うさぎのモンスターと骨兄弟
グリルビーズのいつものカウンター席。
ゆきの目の前には、注文したはずのポテトフライの皿が、一切手をつけられないまま寂しく置かれていた。
隣の席のサンズは、いつものようにケチャップのボトルを傾けながら、チラリとゆきの様子を窺う。いつもなら「わーい!」と手足をバタバタさせて真っ先に飛びつくはずなのに、今日のゆきはポテトをじっと睨みつけたまま、彫刻のように微動だにしない。
「よお、ゆき。どうしたんだよ。そのポテト、マスターが特別にお前さん好みの揚げ加減にしてくれたんだぜ? 食べないなら、オイラが全部『骨(ほね)』抜きにして胃袋に収めちまうけど?」
サンズがいつもの調子で揶揄ってみせるが、ゆきはポテトから目を離さないまま、深刻な顔で首を横に振った。
「ダメなの……。いまは、ぜったいに食べちゃダメなの……」
「ん? なんだよ、本当に体調でも悪いのか? お腹が痛いなら、また例の『赤ちゃんが産まれる勘違い』か、それともパピルスの料理のデトックス期間か?」
冗談めかしつつも、サンズの目の光が少しだけ鋭くなる。この小さくて脆い生き物が本当にどこか悪いのだとしたら、一大事だ。内心で湧き上がる庇護欲と心配を隠しながら、サンズはゆきの顔を覗き込んだ。
すると、ゆきはカウンターから飛び降りて床に立つと、自分の身体を両手でぎゅっと抱きしめるようにして叫んだ。
「違うよ! 体調は悪くないの! でもね……身体がすっごく膨らんじゃったの! だからいまは減量中なの!!」
感情が高ぶった勢いで、ゆきは無意識に、後ろ足で床をダンっ!!と力強く鳴らした。うさぎ族が警戒や怒りを示すときの習性――「スタンピング」だ。
小さな足から放たれたとは思えない小気味いい衝撃音が、静かな店内に響く。
サンズはポケットに両手を突っ込んだまま、改めて目の前のゆきの姿を上から下までじっくりと観察した。
確かに、今日のゆきは普段と比べても全体的に丸っこく、もこもことしていて、明らかにひと回りサイズが大きく見える。いつも着ている小さな服も、なんだかパツパツになっているような気がしないでもない。
(……身体が膨らんだ、ねぇ)
サンズは冷静に、その「もこもこ」の表面を凝視した。
丸みを帯びた輪郭。歩くたびにフワフワと空気を含んで揺れる、密度の高すぎる白い輪郭。そして、ここ最近の季節の変わり目。
(いや……これ、単に換毛期で冬毛が限界突破して生え揃っただけの、『毛の分』じゃねえの?)
中身の肉体が太ったわけでも、病気で浮腫んだわけでもない。ただ、防寒用の最高級の天然毛布が、彼女の小さな身体をこれでもかと覆い尽くしているだけだ。つまり、中身のサイズはいつも通り、小さくて脆い、あのゆきのままである。
結論に至ったサンズは、張り詰めていた肩の骨の力をふっと抜き、いつもの永久不変の笑みを深くした。
「なるほどな。減量中、ねぇ……。お前さんがそこまで真剣なら、オイラも応援してやりたいところだけどさ」
サンズは椅子からずるりと滑り落ちるようにして床に立ち、ゆきの前に屈み込んだ。そして、その「ひと回り大きくなった」はずの背中やお腹のあたりを、骨の手で大雑把に、でも優しく、わしゃわしゃと揉みほぐしてみせる。
「ひゃっ!? サンズ、なにするの、いまダイエット中なのに……っ」
「ほらみろ。揉んだら手がズボッと埋まるだけで、どこにも硬い肉(ミート)がないぜ? お前さん、これは脂肪じゃなくて、ただの『毛』だ。冬毛のせいで、お前さんの可愛さが『カサ(体積)』増しされてるだけだっての」
「え……? け、毛なの……?」
ゆきは大きな目を丸くして、自分のふわふわの腕を掴んで引っ張ってみた。確かに、引っ張っても引っ張っても、指の間に挟まるのは柔らかい毛束ばかりで、皮膚はちっとも引っ張られない。
「なんだよ、気づいてなかったのかよ。お前さん、耳が良いわりに、自分の身体のボリューム変化にはずいぶん疎いんだな。これじゃあ、せっかくの減量作戦も『毛(無)』計画に終わっちまうわけだ」
「あはは! 毛と無計画をかけるなんて、サンズ、今のダジャレ座布団一枚!」
さっきまでの深刻な空気はどこへやら、ゆきは真っ赤な顔をしてピョンピョンと跳ね回り、いつものように無邪気に笑い転げた。
「全く、人騒がせな雪うさぎさんだ。ほら、毛のせいだって分かったなら、そのポテトを早く食べなよ。冷めたらマスターの『情熱(炎)』が台無しになっちまう」
サンズに促され、ゆきは「わーい!」とカウンターの席に飛び乗ると、さっそくポテトを美味しそうに口に運び始めた。
小さな手足でおいしそうに食事を進めるゆき。その姿は、冬毛のおかげでいつもよりさらにぬいぐるみのようで、サンズの胸の奥にある庇護欲をこれでもかと刺激してくる。
サンズは再び隣の椅子に腰掛け、ポケットの中で「今夜もパピルスのブラシを借りて、このもこもこを少しすっきりさせてやるか」と考えながら、幸せそうに耳をピコピコ動かす大ファンの横顔を、温かい目で見守るのだった。
ゆきの目の前には、注文したはずのポテトフライの皿が、一切手をつけられないまま寂しく置かれていた。
隣の席のサンズは、いつものようにケチャップのボトルを傾けながら、チラリとゆきの様子を窺う。いつもなら「わーい!」と手足をバタバタさせて真っ先に飛びつくはずなのに、今日のゆきはポテトをじっと睨みつけたまま、彫刻のように微動だにしない。
「よお、ゆき。どうしたんだよ。そのポテト、マスターが特別にお前さん好みの揚げ加減にしてくれたんだぜ? 食べないなら、オイラが全部『骨(ほね)』抜きにして胃袋に収めちまうけど?」
サンズがいつもの調子で揶揄ってみせるが、ゆきはポテトから目を離さないまま、深刻な顔で首を横に振った。
「ダメなの……。いまは、ぜったいに食べちゃダメなの……」
「ん? なんだよ、本当に体調でも悪いのか? お腹が痛いなら、また例の『赤ちゃんが産まれる勘違い』か、それともパピルスの料理のデトックス期間か?」
冗談めかしつつも、サンズの目の光が少しだけ鋭くなる。この小さくて脆い生き物が本当にどこか悪いのだとしたら、一大事だ。内心で湧き上がる庇護欲と心配を隠しながら、サンズはゆきの顔を覗き込んだ。
すると、ゆきはカウンターから飛び降りて床に立つと、自分の身体を両手でぎゅっと抱きしめるようにして叫んだ。
「違うよ! 体調は悪くないの! でもね……身体がすっごく膨らんじゃったの! だからいまは減量中なの!!」
感情が高ぶった勢いで、ゆきは無意識に、後ろ足で床をダンっ!!と力強く鳴らした。うさぎ族が警戒や怒りを示すときの習性――「スタンピング」だ。
小さな足から放たれたとは思えない小気味いい衝撃音が、静かな店内に響く。
サンズはポケットに両手を突っ込んだまま、改めて目の前のゆきの姿を上から下までじっくりと観察した。
確かに、今日のゆきは普段と比べても全体的に丸っこく、もこもことしていて、明らかにひと回りサイズが大きく見える。いつも着ている小さな服も、なんだかパツパツになっているような気がしないでもない。
(……身体が膨らんだ、ねぇ)
サンズは冷静に、その「もこもこ」の表面を凝視した。
丸みを帯びた輪郭。歩くたびにフワフワと空気を含んで揺れる、密度の高すぎる白い輪郭。そして、ここ最近の季節の変わり目。
(いや……これ、単に換毛期で冬毛が限界突破して生え揃っただけの、『毛の分』じゃねえの?)
中身の肉体が太ったわけでも、病気で浮腫んだわけでもない。ただ、防寒用の最高級の天然毛布が、彼女の小さな身体をこれでもかと覆い尽くしているだけだ。つまり、中身のサイズはいつも通り、小さくて脆い、あのゆきのままである。
結論に至ったサンズは、張り詰めていた肩の骨の力をふっと抜き、いつもの永久不変の笑みを深くした。
「なるほどな。減量中、ねぇ……。お前さんがそこまで真剣なら、オイラも応援してやりたいところだけどさ」
サンズは椅子からずるりと滑り落ちるようにして床に立ち、ゆきの前に屈み込んだ。そして、その「ひと回り大きくなった」はずの背中やお腹のあたりを、骨の手で大雑把に、でも優しく、わしゃわしゃと揉みほぐしてみせる。
「ひゃっ!? サンズ、なにするの、いまダイエット中なのに……っ」
「ほらみろ。揉んだら手がズボッと埋まるだけで、どこにも硬い肉(ミート)がないぜ? お前さん、これは脂肪じゃなくて、ただの『毛』だ。冬毛のせいで、お前さんの可愛さが『カサ(体積)』増しされてるだけだっての」
「え……? け、毛なの……?」
ゆきは大きな目を丸くして、自分のふわふわの腕を掴んで引っ張ってみた。確かに、引っ張っても引っ張っても、指の間に挟まるのは柔らかい毛束ばかりで、皮膚はちっとも引っ張られない。
「なんだよ、気づいてなかったのかよ。お前さん、耳が良いわりに、自分の身体のボリューム変化にはずいぶん疎いんだな。これじゃあ、せっかくの減量作戦も『毛(無)』計画に終わっちまうわけだ」
「あはは! 毛と無計画をかけるなんて、サンズ、今のダジャレ座布団一枚!」
さっきまでの深刻な空気はどこへやら、ゆきは真っ赤な顔をしてピョンピョンと跳ね回り、いつものように無邪気に笑い転げた。
「全く、人騒がせな雪うさぎさんだ。ほら、毛のせいだって分かったなら、そのポテトを早く食べなよ。冷めたらマスターの『情熱(炎)』が台無しになっちまう」
サンズに促され、ゆきは「わーい!」とカウンターの席に飛び乗ると、さっそくポテトを美味しそうに口に運び始めた。
小さな手足でおいしそうに食事を進めるゆき。その姿は、冬毛のおかげでいつもよりさらにぬいぐるみのようで、サンズの胸の奥にある庇護欲をこれでもかと刺激してくる。
サンズは再び隣の椅子に腰掛け、ポケットの中で「今夜もパピルスのブラシを借りて、このもこもこを少しすっきりさせてやるか」と考えながら、幸せそうに耳をピコピコ動かす大ファンの横顔を、温かい目で見守るのだった。
