亀と獣

まだタートルズの隠れ家にやってきて間もない頃のこと。
その日の夜、タートルズたちは夜のニューヨークのパトロールに出かける準備を整えていた。

「よし、お前ら、今夜も気合入れて行くぞ!」
赤いハチマキをキリッと締めながら号令をかけたラファエロだったが、その視線はなぜか、リビングの隅で小さくなっているゆきに釘付けになっていた。

「なぁ……本当に、ゆきをここに一人で置いといて大丈夫なのか? まだ来て数日だぞ? 急に寂しくなって泣き出したり、怖くて隠れ家から飛び出したりしねぇか……?」
「ラフィ、さっきから何度も同じこと言ってるよ。過保護すぎるって」

トンファではなく愛用の刀を腰に差しながら、レオナルドがやれやれといった顔で肩をすくめる。
ドナテロも手元のタブレットを操作しながら、冷酷なまでに冷静な口調で続けた。

「それに、ゆきちゃんは人間界じゃ高校生なんだから、お留守番くらい余裕でできるでしょ。セキュリティは万全だし、変な奴が入ってくる心配もないって」
「そうそう! ゆきちゃん、お留守番の練習出来るよ? ね?」
マイキーが明るく声をかけるが、当のラファエロは納得がいかない様子で、ゆきの前へと歩み寄った。

「おい、ゆき。やっぱり俺が残ろうか? パトロールくらい俺一人いなくても――」
「ううん、大丈夫だよ、ラフ!」

ゆきはぶんぶんと首を横に振って、無理にでも明るい笑みを作ってみせた。
「みんなはお仕事があるんでしょ? 留守番くらい、高校生だったんだから平気だよ。おとなしく待ってるから、気をつけて行ってきて」

そう言われて、ラファエロも「……そうか。なら、すぐ戻ってくるから何かあったらすぐに俺たちを呼べよ!」と何度も念を押し、ようやく後ろ髪を引かれながら仲間たちと共にマンホールへと消えていった。

ガチャン、と重い鉄の扉が閉まる音が響き、隠れ家はしんと静まり返った。

(……ふぅ。みんな、行っちゃった)

最初は「留守番くらい余裕だよ」と胸を張ってみせたものの、いざ一人になると、地下特有の重く湿った空気がやけに肌寒く感じられる。
地上とは違う、得体の知れない反響音。配管を水が流れるゴボゴボという不気味な音。遠くで聞こえる謎のうなり声。

(――いまの、何の音……?)

普段なら聞き流すようなちょっとした物音にも、猫のミュータントとなった鋭い聴覚が過敏に反応してしまう。
背筋に冷たいものが走り、ゆきはソファの端にぎゅっと縮こまった。

(こわい……やっぱり、すごくこわい……。誰もいない、ここはどこも知らない地下の世界だ……)

人間の頃に戻りたいという絶望と、誰もいない孤独感が一気に押し寄せてくる。
我慢しようとしたが、目からぽろぽろと涙がこぼれ落ち、ゆきは膝に顔を埋めて小さく震えることしかできなくなった。

一方その頃。
ビルの屋上を飛び回っていたラファエロは、パトロールの最中も終始上の空だった。

「……なぁ、レオ」
「またその話? まだ1時間も経ってないよ、ラフィ」
「いや、なんか嫌な予感がするんだよ! あいつ、絶対今頃一人で泣いてる気がする! 戻ろう、今すぐ隠れ家に帰るぞ!」
「おいおい、パトロールはまだ半分――」

「俺が戻るって言ったら戻るんだよ!」

ラファエロのあまりの鬼気迫る剣幕と、文字通り血相を変えた様子に、レオナルドもドナテロもマイキーも苦笑いするしかなかった。
「はいはい、分かったよ。じゃあ今日はこれにて解散、全速力で戻りますか」

タートルズたちは予定を大幅に切り上げ、一目散に地下の隠れ家へと引き返した。

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ドスンッ!と、隠れ家の重い扉が荒々しく開け放たれる。

「ゆきっ――!!」

ラファエロが一番乗りでリビングに飛び込むと、そこにはソファの端で膝を抱え、びしょ濡れになった子猫のようにワンワンと泣いているゆきの姿があった。

「ゆき……っ!」
ラファエロは一瞬で駆け寄り、その巨体を惜しげもなく折り曲げて、震えるゆきを力一杯に胸へと抱きしめた。

「ラフ……っ、ぅぅ、こわかったよぉ……っ!」
ゆきはラファエロの頑丈な胸にしがみつき、堰を切ったように大泣きした。誰もいない静寂と恐怖に耐えていた糸が、彼の温もりを感じた瞬間にプツリと切れてしまったのだ。

「ごめんな、ごめんなゆき……っ! 俺が馬鹿だった、お前を一人にしておくべきじゃなかった……っ!」
ラファエロは頭をめちゃくちゃに撫でながら、自分を責めるように何度も繰り返した。

遅れてリビングに入ってきたレオナルド、マイキー、そしてドナテロも、その光景を見て足を止めた。

「……ほんとに泣いてたんだ」
マイキーが心配そうに眉をひそめる。

ドナテロは、怯えるゆきと、我が子をあやすように必死に宥めているラファエロを交互に見つめ、小さく息を吐いた。

「……僕の考えが浅かったな」
ドナテロはメガネを押し上げ、少し反省したように言った。
「地上とは空気も音も、何もかもが違う。人間だった頃の感覚で『高校生だから留守番できる』なんて、頭で分かってたって、心の恐怖までは測れなかった……。そりゃあ、あんな暗くて広い地下で一人にされたら、心細くて当たり前か」

「そうだよドニー! あいつはまだ、ここに馴染もうと必死で我慢してたんだからな!」
ラファエロはゆきを抱きしめたまま、ドナテロをキッと睨みつけた。

「はいはい、僕の負けさ。今度からは、必ず誰か一人は留守番に残るようにするよ。ね、ゆきちゃん、怖がらせてごめんね」
ドナテロが少し申し訳なさそうに微笑むと、マイキーも「僕もずっとお菓子作って待ってるからさ!」と明るく付け加えた。

「ほら、泣くなよ、ゆき。もう二度と、あんな思いはさせねぇから」
ラファエロはゆきの涙を大きな親指で優しく拭い、なおも安心させるようにギュッと強く抱きしめ直した。

その圧倒的な温もりと、自分を一番に想ってくれる優しい仲間たちの気配に包まれ、ゆきは少しずつ呼吸を落ち着かせ、小さくうなずいた。
「……うん、ありがとう、みんな……ラフ」

誰もいない恐怖は消え去り、この地下の隠れ家が、本当に「自分たちの家」なのだという温かい安心感が、ゆきの胸いっぱいに広がっていくのだった。
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