1⃣銀の狼と星の英雄たち
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なぬうそんな馬鹿な馬鹿な馬鹿な。
手渡された譜面に唖然とする。
「聞いてるの?」
「ききき聞いてますけども無理ですよそんな!」
「大丈夫ですよメインはブルーローズだから。それにどうせ別録りの一番いいのを使うんだから緊張しなくてもね。」
ぎゃあ!と悲鳴を上げた。
ヒーローをやれと契約はしたけど、歌を歌えなんて聞いてない!
カ、カ、カ、
と眼前で揺れるアナログなメトロノームの動きにめまいがしてくる。
「私、元々歌を歌いたくて、歌手デビューのための条件でヒーローやってるのよ。」
そう言ってカリーナは、悔しさと向上心で複雑な笑みを浮かべた。
会社の練習室に設置されたピアノに向かい、カリーナの指導で基礎ボイストレーニングと暗譜に励んでいた。
伴奏はデモテープ、もしくはカリーナ直々の演奏。ブルーローズの名を伏せて弾き語りで店に立つだけあってさすがに上手い。
譜面どおりの棒のような歌い方というわけにはいかない。
カリーナのには多少アレンジが加わるし、息を合わせなくてはいけない。
今回の楽曲は最近人気急上昇中だというロックバンドの提供で、ヒーローたちをイメージしたというからいろんな意味で責任重大だ。
「声は悪くないと思うのよねえ、私は好きよ、閏の声。歌唱力もリズム感もそれなりだし。けどプロとしてっていうと、正直喧嘩売ってるレベルね。」
「喧嘩なんて売らないよぅう。」
ひいん、と子犬のような情けない声を上げる。
「あんたにそんなつもりがないってのは分かってるわよ。来週には私と一緒にプロのボイトレ受けるんだから、それまでに少しでも上達しておきましょ。」
くすりと肩をすくめて微笑むカリーナはいつも以上に楽しげで、歌に対する情熱……――という、彼女をただのアイドルとしか見ていない人間では到底知ることのない一面に、閏は相棒ながら惚れ惚れと見惚れた。
ヒーローの信用回復もとい人気取りキャンペーンの一環として、ブルーローズ&シルバーウルフのコンビで歌を出すことになった。
もちろん言わずもがなウルフはオマケに過ぎないのだが、カリーナは本気だ。生半可なものを出すわけにはいかない、と指導にも熱が入る。
コンビでの歌というと所詮『ローズ&ウルフ』のファン層向けであって、歌手としてのブルーローズの価値に焦点が置かれていない。それが彼女には悔しいらしく、半泣きの閏の背を何度も押した。
いつもなら年上ということもあって閏の方がカリーナを励ますことが多いのだが。
「さ、じゃあ最初からもう一度!」
「―――♪、♪、―――~~♪」
「何を聞いてるんですか。」
「ぬあっ!」
仕事、トレーニング、休憩の合間、耳は常にヘッドフォンから流れる音曲を追い唇はぱくぱくと歌詞を追う。
そうして自動販売機の前に立ってサビを迎えたあたりで後ろから伸びた手に気がつかなかった。
自分よりもずっと高い位置からひょいと左右のヘッドホンを外され、シャカシャカと音漏れを起こしながら遠ざかる。
繋がった線に引かれて胸のポケットからつるんと音楽プレイヤーが抜け零れ、同じくトレーニングを抜けてきたらしいバーナビー・ブルックスJr.の掌におさまった。
「Jr.くん、勝手に!」
「……こういうのが好きなんですか?聞いたことのない歌ですけど、ボーカルは?グループは?」
「返して。」
ぐ、と伸ばしても彼の片耳に添えられたヘッドホンに閏の手は届かない。
睨み据えてやっても動じた様子はなく、どころかやんわりと微笑んで肩をすくめた。
「いい歌ですね。」
「そうですね。返して。」
この男は何故こうも絡んでくるんだろう。
同期だから関わりは少なくないけど正直好かれちゃいないと思うし、お互い優しいもの言いはしない。
彼はパートナーであるワイルドタイガーにだっていつも冷たい態度をとって息を合わせる様子はないし、あれではうまくいかなくて当然じゃないか。
もっとコンビをうまくいかせようと思うなら、絶対お互い歩み寄りが必要だ。虎徹はいくら我が強い人物だとはいっても、基本的に社交的で気さくで、それに少なくともバーナビーよりはずっと寛容だ。
仮に自分が虎徹のパートナーで、バーナビーがブルーローズのパートナーなら上手くいっていたのだろうか、と妄想して一瞬にへらと笑い、それからずうんと重い気持ちを背負った。
バーナビーとブルーローズのコンビって、それどれだけ見目麗しい完璧なコンビだろう。そんなの絶対うっかりファンになっちゃう。
自分はブルーローズのパートナーとして相応しくないんじゃないだろうか。
ヒーローとしては二部だし、ボイトレの先生には何度も怒られてるし、虎徹さんみたいに正義感強くないし。
「歌が好きなら、今度カラオケにでも行きましょうか。」
「行きません。返して。」
「………どうしていつもそういう態度なんですか。」
「あ。」
バーナビーの指が今度は閏の耳の横をすり抜けて自動販売機のボタンを押す。
注釈を加えておくと、貨幣を入れたのは閏だ。
「ちょッとお!」
はあ、とため息を吐きながらバーナビーはそのまま腰を屈めて自販機の口から柑橘系のフルーツミックスジュースの缶をとり出し、ゆるゆると掌の上に弄ぶ。
やめんか、温くなる!
「人が折角、たまにはと思って誘ってあげているのに。」
「日頃の行いが悪いんです。」
「それはお互いさまじゃないですか。」
それもそうだが、閏はもとよりバーナビーに優しさなど求めていないのだ。
社交性として最低限の礼儀さえ守ってくれれば、つまり会うたびに皮肉っぽく『二部ヒーロー』などと言わなければそれでいい。
べつに優しくしてほしくもないし、特別に女性扱いも望まない。
だから、こうしてまるでカメラの回っている時のような外面的な笑みを向けられても嬉しくないし、気色悪いことこの上ない。胡散臭いと言ってもいい。
「返して。虎徹さんに言いつけるよ。」
「ご自由に。」
「……それにカリーナにも、ネイサンにもアントニオさんにも、イワンと、パオリンにだって、それからええと、え―と、」
零れるように指折り数えて挙げられた名前は日頃から彼女が親しくしている仲間たちだ。
まるで虐められた子どものような、……――じゃあ僕は虐めっ子か。心外だ。虐めているわけじゃない。
思わずバーナビーはすんと真顔で眉をひそめた。
ついにヒーロー全員に言いつけると宣言して口を尖らせる様には呆れてしまう。
べつに冗談で言っているわけでも拗ねてバーナビーの気を惹こうとしているわけでもなく、割と真剣なのがなおさら滑稽だ。
「仕事が終わり次第、アポロンメディア社の前までとりにきてください。ヒーローが不審人物扱いされたら同期として僕も恥ずかしいので、その前に一本連絡を入れてください。」
バーナビーはひらひら、と煽るように指先に音楽プレーヤーを振って一方的に告げた。
「はあ?!何それ嫌がらせ?!」
「先ほどの僕の好意を無碍にした報いです。日頃の行いが悪いんですよ。」
ぽかんとした表情なのが可笑しかった。
その手に缶を乗せてやる。いつも彼女が選ぶ、柑橘飲料。
「では僕はこれから仕事なので。」
今日はこれの気分じゃなかったのだと言われてしまったら、それまでだが、彼はそういう気分だったのだ。
Jr.くんって時々意味分からないね、と呆れた調子で彼女は言った。
その電波越しの声が響くのが、自分の携帯電話ではなく同僚のものだという事実が大層彼を苛立たせた。
「どうして、虎徹さんの携帯から。」
『きみの連絡先が分からなかったので。虎徹さんならそばにいるかと思って。』
「この間交換したじゃないですか。」
『あーー、あれは。』
彼女の説明は、こうだ。
先日連絡先を交換する際に会社から渡されている業務用の携帯には登録したのだが、それを社に忘れてきたまま、今日は直帰する予定だった。
私用端末から連絡のとれる相手の中に彼は入っていなくて、彼と最も身近で関わりのありそうな相方の携帯を鳴らした。
―――理屈では理解できても、納得できない。
おお、バニーちゃん?隣にいるぜ、代わるか?なんて言い出したおじさんの言葉に耳を疑ったし、ほら、閏だ。と渡された端末を手に取って一瞬震えてしまった。
仕事用の携帯にしか入れてなかったのは、彼女のことだから面倒くさがってという可能性もある。
彼は彼でべつに普段からプライベートに連絡をとるようなことはしなかったし、そういう間柄ではない。
たしかに仕事上の連絡がとりあえれば十分だ。
それなりに親しく、しかし仲がよくはない二人の関係を克明に象徴しているような。
彼のバディの連絡先はきちんと登録してあったという事実に裏づけされて彼の胸に鋭く突き刺さった。
彼の携帯電話には彼女の連絡先と、誕生日と、雑誌や公式発表で知り得る限りの情報と直接本人から聞いた情報がそのたびに更新され、記録してある。
『そんなことより早く返してください。』
そんなこと?そんなことだって?
「虎徹さんの連絡先は入れてたのに?」
『ああもう失礼しましたっ!そんなにショック受けるとは…思わないじゃないの…。悪かったとは思うけどさあ…。』
「べつに、ショックなんか。」
女々しいだろうか、情けないだろうか。
虎徹から携帯を受けとって席をはずしていまは一人廊下の隅で声を落としているけれど、こんなところをファンが見たららしくないと嘆くのだろうか。
ヒーローにあるまじき姿だ、と。
彼女もそうだろうか。
鬱陶しい面倒な奴だと電話の向こうで呆れているだろうか。
あのさあ、と向こうもまたこそりこそり声を潜めたのが分かった。
『それないと困るの、本気で。それ、……公表前だから、絶対に秘密にしてもらわないと困るけど、今度ローズと歌を出すの。その、楽曲提供してくれたバンドのデモデータなの。私、歌とか、全然だめで、早く覚えて、上手にならなくちゃいけないから。』
「えっ……。」
『Jr.くんは口堅い方だって信じてるから、絶対言わないでね。虎徹さんにも、だからね。ばれたら私、上の人に殺されちゃうよ。』
すっ、と肝が冷える。
社外秘の意味がわからないほど馬鹿じゃない。特にこの業界なおいては。
「こ、れ……そんなに大事な。すみません、てっきり貴女の。返します、すぐに。」
『ン。』
「………怒って、ますか。」
『少しね。返してくれるなら、いいよ、毎日同じの聞いてばっかもなんかあれだし。いい歌だとは思うけど、さすがにね。だから気分転換になりました。』
「……すみません、軽率なことをしました。」
『もういいですよ、私だって教えてもらった連絡先ちゃんと登録してなかったの、悪いと思ってますし…。それよりさっきの話、ほんとに秘密にしてください。』
「すぐに行きます、いますぐ。」
バーナビーは駆け出した。
途中職務室に戻って押しつけるように虎徹に携帯を返して、上着と荷物を椅子から奪うようにとり上げて。
その間足は一度も止まることなく。
自分の行いの子どもっぽさがたまらなく恥ずかしかった。
彼女の携帯を鳴らすのを恐れて、
彼女の領域に踏み込むのを恐れて、
拒絶されるのを恐れて、
一度も発信ボタンに手をかけられなかったのは自分なのに、あちらからこちらにきてくれないのを責めた。
失礼なひとなのは、はじめから承知していたはずだ。
表面的には朗らかなようで、理知的で、そのうえ彼女の懐の内にある一部の大切な人にはとことん情に厚く――さほど親しくもない自分のような人間は歯牙にもかけない、うわべで優しくしてくれない、そんな冷酷な人物だと知っていた。
エレベーターは使わなかった。
階段を駆け下りて、社の入口に着いた頃には滅多にないほど息が荒かった。
ラフな格好と苛立ちを表情に浮かべた彼女が夕暮れの柑橘色の中で立っている。
「よし。珍しく全力疾走っぽいから、許しちゃる。」
差し入れだと言って放ったのはあの柑橘系フルーツジュース。
これ、美味しいからおすすめ、と。
一瞬缶が彼女の表情を隠し、受けとって顔を上げると、にっと子どものように悪戯っぽく肩をすくめて「ごめんね。」と首を傾げた。
よく冷えた缶が指先をひんやりと慰める。
彼女はそういうひとだ。
バーナビーはほっと息を吐いた。
「許してやる、は、こっちの台詞ですよまったく。社会人としてまるで礼儀がなってないんだから。今度こそ、僕の連絡先も登録しておいてください。」
彼女の声で、あの歌が聴きたい。