闘技場に売られた獣
日向家の裏庭。よく晴れた青空の下、ヤジュジュはいつもと違う軍本部の特別講師用の制服に袖を通し、鏡の前で襟元を整えていた。
その背中に向けて、武器のメンテナンスをしていたギロロが声をかける。
「兄さん、今日は本部で新米どもに何の授業をするんだ?」
ヤジュジュは振り返り、目元の子供の線を優しく細めて微笑んだ。
「応急救護を教えてくる。……戦場で、救えるはずの命を目の前で消してしまうのは、とても苦しいからな。技術さえあれば、繋ぎ止められる糸もある」
「……あぁ、そうだな」
ギロロは深く頷いた。かつて地獄のような闘技場にいた兄が言うからこそ、その言葉には重みがある。戦友や部下を失う苦痛を、ギロロもまた痛いほど知っていた。
ヤジュジュは荷物をまとめると、ふと足を止め、真剣な眼差しを弟に向けた。
「ギロロ」
「なんだ」
「……戦場で、敵か味方もわからんやつが目の前に倒れている。息は絶え絶えで、放っておけばすぐに死ぬだろう。……お前ならどうする?」
ギロロは一瞬の躊躇もなく、愛用のライフルを強く握り直して言った。
「引き金を引く」
「……正解だ」
ヤジュジュは寂しげに、けれど満足そうに苦笑した。
「救護」を教えに行く身でありながら、その根底にあるのは闘技場で培われた絶対的な生存本能だ。素性の知れない者を情で救えば、次の瞬間に自分が、あるいは大切な仲間が背中を刺される。
「行ってくるよ、ギロロ。……甘い新米たちの頭を、少し冷やしてあげないとね」
パタパタと静かに尻尾を揺らし、ヤジュジュは転送装置へと向かった。
軍本部の講堂には、まだ戦場を知らない若い新兵たちが、どこか気の緩んだ様子で座っていた。教壇に立ったヤジュジュの「目元の線」を見て、年下だと勘違いした数名がクスクスと鼻で笑う。
「皆さん、こんにちは。今日から数日間、応急救護の基礎を担当するヤジュジュです」
ヤジュジュは穏やかに微笑みながら、医療用パックを演台に置いた。
「では、最初の質問です。戦場で瀕死の『敵兵』を見つけました。出血がひどく、今すぐ止血しなければ数分で死亡します。……さあ、あなたならどうしますか?」
前列の新兵が、自信ありげに手を挙げた。
「条約に基づき、人道的観点から速やかに止血処置を行い、捕虜として保護します!」
「ふふ、素晴らしい人道精神だね」
ヤジュジュは目を細めて笑った。次の瞬間、彼の狼の耳がピクリと跳ね、講堂の空気が一瞬で氷結する。
「――不合格だ。君は次の作戦で確実に死ぬよ」
ヤジュジュは教壇の前に歩み出ると、新兵たちを冷徹な瞳で見下ろした。その背後から、かつて巨狼として数万の敵を蹂躙した時のような、圧倒的な威圧感が立ち上る。
「応急救護とは、『味方の戦力を一人でも多く戦場に復帰させるため』の技術だ。慈善事業じゃない。敵か味方か分からん者に無駄な医療資源を使い、背後を警戒する隙を作るなど愚の骨頂。確実に息の根を止め、安全を確保してから、初めて『味方』に包帯を巻きなさい」
新兵たちはその容赦のない合理性と、外見からは想像もつかない戦慄の覇気に気圧され、唾を呑み込んだ。
「私が教えるのは、綺麗事の延命治療じゃない。地獄から生きて帰るための、泥臭い『命の拾い方』だ。……さあ、講義を始めようか。まずは止血帯の正しい『締め付け方』からだ。緩ければ、ただ血を垂れ流して死ぬだけだからね」
にこりと、けれど一切の妥協を許さない笑顔を見せるヤジュジュ。
新米たちの背筋が恐怖で一斉に伸びる中、ヤジュジュのふさふさとした尻尾は、自分の「正解」を完璧に理解している弟の顔を思い浮かべながら、どこか満足げに、ゆったりと左右に揺れているのだった。
その背中に向けて、武器のメンテナンスをしていたギロロが声をかける。
「兄さん、今日は本部で新米どもに何の授業をするんだ?」
ヤジュジュは振り返り、目元の子供の線を優しく細めて微笑んだ。
「応急救護を教えてくる。……戦場で、救えるはずの命を目の前で消してしまうのは、とても苦しいからな。技術さえあれば、繋ぎ止められる糸もある」
「……あぁ、そうだな」
ギロロは深く頷いた。かつて地獄のような闘技場にいた兄が言うからこそ、その言葉には重みがある。戦友や部下を失う苦痛を、ギロロもまた痛いほど知っていた。
ヤジュジュは荷物をまとめると、ふと足を止め、真剣な眼差しを弟に向けた。
「ギロロ」
「なんだ」
「……戦場で、敵か味方もわからんやつが目の前に倒れている。息は絶え絶えで、放っておけばすぐに死ぬだろう。……お前ならどうする?」
ギロロは一瞬の躊躇もなく、愛用のライフルを強く握り直して言った。
「引き金を引く」
「……正解だ」
ヤジュジュは寂しげに、けれど満足そうに苦笑した。
「救護」を教えに行く身でありながら、その根底にあるのは闘技場で培われた絶対的な生存本能だ。素性の知れない者を情で救えば、次の瞬間に自分が、あるいは大切な仲間が背中を刺される。
「行ってくるよ、ギロロ。……甘い新米たちの頭を、少し冷やしてあげないとね」
パタパタと静かに尻尾を揺らし、ヤジュジュは転送装置へと向かった。
軍本部の講堂には、まだ戦場を知らない若い新兵たちが、どこか気の緩んだ様子で座っていた。教壇に立ったヤジュジュの「目元の線」を見て、年下だと勘違いした数名がクスクスと鼻で笑う。
「皆さん、こんにちは。今日から数日間、応急救護の基礎を担当するヤジュジュです」
ヤジュジュは穏やかに微笑みながら、医療用パックを演台に置いた。
「では、最初の質問です。戦場で瀕死の『敵兵』を見つけました。出血がひどく、今すぐ止血しなければ数分で死亡します。……さあ、あなたならどうしますか?」
前列の新兵が、自信ありげに手を挙げた。
「条約に基づき、人道的観点から速やかに止血処置を行い、捕虜として保護します!」
「ふふ、素晴らしい人道精神だね」
ヤジュジュは目を細めて笑った。次の瞬間、彼の狼の耳がピクリと跳ね、講堂の空気が一瞬で氷結する。
「――不合格だ。君は次の作戦で確実に死ぬよ」
ヤジュジュは教壇の前に歩み出ると、新兵たちを冷徹な瞳で見下ろした。その背後から、かつて巨狼として数万の敵を蹂躙した時のような、圧倒的な威圧感が立ち上る。
「応急救護とは、『味方の戦力を一人でも多く戦場に復帰させるため』の技術だ。慈善事業じゃない。敵か味方か分からん者に無駄な医療資源を使い、背後を警戒する隙を作るなど愚の骨頂。確実に息の根を止め、安全を確保してから、初めて『味方』に包帯を巻きなさい」
新兵たちはその容赦のない合理性と、外見からは想像もつかない戦慄の覇気に気圧され、唾を呑み込んだ。
「私が教えるのは、綺麗事の延命治療じゃない。地獄から生きて帰るための、泥臭い『命の拾い方』だ。……さあ、講義を始めようか。まずは止血帯の正しい『締め付け方』からだ。緩ければ、ただ血を垂れ流して死ぬだけだからね」
にこりと、けれど一切の妥協を許さない笑顔を見せるヤジュジュ。
新米たちの背筋が恐怖で一斉に伸びる中、ヤジュジュのふさふさとした尻尾は、自分の「正解」を完璧に理解している弟の顔を思い浮かべながら、どこか満足げに、ゆったりと左右に揺れているのだった。
