新・記録日誌
「なんとかなれーッ!」
2026/05/30 23:45サイト日常
さて、本題の前に隠しキリ番1739が達成されていましたので、新しい隠しキリ番の発表を。
次の隠しキリ番は1888(いやはや)です。1900の直前なので、1900を目指す前に踏んでいるかも?
本題ですが、前回の日記の最後で触れた「色々」・・・今月起こったプライベートに関する話をします。
長くなるので、時間が無い方は「僕は朝の仕事を辞め、来月から派遣社員として近所の食品工場で働く事になった」「母は変形性腰椎症と坐(ざ)骨神経痛になって仕事を辞め、外出を控えて自宅で静養中」と言う事だけ把握しておいて下さい。
まずは僕の事情ですが、前述通り先月末を持って朝の銭湯の仕事を辞めました。
理由は色々ありますが、大きな原因を挙げるなら「30分前サービス出勤が常態化、猛暑・酷暑の時期にも暑さ対策を全くしない、備品の購入は作業員任せ(請求書で後払いは出来ましたが。)・シフトが来るのがいつも月末・休み希望を入れた日に普通にシフトを入れる・・・等ずさんな環境」「メンバーの大半が老人なので病院行きからの離職が昨年秋から続き、新人も入らず20日以上・7日以上連続出勤が半年以上続いた」「親しくしていたお婆ちゃんや同い年の人が辞めてモチベーションが低下した」、そして「結局この仕事に縛られ、時間の都合でちゃんと他の仕事が出来ない」、と言う点です。
Wワークも考えましたが、良い時間や待遇の仕事先が見付からず、年金は控除を受けましたが福利厚生や社会保健が全く無い・・・健康(マイナ)保険証が無いので病院に行けない、もしくは診療の度に大金を支払う事になる状態が続くのは不味いと思い、一年前続いた駿河屋での売却生活も売っても良い物が底を付いたのもあり(どうしても売りたくないフィギュアは置いています)、35歳を超える前にやはり正社員として福利厚生を受けながら、ちゃんと働いて稼がなければ・・・と決心し、仕事場自体には未練も思い入れは無い事から、先月約3年続けた朝の仕事を辞めました。
この仕事を始めたのも「次の仕事先が見付かるまでのつなぎ」で、その頃はまだ仕事環境もマシだったり、先輩方と良好な関係だったり、同時期に夜の仕事先から誘われたり・・・など、Noと言えない日本人故になし崩しが続いた結果もありますし、そもそも僕は早起きが苦手なのでその時点で多少無理をしていたのですがf^_^
次の仕事先ですが、コロナ禍の時期に働いていたパナソニック関連の工場の時のように、派遣社員としての労働になります。
本音を言うと、派遣社員は辞めた後に色々振り回された記憶があったり、最初は約10年前に働いていた会社に出戻る予定が結局断られて新しい仕事先に行く事になったり、仕事先も早出・残業は多少あると事前に言われていたりするので、不安はかなりあるのですが・・・前述の通りしっかり働いて稼げる事に代わりはありませんし、後述の母の事もあったり、専業主婦のような日々を過ごしたこの三年間でどうも自堕落気味になっていたような気がしますので、これを機にちゃんとした日々を過ごそうと思います。
確かに一番暑い昼間が確実に空いていて、平日に出掛け放題で、自由に過ごせていたWワーク時代は楽でしたし、「暴れん坊将軍」「相棒」「科捜研の女」など今まであまり見なかった時代劇や刑事・サスペンスドラマを見る習慣も身に付きました。
ですが、時間や余裕はあるのに特に家事を身に付けたり、新しい事を始めたり、小説を書きまくる・・・など有効に活用していたかと言うと微妙な所で、金銭面もあまり余裕は無く母の収入に頼っていた所がありますし・・・こんな日々を続けるのは絶対に良くない、と内心思いながら過ごしていましたので、これはちょうど良い機会だと思いました。
少しでも弛んだ体を整える為、後述の事情もあって僕としては珍しく極力自転車を使わずに毎日ウォーキングをしたり、買い物の帰りに買い物袋で簡易的な筋力トレーニングをしたりしましたし(汗)
ただ、仕事に慣れるまで小説の進行が遅れたり停滞するかもしれません。それだけはご容赦下さいm(_ _)m
・・・えっ?今もそんなに大差無い?
次に母についてですが、前述した通り僕よりも深刻な現状です。
今月12日に梅田に出掛けた時は何もなかったのですが、翌日に突然腰の激痛で全然歩けなくなって仕事を休み、ぎっくり腰かと思ったら数日経っても腰の激痛が治らず、救急車で病院に行って診て貰った結果、変形性腰椎症及び坐骨神経痛と診断されました。
詳しくは調べて貰えれば分かりますが、加齢でどうしても起こりやすい病気ではあるものの、腰を酷使する介護の仕事を長年していたのも一因であるのに間違いは無く、僕に限らず誰かの前でなるべく腰の痛みを見せないようにしていたそうです。
今は病院で貰った痛み止めの薬を飲みながら、湿布を張ったりコルセットを着けたりして、僕が慣れないながらも家事や買い物をやったりして安静にしていますが、変形性腰椎症・坐骨神経痛は完治出来ないので腰に負担を与えない生活を続けるか、数十万掛けて腰椎に金属を入れる手術をするしか無く、手術は予算の都合で今すぐには無理なので腰に負担を掛けないようにするしか無いので、長年勤めた介護の仕事を辞める事となりました。
本人自体は元気で、ちょっとでも動かないとと言ってたまに家事をしたり、車に乗る事は一応出来るので通院は車を使って通っていますが、もし仕事をするにしても腰に負担を掛けない新しい仕事先を探す必要がありますし、今までのように一緒にお出掛けやオフ会が出来るかは正直不透明です。
ただ「映画ちいかわ」や「ゴジラ-0.0」は必ず観に行くと豪語していますし、母が強い人間なのは昔から知っていますから、必ず新しい道を見付けられると、僕は信じています。
だからこそ、今僕が無意識に母に頼っていた事を一つずつこなせるようになり・・・いつか母がいなくなった後も、立派に生きて行けるようになりたい。
新しい仕事と共に、間違いなく僕の人生の転機となった月でした。
・・・以上で、「色々な事」の報告を終わります。
読んで不安になったかもしれませんが、一番伝えたかったのはそれでも僕と母は元気に過ごしています、と言う事です。なのでどうかご安心下さい。
ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
次の隠しキリ番は1888(いやはや)です。1900の直前なので、1900を目指す前に踏んでいるかも?
本題ですが、前回の日記の最後で触れた「色々」・・・今月起こったプライベートに関する話をします。
長くなるので、時間が無い方は「僕は朝の仕事を辞め、来月から派遣社員として近所の食品工場で働く事になった」「母は変形性腰椎症と坐(ざ)骨神経痛になって仕事を辞め、外出を控えて自宅で静養中」と言う事だけ把握しておいて下さい。
まずは僕の事情ですが、前述通り先月末を持って朝の銭湯の仕事を辞めました。
理由は色々ありますが、大きな原因を挙げるなら「30分前サービス出勤が常態化、猛暑・酷暑の時期にも暑さ対策を全くしない、備品の購入は作業員任せ(請求書で後払いは出来ましたが。)・シフトが来るのがいつも月末・休み希望を入れた日に普通にシフトを入れる・・・等ずさんな環境」「メンバーの大半が老人なので病院行きからの離職が昨年秋から続き、新人も入らず20日以上・7日以上連続出勤が半年以上続いた」「親しくしていたお婆ちゃんや同い年の人が辞めてモチベーションが低下した」、そして「結局この仕事に縛られ、時間の都合でちゃんと他の仕事が出来ない」、と言う点です。
Wワークも考えましたが、良い時間や待遇の仕事先が見付からず、年金は控除を受けましたが福利厚生や社会保健が全く無い・・・健康(マイナ)保険証が無いので病院に行けない、もしくは診療の度に大金を支払う事になる状態が続くのは不味いと思い、一年前続いた駿河屋での売却生活も売っても良い物が底を付いたのもあり(どうしても売りたくないフィギュアは置いています)、35歳を超える前にやはり正社員として福利厚生を受けながら、ちゃんと働いて稼がなければ・・・と決心し、仕事場自体には未練も思い入れは無い事から、先月約3年続けた朝の仕事を辞めました。
この仕事を始めたのも「次の仕事先が見付かるまでのつなぎ」で、その頃はまだ仕事環境もマシだったり、先輩方と良好な関係だったり、同時期に夜の仕事先から誘われたり・・・など、Noと言えない日本人故になし崩しが続いた結果もありますし、そもそも僕は早起きが苦手なのでその時点で多少無理をしていたのですがf^_^
次の仕事先ですが、コロナ禍の時期に働いていたパナソニック関連の工場の時のように、派遣社員としての労働になります。
本音を言うと、派遣社員は辞めた後に色々振り回された記憶があったり、最初は約10年前に働いていた会社に出戻る予定が結局断られて新しい仕事先に行く事になったり、仕事先も早出・残業は多少あると事前に言われていたりするので、不安はかなりあるのですが・・・前述の通りしっかり働いて稼げる事に代わりはありませんし、後述の母の事もあったり、専業主婦のような日々を過ごしたこの三年間でどうも自堕落気味になっていたような気がしますので、これを機にちゃんとした日々を過ごそうと思います。
確かに一番暑い昼間が確実に空いていて、平日に出掛け放題で、自由に過ごせていたWワーク時代は楽でしたし、「暴れん坊将軍」「相棒」「科捜研の女」など今まであまり見なかった時代劇や刑事・サスペンスドラマを見る習慣も身に付きました。
ですが、時間や余裕はあるのに特に家事を身に付けたり、新しい事を始めたり、小説を書きまくる・・・など有効に活用していたかと言うと微妙な所で、金銭面もあまり余裕は無く母の収入に頼っていた所がありますし・・・こんな日々を続けるのは絶対に良くない、と内心思いながら過ごしていましたので、これはちょうど良い機会だと思いました。
少しでも弛んだ体を整える為、後述の事情もあって僕としては珍しく極力自転車を使わずに毎日ウォーキングをしたり、買い物の帰りに買い物袋で簡易的な筋力トレーニングをしたりしましたし(汗)
ただ、仕事に慣れるまで小説の進行が遅れたり停滞するかもしれません。それだけはご容赦下さいm(_ _)m
・・・えっ?今もそんなに大差無い?
次に母についてですが、前述した通り僕よりも深刻な現状です。
今月12日に梅田に出掛けた時は何もなかったのですが、翌日に突然腰の激痛で全然歩けなくなって仕事を休み、ぎっくり腰かと思ったら数日経っても腰の激痛が治らず、救急車で病院に行って診て貰った結果、変形性腰椎症及び坐骨神経痛と診断されました。
詳しくは調べて貰えれば分かりますが、加齢でどうしても起こりやすい病気ではあるものの、腰を酷使する介護の仕事を長年していたのも一因であるのに間違いは無く、僕に限らず誰かの前でなるべく腰の痛みを見せないようにしていたそうです。
今は病院で貰った痛み止めの薬を飲みながら、湿布を張ったりコルセットを着けたりして、僕が慣れないながらも家事や買い物をやったりして安静にしていますが、変形性腰椎症・坐骨神経痛は完治出来ないので腰に負担を与えない生活を続けるか、数十万掛けて腰椎に金属を入れる手術をするしか無く、手術は予算の都合で今すぐには無理なので腰に負担を掛けないようにするしか無いので、長年勤めた介護の仕事を辞める事となりました。
本人自体は元気で、ちょっとでも動かないとと言ってたまに家事をしたり、車に乗る事は一応出来るので通院は車を使って通っていますが、もし仕事をするにしても腰に負担を掛けない新しい仕事先を探す必要がありますし、今までのように一緒にお出掛けやオフ会が出来るかは正直不透明です。
ただ「映画ちいかわ」や「ゴジラ-0.0」は必ず観に行くと豪語していますし、母が強い人間なのは昔から知っていますから、必ず新しい道を見付けられると、僕は信じています。
だからこそ、今僕が無意識に母に頼っていた事を一つずつこなせるようになり・・・いつか母がいなくなった後も、立派に生きて行けるようになりたい。
新しい仕事と共に、間違いなく僕の人生の転機となった月でした。
・・・以上で、「色々な事」の報告を終わります。
読んで不安になったかもしれませんが、一番伝えたかったのはそれでも僕と母は元気に過ごしています、と言う事です。なのでどうかご安心下さい。
ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
