亀と獣

地下の隠れ家のキッチン。
夕食の準備を手伝おうと、ゆきはまな板に向かい、小さな包丁で大根の皮をむいていた。

「よし、慎重に……こうして……」

猫のミュータントになってから感覚が少し変わったものの、手慣れない包丁さばきに神経を集中させる。しかし、ほんのわずかに手元が狂った瞬間、包丁の刃が大根のツルツルとした表面を盛大に滑った。

「あっ――」

次の瞬間、グサリという重い感触とともに、鋭い刃先がゆきの指と手のひらに深く突き刺さった。

「――ぎゃあああっっ!!?」

耐え難い激痛に、ゆきはひっくり返りそうなほどの悲鳴を上げた。包丁を慌てて放り投げると、傷口から鮮血が噴き出すようにぶわっと溢れ出し、真っ白な大根の上を赤く染めていく。

「ひっ……ひぇっ、うそ、血、血が止まんない……っ痛い、痛いよぉ……っ!!」

あまりの痛さと恐怖に視界が真っ白になり、ゆきはパニックのあまりその場で泣き叫んだ。
そのただならぬ絶叫を聞きつけ、リビングで寛いでいたタートルズたちが一斉に飛び込んできた。

「どうしたんだ一体!? 敵か!?」
先頭を切って駆けつけたラファエロが、血まみれの手を押さえて泣き叫ぶゆきを見て、一瞬で青ざめる。

「ゆきっ!? 手が、お前、また手から血ィ流して……っ!!」

しかし、尋常ではないパニック状態に陥っているゆきは、ラファエロの声すらもほとんど耳に入っていない。彼女は目の前の血に染まった大根と自分の手を見つめながら、半狂乱になってこう叫んだ。

「だ、大根が、大根が無駄になっちゃった!! 私が包丁滑らせたせいでご飯が台無しに……ごめんなさい、ごめんなさいまな板に血がっ……!」

「……は?」

あまりに見当違いすぎるゆきの絶叫に、駆けつけたドナテロと、後ろから覗き込んでいたマイキーが「え……?」と動きを止めた。

自分の手から血がドバドバ出ているというのに、なぜか大根の心配をして泣きじゃくっているゆき。
その完全にバグった思考回路を目の当たりにし、ラファエロも一瞬思考が停止したが――次の瞬間、彼の中の別のスイッチが入ってしまった。

「い、いや、気にすんじゃねぇよ大根なんか!! お前の手からすごい勢いで血ィ噴き出してるんだよ! 大根よりお前の命のが大事だろ!!」

自分でも何言ってるのかよく分からないまま、ラファエロも負けじと大声で見当違いなツッコミを叫び返す。
緊迫したキッチンの空気が、ほんのコンマ数秒だけ「え、そこ?」というシュールな空気に包まれた。

「……はい、そこまで。ラフィ、大声出さない。余計にパニックになるから」

そこに、一番冷静なドナテロが消毒液とガーゼの山を抱えてすっと割り込んできた。
ドナテロはヒステリーを起こしかけているラファエロを片手でひょいと押しのけると、プロの包帯さばきで手慣れたようにゆきの傷口を押さえる。

「ゆきちゃん、深呼吸して。骨や神経まではいってないから大丈夫だよ。今すぐ綺麗に消毒して縫うからねー」
「ど、ドニー……っ、だだ…っ、大根が……」
「大根のことはあとでスープにするから安心して、ほらじっとしてて」

ドナテロが淡々と、しかし素早く処置を進める横で、ラファエロはまだ心臓がバクバク言っているのか、額に青筋を浮かべながら地団駄を踏んでいた。

「くそっ、次包丁使うときは、あんな硬い野菜は俺が全部粉々にしてからにしてやる……っ!」
「ラフィ、それだと料理じゃなくて破壊活動だからやめてあげてね」

冷静にツッコミを入れるドナテロと、まだ半泣きで震えるゆき、そして過保護すぎて情緒がぐちゃぐちゃになっているラファエロ。
こうして、隠れ家のキッチンは今日も賑やかな騒ぎに包まれるのだった。
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