遺跡編
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この小説の夢小説設定イビト山に登って落ちた成人済女性(ニンゲン)。
ある目的のために地底を冒険することになる。
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はじめに、見知らぬ地面の感触があった。頬を撫でるのは柔らかな質感であるのに反し、脇腹や足は固いなにかの上にあるみたい。思い出そうとして一旦呼吸すれば、脚から痛みが駆け巡り、声にならない声が迸る。
目を閉じているのか開いているのか曖昧な状況で、目の前が赤白く飛んだ。反射的に身を捩り、その動作で再び痛みに襲われて。刺すような鋭い痛みは、やがて鈍く断続的なものへと移り変わった。救いを求めて手を伸ばし、触れた柔らかいなにかに縋る。
そこで意識が一度途絶えて――。
「まさか、ふたりも落っこちてくるなんて」
聞き間違えのような呟きを、音として拾う。
どれくらいの時間が経ったのだろう。幸いなことに痛みの波は引いていた。思考はだいぶ明瞭で、状況を振り返るだけの余裕はある。
ただ、そばに誰かがいるらしい。挨拶もしないのは失礼だろう。
痛みのなかった腕を駆使して顔を向ける。なるべく脚に負担をかけないように苦心した。いつ痛みが再発するか、わからなかったから。
さて。私と目が合ったのは、どう見ても花だった。金色の花。遅れて、私が花を下敷きにしていると気が付く。Howdy!という挨拶も耳をすり抜けてしまった。目の前の花は玩具だろうか。それとも、まだ眠りの中にいるのかな。仲間が踏みつけられているので、注意に来たのかもしれない。といっても、私の胸が下敷きにしている花をじっくり見る暇はなかったので憶測だ。実は違う種類の花なのかもしれない。
代わりに、目の前の花を観察する時間はたっぷりあった。
金色で、六枚の花びらをつけた花。中央には目が二つと口が一つ。つまり、顔があった。喋るたびに口が動くので、最近の玩具は精巧にできているなあと感心していたところだった。
花は自らをフラウィと名乗った。
「キミは……、この地底の世界に落ちてきたばかりだね?」
地底。その言葉を聞いて、後回しにしていた状況の整理に片が付いた。脳裏で一気に記憶が蘇る。これは、夢ではなく現実だ。なげうった足先から冷たさが伝い、感覚を伴って教えてくれる。
私はイビト山から落っこちたのだ。滑落と言って遜色ない。首が痛むので、残念ながら空を見上げることは叶わないけれど、ぶり返した痛みがいやというほど非情な状況を突き付ける。
逆に考えてみればチャンスだった。各地を転々として追い求め、いままで手に入らなかったモンスターの情報。この地底ならば、手に入るかもしれない。
逸る気持ちを落ち着かせるように、肌身離さず身につけているペンダントに手を伸ばす。胸の前で存在を主張するその感触を服の上からなぞり、落下の衝撃で割れていないことを確かめた。
状況に対する戸惑いを飲み干すように、一呼吸。花の問い掛けに肯定を返し、そのまま言葉を続ける。
「キミ、は……モンスター、なの?」
「あれあれ? 知ってるの?」
「噂を聞いただけ……」
脚が痛むので、長い会話はままならない。けれどフラウィは納得したようで、勝手に話を進めてくれる。どうやら、ここは地上とは違うルールが適応されるらしい。地上ではそんな話を聞かなかった気がするけれど。でも、可能性はゼロじゃない。
「準備はいい? いくよ!」
そのかけ声が聞こえた瞬間、辺りが一段と暗くなった。突然の変化に驚いていると、どこからか明かりが漏れているようで、薄明かりが見える。よくよく探してみると、光源は自分――私の胸に、白いハートマークが浮かんでいた。
フラウィの解説によると、このハートは私のタマシイらしい。普通、ハートマークは赤いものを指すと思うけれど、まさかの色なし。面白みのないタマシイだと言われているみたいで、あまり気分は良くない。
「キミも、LOVEがほしいでしょ?」
わだかまりに折り合いをつけようと四苦八苦していると、突然フラウィに愛の話を持ち出された。まずい、話を聞いていなかった。どうして急に愛の話になったんだっけ。
「まってね……。いま、ボクがLOVEを分けてあげるから!」
左目を閉じて器用にウインクを披露するフラウィを見てしまったら、実は上の空で聞いていなかった、なんて言い出しにくい。どこかうれしそうにしている印象も手伝って、私は適当に話を合わせることにする。LOVEを恥ずかしげもなく言い放つなんて、フラウィはなかなか肝が据わっているらしい。
「この世界ではね、LOVEはこんなふうに……」
話を続けるフラウィの頭上に、小さな白い種が五つ。さながら虹のアーチを描くように広がる。種も仕掛けもないとはよく言うけれど。魔法を見るのは、初めてのことだった。
「白くてちっちゃな……「なかよしカプセル」に入れて、プレゼントするんだ」
目に見えないLOVEを可視化して渡そうとするなんて、地底の文化は地上とは別の方向に発展しているみたい。身体の調子が万全なら、隅から隅まで見て回りたいほどに魅力的だった。
「それじゃあ、いくよ?」
なかよしカプセルのひとつひとつが回転しながらゆっくりと迫る。愛の詰まったカプセルに触れるとどうなるのだろう。胸を躍らせながら、指がそっと白いカプセルに触れて。
途端に、激痛が這い回る。先程まで痛みのなかった指先にまで。
胸から漏れた光も弱々しいものと変貌し、反して心音は激しく拍動する。
「バカだね」
意外に整った歯列を剥き出しにしてフラウィは笑う。本性を現したかのようだ。不覚にも、ドラマでしか見たことのない悪役の登場に興奮を覚える。決してそういう場面ではないのだが、感情は正直だった。
「この世界では、殺すか、殺されるかだ」
地底の世界がバイオレンス過ぎて開いた口が塞がらない。冗談で済みそうな雰囲気ではなかった。
「キミも、運が悪かったね」
同情が滲む思わせぶりな声に、僅かな希望を抱く。もしかして、と淡く色づいた希望は、次の瞬間呆気なく砕け散る。
「助けは来ないよ」
冷たい声が残酷な現実を突き付ける。そんなこと、私が一番わかってる。荷物のほとんどは地上に置いてきてしまった。財布も食料もなし。スマートフォンだけは持っているけれど、いまこの状況で呑気に電話をかける余裕なんてあるわけなかった。
フラウィのつぶらな瞳は赤く変貌し、口は犬歯のような牙の生えた表情へ変わり、ゆっくりと周囲に種を展開した。死の足音が着実に接近している。
「しね」
高笑いを続けるフラウィは、児戯を楽しむように愉快そうだった。命の危機が迫っているにもかかわらず、私は一歩も動けない。そもそも、逃げ場など存在しなかった。四方を囲まれているのだから、これはもう絶体絶命のピンチ。
もはや、ここまでかもしれない。
悪い意味で覚悟を決める。服の上から、大切な持ち物の感触をたしかめた。そこにあるのは私がイビト山に登った理由。けれど、家族に何も言わずに出てきてしまったし、親しい友人にも私の目的は話せずじまい。遺書も残せずに逝ったら、恐らく、いつまでも目的は達成されない。そのことに、後悔が生まれた。しにたくないなあ、と思った瞬間、周囲を取り囲んでいた種が消え去る。
目の錯覚、ではなかった。じゃあ、窮地に陥った私に特殊技能でも芽生えたのだろうか、とも期待した。けれど、そうじゃないらしい。
突如としてフラウィの隣に生じた炎は、植物を一切燃やさず、そのままフラウィを襲い、彼を吹き飛ばした。怒濤の展開である。頭の処理が追い付かない私は置き去りだった。
「情けないわね……。罪もないニンゲンをいじめるなんて……」
第三者の登場だった。フラウィよりもよほどわかりやすいモンスターの姿に、驚きを隠せない。いまの炎は彼女のもの……なのかな。真打ちの仲良しカプセルとか、実はいまのがLOVEを渡す正しい方法、とか言い出されたら参ってしまう。
返答に窮していると、彼女の後ろでこちらを窺っている小さな子どもが見えた。地底にもモンスター以外にニンゲンがいるみたい。こちらを案じるようにじっと見つめられている。たぶん、フラウィに襲われた一部始終を目撃していたのだろう。
大丈夫だよ、と視線に想いを乗せて微笑むと、相手も笑顔になってくれた。
「怪我は大丈夫? 痛むところはない?」
モンスターに優しく声をかけられて、我に返る。この場にいたのは私と子どもだけではないのだ。ぎこちなく肯定して頷けば、モンスターはその返答に満足したらしい。不思議なことに、あんなに痛みが激しかった足なのに、自力で立てるまでに回復していた。ただ、急な動きに身体が付いてこずに立ちくらむ。それと、痛みの余韻は完全には消えておらず、微かに尾を引いていた。でも、動けるなら上々。
「ええっと……、貴方のお名前を聞いてもいい?」
恥ずかしがり屋なのか、モンスターのそばにくっついて離れない子どものそばまで歩いて近付き、目線に合わせて身体を屈めて問いかける。
「そうね、私も聞きたいわ。あなたたちの名前はなんて言うの?」
子どもは照れているのか、押し黙ってしまう。
「ごめん! まず私が名乗らないといけないよね?」
知らない相手に名乗りたくない、ということなのかもしれない。たしかに、ひとの名前を聞いておいて私は自己紹介もまだだ。これでは不審者そのものになってしまう。
落ち着くために深呼吸を挟んで、子どもに向き直る。
「私の名前はスフィアだよ、よろしくね」
最初の印象は大事。だから、元気良く挨拶する。
「改めて、貴方の名前を聞いてもいいかな?」
尋ねると、子どもは大きく頷いて、小さな唇をゆっくりと開く。
「ボクの名前はフリスク! フリスクだよ!」
私以上に元気いっぱいに明かされたその名前を復唱する。フリスクはモンスターの後ろから静かに私の前に歩みを進めて、右手を差し出してくれた。親愛の証に手を握り、改めて短い挨拶を交わす。
さて。フリスクとの挨拶が終わったなのら、もうひとりとも言葉を交わさないといけない。
ゆっくりと、視線をモンスターに向ける。身体は大きくて、法衣に似た服を着ている。服に隠れて目に見えない部分もあるけれど、恐らく全身が真っ白の毛に覆われているのだろう。頭からは二本の角がたしかに生えていて、羊や山羊に似た印象を受けた。
彼女は、いまも穏やかな表情を向けてくれている。その表情を信じたい気持ちもあるけれど。フラウィによって植え付けられた不信感が、静かに警鐘を鳴らしていた。
彼女は窮地を救ってくれたし、私の体力や怪我が治って回復しているのも、彼女のおかげだと思う。ただ、窮地を華麗に救ったように見せかけて、安心している隙を突いて騙すのも、地上でよく知られている巧妙な詐欺の手法のひとつ。
フラウィだって、最初は優しそうに声をかけてくれた。彼女がこの先、豹変しないとも限らない。
疑心暗鬼がぐるぐると脳裏を埋め尽くして、立っている場所さえ不明瞭にする。めまぐるしく、いろんなことが起こりすぎた。頭を冷やすためにも、胸の前に手を当てて深呼吸。
少なくとも、フリスクは彼女のことを信頼しているように見える。私自身も、彼女のことを信じたい。不安は拭いきれないし、心はまだ揺らいでいるけれど、優しさを向けてもらったのは事実だから。
導き出した答えに従って、心の準備を終える。
「挨拶してくれてありがとう。私はトリエル。この遺跡の管理人です」
モンスターは腰を曲げ、たおやかに自己紹介してくれる。
「よろしくお願いします、トリエルさん」
「トリエルで構わないわ。私はただのおばさんですもの、もっと砕けた言い方でね?」
「わかった。よろしく、トリエル」
「ええ!」
皆の自己紹介が済んだところで、この遺跡の管理人だというトリエルが案内を買って出てくれた。フリスクも少し前に落っこちてしまっただけで、私と同じように右も左もわからない状況らしい。落ちた先で私が倒れていたから、助けを呼びに行ったのだと話してくれた。健気さに胸を打たれて仕方ない。つまり、ふたりは私にとっての命の恩人なのだ。
トリエルの話だと、この地底に人が落ちてくるのはとても久し振りらしい。それが間を置かずふたりも落ちてきたのだから驚いた、とも。
紫暗色に染まっている内装を横目に、トリエルに抱えられる形で進んでいく。怪我は治っているのに、痛みが尾を引いている感覚が消えない。足を引き摺る私を見かねたトリエルが、私の膝裏と腕に手を回して持ち上げてくれたのだ。どこまでもお人好しなトリエルの行動に、信じて良かったという安堵と、疑ってしまったことに対する罪悪感が同時に押し寄せて苦しい。歩かずに済む時間を反省に当てたほうが良さそうだ。
トリエルは二股に分かれた階段を上る。速度は落ちていないのに振動がほとんど伝わってこない。気遣いに感銘を受けていると、扉を潜った先に新しい部屋がお目見えする。
「さあ、あなたたちは今日からここで暮らすのよ」
優しそうな風貌のトリエルは、その見た目に違わず、温かな言葉を贈ってくれる。ただ、彼女の中で一緒に暮らすことが前提となっているのは訂正しなければいけない。たしかに、この足は本調子じゃない。引き摺って見知らぬ土地を歩くのは下策としか言えないけれど、いつまでもここにいるわけにもいかないのだ。
しかし、私が言い出すより早くトリエルは言葉を続けた。大切な話だからよく聞いて、よく見ていてね、と念押しする。
「遺跡の仕掛けについて、教えておくわね」
言葉を挟めないままトリエルの動きに身を委ねると、彼女は逆向きのCを描くように歩き出した。道すがら、床に設置されているボタンを押して、最後には壁に備え付けられていたスイッチに手を伸ばす。かち、と軽い音が聞こえたあと、奥で閉じていた扉が開いた。
「ここには、たくさんの「パズル」があるの」
フリスクを振り返り、トリエルは私たちに優しく話す。
「侵入者を撃退する、昔からの技術よ。
部屋を移動するときは、パズルを解かないといけないわ」
侵入者と撃退というワードに、身体が強張る。もちろん、私を抱えているトリエルに伝わらないわけがない。彼女は安心させるように表情を綻ばせ、心配はいらないわ、と言葉を続ける。
「よく見て慣れておけば大丈夫よ」
迷わずトリエルを追いかけるフリスクを待って、私たちは次のエリアに向かった。