闘技場に売られた獣
ケロン軍本部の、重厚な金属色に染まった回廊。
ヤジュジュはいつも通りの穏やかな足取りで、正面から歩いてくるガルルとすれ違おうとしていた。
「お疲れ様、ガルル。今日も忙しそうだね」
ヤジュジュは足を止めず、にこやかに微笑みながらすれ違いざまに声をかけた。目元の線を細め、ふさふさの尻尾を小さく揺らす。いつもと変わらない、完璧な「日常」の演技だった。
しかし、ガルルはヤジュジュの真横を通り過ぎる瞬間に、その強靭な腕を伸ばして弟の肩を掴んだ。
「――待て、ヤジュジュ」
---
### 隠せぬ異臭
「え? なんだい、ガルル。私は次の報告書の提出が……」
「……鉄の匂いがする」
ガルルはヤジュジュを自分の方へ向かせると、その黄金色の瞳で弟の体を鋭く観察した。
軍服の上からは分からない。だが、ガルルの鼻は、かすかに漂う新しい血の匂いと、それを誤魔化すための消毒薬の匂いを正確に捉えていた。
ガルルは躊躇なく、ヤジュジュの右脇腹のあたりにそっと手を添える。それだけで、ヤジュジュの狼の耳がピクリと跳ね、僅かに体が強張った。
「先の単独任務で負ったな。……肉が裂けている。なぜ医療班に報告せず、隠そうとした」
冷徹で、けれど隠しきれない焦燥を含んだ兄の声が、静かな回廊に響く。
### 兄の五感
隠し通せると思っていたヤジュジュは、降参するように両手を軽く上げ、困ったような苦笑いを浮かべた。
「……あはは。やっぱりお前には隠し事はできないね、ガルル。……君は私よりも、ずっと鼻がきくようだ」
ヤジュジュ自身、獣人の血を引いているため五感は人一倍鋭い。しかし、こと「ヤジュジュに関すること」において、ガルルの観察眼と直感は、野生の獣をも凌駕するほどの執念を発揮する。
「たいした怪我じゃないんだよ。ただの掠り傷さ。闘技場にいた頃に比べれば、こんなもの痛みのうちに入らないからね。お前に無駄な心配をかけたくなかったんだ」
「私にとっては、お前の肌についた一筋の傷さえ『たいしたこと』だ」
ガルルはヤジュジュの言い訳を容赦なく遮ると、掴んだ肩の手にさらに力を込めた。
「闘技場の話は関係ない。今の環境で、お前が痛みを我慢する必要などどこにもないのだ。……今すぐ私の執務室へ来い。私が直々に手当てする」
「ひゃあ、ガルル、大袈裟だよ! 自分でできるから……っ」
「連行する。異論は認めん」
絶対に引かない兄の鉄の意志に、ヤジュジュは「本当に敵わないな……」と呆れ半分、愛おしさ半分の溜め息をついた。
ガルルに並んで歩かされながら、ヤジュジュの尻尾は、叱られた子供のように縮こまりつつも、兄の過保護な温もりに包まれて、どこか嬉しそうに小さく揺れていた。
ヤジュジュはいつも通りの穏やかな足取りで、正面から歩いてくるガルルとすれ違おうとしていた。
「お疲れ様、ガルル。今日も忙しそうだね」
ヤジュジュは足を止めず、にこやかに微笑みながらすれ違いざまに声をかけた。目元の線を細め、ふさふさの尻尾を小さく揺らす。いつもと変わらない、完璧な「日常」の演技だった。
しかし、ガルルはヤジュジュの真横を通り過ぎる瞬間に、その強靭な腕を伸ばして弟の肩を掴んだ。
「――待て、ヤジュジュ」
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### 隠せぬ異臭
「え? なんだい、ガルル。私は次の報告書の提出が……」
「……鉄の匂いがする」
ガルルはヤジュジュを自分の方へ向かせると、その黄金色の瞳で弟の体を鋭く観察した。
軍服の上からは分からない。だが、ガルルの鼻は、かすかに漂う新しい血の匂いと、それを誤魔化すための消毒薬の匂いを正確に捉えていた。
ガルルは躊躇なく、ヤジュジュの右脇腹のあたりにそっと手を添える。それだけで、ヤジュジュの狼の耳がピクリと跳ね、僅かに体が強張った。
「先の単独任務で負ったな。……肉が裂けている。なぜ医療班に報告せず、隠そうとした」
冷徹で、けれど隠しきれない焦燥を含んだ兄の声が、静かな回廊に響く。
### 兄の五感
隠し通せると思っていたヤジュジュは、降参するように両手を軽く上げ、困ったような苦笑いを浮かべた。
「……あはは。やっぱりお前には隠し事はできないね、ガルル。……君は私よりも、ずっと鼻がきくようだ」
ヤジュジュ自身、獣人の血を引いているため五感は人一倍鋭い。しかし、こと「ヤジュジュに関すること」において、ガルルの観察眼と直感は、野生の獣をも凌駕するほどの執念を発揮する。
「たいした怪我じゃないんだよ。ただの掠り傷さ。闘技場にいた頃に比べれば、こんなもの痛みのうちに入らないからね。お前に無駄な心配をかけたくなかったんだ」
「私にとっては、お前の肌についた一筋の傷さえ『たいしたこと』だ」
ガルルはヤジュジュの言い訳を容赦なく遮ると、掴んだ肩の手にさらに力を込めた。
「闘技場の話は関係ない。今の環境で、お前が痛みを我慢する必要などどこにもないのだ。……今すぐ私の執務室へ来い。私が直々に手当てする」
「ひゃあ、ガルル、大袈裟だよ! 自分でできるから……っ」
「連行する。異論は認めん」
絶対に引かない兄の鉄の意志に、ヤジュジュは「本当に敵わないな……」と呆れ半分、愛おしさ半分の溜め息をついた。
ガルルに並んで歩かされながら、ヤジュジュの尻尾は、叱られた子供のように縮こまりつつも、兄の過保護な温もりに包まれて、どこか嬉しそうに小さく揺れていた。
