居てくれたのだ。
同じく思い悩み、今解放される。
「ああ、心から愛している、これからも」
安心したように柔らかく微笑む頬に手を添え、唇を軽く合わせるキスを繰り返す。
幸福だ、理性は最早枷にすらならなかった。
もっと触れていたい。彼の全てに手が届くまで。
……そう思った矢先、身体を離されてしまった。
「忘れるなよ、お前は私のそばでこそ輝く星だ」
満足げにそう言う彼は気まぐれな猫のように笑み、再び頬に口付けると室内の簡易キッチンに行ってしまった。
話し合いの為に茶を淹れるのが恒例だからだ。
これからどうしたものか、いつも通りではない長い夜を予感する。



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