亀と獣

地下の隠れ家で暮らし始めてから、ゆきは少しずつ新しい身体での生活に慣れようとしていた。しかし、元人間の感覚と、急に変化した猫のミュータントとしての身体のギャップは、そう簡単には埋まらない。鋭い爪や、予測のつかない筋力に、まだ戸惑うことばかりだった。

その日、ゆきはみんなの昼食の片付けを手伝おうと、食器棚から陶器の皿を一枚取り出した。

「……っ」

だが、新しく生えた爪が滑り、指先にうまく力が込められない。あ、と思った瞬間、皿は手からすべり落ち、冷たいコンクリートの床に叩きつけられて無残に割れた。

「きゃっ……!」

ガシャン、と大きな音が静かなキッチンに響く。
飛び散った白い陶器の破片を見て、ゆきの心臓が跳ね上がった。

(どうしよう、割っちゃった……! みんなに迷惑かけちゃう、早く片付けなきゃ……!)

焦ったゆきは、周りの目を気にして慌ててしゃがみ込み、素手で散らばった破片を拾い集め始めた。
だが、焦りと焦燥感から、猫としての身体の力加減がまったくコントロールできない。

「……っ、いてっ……」

焦れば焦るほど力が入ってしまい、鋭い陶器の破片がゆきの柔らかい手のひらにグッと食い込んだ。痛みが走ったのに、慌ててそれを握りしめてしまったものだから、破片はさらに深く、次々と皮膚に突き刺さっていく。
それでも「綺麗にしなきゃ」という一心で、ゆきは血に染まる手を止められなかった。

「……ふぅ、なんとか、集め終わった……」

どうにか全ての破片をゴミ箱に放り込んだときには、ゆきの両手はボロボロになっていた。手のひらからは鮮血がぽたぽたと床に落ち、白い毛皮を赤く染めている。

(やばい、血が止まんない……。でも、こんなところをみんなに見られたら心配かけちゃうよね。早く洗って、隠さなきゃ……)

ゆきは痛む両手を隠すように庇いながら、水道の蛇口をひねり、血だらけの手を水で洗い流そうとした。

「――おい、ゆき?」

その時背後から、低くよく通る声がかけられた。

「うわっ……!」

ビクッと肩を震わせて振り返ると、そこには買ってきた買い出しの荷物を抱えたラファエロが立っていた。
最初は「どうしたんだ?」と首を傾げていたラファエロだったが、ゆきが慌てて隠そうとした両手、そしてシンクに流れ落ちる赤い血に気づいた瞬間、彼の表情から余裕が完全に消え去った。

「……は……?」

ラファエロの目が信じられないものを見るように見開かれ、次の瞬間、彼の口から耳をつんざくような絶叫が飛び出した。

「――ゆきの手がァァァアアアッ!? なんだこれ血だらけじゃねぇかッ!! ドナテロォオオオッ!!!」

そのただならぬ絶叫に、隠れ家の奥からドナルドの慌てた声と足音が響く。

「な、なんだいラフィ!? そんな大声出して――って、うわっ!?」

リビングから飛び込んできたドナテロも、ゆきの両手を見るなり「血、出血多量に……! 細かい破片が刺さってる!?」と青ざめた。

「どうしたんだ一体……って、うわっ血だらけじゃん!」
遅れてやってきたマイキーも目を見張り、レオナルドも「ゆき、大丈夫か!?」と剣の柄から手を離して駆け寄ってくる。

しかし、当のラファエロはパニックのあまり、自分の巨体をどう動かしていいかすら分からなくなっていた。

「お前、お前、なんでそんな……! 手が! 手が真っ赤じゃねぇかよ……っ!」
「ラ、ラファ、ごめんなさい、お皿割っちゃって、片付けようとして……っ」
「そんなもん割れても命までは取られねぇよ!! なんで自分で片付けんだよ! 俺を呼べっていつも言っただろ……っ!」

半泣きになりながら、しかし誰よりも激昂しつつ、ラファエロは震える手でゆきをそっと抱え上げた。そのまま自分の胸に引き寄せ、一秒でも早く治療させようと、ドナテロの実験室へと猛ダッシュで突っ込んでいく。

「おいドナテロ! 早くピンセット持ってこい! 消毒液も全部だ! あと包帯も一番いいやつを――っ!!」

普段の頼れるお兄ちゃんの取り乱し様に、ゆきは痛む手を押さえながらも、「怒られちゃったけど……すごく心配してくれてるんだ」と、じんわりと温かい気持ちになるのだった。
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