亀と獣

タートルズの隠れ家にゆきが保護され、まだほんの数日しか経っていなかった頃の話だ。

人間の頃とは違う、毛皮に覆われた体や、大きく変化した骨格。頭の上でピクピクと動く猫の耳や、バランスをとるための長い尻尾。その全てが未知数だったゆきの身体は、急激な変化についていけず、あちこちに悲鳴を上げていた。

その日も、ゆきはリビングのソファの端で、小さく体を丸めて苦しそうにうずくまっていた。

「はっ……はっ……うう、苦しい……」

額にびっしりと冷や汗をかき、肩を大きく上下させて必死に空気を取り込もうとしている。しかし、いくら息を吸い込んでも吐き出しても、胸の奥がつかえたように重く、肺の奥まで酸素が行き渡らない。

「おい、ゆき! どうしたんだよ、また発作かっ!?」

トレーニングを終えて通りかかったラファエロが、慌てて彼女のそばに駆け寄った。
大きな手でゆきの背中をそっとさすりながら、自分の顔をゆきの目線の高さまで下げる。

「はっ……ラフ……っ、息が、うまく……できないの……っ」
「息ができない……? 吸ってもダメなのか?」
「うん……っ、吸っても吐いても、ずっと胸が締め付けられるみたいで……息苦しくて、頭がくらくらする……っ」

恐怖で潤んだ瞳を向けられ、ラファエロの心臓が激しく波打った。
怪我の治療ならドナテロが手際よくやってくれるが、こういう「内側からの原因不明の苦しみ」を目の当たりにすると、大柄なラファエロでさえどうしていいか分からず、冷や汗が流れる。

「クソっ……! なんだってんだよ、急にこんな……!」

ラファエロはゆきをそっと自分の胸に抱き寄せ、その背中を大きくて温かい手でしっかりと包み込んだ。少しでも楽になるようにと、背中をリズミカルにさすりながら声をかける。

「いいか、俺の呼吸に合わせろ。……すーーーっ、はーーーっ……。ほら、ゆっくりだぞ」
「はっ、すぅ……うっ……でも、うまく……はけない……っ」

ラファエロの真似をしようとするものの、パニックと身体の不慣れさから、ゆきの呼吸は浅く早いまま変わらない。苦しそうにもがく彼女を見ているだけで、ラファエロの胸が締め付けられるようだった。

(このままじゃ、こいつの体が持たねぇ……!)

「おい、ドナテロっ!! すぐここに来い!!」
ラファエロの野太い怒鳴り声が、隠れ家の天井を揺らすように響き渡った。

数秒後、ドナテロがドライバーを片手に「どうしたのそんな大声出して――って、ゆきちゃん!?」と慌ててラボから飛び出してきた。
ゆきの苦しそうな様子を一目見るなり、ドナテロの表情が険しくなる。

「呼吸困難? ……待って、すぐに聴診器と血中酸素濃度を測るよ。ラフィ、彼女をまっすぐ座らせてあげて」

ドナテロはテキパキと医療器具を取り出し、ゆきの胸元や指先に当ててデータを読み取っていく。
その傍らで、ラファエロは邪魔にならないようにしつつも、ゆきの手を自分のゴツゴツとした両手で包み込み、「大丈夫だ、ドニーが来たからな、すぐ楽になるから……!」と必死に声をかけ続けた。

しばらくデータを睨んでいたドナテロは、小さく息を吐いてから顔を上げた。

「……原因が分かったよ。身体の造りが急激に変異したせいで、横隔膜の動きや肋骨の拡がり方が人間の頃の感覚とズレているんだ。それに、精神的な緊張や不安が重なって、過呼吸気味になってる」

「人間と猫のキメラみたいなもんだからな……。で、どうすりゃいいんだよ! この苦しさをなんとかしてくれ!」
ラファエロが詰め寄ると、ドナテロは眼鏡の位置を押し上げながら頷いた。

「今すぐこの呼吸の不具合を完璧に治す魔法の薬はないけど……対策はあるよ。まず、胸を圧迫しないように姿勢を少し前傾させて、僕のペースに合わせてゆっくり深く息を吸うこと。それから――」

ドナテロは手元を操作し、小型のポータブル酸素吸入器を持ってきたり、ゆきの体をリラックスさせるためのアロマの小瓶を取り出したりした。

「こういう呼吸補助の機材を調整して、しばらくラボで様子を見る。あとは、彼女が安心して深く息ができるように、周りの環境を落ち着かせないとね」

ドナテロの的確な指示を聞き、ラファエロはホッと胸を撫で下ろした。
――が、すぐに眉間に深いシワを寄せ、ドナテロの肩をガッチリと掴んだ。

「おい、ドニー。これから先も、こういう発作が起きるのか?」
「うーん、体の変化が完全に落ち着くまでは、しばらくこういう不安定な時期が続くかもしれないね。だから、本人が焦らないようにサポートしてあげるのが一番大事なんだけど……」

ドナテロが言い切る前に、ラファエロはきっぱりと言い放った。

「なら、俺が常にそばについてる。こういう時どうすればいいか、お前がちゃんと俺にやり方を教えろ。俺が全部、こやつの呼吸のペースを作ってやるからよ」

その真剣すぎる眼差しに、ドナテロは少し驚いたような顔をした後、クスリと笑った。
「了解、頼もしい看護師さんだね。じゃあ、まずはこの吸引器の使い方を教えるから、ラフィ、手伝って」

「おう、任せろ」

ラファエロは再びゆきのそばに屈み込み、今度は先ほどよりもずっと穏やかで、しかしどこまでも頼もしい声で微笑みかけた。

「聞いたか、ゆき。大丈夫だ、お前がうまく息ができないなら、俺がこうしてずっと傍で合わせてやるからよ。だから、もう怖がらなくていいぞ」

その大きな温もりに包まれ、ドナテロの処置のおかげもあり、ゆきの荒かった呼吸はゆっくりと、本来の落ち着きを取り戻していった。
まだ不安は消えないけれど、この頼りすぎるほど頼りになる亀のお兄ちゃんがいるなら――きっと大丈夫だ。ゆきは深く息を吐き出しながら、ラファエロの手をぎゅっと握り返したのだった。
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