銀の狼と星の英雄たち
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We believe HEROs!の垂れ幕がはたはたと風に揺れている。
今日のファンはちょうど腰から胸のあたりまでの高さからわあきゃあと目を輝かせて賑わっていた。
少し前に遡ろう。
突如現れた謎のNEXTルナティックによって犯罪者が法のない裁きを受け、阻止できなかったヒーローたちの信頼はがた落ち。
人気をとり戻そうと躍起になった事務所、テレビ局、スポンサー関係者各位は、事件や出動要請もないのにヒーローたちを使ってボランティアだの何だのに必死だ。
いっそ自分も本職であるあちら側にまわって、そっちの世界からヒーローを援護する、というわけにはいかないだろうか。
「信頼なんて、『信じて!』なんて言ったって信じてくれないひとは信じてくれないし、信じてくれるひとは信じてくれるものだと思うんだけどなぁ……。」
「それはそうかもしれないけれど。」
誰も聞いているはずがないと思って呟いた閏に、
ぽんっ
と肩に乗る掌と共に返事が返ってくる。
びっくう!と飛び上がって振り返るとにこやかな笑みが透けて見えそうな騎士の装備が目前にあった。
何というどあっぷ。
「す、スカイハイさん!」
「信じてほしい、という想いと言葉が伝われば、きっと何か変わる。私はそう信じている、そして信じている。」
結局のところどういう理屈だよと言いたくなるような台詞だけど、キングオブヒーローが言うと妙に説得力があって、こくこくと何度も首を縦に振る。
キングは満足したように腕を組んでうんと頷いた。
分かってはいるつもりだ。
信じていない、信じてほしくない。
そんなことを言う人間よりは信じてほしいと素直に言える人間の方がきっと信じてもらえる。
それがほんとうの意味での信頼ではないとしても、はじまりのきっかけにはなる。
それでも、遣る瀬無さはどうしてもあった。
スカイハイはまるで英雄になるために生まれてきたような性格だな、と、子供たちに手を振る後ろ姿にため息を吐いた。
今日は街の大勢の子どもたちを相手に、スカイハイ、ローズ&ウルフの三人でアトラクションイベント……という名の接待だ。
ヒーローたちの能力に触れながら遊ぼうというコンセプトで、親しみを感じてもらおうということらしいのだが、日頃だってべつに文句を言われるような活動をしているつもりはないし、それなのに信頼回復だとか人気回復だとか、わかっていてもうんざりする。
自分にもスポンサーはいるし、特にブルーローズは人気商売的な付加が大きい。そんな彼女の相棒が腑抜けているわけにはいかない。
既に美しい氷に身を包み笑顔を配っているローズの隣に立って肩を組むと、途端にぱしゃぱしゃとフラッシュの光と音があたりを囲んだ。
シュテルンビルトでも有数の巨大なドーム型屋内総合公園。
緩やかな曲線を描く白い屋根に覆われた屋内公園内には森か林かと思うような木々、広大な芝生、池にステージ・・・・・・と、日頃から天気も季節も問わず人々が運動に散歩にと集まる憩いの場所が、今日は風、氷、水のエリアに分かれた巨大遊戯施設へと変貌を遂げていた。
エアライドにスケート場、流れるプールと常設以上に季節感がない。
スカイハイが池のほとりの芝生エリアに、ブルーローズが水を張った広場に、日頃はちょろちょろと水が流れているだけの人工河川にシルバーウルフが立つと子供たちの期待値はさらに上昇する。
『それではっ!ヒーローのみなさんお願いします!』
イベント司会のおね―さんが声をかけると、ヒーローたちは日頃の連携顔負けに目を合わせあい、ぱっ、とポーズをとった。
「私たちと共に、楽しんでもらいたい、そして是非楽しんでほしい!スカーーイ、」
「「「ハ――イ!!」」」
「私の氷は、」
「「「ちょっぴりコールド!!」」」
「きみたちのハートは、」
「「「ホールドアップ!」」」
どこのアイドルコンサート会場ですか。
大変よく調教されたお子さん方ですね司会のおね―さんの仕込みですかそうですかそうですねわかります。
三人の掛け声が揃ったところで、三方で風が、氷が、水が発生する。
それぞれ離れてはいるが、前以て打ち合わせしていたとおりに区画は少しずつ重なっている。先ほどの水と氷のエリアの中間には氷でできた遊具、スケート場と風のエリアの間には冷やされた空気がちらちらと雪になって降りてくるし、水と風の交わる湖畔では帆船体験ができる。
氷エリアは一度凍らせてしまえばあとは溶けないようにするだけだが、水、そして風は常に波打たせ、吹き起こさなくてはならない。
流動することに意味のあるアトラクションだから、この日のために体力作りに励んだものだ。
昨晩はしっかり食べて寝た。こんなところで倒れてしまっては企画が台無しだ。
Let's blieve heros?
信じてほしいだとか、認めてくれだなんて言わない。信じてもらえなくたって助けたい。その気持ちは変わらない、けど。
「ね―ね―ウルフ――。」
ウルフ“さん”でしょうくそガキめ。
軽く胸の中で毒づいてから水エリア水着姿の子供たちを見下ろす。
アトラクションがスタートすると子どもたちは早速それぞれのエリアで遊びはじめていた。
エリアにはゲートと更衣室が設置されていて、まさか水着姿でスケートなんてことはできないようになっている。凍死されても困る。
水エリアは人工河川を基礎にした流れるプールと氷の遊具でできている。人魚の氷像の如き美しいウォータースライダーや滝はウルフの能力によるもの。設備機器スタッフがそれを管理コントロールしてくれている。
人工河川を蛇行した流水が、最後には半径約15mのプールに流れ込む。エリアそのものがおよそ円形状をしていた。
「……何かな。」
「ブルーローズのサインくれよ――。」
ブルーローズ“さん”のサイン“ください”でしょうでこすけ野郎。
なあなあと掌をこちらに向けて遠慮のないちびっこをバイザー越しにじっと見つめて脳内で吐き捨てる。
「……本人に言いなさい。」
なるべく人気取りにいけ、とは言われているが、これくらいはシルバーウルフの
「ウルフはローズのバディだろ―?仲悪いの―?」
「もっとでっかい波作れよつまんね。」
「やっぱスカイハイのとこ行こ―ぜえ。」
「人数制限あるから並んでるってよ。」
「ちぇー。」
さすがに一度に面倒みきれる子どもの数には限りがあるし、サポートしてくれるスタッフも大変ということでそれぞれのエリアには人数制限がある。
比較的緩いのはプールとスケートだが、スカイハイが空中ふわふわ体験させてくれる!と簡単に言えばそんな内容のエアライドは順番待ちも長い。
どんなに時間がかかっても、スカイハイに間近で会えて遊んでもらえるとあって人気は高いが。
このイベントを行うにあたってチケット販売とともにとられたアンケートでもアトラクション期待値はスカイハイが当然のトップ。
次点に僅差でブルーローズ。スケートなんてほかでもできるやないかいとつっこみたい。
分かっていたこととはいえ、巨大プールへの子どもたちのリアクションに残念感が漂う。
チケットの抽選に漏れて第一希望が叶わず仕方なく水エリアに来たのだ、とあからさまに不満げにのたまう子どもも少なくない。
こんな中でモチベーションを保つのは一苦労で、かといってシルバーウルフのキャラクターは礼儀正しくあるべき。ここでぎゃあっと喚き子どもを蹴散らすわけにもいかない。
元々子どもは嫌いじゃない、むしろ大好きだ。ただしくそガキは除く。
「……いいでしょう。ブルーローズ、プラン:
通信機に一瞬ジッと電磁音が混ざり、
『あら、予定より早いわね。いいわよ!3分後に作戦開始!』
ブルーローズの溌溂とした声に頷く。
「きみ、おいで。」
「え!あたし?!」
ウルフの周りにたかりつくグループの中でも“高波を作れ派”略して“タカ派”と閏が勝手に命名した一団の中から可愛らしい女の子の手を引いて腕に抱える。
おおっ!と無駄に声が上がった。
HAHAHA崇めろ崇めろ。
アーマー着込んでいる時はそこらの男性にも負けないくらいのパワフルレディなんだぜ少年たちよ。
「モード切り替え。ノーマルからアビリティNEXT。」
『モード:NEXT』
機械音声が耳元でモードの変更を告げると装甲の色がじわりと蒼く変化する。
「しっかり掴まってください。」
「は、はい。」
腕の中の少女は言われずともガチガチに緊張したままウルフの首にしっかりと手を回し、周囲の男子を見下ろしてぎこちない笑みを振りまいた。
ウルフの足元から波がぐるりと円を描く。
少年たちはぎょっとして身を引いた。
ブーツと太腿部分に装着されたジェットが音を立て、注水と排水を繰り返す。
そのまま下からの水圧に押し上げられ、ウルフは少女を抱えたままぐん、と軽く建物三階分ほど高度を上げ、氷の彫像にとんと飛び乗った。
「きゃあ!」
「大丈夫、私が支えています。さあ、これを口につけてごらん。」
「はいっ。」
何てよいお返事かしら。紅潮した丸い頬の愛らしいこと。
「大きく息を吸って。水は大丈夫?」
「はい。泳ぐのは大好きです。」
「それはよかった。落ち着いて、私が合図するまでは目を瞑ってください。準備ができたらゴーグルをつけて。」
ウルフの肩にある装置が外れて、少女の口元に宛がわれる。
酸素マスクに似た半透明のそれは顔の下半分にぴったりと馴染んで、少女が装着したのを確認すると、ウルフはにこりと微笑んだ。
目元はバイザーで隠れていて完全な露出とは言えないし、口元は完全に隠れているのだが、少女にはたしかに彼女が笑ったのが分かった。
「ブルーローズ、お願いします。」
『了解!』
「さ、いくよ。」
言うや、ウルフは少女を抱えたまま足下に作り出した水へどぷんと飛び込んだ。
あ、ブルーローズだ、と誰かが声を上げる。
水と氷のエリアの半ばに聳え青くきらめく氷山の頂点に、大輪の青薔薇。放送が女王の美麗を高らかに賛美している。
ブルーローズの目が蒼く光った。と同時に、氷山の足元からぱきぱきと音を立てて氷が走る。
氷は水エリアをぐるりと丸くかこむように二重に伸びて、やがて厚みと高さをもって空へせり出してゆく。
水エリアの周囲に、美しく澄んだ厚い氷の壁が姿を現した。
そしてウルフが少女とともに氷の間へ足を踏み入れるのとともに、その足元から大量の水がかけ巡る。
瞬く間に水で満たされた氷壁は、いまや冷たい水槽のようであった。
ウルフの指が、きゅっと瞼を閉じた少女の肩をとんとんと叩く。
指示通りゆっくりと目を開くとそこは既に水の中。
穏やかな水の流れに包まれて、ウルフは少女を抱いていた腕を解いた。
手はしっかりと繋いだまま、氷の内側から外――つまりは彼女たちを見上げる少年少女たちを見下ろして、手を引く。
急にそれまで止まっていた水が静かに流れ出す。
慌てふためいた少女の手をウルフは再び強く握った。
もう片方の手で親指をぐっと上げ、飛行する鳥のように両腕を大きく広げる。
それに習って少女もおずおずと流れに身を委ねた。
息は苦しくない。ウルフのくれた装置は水中呼吸用の装備だった。
(飛んでるみたい……!)
ウルフの手と水槽の中の流れに興奮を抑えながら戯れるように泳ぎまわるのは幼い少女にとってまるで夢の心地だった。
光は水に屈折して、ゆらゆらと輝き少女とウルフに模様を描き、水の深いところへ沈んで友人に手を振ると彼らは走ってついてくる。
さながら水族館の観賞魚だが、それよりも人魚みたいだわと少女は思う。
不思議なことに、水圧も水の冷たさも殆ど感じない。それどころかふわふわととても身軽だ。どうやら少女のまわりの水は、そこだけ常にシルバーウルフの制御下にあって、寒くもなければ溺れることもない、まったく安らかなものであるようだった。
どれほどそうしていただろうか、しばらくしてウルフが指を二度、水面へと向けた。
ウルフは少女の手をダンスのエスコートでもするように掬い上げ、そのまま水流によって上昇してゆく。
ざぱ、と音を立てて水面から全身を抜け出して大きく息を吸うと、陽光に弾ける水飛沫に混ざって自然の空気の匂いがした。
少女の口元から呼吸マスクをはずして肩に戻す。
ぴこ、と赤色の光が灯った。もう片方の肩に見える同じような装置の点灯はグリーンだから、きっと残量が尽きたのだろう。
少女は再び深く息を吸った。
音も感触も急にリアルで、興奮が収まらない。
「楽しめた?」
「はい!」
「そう、よかった。一気に滑り下りるのと歩いて降りるのとどちらがいい?」
「え?!う―ん……どっちも楽しそう!」
「フフ。悩んでくれるのは嬉しいなあ。私の手に掴まって、ゆっくり歩いてごらん。」
「はいッ!」
少女が一歩足を踏み出す。と、足の裏の水が土踏まずのあたりから足首までぐい、と支え、次の一歩、次の一歩とそれを繰り返す。
はじめの数歩でバランスをとるのに慣れて、十歩目には足元も見ずに真っ直ぐに空を見た。
青い氷のステージで兄が滑っているのが見える。
兄はスケートが上手くて、しかもブルーローズのファンなのだ。
少女が常々ご贔屓にしているスカイハイの整理券付き先行予約チケットはとれなかった。
ウルフのエリアにきたのは不本意だったけど、こんな体験ができるなんて偶然に感謝したいくらいだ。
「さあ、滑るよ。怖い?」
「全然!」
「頼もしいね!」
ウルフの腕が再び少女を抱き上げる。
彼女は水を操ってプールの人気の居ないところへと滝のようにダイブした。
その高低差と水飛沫の強さに思わず興奮した悲鳴を上げる。
「すごいわシルバーウルフ!あたし貴女のファンになっちゃった!」
……ファンではなかったんですねと、深くかぶったバイザーの下、如何に水を操るNEXTであろうとも涙目ばかりは彼女にも操れなかったという。
このひとは馬鹿なんだろうか、と考えたことがある。
いや、普通の意味で馬鹿っていうんじゃなくて、馬鹿じゃないのって言いたくなるくらいに純粋なのだ。
人間普通に生きていれば嫌なことの一つや二つあるし、それで多少捻くれたってしょうがないと思う。
もちろんだからといって優しさや誠実さが完全になくなるような人間はどうかと思うけど、ある程度の真っ当さがあれば、少々の黒さなんてのは普通の枠に十分おさまりがつく。
何の話か、というと。
我らがキングオブヒーロー・スカイハイ氏のことだ。
閏にとっては憧れが強すぎてなかなか自分から近寄れない存在だが、それ以上にその純白の笑顔に『うわ眩しっ』と目を背けてしまうようなところがある。
ヒーロー信頼向上キャンペーンアトラクションにて、シルバーウルフはそこそこの人気と活躍を見せていた。のはいいものの目立ち過ぎて今度は逆に困った事態に陥っていた。
周囲に子どもたちが群がり、自分もあれをさせろ何をしろこれをしろやって見せろと命令口調で喚きまくる。
あまりの騒動にスタッフたちも慌てて順番待ちの手はずを整えるくらいだ。
正直、スカイハイたちと違ってこんなに人気が出るとは思わなかった。
通称シルバードルフィンと命名された水中アトラクションは、呼吸マスクの関係で一度に二人までなら同時に可能だが、終わった後はしばらく準備時間が必要だし、怪我をさせないようにと案外気を遣うため疲れる。
昼の休憩にはぐったりしてしまっていて、折角体力増強しておいたのにこれってどうなの的に仮設テントの控室でため息を吐いた。
「やあ!おつかれさま!素晴らしい活躍だったね。私も見ていたよ、子どもたちが実に楽しそうだった、そして面白そうだった!今度是非私も水中散歩させてほしい!」
「……あ、ありがとうございます。」
お世辞なのか本気なのか(特に後半)実に反応に困る興奮状態のスカイハイをあしらい、仕切り皿に食事を受けとる。
スタッフたちが用意した大量のサラダ、種類豊富なパン、あとパスタとか肉とかが大皿にででんと盛られていて、ローズのスポンサー配給ドリンクを二人にも渡すと四角いテーブルを三人で囲んだ。
衣装の露出の多さを懸念して、午後にお腹を張らせるわけにもいかない、と控え目な量をとったローズに対し、元気いっぱいスカイハイは漫画かと言いたくなるような山盛りランチ。
「……元気ね。」
「もちろんだ!こうして市民と直に触れあえる機会はそうないからね。我々の活動を理解してもらえるというのは素晴らしいことだと思っている。」
「いただきます。そうですねえ、そりゃそうなんですけど……。」
「ん?そういう二人は元気がないな。疲れたのかい。」
「そうね、少し疲れたわ。」
「ま、今日は子どもが相手だからまだいいといえばいいんですけど。スカイハイはさすがキングですよねえ……。」
「ん?え?何のことだい。」
含んだような閏の声色と言い回しにも、スカイハイはさっぱり思い浮かばないという顔で『うん?』と首を傾げる。
その”らしさ”に無性にもどかしさを覚えて、いらいらと言葉をぶつけた。
「だって正直、信頼向上キャンペーンなんて、って思うことがありますよ、私は。」
「ただ信じてくれと訴えるわけではないよ、我々が先陣に立って、市民の信頼を回復……――。」
「そりゃ人気商売だからっていうのは分かりますけど……。」
「人気、商売………。」
もぐもぐと口いっぱいにフランスパンを頬張っていたスカイハイがきょとんと目を丸くして顔を上げた。
ああ、もう、そういうところだ。
「だって、そういうことでしょう?でないと売れるものも売れなくなるから。プロデューサーたちだって、そう言ってるじゃないですか。」
「私は、人気とか、商売とか、そうじゃなくて…私が信頼してもらいたいと思ったのはそういうことじゃない。シルバーウルフくんに信頼してもらいたいと思うのと同じように、市民にも信頼してもらえたら嬉しいという気持ちから。」
「そういう態度止めなさいよ、閏。いまのはあんたが悪いわ。気持ちは分かるけど、スカイハイは悪くないでしょ。彼は本物よ。」
ゼリータイプの栄養ドリンクをちるちると吸いながらローズがそう口を挟んだのは、果たしてどちらを止めるためであったのか分からないタイミング。
年少者である彼女にそう諭されて、閏はさっと頭が冷えた。羞恥心で目元が熱くなる。
どこかで分かってはいたが、これではただのやつあたりだ。
「………そう、ですね。すみません、キングオブヒーローに失礼なことを。」
素直に詫びた閏の言葉に、スカイハイは複雑そうに表情を曇らせた。
「……いや。ウルフくん、私は思うんだ。信頼できる誰かがいる、というのはとても頼もしく、そして心強いことだと。私たちの使命は市民を守ることだ。それは何も戦うことだけではない、そういう方法もあるんじゃないかと……そう思う。」
ああ。このひとはどうしてこう、徹底していいひとなんだろう?
どういう人生を送ってきたらこうも穢れなく生きられるんだろう。
見つめるのが苦しくなるほどの純粋な笑顔から目を逸らしため息を吐いた。
毒気が抜かれるとはこのことだ。
すっかり拗ねていた自分を恥じて、重たいものを振り払うような気持ちで伏せ目がちに頭を振る。
「まったく、あなたはほんとうに……ヒーローそのものなんだから。」
「大変です、ヒーローのみなさん!」
「……!!」
「お食事中、すみません…っ!」
駆け込んできたスタッフの顔色が真っ青なのを見て三人は素早く立ち上がり、その瞬間冷たく重たい空気は嘘のように消えた。
代わりに充実した緊張が三人の間を満たす。
ただ習慣と言いきってしまうには三人の表情は真剣そのもので、テントを出てすぐにわっと人だかりに囲まれてもつい先ほどまでファンサービスに尽くしていた人間とは思えないほど或いは冷たいと言われてしまいかねない冷静さで、
「申し訳ない。」
声をかけた。
黄色い悲鳴は鳴りやまない。
子どもたちが早く午後のアトラクションをはじめてほしいと強請る声に混ざって、彼らに同伴した保護者たちのカメラ目線を要求するファン声援、スタッフの対応の悪さを責める身勝手な主張などが雑多に聞こえてくる。
「それで、現場の様子は?」
「今も被害が広がりつつあります。急を要します。」
「みなさん、申し訳ありませんが我々は出動しなくてはなりません。事件が起きたのです。」
代表したスカイハイの弁明にドッと上がる渦のような叫び声は、ヒーローたちの出動に喜ぶ者もいれば予定と違うぞと怒りを見せる者もいる。
スタッフたちがバリケードになって三人を誘導しようと懸命に身を張るが、あまりの事態に身動きがとれなかった。
なまじ、スカイハイとブルーローズの人気が高すぎたのと、午前の部が盛り上がり過ぎた。
「信頼を回復したいとか言っておいて、約束を破るの?子どもたちの期待を裏切るのね!」
母親らしき誰かの甲高い奇声に、周辺の一団がそうだ、と同調する。
「ウルフじゃなくてバーナビーだったらよかったのにィ!」
「タイガーとウルフはいらね―よな―っ。」
「ウルフが出動してさあ、二人は残ってよお―。」
それは比較的すぐ近くで起こった生意気そうな子どものやりとりだった。
「つかバーナビーと組まなきゃ、タイガーなんていまごろ消えてるだろ。」
「言えてる――。」
「前のスーツ、ダッサかったよなあ。」
「あれはない、まじでない。」
ありふれた、その年頃にありがちな会話に普段なら聞き流しもするだろうに、今日ばかりは疲労と苛立ちとが限界点を越えた。
ブチブチブチブチと何かが弾け切れる音が聞こえた。
「あ……っウルフ、いけない!」
「ワイルドタイガーさん、ですよ、ボク。」
「は?!」
「べつに、信頼してくれなんて言いません。疑えばいい。それでもあなたたちを助けますよ、あたりまえじゃないですか。あなたたちが彼らをどれだけ悪く言おうと、助けられてあたりまえだと調子に乗って我が儘を言いまくっても、人気がないだの格好悪いだの罵られても、そのくせいざとなったら助けられる気満々の傲慢なひとたちであろうとも、それでも彼らは、あなたたちを助けるんですよ。」
瞼の裏に、憧れが映る。
ぼろぼろになっても、どんなに悪く言われても、歩みを止めない人たちを知っている。
知っているはずじゃないか。その姿にどれほど助けられたか、どんなに心強く、勇気づけられたことか。
どれだけ辛くても立ち向かう強さに、希望に、救われたのは私だけじゃないでしょう。
「上からの命令だからっていうだけじゃない、そんなもの無視したからって死ぬわけじゃない、ヒーローなんてやめたきゃやめたっていいんだ、それでもヒーローたちが命を賭けて戦うのは、あなたたちを守りたいからなんですよ!」
「し、しるばー……うるふ?」
突如語り出したシルバーウルフに、先ほどまでワイルドタイガーをあげつらっていた子どもたちはきょとんと眼を丸くする。
「何で散々悪口言ってくる人を守らなきゃいけないんですか!仕事だからやってるんですよ!」
スカイハイのようにはなれない。
がんばっているのに罵られたら辛いし、守るべき相手から悪く言われるのは嫌だ。
それでも、戦わないといけない。
それでも、戦う人たちを知っている。
「いいですか!私に対する暴言はかまわないとも、いくらでも言えばいい!けどワイルドタイガーさんやほかのヒーローたちを悪く言われたら、黙っていられない!あなたたちの知るスカイハイは助けを求める人々を放っておけるヒーローですか?ブルーローズは、いざという時に登場しなくても笑っていられる女王様なんですか?」
違う、それはぜったいに違う。
一息吸って、そして吐き出す。
「私は、行きます。私が尊敬しているワイルドタイガーさんやスカイハイ、大好きなブルーローズならきっとそうするし、そういう彼らが大好きなんだから!この中で一番、私がファンだ!」
しん、と一瞬静まり返って、『キレた……』と誰かが呟いた。
沈静の中によくよく響いた。
静寂を突き破るように、人垣の中から小さな手がぴっ、と上がる。
指先しか見えなくてもゆらゆら揺れた。
「……私だって、ファンよ!ウルフに、負けないくらいファンよ、私の大好きなスカイハイなら、行くわ!スカイハイ!応援、してるから!」
「頑張って、スカイハイ!」
「ありがとう、そして、ありがとう!きみの声援の分まで戦い抜くと誓おう!」
突然のウルフの反抗に殆どの人間が硬直していた。
彼女はストイックでやや地味、もとより会社の方針でローズを引きたたせるためであったから当然とはいえ、主張の少ない二部の人間として扱われてきた。
それが、いきなり感情を露わにすれば動揺も走る。
スカイハイの変わらず明るい態度が空気を救った。
場は一気にKOHの応援ムードに染まり、次いで『ローズ頑張って』『怪我をしないでね』と続く。
その隙に用意された専用車が二人を迎えた。
スカイハイにとって空はお手のもの、すぐに後を追う。
豪雨のような声援の見送りから逃げるように転がり込んだ車内で、ローズはぽつりと呟いた。
「あんたって馬鹿だったのね。」
信じられない、と、そして笑った。
そうだ、馬鹿なのは私だ。あんな公衆の面前で誰か、しかも子どもを責めるなんて、大人がしていいことじゃないし、ヒーローなら絶対にやっちゃいけない。
項垂れ、己に落胆する。
何をやっているのだろうかと後悔ばかり。
あんなの、きっと誰のためにもならない。
事件は無事解決し、ヒーロー不在にもスタッフの健闘でおざなりに続いていたイベントに戻ると、ウルフは車から飛び出してファンの群れに駆け込んだ。
出迎えたファンたちは喜ぶやら驚くやら、バイザー越しに隠れてはいるがきょろきょろとあたりを見回して血相を変えているのが容易に想像のつくヒーローに首を傾げた。
「ウルフ!」
「………!!きみは、あの。」
「あの!」
人波を掻き分けて、先ほどの騒動でじろりと睨みつけた子どもが声を上げた場所へと走り寄る。
男の子数人のローティーングループのもとへファンたちは道を開けた。
「きみ、さっきはすまな……―――。」
「ご、ごめん、なさッ!俺、違うんだ、べつに、二人のこと格好悪いなんて思ってないんだ!」
「え……――?」
「前に俺ら、タイガーにもウルフにも助けられたんだよ。な。」
「うん……。」
リーダーらしき少年が振ると傍らにいたグループの子どもたちも次々に頷く。
謝罪すべきはこちらの方、と思っていたからウルフは唖然として少年たちを見返す。
居心地悪そうに視線を落として、それでも少年たちは素直さを捨てずにいた。
「けど、その、二人ともあんま人気ね―し、学校でもタイガーとウルフのファンだとかって言うと趣味悪いって言われるし。正直さ、ヒーローなんだから助けるのはあたりまえで、ファンの方が偉くて、何言ってもいいって思ってた。その、そんなに、ウルフ、ヒーローだし危険な事件にだって飛び込んでいくし、だからまさか俺たちの言葉で傷つくなんて思わなくて。」
「けどさ!さっきの、事件の中継がこっちでも流れたんだ!僕やっぱり二人のファンだよ!いいんだ、センスないって言われても!」
一人がパ、と顔を上げて素朴な笑顔がにししとウルフを見つめる。
眩し、と小さく心の中で呟いた。
「ああ!俺、応援するから!今度こそちゃんと応援するから、信じなくていいなんて言わないでくれよ!だって俺らは信じてるんだよ!寂しいだろ、信じてもらえなくても戦うなんてさあ!」
「きみたち……。」
「よかったじゃないの。」
ブルーローズの細い指がウルフのフェイスマスクをつっと撫でる。
「彼女、車の中でずっと落ち込んでいたのよ?折角来てくれたあなたたちに言い過ぎてしまったって、このひと馬鹿だから。」
「……ローズ。」
「あら、本当のことじゃない。」
「申し訳ないことをしたとは、いまも思っています。あんなことヒーローが言う台詞じゃないし、期待を裏切ってしまったかもしれない。仲間を悪く言われて頭にきたのは、否定しないけど。……ありがとう、きみたちのお陰で少し、強くなれる気がします。」
「本当?!ウルフ、ヒーロー辞めたりしないっ?!」
「辞めませんよ。この街が、好きです。」
いつでも辞めてやる、ヒーローなんてのは本職を続けるための副職……――心の中で常にそう呟いて、心の支えにしていままでやってきたはずなのに、自然と口から零れたのは不思議とまるで反対の、ヒーロー宣言。
包むようにわあっと盛大な拍手が鳴り響いた。
仕事だからやってるんだ、仕方なく。
そう何度も思っていたのに、いつだって身体は無意識のうちに動いてしまっていて、気がつけばタイガーと同じような(キャラも違えば破壊行動もしないが)ポジションとして認識されていた。
そんな風に思われようと自分から何かをとり繕った覚えはないのに。
「………っ。」
「なあに、照れてるの。顔を上げなさいキャラじゃないでしょ、カメラ回ってるわよ。」
「……承知、しましたっ。」
信じてもらえるのだと、そう信じられることがこれほど心強いことだとは、しらなかった。何も、ヒーローとして何もしらなかった。
初めて、自分はヒーローなのだと痛感した。
『一歩間違えば』からはじまったお説教は約二時間続いた。
子どもたちの両親から訴えられる可能性があったこと、キャラ崩壊で面白くバッシング記事にされれば、それらによって人気がガタ落ちしてしまったかもしれないこと。
三番目に関しては連帯的にローズの足をも引っ張ってしまうことだってあり得るし、一応丸く収まりがついたとはいえ、今後どういう形で影響があるかはすぐにどうこう言える状況じゃない。
ついでに司法局からも厳重注意の通達が届いている。
現にシルバーウルフだけの話で言えば、既にネット上であれこれ叩かれている。
逆に賞賛記事もないではないが、比率としては批判的なものが圧倒的に多い。
と、机を何度もばんばんと引っ叩きながらヒーロー事業部のお偉い方に白い目で睨まれ、いままで甘かった分、当分はローズ至上主義、キャラ性遵守、ファンサービスつゆだく大盛りを命じられ、ようやく解放された。
事業部の扉を背後に閉めると、盛大なため息が出た。
「おつかれさま。」
「カリーナ。」
「さすがに堪えたみたいね。」
「まあ、さすがに。」
お説教はいつものことだが、自業自得で罪悪感の募る二時間ぶっ続けは初めてだ。
始末書も書かなくてはならない。
「後悔してる?」
「少しね。」
「しないでよ、馬鹿。」
「へッ?」
「……何でもないわ。スカイハイが褒めてたわよ、ていうか感激してた。」
「えッ?!……い、いつもの天然発動じゃないかな。」
閏が歩き出す、とカリーナも自然と隣を歩く。
そうかもねと苦笑を混ぜたカリーナに閏も思わず微笑った。
眼鏡を上げる動作とともに『聞きましたよ』とどこか意地の悪い響きを含んだ声。
「『シルバーウルフの咆哮、仲間への批判に反論』……今朝のアポロンタイムズですけど。」
「あ―そ―ですか。」
「もう少し冷静なひとだと思っていましたけどね。おじさんじゃあるまいし、こんなことをして万が一干されでもしたらどうするつもりだったんです。」
「つもりとかつもりじゃないとか、とっさのことでいちいち予想して発言なんかできません。Jr.くんみたいに頭よくありませんから。」
「そうですね。」
彼はどうにもこう毎度わざわざ苛立たせるもの言いをする。
外面はとんでもなくよろしいのに、何だこれはと叫びたくなるくらいだ。
ギシギシとリズムを刻むように音を立ててトレーニングマシンで背筋を鍛え、殆ど聞き流してしまう。
無視を決め込めば気まずさを嫌うプライドの高い彼のこと、早々に退散してくれるだろう。
といつもならそう思うのに、今日ばかりは妙にしつこかった。
「信頼回復キャンペーン中ですよ。ほかのヒーローもファンサービス旺盛です。貴女はもともと大した人気もないんですから、こういう時期は特に。」
ぐだぐだウダウダうさうさ。
ぎしぎしガショガショがこんがこん。
ぐだぐだウダウダうさう……
「例えば貴女の場合……。……ちょっと無視しないでください。人が話している時にそう無表情で遠くを見つめられると不快です。礼儀がなっていませんよ。」
隣に立って弁を奮っていたバーナビーは眉に小さく皺を寄せ、わざわざ閏の目の前に回りこむ。
「人が真面目にトレーニングしている時に話しかけるのは礼儀しらずじゃないんですか?」
「僕はアドバイスをしてあげてるんですよ。」
「アドバイス!あ―ど―もありがとうございますねえ人気急上昇中のスーパールーキー先輩様!」
「な……ッ!人が心配しているのにそんな言い方しますか!」
「だあ、お前らやめろやめろ!な―に言い争いしちゃってんだよ、同期なんだからもっと仲よくしろって!あ――……最近暗い話ばっかだもんな、そうだな、ストレス溜まってんだな、まだ若えもんな!よぉしここはおじさんが美味いもんでも食いに連れてってやろう!」
見かねて割り込んできた虎徹にまで同じ空気を向ける閏ではない。
「ほんとですか虎徹さん!」
「おう!」
ぱっとその顔が明るくなったのを見てバーナビーの眼鏡にぴしぴしとひびが入った。
大丈夫だ、こんな時のために五つまで予備がある。
「……鈍(にぶ)ヒーロー。」
「むッ!二部ヒーローで悪かったですねえ!いつもいつも二部二部って!」
「ほらバニーちゃん、お前もそうツンツンすんなって。」
「バーナビーです。それにべつにツンツンなんてしていません。食事に釣られるなんて子どもみたいだと思っただけです」
「何言ってるんですか!食べものに釣られたんじゃありません!憧れの虎徹さんに釣られたんです!」
「…………!勝手にしろッ!」
ふん、と顔を背け、長い脚を大きく開いてさくさくと離れてゆく。
虎徹がその背におおいバニーちゃんと呼びかけても返事はなく、閏もまたふいっと視線を逸らした。
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