森
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この小説の夢小説設定イビト山に登って落ちた成人済女性(ニンゲン)。
ある目的のために地底を冒険することになる。
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雪化粧を施された木立に目を奪われていると、目の前に何かが飛び出してきた。反射的に目を向ける。登場したのは、鉱石のような氷の帽子を被ったモンスター。川でのリサイタルのときの子とは違うみたい。
じっと観察していると、軽く袖を引かれる。視線の先にはフリスクがいた。どこか緊張した面持ちで口を開く。
「スフィアおねーちゃん、ボクのマネしてくれる?」
「うん? それは構わないけれど……」
小声で取り交わされた密談に、控えめに頷く。
「あの子……ええっと、ヒョー坊って言うんだけど。オワライチョウみたいに、友達になりたいんだ」
「その手助けをすればいいんだね、わかった。じゃあ、最初の一歩は……」
まずは挨拶かな、と心の準備を整えた私が見たのは、思いっきり目を背けるフリスクだった。そっぽを向く様子は、こんなときでなければ可愛らしく見えたに違いない。
そこまで考えて、慌てて私もフリスクに倣う。順応性が高くて、誰とでもすぐに打ち解けるフリスクのことだ。なにか考えあってのことだろう。
「ねえ……、なにしてんの??」
苛立ちを声に乗せて、ヒョー坊はこちらに視線を注いでいる。怒りの発露として、魔法攻撃が放たれた。それはゆるく波形を描き、私たちの頭上と足下に展開される。
「ここなら安全だよ」
一歩下がったフリスクの真横に並び、スレスレで過ぎ去りゆく魔法を見送る。
ヒョー坊は、こちらが帽子に注目しているか、こっそり確かめているみたい。後ろ髪を引かれる想いで、フリスクの様子を窺い見る。どうやら今回も無視を決め込むみたい。貫く意地の固さに目を見張る。
「フンッ! いいよッ!」
悲しさに濡れた声が震え、虚勢が響く。どうしようもなく胸が痛い。
けれど、今度は黙って見ているわけにはいかなかった。
展開される魔法攻撃は初めて見るもの。私たちの足下に現れたのは、シルクハットのような帽子。先程のリサイタルで投げ銭に使われていたものに似ていた。ただ、その中から飛び出してきたのは、残念ながら金銭じゃない。氷の塊だった。しかも、打ち出された氷は、ある程度の高さまで進むと向きを変えて真っ逆さま。一度回避したからと油断していると足下を掬われる。トリエル以降、久し振りに味わう魔法攻撃は勝手が違ってうまく避けられない。
次々に足下へ展開される帽子から逃げ続けると、ようやく攻撃の手が止む。
呼吸を整えていると、一方のヒョー坊は注目されたくてウズウズしているみたい。さすがに、次も無視するのは胸がつらい。罪悪感が芽生え始めた矢先、フリスクはヒョー坊に手を伸ばした。撫でるのかな、と微笑ましく見守る。しかし、フリスクの行動は予想外のものだった。
「へっ!?」
思わず驚愕が口を衝いて出る。静かに、と言われたわけではないので許してほしい。
フリスクはその手にヒョー坊の帽子を持っていた。帽子はみるみる手の中で溶けて、跡形も残らない。驚くのはそれだけじゃなかった。帽子を奪われたヒョー坊は、先程見ていた姿とは異なっていた。そこにいたのは氷の立方体。つるつるな表面に雪景色が反射している。
「ボ……ボクは……」
姿が変わって驚いたけれど、声はその氷から聞こえていた。帽子がない彼のことは、ヒョーと呼ぶらしい。フリスクがそう話しかけているのを聞いて、妙に腑に落ちる。反応できないままフリスクの行動を見守っていると、フリスクはヒョーに近付いて屈んでみせた。まるで、視線を合わせるように。
「カッコよく思われたかったんだ」
ぽつり、と零れるヒョーの本音を、フリスクは柔らかな微笑みを浮かべて受け止める。
「ヒョー、聞いて。キミは、帽子がなくてもステキだ」
「こんなボクでもいいと思う?」
縋るような声が絞り出される。その声音を聞いてしまったら、いてもたってもいられない。
「もちろんだよ!」
思わず声を張り上げる。
私の言葉が後押しになったかどうかはわからないけれど。
「うん……。ボクもこの髪型すきだよ」
ヒョーの声はもう震えていなかった。
ヒョーはありのままの姿を受け入れ、フリスクと、それから私とも、友達になってくれた。
「まちにいくなら、イヌに気をつけたほうがいいよ」
ありがたい助言を賜ったので、心して進む。
そう歩かないうちに進行方向に待ち構えていたのは立て札。看板と言い換えてもいい。
「もしかして、サンズが言ってた看板って、こっちのこと?」
「そうみたい……」
神妙な面構えのフリスクが頷く。
文字で目で追えば、『うごくな!! ゼッタイ!』と記されている。簡潔で、この上なくわかりやすい。
「でも動くなって言われても。まちには、この道を通らないと行けないみたいだし……」
看板を前に足止めを食らっている場合じゃない。けれど、サンズがわざわざ引き留めて忠告したのがこの看板なら、きっと意味がある。ただ、『動くな』は困った。動かなければ、この先のまちには到底辿り着けない。
「あれ? でもパピルスはこっちの方角に行ったわけだから……」
なにか、乗り越える方法があるのかもしれない。モンスターにしかできない解決方法ならお手上げだけれど、可能性はあるって信じたい。
「って、フリスク……!?」
考え事をしていたら、フリスクの姿が近くにないことに気が付いた。
慌てて周囲を見渡すと、前方にちいさな後ろ姿が見える。ほっと安堵の息を漏らす余裕はなかった。看板よりも前に進んでいるって事は、看板の『動くな』を守れなかったということ。
何が起きるかわからない。血の気が引いて、でもその場を動くことも出来ずに、宙に浮いた手が彷徨う。
予測不能な状況の只中にあっても、フリスクは豪胆に歩みを進める。
「うっ、動いたらダメなんじゃ……!?」
だから、思わず疑問が飛び出た。
「だいじょうぶ。こわくない、こわくないよ」
どこかで聞いたことのある言葉を私に手向けて、なおもフリスクは進む。ようやくその足を休めたのは、とある小屋の前。サンズの見張り小屋によく似た形状をしている。悪い予感が警鐘を鳴らした。
サンズの忠告が頭の中で響く。けれど、目の前で迫るかもしれない脅威の看過もできない。天秤が揺れる。ふたりを信じたい気持ちに偽りはない。
いまだ定まらない覚悟を問うように、見えない選択肢が浮かぶ。
サンズの忠告とフリスク自身の大丈夫を信じて動かずにいるべきか。それとも。自分に何ができるかはわからないけれど、フリスクのそばに行くか。
どちらを選んでも後悔するに決まってる。
――だったら、自分のしたいようにしよう。
自分の意思で臆せず進む。小屋に差しかかったところで、第三者の影が現れた。
「……なんか、動いたか? 気のせいか?」
驚いて、足が止まる。
視界の端に映った影がゆっくりとその輪郭を見せる。登場したのはイヌのモンスター。川でのリサイタルで見かけたイヌのモンスターとは、また別の存在だ。
目の前のモンスターは、黒と白のぶち模様で、境目がくっきりしている。耳から目許までが黒い毛色に覆われ、目より下は真っ白。真っ赤なホネを咥えて、左右を見渡していた。袖のないピンク色のTシャツを着ているから、腕の毛並みもよく見える。シャツの中央にはイヌが描かれているみたいだけれど、それより、警戒すべき点があった。
そのモンスターは、二本の短剣を携えていた。
「オレはよ……、動いてるもんしか見えんのよ」
すこし遅れて、理解する。あの看板がいつ設置されたものかわからないけれど、この小屋にいるモンスターのことを書いてくれていたんだ。
「動いたもんには容赦しねえ。そう、たとえば、ニンゲンとかな……」
見えているのかと思うくらい的確なタイミングでの発言。もちものである短剣が、銀世界で煌めく。
「二度と動けねえようにしてやるぜ!」
そう宣言されて、小屋を挟んでのバトルが開始された。
彼が構えているのは武器。これ以上ないほど明確な刃物。いままでモンスターが使ってきたのは魔法。それもそれで脅威には違いなかったけれど、短剣という凶器を向けられるのは初めてのこと。
生唾を呑み込んで、フリスクの前に立つ。
盾になりそうなものはこの身ひとつ。
こちらを警戒するモンスターは、目を細めて、まるで私たちを見据えているよう。
「だいじょうぶ」
手に汗握る私を落ち着かせるためか、フリスクの手が私の手をそっと掴む。
「なにが来ても、動かないで。ボクを信じて」
頷けない代わりに、手を握り返して返答する。モンスターの死角で行われた返事が、誤つことなくフリスクに伝わったことを祈って。
「一ミリたりとも動くな!」
厳しく飛ばされた言葉の圧に屈しないよう、気合いを入れる。胸元で光る白い灯火に励まされ、触れた手の温もりを力に変換。動員した覚悟は、一歩だって退かせない。迫る水色の剣が風を破る。
緊張の瞬間。
息を呑む私の皮膚を、剣が撫でた。一見するとそうだったけれど、痛みはない。無傷だ。そして、何事もなかったかのように素通りしていく。
モンスターは、何も見つけられない。
「もうだいじょうぶ。ボクに続いて!」
後ろから飛び出したフリスクは小屋のカウンターに片手を突いて、もう一方の腕を懸命に伸ばす。そして、先程のイヌのモンスターにしていたように、撫でてみせた。
相手は大きく口を開けて、動揺と驚愕と興奮の入り交じった声を発している。
「な! なな! 撫でられたぞ!!!」
やがて鳴き声は歓喜に満ち、まくし立てるようにせがまれ、私もその頭を撫でる。
「ななな、ナデナデされたぜ……。動かねえもんに……、ナデナデされたぜ……」
茫然自失のモンスターは目の前にいる私たちが見えていない。
「ダメだ……。ほねっこジャーキーでもキメて落ち着かねえと……!!」
登場したときと同様に、イヌのモンスターはゆっくりと下の方に消えていく。
「さ、さすがに今度こそダメかと思ったよ……」
深く息を吐き出す。先に進むとホネの形をしたジャーキーが落ちていた。あのモンスターが使ったのかな。あの咥えていたホネも、実はジャーキーだったのかもしれない。
緊張ですっかり冷えた手を擦り合わせ、白い息で温めながら先に進む。思った以上に時間を使ってしまった。まちまで、あとどれくらいかわからないけれど、一刻も早く暖を取らないと、身体が保たない。
「フリスクは寒くない?」
「うん、へっちゃらだよ。心配してくれてありがとう。おねーちゃんは? 平気?」
「うん、大丈夫」
「ボクは慣れてるけど、寒かったら言ってね?」
「うん。ありがとね、フリスク」
ほしかった温もりは、この会話で満ち足りる。体中がぽかぽかと熱を帯びて、どこまでも歩いて行けそうだった。
「ところで、慣れてるって言ったけれど、フリスクは寒い地域の出身なの?」
「あ、それは……、」
「よう」
「サンズ! 早いね、話は終わったの?」
フリスクが説明を始めようとした矢先に、視界にサンズが映り込む。イヌのモンスターのところで足止めされている間に、先に進んでいたのかな? あの小屋、モンスターは素通りできるのかもしれない。
「まさか、パピルスにすぐばらすとは思ってなかったよ」
「へへ、そうかい」
悪びれるでもなく相槌を打つサンズを、思わず半眼で見つめる。
「そんじゃ、ひとつ、大事なことを教えとくぜ」
「……アドバイスってこと?」
「ああ」
「パピルスはスペシャルこうげきを使ってくる」
「こうげきしてくるの……」
穏便に話し合いで終わらせることは出来ないのか、と思ったけれど、それが地底のルールなら仕方がない。あんなに優しいトリエルとも戦わなければならなかったのだから、きっと、避けて通れない道なんだろう。
――それなら、目の前のサンズとも、いつかは……?
「あおいこうげきが来たときは、動かなければダメージうけないぜ」
なおも続く言葉に我に返る。いまは、差し迫ったパピルスとの戦いについて、対処法を知ることが最優先。他のことに思考を割く暇なんてない。
先程のモンスターを思い出す。あの看板の動くな、という文言はサンズの話していた内容についてだったのかもしれない。
「覚えやすいように説明するな?」
「うん、お願い」
「信号が赤になったら、みんなとまる、だろ?」
「ん? うん、そうだね」
青の話はどこに行ったんだろう。
「信号は赤が「止まれ」だけど、青が「とまれ」だと思え」
「青が赤信号ってこと……?」
「な? カンタンだろ?」
「えっ? ちょっ、ちょっとまって!」
交通ルール上、青信号は進めだ。それがこの地底世界では反転しているらしい。あのイヌのモンスターやパピルスに限った話かもしれないけれど。
でも、長年染み付いた習性や固定観念の払拭は難しい。そもそも、こうげきが迫っているのに微動だにせずに待っていろなんて、それこそ生殺しに近い。さっきは足が竦んでいたのと、フリスクの言葉があったから堪えられた。でも、今度は? 同じ事が出来る自信はないし、抜き差しならない状況に変わりはない。
「バトル中は、あおが「とまれ」だぜ」
「話はわかったけれど……、動かないのは難しいなあ。青は進め、で慣れちゃってるから。……フリスクはどう? できそう?」
「うん、ボクは大丈夫!」
「ええ……? すごいね……」
青信号で止まれ。
言葉にすれば簡潔でわかりやすいのに、とてもややこしい。せめてなにか練習ができればいいんだけれど。
「おねーちゃんはわかりにくかった?」
「頭の中がこんがらがってきて……」
「じゃあ、ボクと練習しよ!」
「練習? どうやって? あ、さっきのイヌのモンスターにお願いするの?」
円満に突破できたから、改めて戻ると拗れそうな気もするけれど。
「ううん、もっとカンタンだよ!」
「フ、フリスク!? なんでコート脱いでるの!?」
「え? 青色があったほうがいいかなって……」
たしかに、コートで隠されたフリスクの召し物は青色を基調にしているけれど、場所と気温がよろしくない。
「寒さで凍えちゃうから、コートは着て!」
「でも、それだと練習できないよ?」
「うっ、それは……ちょっとだけ困るけれど……、フリスクが体調崩すほうがイヤだし……」
たしかに、コートを羽織ったままだと、シャツの青色は見えない。だけど、この雪景色が続く中でコートを脱ぐことだって推奨できない。いくらフリスクが元気いっぱいで、風邪なんか引かないと主張しても。
悩んだ末に、私はひとつの道を見出した。妙案を閃いたのだ。
早速フリスクに確認し、頷くのを見届けてからサンズの元へ駆けつける。
「……サンズ! お願いがあるんだ」
「お? どうした」
サンズはさっきの場所から動いていないように見えた。
もしかしたら、移動するのも怠けていたのかもしれない。それとも、私の想像も付かないビジネスでも始めていたんだろうか。
いずれにしても好都合。
「あのね、サンズの着ているパーカーを脱いでほしいの」
「あー……」
歯切れの悪い返答。加えて、サンズの視線は私から逸らされた。なにか変なことを言っただろうか、と不安に思って、必死に記憶の糸を辿る。
そこで、説明が不十分だった、とようやく合点がいく。
「あんた、そういうシュミなのか」
だけど、ようやく目が合ったサンズが言い放ったのは、とんでもない誤解だった。
「……っ、ち、ちが……! さっきサンズが言ってた! 青い攻撃!! それに備えようと思って! それで、目に見える形で青があったほうがわかりやすいから……っ、借りたいって話!」
「ほーん」
「ほんとだって!」
サンズが着ているパーカーは青色。奇しくも、いま最も欲している彩り。そして、ふたりの背丈はあまり変わらないように見える。
フリスクがコートを脱ぐのが心配なのだから、コートの代わりに着る上着が青ければなんの問題もない。……、ひとつ問題があったとすれば、私の言葉選びというか。
「あっ、寒いと思うから私の上着と交換ね」
「いや? オイラ、スケルトンだから寒さは感じないぜ」
「え? そうなの?」
「皮膚がないからな」
「それは……、寒さを感じないのはちょっと羨ましいかも……。あっ、でも、もしサンズからパーカー貸してもらえるなら、やっぱり何か羽織ってほしい。見てるとこっちが寒いから」
「ま、あんたがそこまで言うなら仕方ない。いいぜ、貸すよ」
「ありがとう!」
「……それだと、おねーちゃんが風邪引いちゃうよ? サンズ、ボクのコート貸すからこっち着て」
いつの間にか、サンズとパーカーとフリスクのコートの取り替えっこが決定していた。フリスクが羽織ったパーカーはすこしぶかぶかな気もするけれど、薄着よりはマシ……のはず。
「じゃあ、いくね?」
青いパーカーで身を包んだフリスクは、青攻撃に扮して迫る。
まっすぐ近付くフリスクは両手を広げて思いっきり抱擁してきた。視界に映り込む青を強く意識して、身体を棒のように硬直させる。
青は止まれ。青は止まれ。青は――……。
「動いちゃダメだよ」
「ごめん。咄嗟に動いちゃうね」
最初の数回は動かずにいられたけれど、気を抜くとつい身体を動かしてしまう。青は進め、と染みついたクセは中々抜けきらない。フリスクの可愛らしい青攻撃を受けた身体は、思わず手を伸ばして抱き返してしまう。
もしも青攻撃がこういうハグを指すなら、私は一生動きを止められないかもしれない。
「フリスクは? 青攻撃、大丈夫そう?」
「うん! 動かなければ良いんだよね?」
「すごいなあ」
「そうかな? ありがとう!」
柔軟な思考が羨ましい。私にもほしい。
「じっとしててね?」
「うーん……、難しいなぁ」
渋面を作っていると、急に雪玉が顔面に突撃してくる。もろに浴びた私はその冷たい感触を手で払い、軌道の先にいる下手人に目を向けた。
「……ッ、サンズ!?」
「攻撃に備えるってんなら、青攻撃以外にも気をつけないとな?」
フリスクは、それもそうだ、と言わんばかりに神妙な面持ちで頷いている。かと思いきや、しゃがみ込んで雪を掻き集めていた。
「おねーちゃん! かくご!」
「へ? 青攻撃に備えるって話はどこに……まって、コートの中に雪が入ったから! ストップ!」
「攻撃は待っちゃくれないぜ」
「話し合いで解決しようよぉ-!」
和気藹々と練習を繰り広げていると、次第に身体が温まってくる。そこで調子に乗って、身体を大きく動かしていると足下が滑った。氷が張っていたらしい。幸いなことに立て看板に捕まったおかげで大事ない。
件の看板は四方が氷で囲まれていることを告げている。でも、それだけじゃない。目指していたまちの名前と場所が判明した。
「東っていうと、方角は……」
「向こうだね」
「……ここからじゃよく見えないけれど……、希望が見えてきたね!」
間髪入れずに答えてくれるフリスクが頼もしい。漠然とした目的地の方角がわかったことは進歩だ。だから、気が緩んでしまったみたい。靴の底が氷の上を滑る。制御不能のまま、北に方向転換。勢いは増すばかりで、自分の意思では止まれそうにない。このままじゃ、何かにぶつかるまで終わらない。
視界を過る硬い樹が絶望へのカウントダウンを刻む。衝突を想定して目を瞑り、歯を食いしばった。
「だいじょうぶですか、たびびとさん」
けれど、襲ってきた感触は硬くはなかった。皮膚に触れるのは、冷たくて、けれど、どこか柔らかくて温かな気持ちになる感触。
恐る恐る目を開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは純白。――雪だるまが、そこにいた。
「はじめまして、こんにちは。ボクはゆきだるまです」
「ご丁寧にどうも……? あ。もしかして、心配してくれたのはキミ?」
雪だるまの表情を見つめても、変化はない。目が二つに、ニンジンのような先の尖った野菜が鼻の代わり。口許は穏やかな笑みを湛えている。縦に並んだボタンは二つ。ボタンは等間隔に並んでいるから、違和感のある空白があった。衝突の影響でボタンが取れてしまったみたい。そして、遺跡の岩とは違い、雪だるまは自力では動けないのだという。他愛ない話を交わしながら、落っこちたボタンで雪だるまを飾る。
「ありがとうございます」
「ううん、こちらこそ、心配してくれてありがとう。遅くなったけれど、この通り平気だよ」
愛らしい雪だるまは簡単な自己紹介をしてくれた。なので、あとから合流したフリスクと一緒に名乗る。
「ごめんね、身体が崩れちゃってる。どうにかくっつけないかな?」
雪だるまの身体が不自然に欠けているのは、きっと私が衝突したせい。いまも雪面にきらきらと散る雪片がその名残り。
触れたら溶けてしまうかな。でも、元々身体の一部だったものが欠けているのは見ていてつらい。かけらを掻き集めていると、落ち着いた声が上から降ってきた。
「ううん、それはたびびとさんが持っていてください」
「へ?」
「不思議そうですね。ボクのお話を聞いてくれますか?」
頷いて応えると、雪だるまはすこし改まって言葉を紡ぎ出す。
「ボクのゆめは世界旅行……。でも、生憎ボクはここから動けません。なので、そのかけらを遠くへ運んでほしいんです」
真摯でひたむきな願いが言葉の端から伝わってくる。だからこそ、その願いを叶えるには私たちじゃ力不足だってことを、ちゃんと伝えないといけない。
「私たちはこの近くのまちに用事があって、キミが望む『遠く』には行かないと思うんだ。だから……、通りがかる他のモンスターにお願いしたほうがいいと思うな」
「ここまで来る方は滅多にいません。みんな、ここには雪だるまがいるだけだって知っているので用事がないんです」
そう言えば、オワライチョウのリサイタルが行われた川の近くには謎の釣り竿があったけれど。あれも、どんなものか知っているひとはわざわざ触れない。何も知らなかったから、興味本位で見ただけ。同じことが、この雪だるまのいる場所でも起きてしまっているんだろう。
「だから、近くのまちまででも構いません。お願いできますか?」
救いを求めるように、フリスクを盗み見る。けれど、フリスクの中で答えは既に決まっていた。
「……、うん、わかった。じゃあ、連れて行くね」
「よかった……。どうか、よろしくお願いします!」
こうして、私たちは雪だるまのかけらを手にした。触れても溶けないけれど、しっかりと冷気を纏っている。
「それで、えーっと、何をしてたんだっけ……?」
「青攻撃を避ける練習だよ!」
「あー、そうだったね」
フリスクが着込んだ青いパーカーを見ながら思い出す。
「こっちは狭いから、一旦さっきの場所に戻ろうか」
「うん、足下に気をつけてね?」
「そうだね。肝に銘じるよ」
本人にその気はないのだろうけれど、釘を刺すような言い方に笑みが零れた。雪だるまに別れを告げて、私たちは来た道を戻る。足下へ細心の注意を払いながら。