亀と獣
タートルズの隠れ家で暮らし始めてしばらく経ったある日の夜。
深夜、ドナテロのラボから拝借した特殊な手甲鉤を装着し、ゆきは隠れ家の通気口から地上へと続くビルを登っていた。
(猫のミュータントになったんだから、きっと、高いところだって平気なはず……!)
真っ黒な猫の耳をピンと立て、尻尾をバランスを取るように揺らしながら、彼女は意気揚々とビルの屋上を目指した。暗闇に紛れて忍者ごっこをしてみたい、という好奇心もあった。
しかし、いざ目的のビルの屋上に辿り着き、ふと下を見下ろした瞬間。
「……ひゃっ!?」
心臓が凍りついた。
視界に広がるのは、遥か彼方にある地面と、豆粒のように見える車のライト。人間の頃から変わらない高所恐怖症が、ミュータント化した身体でも容赦なく襲いかかってきた。
(うそ、なんで……! 猫なら高いところ得意なんじゃ――っ!?)
頭では分かっていても、身体が竦んで動かない。手足は震え出し、爪を立ててへっぴり腰で立ち上がるのが精一杯だった。冷たい夜風が容赦無く吹き付け、彼女の小さな身体を煽る。
「う、うわぁぁ……っ、こわい、降りられないよぉ……っ!」
完全にパニックに陥ったゆきは、屋上の端でしゃがみ込み、小さく丸まって震えるしかなかった。
一方、隠れ家では。
夜間のパトロールを終えて戻ったラファエロが、ゆきの部屋がもぬけの殻であることに気づいた。
すぐにリビングにいたレオナルド、ドナテロ、ミケランジェロを招集する。
「おい、ゆきがいねぇ! どこにもいねぇんだ!」
「ええっ!? あの子、まだ外に出るのは危険だって……!」
ドナテロがパソコンで隠れ家周辺の監視カメラを逆探知する。
「……あ! 隠れ家の近くのビル、屋上に生体反応があるよ! 間違いなくゆきちゃんだ!」
それを聞いたラファエロは、何も言わずにマンホールへと飛び出した。
「ラフィ、落ち着いて!」というレオナルドの声も聞こえない。
ラファエロは夜のニューヨークの街を、驚異的な速さで駆け抜けた。
(無事でいてくれ……っ、あいつ、高所恐怖症だって言ってたのに、なんでよりによって屋上なんだ!)
心臓をバクバクさせながら目的のビルを見上げ、彼は壁面をものすごい勢いで登攀(とうはん)した。
屋上。
寒さと恐怖で涙目になりながら、「誰か……助けて……」と呟いていたゆきの耳に、聞き覚えのある荒い息遣いが聞こえた。
「――ゆきッ!!」
ガシッ、と音を立てて屋上の縁を掴み、這い上がってきたのは、怒りで顔を真っ赤にしたラファエロだった。
「……ラ、ファ……っ」
「お前ッ、ここで何やってんだよ!! 死にてぇのか!? 心配させやがって……!」
ラファエロは怒鳴りながらも、震えるゆきに駆け寄り、その大きな腕でしっかりと抱きしめた。亀の甲羅の硬さと温もりが、ゆきの恐怖を一気に吹き飛ばす。
「……ご、ごめんなさい……っ、猫になったんだから、高いところも平気かなって思って……でも、怖くて……降りられなくて……っ」
ラファエロの胸に顔を埋め、ゆきはわんわんと泣き出した。
ひとしきり泣いた後、ラファエロはゆきを抱きかかえながら、慣れた様子でビルを降りた。
隠れ家のリビングに戻り、マイキーが温かいココアを淹れてくれ、レオナルドが心配そうに見ていた。ドナテロは「無事でよかった……」と安堵のため息をついている。
ココアを飲んで少し落ち着いたゆきだったが、ふと俯いてしまった。
「……ごめんね。みんなに迷惑かけて。……私、いつまでも子供じゃないし、いつか、独り立ちしなきゃいけないから……」
人間だった頃のようには戻れないかもしれない。なら、せめてミュータントとしての自分を受け入れ、強くなろうと焦っていたのだ。
それを聞いたラファエロは、少し眉をひそめた後、ゆきの隣に腰を下ろした。
そして、そのゴツゴツとした大きな手で、ゆきの頭を優しく、しかし力強くポンと叩いた。
「独り立ち……? バカ言ってんじゃねぇよ」
ラファエロはゆきの目を見つめ、真っ直ぐに、力強い声で言った。
「お前が人間に戻る方法を見つけるまでは、絶対に、俺が傍にいて守ってやる。……いいか、一生一緒だ! 独り立ちなんて、その後で十分だろ!」
「ラファ……っ」
その言葉は、今のゆきにとって、何よりも心強い魔法の言葉だった。
不安だった心がラファエロの温もりと真っ直ぐな優しさに包まれ、ゆきは涙ぐみながらも、小さく力強く頷いた。
「うん……っ、ありがとう、ラファ!」
独り立ちするのはまだ先でも、今は、この頼れる大きな亀のお兄ちゃんに甘えてもいいのかもしれない。そう思えた夜だった。
深夜、ドナテロのラボから拝借した特殊な手甲鉤を装着し、ゆきは隠れ家の通気口から地上へと続くビルを登っていた。
(猫のミュータントになったんだから、きっと、高いところだって平気なはず……!)
真っ黒な猫の耳をピンと立て、尻尾をバランスを取るように揺らしながら、彼女は意気揚々とビルの屋上を目指した。暗闇に紛れて忍者ごっこをしてみたい、という好奇心もあった。
しかし、いざ目的のビルの屋上に辿り着き、ふと下を見下ろした瞬間。
「……ひゃっ!?」
心臓が凍りついた。
視界に広がるのは、遥か彼方にある地面と、豆粒のように見える車のライト。人間の頃から変わらない高所恐怖症が、ミュータント化した身体でも容赦なく襲いかかってきた。
(うそ、なんで……! 猫なら高いところ得意なんじゃ――っ!?)
頭では分かっていても、身体が竦んで動かない。手足は震え出し、爪を立ててへっぴり腰で立ち上がるのが精一杯だった。冷たい夜風が容赦無く吹き付け、彼女の小さな身体を煽る。
「う、うわぁぁ……っ、こわい、降りられないよぉ……っ!」
完全にパニックに陥ったゆきは、屋上の端でしゃがみ込み、小さく丸まって震えるしかなかった。
一方、隠れ家では。
夜間のパトロールを終えて戻ったラファエロが、ゆきの部屋がもぬけの殻であることに気づいた。
すぐにリビングにいたレオナルド、ドナテロ、ミケランジェロを招集する。
「おい、ゆきがいねぇ! どこにもいねぇんだ!」
「ええっ!? あの子、まだ外に出るのは危険だって……!」
ドナテロがパソコンで隠れ家周辺の監視カメラを逆探知する。
「……あ! 隠れ家の近くのビル、屋上に生体反応があるよ! 間違いなくゆきちゃんだ!」
それを聞いたラファエロは、何も言わずにマンホールへと飛び出した。
「ラフィ、落ち着いて!」というレオナルドの声も聞こえない。
ラファエロは夜のニューヨークの街を、驚異的な速さで駆け抜けた。
(無事でいてくれ……っ、あいつ、高所恐怖症だって言ってたのに、なんでよりによって屋上なんだ!)
心臓をバクバクさせながら目的のビルを見上げ、彼は壁面をものすごい勢いで登攀(とうはん)した。
屋上。
寒さと恐怖で涙目になりながら、「誰か……助けて……」と呟いていたゆきの耳に、聞き覚えのある荒い息遣いが聞こえた。
「――ゆきッ!!」
ガシッ、と音を立てて屋上の縁を掴み、這い上がってきたのは、怒りで顔を真っ赤にしたラファエロだった。
「……ラ、ファ……っ」
「お前ッ、ここで何やってんだよ!! 死にてぇのか!? 心配させやがって……!」
ラファエロは怒鳴りながらも、震えるゆきに駆け寄り、その大きな腕でしっかりと抱きしめた。亀の甲羅の硬さと温もりが、ゆきの恐怖を一気に吹き飛ばす。
「……ご、ごめんなさい……っ、猫になったんだから、高いところも平気かなって思って……でも、怖くて……降りられなくて……っ」
ラファエロの胸に顔を埋め、ゆきはわんわんと泣き出した。
ひとしきり泣いた後、ラファエロはゆきを抱きかかえながら、慣れた様子でビルを降りた。
隠れ家のリビングに戻り、マイキーが温かいココアを淹れてくれ、レオナルドが心配そうに見ていた。ドナテロは「無事でよかった……」と安堵のため息をついている。
ココアを飲んで少し落ち着いたゆきだったが、ふと俯いてしまった。
「……ごめんね。みんなに迷惑かけて。……私、いつまでも子供じゃないし、いつか、独り立ちしなきゃいけないから……」
人間だった頃のようには戻れないかもしれない。なら、せめてミュータントとしての自分を受け入れ、強くなろうと焦っていたのだ。
それを聞いたラファエロは、少し眉をひそめた後、ゆきの隣に腰を下ろした。
そして、そのゴツゴツとした大きな手で、ゆきの頭を優しく、しかし力強くポンと叩いた。
「独り立ち……? バカ言ってんじゃねぇよ」
ラファエロはゆきの目を見つめ、真っ直ぐに、力強い声で言った。
「お前が人間に戻る方法を見つけるまでは、絶対に、俺が傍にいて守ってやる。……いいか、一生一緒だ! 独り立ちなんて、その後で十分だろ!」
「ラファ……っ」
その言葉は、今のゆきにとって、何よりも心強い魔法の言葉だった。
不安だった心がラファエロの温もりと真っ直ぐな優しさに包まれ、ゆきは涙ぐみながらも、小さく力強く頷いた。
「うん……っ、ありがとう、ラファ!」
独り立ちするのはまだ先でも、今は、この頼れる大きな亀のお兄ちゃんに甘えてもいいのかもしれない。そう思えた夜だった。
