怪獣今昔物語集







2015年、秋のある昼下がり。
愛媛県・久万高原町、岩屋山の奥の院。
四国・八十八ヶ所の45番札所・岩屋寺から続く参道がありながら、険しい修験の道故に観光客が来る事は少ないこの静寂の奥地に、バランとアンバーの姿があった。
山々の間に少々の霧が掛かっており、岩屋山の山頂近くから見える広大な自然は、眺める二人の心を穏やかな気持ちで満たして行く。



バラン『個々が、御前の「神域」か・・・素晴らしい景色だな。』
アンバー『ありがとうございます。ここに本来の体を置いたのは偶然でしたが・・・心から良かったと、いつでも思っています。』
バラン『ニンゲンが碌(ろく)に立ち寄ら無い点も、私としては良き点だ。未だニンゲンに蹂躙されて無い、稀有な地と言えるな。』
アンバー『・・・「山高き 谷の朝霧 海に似て 松吹く風を 波にたとえむ」。 』
バラン『ん?其れは何の歌だ?』
アンバー『空海様の歌です。この山に掛かる霧を、海に例えたものとの事で・・・つまり、この地に行き着く人間もいると言う事です。バラン。』
バラン『其う言うクウカイも、稀有なニンゲンでは無いのか?だが、在れ程のニンゲン為らば此の地に立つ事を許しても良いが・・・』
アンバー『それに昔も今も、お坊様やお遍路の方が時折いらっしゃいますよ?』
バラン『むっ・・・不粋なニンゲンめ。昔から変わらぬ、飽く無き探求心にも参るな・・・』
アンバー『良いでは無いですか。未知と言うものは、恐怖心と向上心の両方をもたらすものですし・・・苦労を承知でこの景色を求め、辿り着いた方達の事をわたくしは否定したくありません。あの時の隼薙だって・・・』
バラン『ハヤテ?』
アンバー『い、いえ。何でもありません・・・とにもかくにも、バランはきっと平穏を強く求めるが故に、そう思うのでしょうね。』
バラン『平穏を求めるのは、大為り小為りカイジュウの性(さが)で有ろう。我が「神域」は、在の日ニンゲン達に見付かる迄は、正に平穏で在った・・・何時か御前を、私の「神域」に連れて行きたいと思う。』
アンバー『そうですね・・・その日を、わたくしは楽しみにしています。それにしても、急に霧が強くなって来ましたね・・・?』
バラン『程々為らば風光明媚と為るが、流石に此処迄だと唯の白景色だな・・・徐々(そろそろ)下山掏るか?』
アンバー『そうしましょう。岩屋寺まで戻れれば、濃霧になっても大丈夫ですし・・・』



だが、二人が下山し始めるや霧は急激に濃さを増して行き、瞬く間に二人は深い霧の中に閉じ込められてしまった。



バラン『何だ、此の急激な霧は?』
アンバー『これではいずれ、前も見えなくなってしまいますね・・・仕方ありません、風で霧払いをしながら進みましょう。ですが、もしかしたら他に人間がいらっしゃるかもしれませんので、加減しながらで。』
バラン『癪(しゃく)だが・・・承知した。』



バランとアンバーは人差し指を突き出し、周りのものに影響を与えない程度の風量で霧を払いながら歩く・・・が、まるで霧に意思があるかのように風よりも霧の濃度が勝って行き、霧払いをしてもすぐに目の前が真っ白になってしまう。



バラン『くっ、霧の勢いの方が強いぞ・・・矢張り、風の加減を強く掏る羃(べき)か・・・』
アンバー『それは駄目です!もし、近くに人間がいたら強風に巻き込まれてしまいます・・・』
バラン『為らば、如何(どう)掏れば良いんだ!』
アンバー『・・・霧が収まるのを待ちましょう。わたくし達は怪獣、人間より強い体があります。余程の事態で無い限りは乗り切れる可能性がありますが、わたくし達の風は人間の命も即座に奪いかねません・・・』
バラン『・・・致し方無いか・・・!』



アンバーに諭され、バランは苛立ちながらもその場に留まって霧が収まるのを待つ事とする。
しかし、全てを白一色へと変える霧は視界だけで無く体内時計の針の進みまで阻んでしまい、二人は霧の中で心を包む不安の感情と共に、どれだけ経過したのかも分からない時間を過ごす。



バラン『・・・敵意処か、他の生物の気配すら全く感じんが・・・何れ程の時間が過ぎたのだ・・・?』
アンバー『少なくとも、以前ギャオスが戦った事がある「フォライド」と言う怪獣によるものでは無さそうですが・・・あっ、バラン。霧が少しずつ晴れて来ましたよ。』
バラン『漸(ようや)くか。全く、私達の邪魔をし・・・なっ!?』
アンバー『えっ・・・?』



やがて、霧が目の前が見えるくらいに晴れて行き、バランとアンバーに待ち受けていた光景・・・それは明らかに岩屋山の参道とは違う、二人が見た事も無い何処かの湖の畔(ほとり)であった。
畔は無造作に雑草や花が生い茂り、薄い霧に包まれた湖の水面を雲のような形になった霧が幾つも漂い、湖の奥には木造の巨大な鳥居が見える。



バラン『此処は、何処だ?』
アンバー『わたくし達は確かに、岩屋山の参道の途中で動かずにいた筈です・・・なのにどうして、いつしかこの見知らぬ場所へ移動を?』
バラン『瞬間移動でもしたと言うのか?』
アンバー『瞬間移動・・・では、あの霧でわたくし達が動けずにいた間に、何者かがわたくし達を移動させた。もしくはあの霧がただの霧では無く、何かの作用をわたくし達にもたらした・・・考えられる仮説は、この二つですが・・・』
???『・・・双方、正解ぞ。ワタシが、この霧が、お主達をこの「國」へ召致した・・・』
バラン、アンバー『『!?』』



と、その時霧の中から一人の子供が現れた。
牡丹が描かれた藍色の和服を紐付きの黒いコルセットで止め、膝元まである薄紫色の洋風のスカートを履き、旋毛辺りで結んだショートテールに加え、姫カットの前髪と左右を滴る雫の様な形で止めた後髪が爬虫類の顔を彷彿とさせる形状をした、頭に滞留した枝葉に混ぜるように柊のアクセサリーを留めている、緑色の包帯を眼帯として付けた日本人形を思わせる「その者」・・・和と洋が混ざった独特的な風貌と、かつて霧の中を行く船舶が衝突を避ける為に鳴らしていた「霧笛(むてき)」のように通りの良い中性的な声は、一見すると少女にも少年にも見えた。



バラン『貴様、何者だ?ニンゲン成らざる気配が掏るが、貴様もカイジュウか?』
???『何者かを問うならば、まずそちらから名乗るのが礼儀ぞ・・・?』
アンバー『失礼致しました。わたくしの名はアンバー。この方はバランです。よしなに。』
???『アンバーと、バラン・・・・・・そうか。ワタシと同類と言う訳か・・・』
バラン『同じ?』
???『滅の光を凌ぎ・・・長き刻を生き・・・人から「神」と呼ばれる存在・・・』
アンバー『滅の光、長き刻・・・つまり、貴方も恐竜の生き残りから怪獣となり、神格化された存在・・・と言う事ですね?それなら確かに、わたくし達と一緒です。』
???『そう・・・人はワタシを時に「天乃狭霧(アメノサギリ)」と呼び、「化け物」と呼び、「あの人」とも呼ぶ・・・しかして、真の名は・・・「ネブラ」。』
バラン『ネブラ・・・』
アンバー『アメノサギリ・・・恐らくは日本書記にある、霧と境界を司る神「天之狭霧命(あまのさぎりのみこと)」から採った名ですね。「ネブラ」はギリシャ語で「霧」を意味する「ネビュラ」にも似ていますし・・・この深い霧の中にいる貴方に、相応しい名です。』
ネブラ『そうか。博識だの、アンバーとやら・・・』
バラン『だが、其んな中で何故御前は眼帯をして要る?若しや・・・御前は盲目か?』
ネブラ『その通りぞ。バランとやらは、勘が良いのだな・・・?』



アンバー『質問を繰り返して申し訳ありませんが・・・ここは何処なのですか?それから、貴方と霧がわたくし達を呼んだと言う意味も教えて頂ければと思います。』
ネブラ『ここは、「紫苑(しおん)湖」。竹田と言う「國」にある、狭霧の山の中・・・それ以外は知らぬ、興味も無い。ワタシは昔も今も、これからもこの「國」に居る・・・』
バラン『「國(くに)」・・・成る程、此処は御前の「神域」と言う訳か。其の点は大いに同意掏る。』
ネブラ『それと、霧の中の「境界」を取り払う。それがワタシの力・・・「境界」を取り払えば、異なる「國」や死者の「國」とも繋がる・・・ワタシは、微かに願った。「同類」がいるならば、見てみたいと・・・』
アンバー『・・・大体分かりました。貴方は霧の中でのみ、他の場所と繋げられる能力があるのですね。恐らくはやろうとすれば、異世界や死後の世界とも・・・』
バラン『其して、御前は自分と同じ「カイジュウ」との対面を欲し、私とアンバーは差し詰め御前に「招待」去れた、と言う訳か。』
ネブラ『普段なら、こんな願いなどせぬ。異なる「國」からの者は、大概争いを招く・・・それでも、ワタシが願ったのは・・・多紀理の事を、強く思い出したからかもしれぬ・・・』
バラン『タキリ?』
アンバー『その方は、貴方の仲間なのですか?』
ネブラ『多紀理は・・・ワタシと同類では無い。ただ、ワタシと同じ「居場所無き盲目」だっただけ・・・それでも、ワタシの「仲間」だった者ぞ・・・』



そう言いながらネブラは屈んで湖に手を入れ、在りし日の「仲間」・・・多紀理との思い出を回顧する。
包帯で目が判別出来ない事で表情は伺いにくいが、緩く閉じた紫の口紅が塗られた口元からは、多紀理がネブラにとって本当に大切な存在だった事が伝わって来た。




バラン『・・・詰まり、嘗(かつ)て交流が有ったニンゲンだな?「だった」、と形容したと言う事は、既にタキリは此の世には居ない様だが・・・』
アンバー『わたくし達にも心を許し、共に過ごす人間がいます。異なる存在であっても心と心で繋がれて、その人の為ならこの身を擲(なげう)てる、掛け代えの無い大切な人・・・きっと、貴方にとっての多紀理様も同じであると、わたくしは思います。』
ネブラ『・・・その「人間」とやら、ワタシはあまり好いておらぬ。少し昔にワタシの「國」を荒らし、多紀理を亡き者にしようとした・・・だからワタシは、人間の「國」を壊した。ワタシはただ、ワタシの「國」にいたいだけ・・・しかし、人間を否定する事は多紀理の存在を否定する事と同じ。だからワタシは、何もせぬ・・・』
バラン『・・・私も、単刀直入に言えばニンゲンは嫌いだ。過ちを繰り返す愚かな存在乍(ながら)、知恵と詭弁と意地の悪さは卓越して要る。平穏を求める身としては、迷惑千万だ・・・だが、私にも微かに例外は居る。存在を認め、共に歩み、全てを高め合う、掛け代えの無いニンゲンが。』
アンバー『やはり、貴方とわたくし達は似た存在なのですね。だから霧は、わたくし達を貴方の元に導いた・・・この出会いは、きっと必然。そう思いませんか?ネブラ様。』
ネブラ『・・・』



ネブラは下を向き、少しの間沈黙した後・・・顔を上げ、口元をやや綻ばせてこう答えた。



ネブラ『・・・そのようだの。』






それから三人は少しの雑談をした後、バランとアンバーは岩屋山に戻る事にした。
ネブラは胸元から緑色の扇子「弧獨(こどく)」を取り出し、広げてさながら能のように雅な手付きで辺りを扇ぐと、直ぐに霧が濃くなって行くと同時に、バランとアンバーの周囲に霧が集まって行く。



バラン『霧が、意思を持つかの様に・・・矢張り、岩屋山での霧も御前の意思に拠る物だったのか。』
ネブラ『この霧の中で、元いた「國」を願うが良い。さすれば、暫しの間でそこへ戻れる・・・』
アンバー『ありがとうございます。わたくし達が自力で帰ると言う選択肢もあった中、そのお心遣いに感謝致します。』
ネブラ『招致したのはワタシ、なら客人を見送るのもまた役目・・・ワタシは「境界」の先には行けぬ。ここで別れぞ・・・』
バラン『・・・否、私は此の地を調べて又訪れる。必ずな。御前はどうする?アンバー。』
アンバー『わたくしも勿論、再びこの「國」に参ります。わたくしもバランも心と心を通わせた・・・貴方の「仲間」なのですから。』
バラン『其う言う事だ・・・又会おう。我が「同類」のネブラよ。』
ネブラ『・・・ありがたや、ありがたや・・・』



するとネブラは扇子を畳み、胸元に仕舞ったかと思うと両手で包帯を外し、閉じた瞼(まぶた)をゆっくりと開き・・・生まれたその日から何も映さない、だが今は確かな希望の光が宿っている薄水色の眼(まなこ)で、二人を見つめた。
より一層人形らしさを醸し出していた包帯が取り払われたネブラの素顔は、より少年らしくにも、少女らしくにも見えた。



アンバー『ネブラ様が、包帯を・・・?』
バラン『在れは確かに、盲目の目だ・・・』
ネブラ『・・・本当に見たいモノがある時、これを外している。何故なら、ワタシには見えているのだ・・・心の眼で。お主達の実相も、心の眼で確かめた・・・だがやはり、瞼を見開き見るとまた違うように見える・・・
さらば、バラン。さらば、アンバー。お主達が再びワタシの「國」を訪れる時を、ワタシはいつまでも待っておるぞ・・・』
バラン『・・・承知した。二度(ふたたび)会える其の日迄、去らばだ。』
アンバー『さようなら、ネブラ様。そして必ず、またお会い致しましょう・・・』



バランとアンバーは霧の中へ消えて行き、しばらくして居なくなった。
二人が戻った事を確認したネブラは足元の包帯を拾い、満足気な表情のまま湖に入り、奥へ向かって歩いて行く。



ネブラ『・・・「何処へだって行ける」。かつてお主はそう言って、新たな「國」へと去って行った・・・いつかワタシも、新たな「國」に行く時が来るのやもしれぬ・・・もしもその時が来たら、ワタシの行く末を天から見守っていてくれ・・・多紀理よ。』



鳥居を前に足を止めて立ち止まり、今は亡き「仲間」に話しかけるネブラの両目には、遥か一世紀前に同じ場所に立ち、怪獣の姿をした自分の顔に優しく寄り添いながら、鼻唄で子守唄を歌う眼帯の少女・多紀理の姿が見えていた・・・






一方、バランとアンバーは霧と共に岩屋山の参道に戻っていた。
それと共に霧は独りでに晴れて行き、まるで今までの濃霧が嘘だったかのように、夕焼けの光に包まれた岩屋山の風景が見えた。



アンバー『・・・間違いなく、ここは岩屋山ですね。』
バラン『本当に戻って来たのか・・・丸で、狐に摘ままれた何の様な出来事だったな・・・』
アンバー『わたくしもそんな感じですが・・・霧の先にあったあの湖も、この記憶も、ネブラ様の存在も全て、幻などでは無いと・・・わたくしは信じています。』
バラン『為らば、早々に調査を掏るぞ。私も、十把一絡(じっぱひとから)げに幻と断定掏る気は毛頭無いのでな・・・下山掏るぞ、アンバー。』
アンバー『はい、心得ました。バラン。』



その後、バランは日本アルプスに帰ってから瞬にコンタクトを取り、アンバーは初之姉妹の家を訪れ、それぞれがあの時訪れた「狭霧の國」の場所を探った。










ネブラ『・・・お主達よ。ありがたや、ありがたや・・・』



そして、暫くの後。
九州・大分県、竹田市の「狭霧山」でバランとアンバーを目撃したと言う、「証拠も根拠も無いガセ」だと判断された情報が、ネットの海の片隅に流れたのだった・・・






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好釦