もしも・・・







「う、う~ん・・・」



けたたましい目覚ましの音の中、志真は気だるそうな呻き声を上げながら目を覚ました。
目を半開きにし、布団に入ったまま志真は目覚ましを切ると、また眠りに付く。
しかし、半時間経って彼はそのまま起きなかった事を後悔する事になる。





「うわああぁーっ!寝坊したぁー!!」



先程の目覚ましにも負けない叫び声と共に、再び志真は目を覚ました。
時計は午前6時半を差しており、これが志真の絶叫の理由だった。



「やばい、やばい、やばい・・・!」



志真は慌ただしく部屋を出て階段を下り、台所へ行くとすぐさま机の上に置いてあるパンを掴んで台所を去る。
台所では母親の恵が食器を洗っていたが、恵が気付いた時にはもう志真は玄関にいた。



「あら哲平、おはよう・・・」
「おはよう!悪いけど遅刻しそうだから、パンだけ持ってくな!」
「てっ、哲平!?・・・とりあえず、急ぎ過ぎてパンを詰まらせたり、事故したら駄目よ~!」
「分かった!いってきまーす!」



家を出た志真はパンを口にくわえながら自転車に乗り、力の限りペダルをこいで何処かへと向かった。
器用に口だけでパンを食べつつ、志真は減速せずに車の通らない道路を走り続け、町中に入ってもなおスピードを保ちながら長めの坂道を下る。
そしてパンを食べ終わった頃、志真はとある工場の駐輪場に自転車を止めていた。
そこから駆け足で志真が入ったこの工場こそが、志真の仕事先であった。





「すみません、寝坊してしまいました!」
「・・・今月で二回目か。次遅刻したら欠勤扱いだからな。気をつけろ。」
「分かっ・・・はい。」



灰色の作業服に着替え、慌てて事務所に現れた志真に釘を刺したのはこの事務所の作業長を勤める志真の父・永次だった。



「とにかく、早く作業に取り掛かれ。成果によっちゃ今日の失態は勘弁してやる。お前らも、もう作業に入っていいぞ。」
「「「了解!」」」
「りょ、了解!」



永次の指示を受けて作業達は事務所を出て行き、各々に任された仕事に励む。
この工場は製鋼業を専門とする製鉄所で、中規模程度の工場ながら業界内においてかなりのシェアを誇っている。
この製鉄所では製鋼での作業における鉄鉱石等の原料受け入れ、原料から鉄を取り出す「製銑」、取り出した鉄(銑鉄)から炭素を取り除く「製鋼」、そして銑鉄を加工しやすい形に固める「鋳造」までを行っており、その後の作業である鋳造された製品に力を加えて鍛え、加工する「圧延」と商品の出荷は違う工場で行われている。
志真達の班はこの作業の内の「製鋼」を担当しており、彼らは今日も製鋼を行う約1600度にもなる電気炉の前に立ち、酸素や石灰の挿入を行っている。



「・・・」



ヘルメットは勿論の事、防炎・防塵対策にタオルを巻き、マスクと眼鏡を付けた格好でパイプを持ち、炉内に酸素を吹き込む志真。
体感温度自体は約60度程だが、夏になるとこれが80度前後にもなる。



「・・・なぁ、作業長の息子ってどう思う?」
「ここに来て5年くらい経つけど、いつもだんまりしてるよなぁ。」
「噂によると、作業長に無理矢理来させられたって話らしいけど、本当かな?」
「あぁ、だからいっつもやる気無さそうな顔して・・・」
「ちょっとそこ!口を動かす暇があったら手を動かす!」
「「「は、はい!」」」



黙々と作業をする志真を見て、噂話をする他の作業員達。
しかし志真は後ろの声を聞いてか聞かずか、ただ静かに激しく燃える炉を見つめていた。



――・・・俺は、本当はこんな所に来る気なんて無かったんだ。
親父がそう言うから、俺は・・・





それから作業は8時間続き、昼の3時前に製鋼作業は終了となった。
事務所で作業員達がくつろぐ中、1人志真だけは活動を止めた電気炉の前で柄杓(ひしゃく)に付いた鉄を剥がしていた。
この柄杓は製鋼の際に鉄の成分を計る為に使われており、その都合上何度も炉の中に入れる必要があるので、すぐに鉄まみれになってしまうのだ。



「・・・ふう、あとはこの先の所を・・・」
「哲平。」



と、背後から突然何者かに声を掛けられた志真は手を止め、後ろに振り向く。
そこにいたのは二重の意味で志真にとって責任者である、永次だった。



「おや・・・作業長。」
「今は誰もいないんだ、『親父』でいい。」
「は・・・ああ、親父。」
「他の奴は事務所で休んでんのに、お前だけ精が出るな。」
「他の人に比べたら俺はまだまだ新人だし、これくらいはやろうと思って。」
「そうか。まぁ、ここでずっと働く事こそがお前にとっていい事なんだ。俺がくたばって、定年まで働ける様にしろよ。」
「分かってる。これが親父に出来る親孝行なんだ、分かってるさ・・・」



その言葉を聞いた永次は満足そうな顔付きをして事務所に戻って行ったが、一方で再び作業を始めた志真の顔が晴れる事は無かった。



――・・・俺、本当ならこんな事してる筈じゃ無かった。
俺は小さい頃からずっと憧れてた、正義の味方になりたかった。
それはこの世界の悪い事を全部暴きたいって考えになって、だから俺はジャーナリストを目指した。
大学を卒業してからすぐ、親父への反抗から家出して東京へ行って・・・それが今のザマだ。
苦労して入った日東新聞本社はデスクと喧嘩ばかりして一年経たずに退社、行く場所もバイトで稼いだお金も無くなって、結局は無様に実家帰り。
親父は勿論許してくれるわけ無くて、こうやって親父の言いなりのまま、この工場にいる。
親父の言いなりが嫌だったから家出した癖に、今の俺にはもう一度家出までする度胸は無い・・・でも、いいんだ。
今の親父は昔と比べたら全然優しい。
だから、いいんだ。
それが親父の為なんだ、俺の夢とか思いなんて、二の次でいいんだ・・・
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好釦