サンズ
「最善、最良、最低、最悪。どれも外れだ」
そう話すのは、疲れきったスケルトン。素手――と言うか、骨そのものを晒し、指折り数えたかと思いきや、手の骨を開いて有耶無耶にする。
彼は、褪せてボロボロの椅子にもたれかかっていた。椅子の繊維は裂け、綿がはみ出ている。剥き出しの木枠は朽ち、そばで咲き誇るうつくしい花畑とは対照的だ。小柄な彼には椅子のサイズが合わず、不格好。くたびれた青いパーカーは、彼のいまの状況を示すかのよう。
眩しいばかりに差す陽の光は、ちっとも慰めにならないみたい。どこか鬱陶しそうに目を眇めている。
「オイラは、不連続でも時間は繋がってると思ってたけどさ。放置されて、はじめてわかったよ。……この時間軸は切り捨てられたのさ」
理解を求めるものではなかった、と思う。例えるなら独白に近い。
この地底に落ちて、無人の世界を歩いてきたからなんとなくわかる。私が孤独の中を彷徨ったように、恐らく彼もここでひたすら孤独を享受せざるを得なかったのだろう。
「最善でも、最良でもなく。……先に王が殺されてるから、その点は最低だし最悪だな。…………オイラの家族も、チリになっちまった」
最後にぽつりと付け加えられた言葉だけが、ひどく重みを持って響く。降り注ぐ光は漂うチリや埃を照らして。場違いなほどの明るさの中、彼は淡々と言葉を続ける。
「時間軸を食い荒らした悪魔はもうこの地底にいない。最低と最悪を免れてるのはそのせいだ。残された地底はまるでゴミ箱さ。廃棄されるのを待つだけ。そんで、残ってんのはオイラだけ。……ああ、お前もいたな。へへ、忘れてないぜ」
「ほかには、本当に誰もいないってこと?」
「ああ。いないぜ」
「それって、」
「……ま。オイラがこうしてる分だけ、他のオイラとみんなが幸せになってんなら、いいけどさ」
相応しい言葉が見つからず、唇を噛む。相槌を打つ私を遮るように、彼はすこしばかり声を張った。伏せられた目は地面に向いている。沈黙を縫うように、小鳥の囀りが抜けていった。
彼の話のすべてまでは理解できない。それでも、抱えている感情が偽りとは思えなかった。家族を失ったのなら、その心の痛みは到底測りきれない。
「花ってのはさ、強いよな」
「……え」
一瞬、どの花のことかわからなかった。彼が悪魔と呼んだ存在が、喋る花だと知っていたから。
「オイラが世話しなくても、こうして咲いてるし」
危惧していた話ではなかったらしい。安堵しながら、穏やかな気持ちで相槌を打つ。
「……世話、してたわけじゃないんだね」
「したと思ってたか?」
「いや、全然」
「へへ、サンキュな」
「お礼言うとこじゃないよ」
他愛ない会話を交わす。終わりが近いことは、よくわかっていた。
鳥の囀りは消え、静寂が周囲に満ちる。世界はこんなにも明るいのに、寒気がした。
「そんで……。アンタはどうしたい?」
「どうって?」
「ここにはバリアが残ってる。地上に戻りたいなら、モンスター唯一の生き残りである、オイラのタマシイを奪わないと出られないぜ」
「……へっ?」
「言ってなかったか?」
「初耳だよ!!」
「そんじゃ、アンタはいま真実を知ったわけだ。……その上で、どうしたい?」
「急に聞かれても……、」
タマシイを奪う、なんて。とても物騒な話だ。『奪う』というくらいだから、手荒な真似になるのだろう。家族を失った彼から、さらに奪うなんて、考えただけでもおぞましい。
「――そもそも、その条件って、君には当てはまらないの? 君は、ここを出たいと思わないの?」
バリアは地底にいるものすべてを閉じ込める。でも、私が地上に戻る手段があるのなら、彼も同じように地上に出る方法だってあるんじゃないか。それも、なるべく穏便な方法で。
「……モンスターってのはさ。しんだらチリになるんだ。……オイラたち、雪景色の街に住んでたからさ。弟のチリは雪景色に撒かれたんだ。オイラは、ここを離れられないよ」
家族想いの彼の発言に想いを馳せれば、胸を刺すような痛みが襲う。喪失感と孤独に寄り添う方法は、すぐには思いつかない。
そして。彼は、手段がないとは言わなかった。
「わたしだって、君をどうにかしてまで戻りたくないよ」
「いいのか?」
「うん」
「そうじゃなくてさ。バリアが残ったままってことは、誰かが地上で注意しないと、この先、落ちたニンゲンはそのまま地上に帰れないってことだぜ」
「……あ、」
「アンタがオイラをどうにかしたいわけじゃないのはわかった。けど、このままでも良くない」
あっさりと信じられたので、すこし驚く。いや、たぶん信頼じゃなくて、期待をしていないんだ。
はじめて会ったときから、彼の表情は変わらない。それなりの時間を経て染み付いた思考なのだろう。揺るがぬ意思は、そのまま横たわっていた。
「……君の言う通りだ。けどさ、やっぱり、タマシイを奪うってやつ、……したくないよ」
「……、地底をニンゲンで溢れさせたいなら、それもいいかもな」
「そういうわけじゃ……!」
言い募った瞬間、別の可能性が閃く。脳裏をよぎったそれは、名案のように思えた。
「ねえ、むしろこのまま待ってみるのはどう!?」
初めて、スケルトンの表情が動く。まるで瞠目のよう。虚を突かれた眼差しが、無言で続きを促した。
「逆に、人間が落ちてくるのを待つんだよ。わたしは……うまい案を考えられないけど、他の人間もそうとは限らないでしょ?」
「……。……アンタ、気は長いほうか?」
「ううん。全然。でも、君が犠牲になるよりはよっぽどいい案だと思うよ」
「……ここにニンゲンが落ちてきたのは、本当に久し振りだ。次に来るニンゲンがいつになるのか、どんなヤツか、それまでアンタが生きてる保証だってない」
「たしかにねえ」
尤もな意見だった。これは、ひとつの逃げ。結論の先延ばしに近い。彼にとっても、まだ見ぬ来訪者たちにとっても、残酷な選択かもしれない。
「でも、君は気が長いほうなんでしょ? それなら、わたしの寿命が尽きるまででいいから、賭けに付き合ってよ。もしかしたら、わたしも名案を思いつくかもしれないしさ」
自らの命を――タマシイを賭けて、願う。平和的な解決法がこの地底に現れることを。もしくは、限りある時間を費やして、見つけ出せることを。
「最善でも、最良でも、最低でも、最悪でもない。けど、『MERCY 』があるって、思いたいじゃない?」
「……物好きだな、アンタ」
「じゃなきゃ、山に登らないでしょ」
それもそうだ、と言わんばかりにスケルトンは乾いた笑いを零す。地底に漂っていた悲壮感や孤独感を癒すような、心地好い声だった。
「好きにしてくれ」
彼は私の選択を止めなかった。そこに期待はなかったのだろう。だからこそ、気が楽だった。
「――それじゃあ。君の名前を教えてもらえる?」
「……ああ。名乗ってなかったな」
ゆっくりと閉じた目が、静かに開く。きらきらと降り注ぐ光のせいか、彼の眼には光が宿っていた。
「オイラはサンズ。見ての通りスケルトンさ」
そう話すのは、疲れきったスケルトン。素手――と言うか、骨そのものを晒し、指折り数えたかと思いきや、手の骨を開いて有耶無耶にする。
彼は、褪せてボロボロの椅子にもたれかかっていた。椅子の繊維は裂け、綿がはみ出ている。剥き出しの木枠は朽ち、そばで咲き誇るうつくしい花畑とは対照的だ。小柄な彼には椅子のサイズが合わず、不格好。くたびれた青いパーカーは、彼のいまの状況を示すかのよう。
眩しいばかりに差す陽の光は、ちっとも慰めにならないみたい。どこか鬱陶しそうに目を眇めている。
「オイラは、不連続でも時間は繋がってると思ってたけどさ。放置されて、はじめてわかったよ。……この時間軸は切り捨てられたのさ」
理解を求めるものではなかった、と思う。例えるなら独白に近い。
この地底に落ちて、無人の世界を歩いてきたからなんとなくわかる。私が孤独の中を彷徨ったように、恐らく彼もここでひたすら孤独を享受せざるを得なかったのだろう。
「最善でも、最良でもなく。……先に王が殺されてるから、その点は最低だし最悪だな。…………オイラの家族も、チリになっちまった」
最後にぽつりと付け加えられた言葉だけが、ひどく重みを持って響く。降り注ぐ光は漂うチリや埃を照らして。場違いなほどの明るさの中、彼は淡々と言葉を続ける。
「時間軸を食い荒らした悪魔はもうこの地底にいない。最低と最悪を免れてるのはそのせいだ。残された地底はまるでゴミ箱さ。廃棄されるのを待つだけ。そんで、残ってんのはオイラだけ。……ああ、お前もいたな。へへ、忘れてないぜ」
「ほかには、本当に誰もいないってこと?」
「ああ。いないぜ」
「それって、」
「……ま。オイラがこうしてる分だけ、他のオイラとみんなが幸せになってんなら、いいけどさ」
相応しい言葉が見つからず、唇を噛む。相槌を打つ私を遮るように、彼はすこしばかり声を張った。伏せられた目は地面に向いている。沈黙を縫うように、小鳥の囀りが抜けていった。
彼の話のすべてまでは理解できない。それでも、抱えている感情が偽りとは思えなかった。家族を失ったのなら、その心の痛みは到底測りきれない。
「花ってのはさ、強いよな」
「……え」
一瞬、どの花のことかわからなかった。彼が悪魔と呼んだ存在が、喋る花だと知っていたから。
「オイラが世話しなくても、こうして咲いてるし」
危惧していた話ではなかったらしい。安堵しながら、穏やかな気持ちで相槌を打つ。
「……世話、してたわけじゃないんだね」
「したと思ってたか?」
「いや、全然」
「へへ、サンキュな」
「お礼言うとこじゃないよ」
他愛ない会話を交わす。終わりが近いことは、よくわかっていた。
鳥の囀りは消え、静寂が周囲に満ちる。世界はこんなにも明るいのに、寒気がした。
「そんで……。アンタはどうしたい?」
「どうって?」
「ここにはバリアが残ってる。地上に戻りたいなら、モンスター唯一の生き残りである、オイラのタマシイを奪わないと出られないぜ」
「……へっ?」
「言ってなかったか?」
「初耳だよ!!」
「そんじゃ、アンタはいま真実を知ったわけだ。……その上で、どうしたい?」
「急に聞かれても……、」
タマシイを奪う、なんて。とても物騒な話だ。『奪う』というくらいだから、手荒な真似になるのだろう。家族を失った彼から、さらに奪うなんて、考えただけでもおぞましい。
「――そもそも、その条件って、君には当てはまらないの? 君は、ここを出たいと思わないの?」
バリアは地底にいるものすべてを閉じ込める。でも、私が地上に戻る手段があるのなら、彼も同じように地上に出る方法だってあるんじゃないか。それも、なるべく穏便な方法で。
「……モンスターってのはさ。しんだらチリになるんだ。……オイラたち、雪景色の街に住んでたからさ。弟のチリは雪景色に撒かれたんだ。オイラは、ここを離れられないよ」
家族想いの彼の発言に想いを馳せれば、胸を刺すような痛みが襲う。喪失感と孤独に寄り添う方法は、すぐには思いつかない。
そして。彼は、手段がないとは言わなかった。
「わたしだって、君をどうにかしてまで戻りたくないよ」
「いいのか?」
「うん」
「そうじゃなくてさ。バリアが残ったままってことは、誰かが地上で注意しないと、この先、落ちたニンゲンはそのまま地上に帰れないってことだぜ」
「……あ、」
「アンタがオイラをどうにかしたいわけじゃないのはわかった。けど、このままでも良くない」
あっさりと信じられたので、すこし驚く。いや、たぶん信頼じゃなくて、期待をしていないんだ。
はじめて会ったときから、彼の表情は変わらない。それなりの時間を経て染み付いた思考なのだろう。揺るがぬ意思は、そのまま横たわっていた。
「……君の言う通りだ。けどさ、やっぱり、タマシイを奪うってやつ、……したくないよ」
「……、地底をニンゲンで溢れさせたいなら、それもいいかもな」
「そういうわけじゃ……!」
言い募った瞬間、別の可能性が閃く。脳裏をよぎったそれは、名案のように思えた。
「ねえ、むしろこのまま待ってみるのはどう!?」
初めて、スケルトンの表情が動く。まるで瞠目のよう。虚を突かれた眼差しが、無言で続きを促した。
「逆に、人間が落ちてくるのを待つんだよ。わたしは……うまい案を考えられないけど、他の人間もそうとは限らないでしょ?」
「……。……アンタ、気は長いほうか?」
「ううん。全然。でも、君が犠牲になるよりはよっぽどいい案だと思うよ」
「……ここにニンゲンが落ちてきたのは、本当に久し振りだ。次に来るニンゲンがいつになるのか、どんなヤツか、それまでアンタが生きてる保証だってない」
「たしかにねえ」
尤もな意見だった。これは、ひとつの逃げ。結論の先延ばしに近い。彼にとっても、まだ見ぬ来訪者たちにとっても、残酷な選択かもしれない。
「でも、君は気が長いほうなんでしょ? それなら、わたしの寿命が尽きるまででいいから、賭けに付き合ってよ。もしかしたら、わたしも名案を思いつくかもしれないしさ」
自らの命を――タマシイを賭けて、願う。平和的な解決法がこの地底に現れることを。もしくは、限りある時間を費やして、見つけ出せることを。
「最善でも、最良でも、最低でも、最悪でもない。けど、『
「……物好きだな、アンタ」
「じゃなきゃ、山に登らないでしょ」
それもそうだ、と言わんばかりにスケルトンは乾いた笑いを零す。地底に漂っていた悲壮感や孤独感を癒すような、心地好い声だった。
「好きにしてくれ」
彼は私の選択を止めなかった。そこに期待はなかったのだろう。だからこそ、気が楽だった。
「――それじゃあ。君の名前を教えてもらえる?」
「……ああ。名乗ってなかったな」
ゆっくりと閉じた目が、静かに開く。きらきらと降り注ぐ光のせいか、彼の眼には光が宿っていた。
「オイラはサンズ。見ての通りスケルトンさ」
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