亀と獣

地下の隠れ家の一角にある、ドナテロの実験室。
モニターの青白い光が照らす部屋の中で、ドナテロは精密なピンセットを器用に操り、小さな機械に向き合っていた。

「よし、これで配線のショートは直ったよ。データも無事だし、外側のヒビも補強しといたから、もう簡単には壊れないはずさ」

ドナテロがにっこりと笑って手渡したのは、ゆきがミュータント化する直前まで使っていた懐かしいスマートフォンだった。

「ありがとう、ドニー! 本当に助かったよ……!」
ゆきは両手でしっかりとスマホを受け取り、画面の電源ボタンを押した。

ピカッと画面が明るく光り、待ち受け画面が表示される。
同時に、ずいぶんと長い間オフラインだった端末に、溜まっていた通知が次々と舞い込んでくるはずの音が……鳴らない。

(……あれ?)

首を傾げたゆきがロックを解除し、メッセージアプリや通話履歴を開いてみる。
しかし、そこに表示されていたのは、驚くほど「何もない」まっさらな画面だった。

行方不明になってからの数日間、心配した友人たちからの安否確認のメッセージも、家族からの「どこにいるの?」という必死な着信も、SNSの通知すらも――一切、何ひとつ残っていなかった。

(……そっか)

その瞬間、ゆきの中で、心臓の奥を締め付けていた冷たいものがスッと溶けていくような感覚があった。

もしも、友達からの「どうしたの?」という問い詰めや、家族の泣き叫ぶようなメッセージが何件も残っていたら。
今のこの姿で人間社会に戻れない絶望と、誰も助けられない現実を突きつけられ、きっと自分の心は耐え切れずにポッキリと折れていたに違いない。

「……怖かったんだ」

自分が人間から外れてしまった恐怖。そして、大切な人たちと二度と同じ世界に戻れないかもしれないという現実から、無意識のうちに目を背け逃げ出していたことに、ゆきはここで初めて気づいた。
連絡がないこと。誰も自分の居場所を探して(見つけられずに)静まり返っていること。それは本来なら孤独を意味するはずなのに、今のゆきにとっては、不思議なほど救いだった。

(よかった……。私、連絡が来てなくて、本当に、心の底からホッとした……)

情けなさと、言いようのない安堵感が入り混じり、ゆきはスマホを胸元にぎゅっと抱きしめた。

そんなゆきの様子を、ドナテロは作業の手を止め、少し複雑そうな、しかし優しい瞳で見つめていた。

「……驚いたかい?」
「あ、ドニー……」

ドナテロはデスクの端に置かれたマグカップを手に取り、静かに言った。

「君が気を失っていた最初の数日間、スマホがずっと鳴りっぱなしだったんだよ。友達や家族から、ものすごい数のメッセージと着信があってね」

「――っ」
ゆきが息を呑むと、ドナテロはふっと小さく息を吐いて続けた。

「だから、全部消去した。着信履歴も、未読のメッセージも、SNSのアカウントもね。……今の君に、そんなものを見せたら、心が壊れちまうと思ったからさ」

それは、天才メカニックである彼なりの、荒削りだけど最高に優しい「ハッキング」だった。
人間社会との繋がりを強制的に断ち切ることで、ゆきがこれ以上余計な苦しみや罪悪感を背負わなくていいように、彼女の心をそっと守ってくれたのだ。

「ドニー……それって……」
「お礼なんていいさ。それに、君のスマホのセキュリティ、ちょっと甘かったからついでに強化しておいた。これからは、僕たちの隠れ家のローカル回線以外には繋がらないように設定してあるから、外から居場所を特定される心配もないよ」

何でもないことのように笑ってみせるドナテロの背中には、彼なりの深い気遣いが満ちていた。

「ありがとう……本当に、ありがとうね、ドニー」
ゆきは潤んだ瞳で何度もお辞儀をした。

「どういたしまして。さてと、感傷に浸るのはそれくらいにして、せっかく直ったんだ。マイキーと一緒に新しいゲームアプリでも入れて遊ぶかい?」

ドナテロがいつもの調子で軽口を叩きながら笑う。
その優しさに包まれながら、ゆきはそっとスマホの電源を切った。

もう、過去の繋がりにおびえなくていい。
ここにいるタートルズたちが、自分の居場所を守ってくれる。
無駄な葛藤や恐怖を抱え込まずに済んだその安心感は、凍えていたゆきの心を優しく温め、明日へと進むための確かな光になっていた。
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