1日目
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結局、夕飯はスパゲティにした。
和食には馴染みがないだろうから、候補は洋食。そして、アズリエルをひとりこの部屋に取り残すわけにもいかないので、いま部屋にあるもので作れるものに絞られる。
幸いなことに乾麺とレトルトの買い置きがあったので、早々に献立が定まった。あの世界のことを思い出したら食べたくなった影響もある。……地底のモンスターたちは、いま元気だろうか。
「ボクも手伝うよ」
「ありがとう、助かるよ」
お湯を沸かそうとしたところで、アズリエルが魔法を使おうとしたときは驚いたけど。そう言えば、彼の母親であるトリエルはホームで火の魔法を使って料理をしていたのだった。息子である彼が、同じように調理をしようとするのは自然な流れだったのかもしれない。
だがしかし。 この世界……、いや、この部屋の中で火の魔法を使うと、火災報知器が鳴る可能性が非常に高い。実際に鳴ったわけではないけど、万が一火事にでも発展したら大変だ。そもそも、電気ケトルでお湯を沸かすつもりだったから火気厳禁である。その辺りの説明も必要だ。
見慣れない電気ケトルに興味津々のアズリエルは噴き出す蒸気と音に驚きながらも、目を離さない。魔法もコンロも使わずに沸騰するのが余程気になるのだろう。
「お湯が沸いたらあとは茹でて絡めるだけだから、この布巾でテーブルを拭いてきてもらえる?」
「うん、わかった」
台所からリビングに移動する後ろ姿を見送る。
ゲームの中で見る姿とはまた異なって見えるから不思議で、新鮮だ。モチーフはヤギだと思うけど、やはりイヌっぽさを感じる。幼い見た目の彼の頭部には角がないが成長したら生えてくるのだろうか。
考えごとをしながらも手は休めない。沸騰したお湯を鍋に移して、二人分のパスタを茹でる。普段は一人前しか作らないので、作り置きできるほど大きい鍋はないのだ。今晩はともかく、今後はいくつか調理器具を買い足す必要が出てくるかもしれない。まあ、この生活がいつまで続くかなんてわからないんだけど。
「レイ! テッ、テレビ!」
「ああ、忘れてた。今日は皆既月食なんだって」
「そ、そうじゃなくて! テレビがあるんだねっ?」
「えっ? ……あー……、はじめて見る?」
「うん、お花のときのボクは見たことがあったけど、ボクは見たことなかったから……。あっ、でも、フリスクの友達のメタトンが有名なスターってことは知ってるよ!」
「おー……、よくご存知で」
もしかしたら、花の姿のときに知ったのかもしれない。思い返せば、私はニンゲン相手に張り切ってるメタトンの姿しか知らないし、彼に好意的なモンスターの証言ばかり聞いていた。花の姿をしているフラウィ相手にメタトンがどんな話をして、どんな反応をしたのか、ちょっと気になる。
「ご飯ができるまで、テレビ見てていいよ。操作方法はわかる?」
「うん、大丈夫。……それじゃあ、見てていい?」
「もちろん」
テーブル拭きを終えた布巾を受け取ると、アズリエルはとんぼ返りを決めてラグの上に腰を下ろす。足を伸ばしてくつろいでる様子。テレビに興味津々で釘付けみたい。部屋の中に危険なものはないはずだけど、台所に立っている間は注意を払えないから、夢中になれるものがあってくれて助かった。彼は大人しい性格のはずだけど、万が一ということもあるから。
回収した布巾を洗ったついでに、空っぽのケトルに水を注いで新しくお湯を沸かす。冷え込むから温かい飲み物が必要だろう。買い置きしてるインスタントスープのストックに目を通して、かぼちゃのポタージュを選択。取り出した食器に粉末を入れて、準備はおわり。アズリエルが猫舌じゃなければいいな。
さて、鍋の中はというと、まだ時間が必要だ。タイマーはあの世界にもあったかな。大きな音を立てたら驚かせてしまうかもしれないから、デジタル時計と睨めっこを繰り広げる。あと三分のタイミングで、ふと閃いてほうれん草を取り出して、食べやすい長さに切り揃える。使うのはレトルトのパスタソースだからお手軽だけど、それだけじゃちょっと物足りないからね。
様子を見ながら、パスタの鍋にほうれん草を入れて一緒に茹でる。時間になったらお湯を捨てて、お皿に盛り付けてパスタソースをよく和えた。お皿の縁についたソースを拭ってそれっぽく見た目を整える。ポタージュにもお湯を注いで、よく混ぜたら出来上がり。
僅かな時間でここまで簡単に夕飯を用意できるんだから、文明って非常にありがたい。企業努力バンザイ。労働で疲れた社会人に対する優しさに溢れてる。一生ついていきたい。
「あ……、ボクも手伝うよ」
「テレビ見てていいよ。すぐ終わるから」
「ううん。手伝わせて」
テレビの視聴を中断したアズリエルが台所へやって来る。手伝いを申し出る心意気に感動する。
「わぁ、おいしそう! ねえ、レイ、これって、ボクの分? こんなに食べて大丈夫?」
「あ……、ごめん。多くて食べきれなかった?」
ゆっくりと頭を振るアズリエルは、うれしそうに破顔する。
「食べるのって久し振りだから、うれしくて。ボク、いくらでも食べられるよ!」
「――そっか。もし、おかわりが必要だったら言ってね」
花の姿の記憶を持ってるアズリエルは、恐らく、しばらく食事をしていないはず。空腹になることもなかったのかもしれないけど……、復活してからはお腹が空くのかもしれない。何はともあれ、食欲があるのは良いこと!
「スパゲティのお皿はちょっと重いから……、スープを運んでもらっていい? はい。熱いから……、気をつけて」
「うんっ、任せて」
二人分のスープを運ぶアズリエルの背中を見送って、私も両手にスパゲティの皿を持って追い掛ける。
殺風景なローテーブルの上に、本日の献立が並ぶ。
ひとりで食べる分には気にならないけど、ランチョンマットもトレイもないというのは……おもてなしとしては失格な気がする。今後は用意したほうがいいかもしれない。
飲み物の選択肢は……、緑茶か水かしかなかったので後者を選択。子ども用のプラカップもないので、マグカップで代用して、アズリエルの手には大きいサイズのフォークとスプーンを掴む。来客用だけど、大人を想定しているから子ども用の小さいサイズがない。申し訳なさを感じながら、おずおずと差し出すと、私の罪悪感を払拭する笑みでお礼を言ってくる。天使かもしれない。……死の天使なんだっけ……?まあ、天使に違いはないよね。
しかし、トリエルたちと食卓を囲んでいたであろうアズリエルには、すこし窮屈な食事かもしれない。
ダイニングテーブルではない上にチェアもないので、アズリエルはラグの上に足を伸ばしてる状態だ。いつもは私ひとりだから、正座で食べたり、疲れてるときは台所で立ったまま食べたりすることもあるけど……、アズリエルにそれを強いるのは心が痛む。調理器具と違って家具インテリアは簡単には手が出せないけど、気持ちの問題としていずれ買い揃えたい。来客用なら必要経費だよね。
「それじゃあ、いただきます」
「…………いただきます?」
手を合わせると、アズリエルも同じポーズを取る。ああ、英語圏……というか、日本以外だといただきますって文化がないんだっけ。それでも、倣うように話すアズリエルがかわいらしくて、思わず笑みが零れる。キャラが迎え入れられたときも、こんな風に真似っこしていたのかな。
「すごくいいにおいだね!」
サイズの大きなフォークを、彼の指先が捕えて器用に扱う。ただ和えただけなので、間違いなく美味しいのはわかってるけど、彼の口に合うかどうかが問題だ。固唾を飲んで見守ると、フォークに巻きついたスパゲティがゆっくりと口の中へと運ばれ、やがて閉じる。
「おいしい!」
アズリエルの柔らかそうな耳は大袈裟なほどに広がって、機嫌が良さそうにパタパタと動く。瞳は輝きを増して、口許がふにゃりと緩んでいるのがわかった。
「口に合って良かった、うれしいよ」
喜ぶアズリエルとの食事は、いつも以上に楽しい。この笑顔を手料理で引き出せたらもっとうれしいんだろうな、と考えて、不意にテレビの音に気を引かれた。
「そう言えば、今日は皆既月食なんだって。……ええと……見たことってある?」
不思議そうに見返すアズリエルの様子を見て、知らないんだろうなあと見当をつける。地底での生活がほとんどだっただろうし、月食を見る機会も知る機会も限りなく少ないはず。
「ベランダから見えると思うよ。食べ終わったら外に出てみない?」
「……いいの? だって、外は……」
「ああ、えーっと、ベランダから見る分には、たぶん誰にも見られないなら問題ないと思うな。今日はみんな空を見上げてるだろうから、大丈夫だよ」
アズリエルの不安は当然だ。私が扉の外に出ないほうがいい、と話したんだから。我ながら矛盾する発言をしたものだと反省しながら、不安を取り除くように説明を加える。しっかり覚えていてくれたことに愛おしさも込み上げて、顔がにやけていないかすこし心配だったけど、反応を見る限り、表情には出なかったみたい。セーフ。
「星……も、見えるの?」
「うん、バッチリ! 気になるなら、……すこし行儀が悪いかもしれないけどいまから見に行ってもいいよ?」
「ううん。食べ終わってからにするね」
「そっか、わかった。……ああ、スープはまだ熱いから気を付けてね」
「うん!」
屈託なく笑うアズリエルは、緊張がほぐれてきたみたい。伸ばした足が上下に揺れてる。かわいらしい仕草に胸の内が温かくなるのを感じながら、今後に想いを馳せる。
どうしていま、こんなことになっているのかはさっぱり掴めない。でも、ご飯を食べたらすこしは気持ちが落ち着く。突っ込んだ質問はまだできないけど、状況整理のために聞かなきゃいけないことはある。
頭の中で考えをまとめながら、無意識のままスープカップに手が伸びていた。そのまま呷っしまってから気付いたけど、既に遅い。油断していた舌に大打撃。アズリエルに注意を促した本人がやらかすなんて、一生の不覚だ。
それでも彼は優しい。どこかのお花さんなら「よく言うよ、自分で自分を管理できないマヌケの くせに!」と煽っているところに違いない。アズリエルは慌てふためいたけど、すぐにお水を差し出して心配そうに気遣ってくれる。上目遣いで。潤んだ瞳は、思わず吸い込まれそうなほどの魅力に満ちていて、お礼を言いながら不自然じゃない程度に顔を逸らす。密かにときめいたのは内緒である。
和食には馴染みがないだろうから、候補は洋食。そして、アズリエルをひとりこの部屋に取り残すわけにもいかないので、いま部屋にあるもので作れるものに絞られる。
幸いなことに乾麺とレトルトの買い置きがあったので、早々に献立が定まった。あの世界のことを思い出したら食べたくなった影響もある。……地底のモンスターたちは、いま元気だろうか。
「ボクも手伝うよ」
「ありがとう、助かるよ」
お湯を沸かそうとしたところで、アズリエルが魔法を使おうとしたときは驚いたけど。そう言えば、彼の母親であるトリエルはホームで火の魔法を使って料理をしていたのだった。息子である彼が、同じように調理をしようとするのは自然な流れだったのかもしれない。
だがしかし。 この世界……、いや、この部屋の中で火の魔法を使うと、火災報知器が鳴る可能性が非常に高い。実際に鳴ったわけではないけど、万が一火事にでも発展したら大変だ。そもそも、電気ケトルでお湯を沸かすつもりだったから火気厳禁である。その辺りの説明も必要だ。
見慣れない電気ケトルに興味津々のアズリエルは噴き出す蒸気と音に驚きながらも、目を離さない。魔法もコンロも使わずに沸騰するのが余程気になるのだろう。
「お湯が沸いたらあとは茹でて絡めるだけだから、この布巾でテーブルを拭いてきてもらえる?」
「うん、わかった」
台所からリビングに移動する後ろ姿を見送る。
ゲームの中で見る姿とはまた異なって見えるから不思議で、新鮮だ。モチーフはヤギだと思うけど、やはりイヌっぽさを感じる。幼い見た目の彼の頭部には角がないが成長したら生えてくるのだろうか。
考えごとをしながらも手は休めない。沸騰したお湯を鍋に移して、二人分のパスタを茹でる。普段は一人前しか作らないので、作り置きできるほど大きい鍋はないのだ。今晩はともかく、今後はいくつか調理器具を買い足す必要が出てくるかもしれない。まあ、この生活がいつまで続くかなんてわからないんだけど。
「レイ! テッ、テレビ!」
「ああ、忘れてた。今日は皆既月食なんだって」
「そ、そうじゃなくて! テレビがあるんだねっ?」
「えっ? ……あー……、はじめて見る?」
「うん、お花のときのボクは見たことがあったけど、ボクは見たことなかったから……。あっ、でも、フリスクの友達のメタトンが有名なスターってことは知ってるよ!」
「おー……、よくご存知で」
もしかしたら、花の姿のときに知ったのかもしれない。思い返せば、私はニンゲン相手に張り切ってるメタトンの姿しか知らないし、彼に好意的なモンスターの証言ばかり聞いていた。花の姿をしているフラウィ相手にメタトンがどんな話をして、どんな反応をしたのか、ちょっと気になる。
「ご飯ができるまで、テレビ見てていいよ。操作方法はわかる?」
「うん、大丈夫。……それじゃあ、見てていい?」
「もちろん」
テーブル拭きを終えた布巾を受け取ると、アズリエルはとんぼ返りを決めてラグの上に腰を下ろす。足を伸ばしてくつろいでる様子。テレビに興味津々で釘付けみたい。部屋の中に危険なものはないはずだけど、台所に立っている間は注意を払えないから、夢中になれるものがあってくれて助かった。彼は大人しい性格のはずだけど、万が一ということもあるから。
回収した布巾を洗ったついでに、空っぽのケトルに水を注いで新しくお湯を沸かす。冷え込むから温かい飲み物が必要だろう。買い置きしてるインスタントスープのストックに目を通して、かぼちゃのポタージュを選択。取り出した食器に粉末を入れて、準備はおわり。アズリエルが猫舌じゃなければいいな。
さて、鍋の中はというと、まだ時間が必要だ。タイマーはあの世界にもあったかな。大きな音を立てたら驚かせてしまうかもしれないから、デジタル時計と睨めっこを繰り広げる。あと三分のタイミングで、ふと閃いてほうれん草を取り出して、食べやすい長さに切り揃える。使うのはレトルトのパスタソースだからお手軽だけど、それだけじゃちょっと物足りないからね。
様子を見ながら、パスタの鍋にほうれん草を入れて一緒に茹でる。時間になったらお湯を捨てて、お皿に盛り付けてパスタソースをよく和えた。お皿の縁についたソースを拭ってそれっぽく見た目を整える。ポタージュにもお湯を注いで、よく混ぜたら出来上がり。
僅かな時間でここまで簡単に夕飯を用意できるんだから、文明って非常にありがたい。企業努力バンザイ。労働で疲れた社会人に対する優しさに溢れてる。一生ついていきたい。
「あ……、ボクも手伝うよ」
「テレビ見てていいよ。すぐ終わるから」
「ううん。手伝わせて」
テレビの視聴を中断したアズリエルが台所へやって来る。手伝いを申し出る心意気に感動する。
「わぁ、おいしそう! ねえ、レイ、これって、ボクの分? こんなに食べて大丈夫?」
「あ……、ごめん。多くて食べきれなかった?」
ゆっくりと頭を振るアズリエルは、うれしそうに破顔する。
「食べるのって久し振りだから、うれしくて。ボク、いくらでも食べられるよ!」
「――そっか。もし、おかわりが必要だったら言ってね」
花の姿の記憶を持ってるアズリエルは、恐らく、しばらく食事をしていないはず。空腹になることもなかったのかもしれないけど……、復活してからはお腹が空くのかもしれない。何はともあれ、食欲があるのは良いこと!
「スパゲティのお皿はちょっと重いから……、スープを運んでもらっていい? はい。熱いから……、気をつけて」
「うんっ、任せて」
二人分のスープを運ぶアズリエルの背中を見送って、私も両手にスパゲティの皿を持って追い掛ける。
殺風景なローテーブルの上に、本日の献立が並ぶ。
ひとりで食べる分には気にならないけど、ランチョンマットもトレイもないというのは……おもてなしとしては失格な気がする。今後は用意したほうがいいかもしれない。
飲み物の選択肢は……、緑茶か水かしかなかったので後者を選択。子ども用のプラカップもないので、マグカップで代用して、アズリエルの手には大きいサイズのフォークとスプーンを掴む。来客用だけど、大人を想定しているから子ども用の小さいサイズがない。申し訳なさを感じながら、おずおずと差し出すと、私の罪悪感を払拭する笑みでお礼を言ってくる。天使かもしれない。……死の天使なんだっけ……?まあ、天使に違いはないよね。
しかし、トリエルたちと食卓を囲んでいたであろうアズリエルには、すこし窮屈な食事かもしれない。
ダイニングテーブルではない上にチェアもないので、アズリエルはラグの上に足を伸ばしてる状態だ。いつもは私ひとりだから、正座で食べたり、疲れてるときは台所で立ったまま食べたりすることもあるけど……、アズリエルにそれを強いるのは心が痛む。調理器具と違って家具インテリアは簡単には手が出せないけど、気持ちの問題としていずれ買い揃えたい。来客用なら必要経費だよね。
「それじゃあ、いただきます」
「…………いただきます?」
手を合わせると、アズリエルも同じポーズを取る。ああ、英語圏……というか、日本以外だといただきますって文化がないんだっけ。それでも、倣うように話すアズリエルがかわいらしくて、思わず笑みが零れる。キャラが迎え入れられたときも、こんな風に真似っこしていたのかな。
「すごくいいにおいだね!」
サイズの大きなフォークを、彼の指先が捕えて器用に扱う。ただ和えただけなので、間違いなく美味しいのはわかってるけど、彼の口に合うかどうかが問題だ。固唾を飲んで見守ると、フォークに巻きついたスパゲティがゆっくりと口の中へと運ばれ、やがて閉じる。
「おいしい!」
アズリエルの柔らかそうな耳は大袈裟なほどに広がって、機嫌が良さそうにパタパタと動く。瞳は輝きを増して、口許がふにゃりと緩んでいるのがわかった。
「口に合って良かった、うれしいよ」
喜ぶアズリエルとの食事は、いつも以上に楽しい。この笑顔を手料理で引き出せたらもっとうれしいんだろうな、と考えて、不意にテレビの音に気を引かれた。
「そう言えば、今日は皆既月食なんだって。……ええと……見たことってある?」
不思議そうに見返すアズリエルの様子を見て、知らないんだろうなあと見当をつける。地底での生活がほとんどだっただろうし、月食を見る機会も知る機会も限りなく少ないはず。
「ベランダから見えると思うよ。食べ終わったら外に出てみない?」
「……いいの? だって、外は……」
「ああ、えーっと、ベランダから見る分には、たぶん誰にも見られないなら問題ないと思うな。今日はみんな空を見上げてるだろうから、大丈夫だよ」
アズリエルの不安は当然だ。私が扉の外に出ないほうがいい、と話したんだから。我ながら矛盾する発言をしたものだと反省しながら、不安を取り除くように説明を加える。しっかり覚えていてくれたことに愛おしさも込み上げて、顔がにやけていないかすこし心配だったけど、反応を見る限り、表情には出なかったみたい。セーフ。
「星……も、見えるの?」
「うん、バッチリ! 気になるなら、……すこし行儀が悪いかもしれないけどいまから見に行ってもいいよ?」
「ううん。食べ終わってからにするね」
「そっか、わかった。……ああ、スープはまだ熱いから気を付けてね」
「うん!」
屈託なく笑うアズリエルは、緊張がほぐれてきたみたい。伸ばした足が上下に揺れてる。かわいらしい仕草に胸の内が温かくなるのを感じながら、今後に想いを馳せる。
どうしていま、こんなことになっているのかはさっぱり掴めない。でも、ご飯を食べたらすこしは気持ちが落ち着く。突っ込んだ質問はまだできないけど、状況整理のために聞かなきゃいけないことはある。
頭の中で考えをまとめながら、無意識のままスープカップに手が伸びていた。そのまま呷っしまってから気付いたけど、既に遅い。油断していた舌に大打撃。アズリエルに注意を促した本人がやらかすなんて、一生の不覚だ。
それでも彼は優しい。どこかのお花さんなら「よく言うよ、自分で自分を管理できないマヌケの くせに!」と煽っているところに違いない。アズリエルは慌てふためいたけど、すぐにお水を差し出して心配そうに気遣ってくれる。上目遣いで。潤んだ瞳は、思わず吸い込まれそうなほどの魅力に満ちていて、お礼を言いながら不自然じゃない程度に顔を逸らす。密かにときめいたのは内緒である。