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この小説の夢小説設定
イビト山に登って落ちた成人済女性(ニンゲン)。
ある目的のために地底を冒険することになる。
ニンゲン夢主の名前

 振り向くことなく、遺跡の長い長い通路を抜ける。後ろを確認したら覚悟が鈍ってしまいそうだから、気持ちばかりが急いて鼓動が逸った。
 フリスクの隣を歩きながら、手首にある遺灰のブレスレットの感触に手を伸ばして大切に包み込む。先に進むことを選んだのだから、この遺灰を届けるべき相手をきちんと探さないと。
 大きな扉を潜り抜けた先は雪景色。背の高い針葉樹が織り成す並木道には雪化粧が施され、目の前に長く続いている。近くに茂みはあるけれど、目立った道は他にない。
 地下のはずなのに雪が積もっている不思議さに目を奪われるよりも先に、寒さが徐々に感覚を奪った。身震いが抑えられず、餞として与えられたコートを掻き抱く。そこには温もりのほかに、思いやりも詰まっていた。雪景色を進むには、この上なくうれしいありがたい贈り物。同時に、遺跡内部で感じた寒さに納得する。
 ようやく振り返れば、遺跡の外観は朽ち、年季を感じさせた。大きな扉へ、そっと手を添える。開けようと思えば、扉はきっと私たちを歓迎してくれるだろう。けれど、彼女の意思に背いてまで進むのだから、後戻りはしない。
「行ってくるよ、トリエル」
「ボクも」
 独り言に、フリスクの声が重なる。はっとして隣を見ると、まるでイタズラが成功したみたいに破顔するフリスクの表情があった。
「道中何が起こるかわからないけれど、よろしくね、フリスク」
「うん、まかせて! ちゃんと案内するからね!」
「案内……? あ、一本道だもんね? 頼もしいな」
 ここから先、トリエルの助力は望めず。私たちはふたりで協力し合って地底を抜けないといけない。見通しの利かない未来に対する不安は、フリスクのジョークで吹き飛んだ。
 覚悟を決め、改めて進行方向に視線を向ける。迷う心配はなさそう。その点は安心できそうだ。
 森の中をフリスクとふたり、手を繋いで歩く。もしもフリスクが転びそうになったときはすぐに助けられるように。
 すこし歩けば、道ばたに木の枝が落ちているのが見える。そういえば、フリスクは棒きれを持っていた。
「こっちの枝は強そうだね、取り替えっこする?」
「……重たくて持ち上げられそうにないよ」
「あー、持ち運びに難があると良くないか」
 この旅がどこまで続くのかは未知数だけれど、道半ばでヘトヘトになるのは避けたい。木の枝に別れを告げて、そのまま突き進む。
 またすこし歩いたところで、大きな物音が背後から響き、私の心臓は縮み上がった。騒がしい胸をおさえて発信源を確認すると、通り道に落ちていた枝は見るも無惨な姿を晒す。木っ端微塵に砕けていたのだ。
「あんなに丈夫そうだったのに一瞬で……? 持って行けないって聞いて悲しくて折れたのかな……」
 岩が動いて喋る世界だから有り得そうだ。繋いだ手を離して、枝を弔う。哀悼の意を示したところでフリスクがコートの袖を引いた。そうだ、時間は有限だから先に進まなきゃ。
 手を繋ぎ直す。踵を返して歩き始めたところで、視界の端に人影が見えた気がした。自然と足が止まる。
「いま、誰か後ろに……? でも、隠れる場所なんてないし、気のせいかな」
 疑問を自己完結して再出発。大人の私が不安がっていたら、フリスクにも伝わる。なんでもないと繕って、励ますように前方に見える木の橋を指差した。変わらない雪景色もすきだけれど、その中に目印があると頑張れる気がするから。
「何があるかわからないから、フードを被ったほうがいいかもね……」
「ボクは大丈夫だよ。それに、前が見えにくくなるでしょ? ボクがスフィアおねーちゃんの目になるからね!」
「そ、そう? ありがとう……」
 この寒さなら、厚着しても違和感がない。どれほどのモンスターがニンゲンをニンゲンと認識していて、看破するのかわからない以上、念のため特徴的な肌は隠すべきかと思ったんだけれど。フリスクからは大丈夫だと太鼓判を押されてしまった。無理強いするのも気が引けて、曖昧に笑って話が終わる。フードを深く被って、木の橋の近くに差しかかった。
 橋は数歩歩けば渡り切れる程度の長さ。すこし無理をすればふたり並んで歩ける程度の幅だ。幸いなことに凍りついていないようだから、手を繋いだままでも問題なく通れそう。
 考えを巡らせていると、雪を踏みしめる足音が背後から響いた。
 誰かが、いる。
「おい、ニンゲン」
 おどろおどろしい声色に肩が跳ねた。だから、フリスクが手を離したことにすぐ気付けない。
 あっという間にフリスクは方向転換し、言われた通りに握手に応じようとする。制止は間に合わない。
 せめて、近くまで来ている声の主を見てやろうと振り向く寸前、気が抜けるおならのような音が響いた。緊張感の抜ける音は意外にも長く続く。あまりに情けない間延びした音色に呆気にとられて、行動が遅れた。フリスクは握手したまま。音はどこまでも続いていきそうだった。
「ハハ……ひっかかったな。手に、ブーブークッションしかけといたんだ……」
 脱力しそうな音に気を取られて、一拍遅れて声の主を視界に収める。恐る恐る視線を向けると、そこにいたのは、雪に映える鮮やかな青いパーカーを着こなした骸骨――スケルトンだった。背丈はフリスクと変わらないぐらい。
「あれ……。前にもこんなことあったっけ? 『こっちをむけ』って言う前に振り返ったしな……」
 流暢に話を続けるスケルトンの登場に、私は開いた口が塞がらなかった。
 どこからどう見てもニンゲンじゃない。さっきの物音は彼の仕業だろうか。ジョークを好む辺り、トリエルを彷彿とさせて警戒心が緩みそうになるけれど、油断大敵。強張る表情を必死に和らげて、あくまで友好的に接する。現時点で魔法の攻撃が来ていないから、トリエルの言っていたアズゴア……ではないのだと思う。握手しそびれた手をゆっくりと引っ込める。
「……ま、いっか。ところで、そっちのあんたは握手が嫌いかい?」
「……あなたの反対の手とでもいいなら。そっちにも仕掛けてる?」
 恐る恐る手を差し出すと、気を悪くした素振りも見せずにそのスケルトンは手を握る。どうやら仕掛けは片方だけだったらしい。ほっと胸を撫で下ろすと、心外そうに笑われた。
「なんだ、お気に召さなかったのか」
「見るだけで十分かなぁ……」
「へへ、そうかい」
 フリスクと私が両手を塞ぐ形で握手をしているので、彼は身動きがとれない。気を利かせて手を離すと、モンスターは空いた手を持ち上げて。
「アンタたち、ニンゲンだろ?」
 そう、宣った。
「――……!」
 トリエルが管理している遺跡の中ならいざ知らず。外に出てすぐに看破されるのはまずい。取り繕う言葉はすぐには見つからず、白い息がむなしく吐き出される。
「自己紹介がまだだったな。オイラはサンズ。見ての通りスケルトンさ」
 しかし。彼は私の素振りを見ているはずなのに、気にも留めずに自己紹介を敢行した。
「ボクはフリスクだよ、よろしくね、サンズ」
「私はスフィア。……後ろから脅かすのは怖いから止めてね?」
「ああ、悪いな」
 笑顔を崩さないまま、サンズは話を続ける。
「ニンゲンが来ないか、ここで見張ってろって言われてんだ」
 その言葉を聞いて、息が詰まる。指先が震えているのは、寒さのせいじゃない。見張り、ということは、誰かに報告する任を担っているはず。行き着く先は、もしかしたらアズゴアなのかもしれない。
 いまも落ち着いて会話に臨むフリスクの手を取って、脇目も振らずに逃げてしまおうか。
 一旦、そこまで考えた。けれど、楽しそうに会話を弾ませるフリスクを見て、頭を冷やす。サンズは焦りもせず落ち着いた口調で首を竦めた。
「っつっても……」
 言葉を区切り、サンズはまっすぐに私たちを見据える。
「オイラ的には、ニンゲン捕まえるとかどーでもいいけどな」
「へっ? どーでもいいの? それが仕事……なのに?」
 素っ頓狂な声が出た。気になってつい口走ってしまう。
「ああ。真面目に仕事するやつばっかりじゃ気が滅入っちまうからな。ホネ休みも必要だろ? スケルトンなだけに!?」
 トリエルがいたら喜びそうなギャグが炸裂していた。フリスクはにこやかで、私も釣られて笑みが零れる。
「でも、弟のパピルスは……」
 唐突な弟の話に目が丸くなる。スケルトンにも家族がいるんだ、と若干朗らかな気持ちで耳を傾けていると、とんでもない爆弾発言が投下された。
「筋金入りのニンゲンハンターだぜ」
「ニンゲンハンター!?」
 言葉の響きに青褪める。動揺が呼吸を阻んで息苦しい。もしも、そのパピルスに見つかっちゃったら、どうなるんだろう。ハンターってことは狩るんだろうか。ニンゲンを? もしかしてその弟さんはアズゴアの仲間の一人なんだろうか。
「せ、せめて、この子だけでも見逃してあげてほしいな……」
「その判断はオイラには荷が重いぜ」
「そこをなんとか……」
 囮。人質。生け贄。身代わり。いろんな単語が頭の中を飛び交うけれど。とにかく、まだ子どものフリスクだけでも五体満足で地上に帰してあげたい。小さくたって、大きなケツイを秘めた可能性の子。もしかしたら、希望を運んでくれるかもしれない。
「アンタ、パピルスの話を聞いても驚かないんだな」
「お、驚いてるけれど!?」
「……、いや、こっちの話だ」
 気になる話は一方的に締められ、サンズは追求をのらりくらりと躱す。
「あ。噂をすれば……、パピルスが来たっぽいな」
「心の準備がまだなのに!」
 声を潜めて抗議するも、サンズは適当に笑うだけで取り合わない。どーでもいい、という言葉はこんなときにも発揮されているらしい。
「そうだ……。とりあえず、このゲートっぽいのを潜れよ。普通に通れるだろ? パピルスが作ったんだけどさ、イミないよな」
 弟の話は苦笑で綴じられた。フリスクに続き、私も謹製のゲートを抜けて歩き進める。不格好なゲートは『筋金入りのニンゲンハンター』という残忍なイメージ像を揺るがした。
「その、ちょうどいい形のランプに隠れてくれ」
 フリスクはサンズに指示された通り、丁度いい大きさのランプの後ろに隠れた。ジャストフィットとはまさにこのこと、と断言したくなるようなサイズで感嘆する。制作者はフリスクを見たことがあるのかもしれない、……なんて。いましがた、閉ざされた遺跡の中から出てきた私たちのことを知っているのは、遺跡の中にいたモンスターたちだけ。奇跡的な偶然だろう。
「アンタはあっち」
 サンズが示したのはランプから離れた位置にある小さな小屋。弟のパピルスとの遭遇が間近に迫る中、躊躇なんてしていられず慌てて駆ける。正面を避けて回り込むと、カウンターの下にちょうど身体を隠せそうだ。すぐに身体を丸めて縮こまり、姿勢を低く保つ。警備員の詰め所みたい。寒さをしのぐには不十分で、きっと風も満足に防げない。隠れる分には問題ないのが救いだった。
「よう、パピルス」
 サンズは相変わらず飄々と挨拶を手向ける。身内にもおんなじ態度みたい。話題のパピルスの姿を直接拝むのは危険だから、小屋から密かに顔を覗かせて、伸びる影を注視した。サンズの影に比べるとずいぶんと長い。同じような背丈を想像していたので、好奇心がじわりと刺激される。どんな姿なんだろう。
 しかし、好奇心は猫を殺す。
 サンズの発言を信じるなら、相手はニンゲンハンター。凡ミスで姿を見られるわけにはいかない。息を潜めて、じっと堪える。
「よう! ……では、ぬぁぁいッ!」
 びっくりするほどの大声だった。どうやらカンカンに怒っているらしい。弟の言い分に耳を傾けると、兄の所業が暴露されていく。正直、パピルスに同情を禁じ得ない。
「そこのランプをみてる。いいランプだろ? オマエもみろよ」
 急にはしごを外されると思わなかった私は、ぎょっとしてフリスクを見る。ランプの影に隠れて一体化しているフリスクは、事態に気付いていないみたい。もしも、サンズの言葉に従ってパピルスがランプを確認してしまったら一巻の終わり。デコイとして小屋から飛び出して注意を引きつけるべきか考え、拳を握って覚悟を決める。
「そんな! ヒマは! ぬぁぁいッ!」
 その覚悟を砕いたのはパピルスの発言だ。地団駄を踏んでいるのか、何度も足を持ち上げて雪の上に叩き付けられているみたい。恐れた事態が回避されたことに胸を撫で下ろして、浮かせた腰を再び低く保つ。
「ニンゲンがここをとおったらどうするッ! ニンゲンのしゅうらいに、そなえるのだあッ!」
「へえ、そうかい。それなら、そこの小屋を見るといいかもな」
「にいちゃんのみはりごや? なんで?」
「おまえはいつだってクールだが、ときにはクールダウンも必要だと思ってさ」
 今回もスルーしてくれるかと思いきや、パピルスはなんと小屋に向かって歩き出していた。話が違う。
 息を殺して、小屋の薄い壁にピッタリと背中をくっつける。カウンターの下を覗き込まれるか、回り込まれない限りは見つからないはず。
 徐々に雪を踏みしめる音が近付いて来る。心臓が飛び出してしまいそうなほど痛くて、もう、音をまともに拾えない。パピルスはすぐ近くにいるのか、それとも離れていってくれたのか。なにもわからない。聞こえない。自分の呼吸音さえも不確かで、息を漏らさないように両手で口を覆う。
 緊張感で身動きが取れない。祈りを捧げて時間の経過を待つ。
 腕らしきシルエットが雪面に落ちた瞬間、もう終わったと思った。
「――またケチャップをもちこんで! これじゃあスパゲがアジなしになっちゃうでしょ!」
 でも、鼓膜を揺さぶる大声は、予想を大いに裏切る素っ頓狂な台詞を紡ぐ。どうやら、見つかっていないらしい。安心と同時に思考する余裕が生まれる。たしかに、ケチャップが置いてあるのを見た覚えがあった。料理好きなんだろうか。と言うか、サンズはクールダウンを促していたはずなのに、弟さんをヒートアップさせているけれど、それはいいのかな。
「そうなのか? てっきりトマトを使ってると思ってたぜ」
「アンダインからおそわったレシピはそうだよ! でも、そこでヒトテマをくわえてこそのマスターシェフパピルスさまなのだ! かくしアジにケチャップをいれてるんだぞ!」 
「あー……、それなら持ってっていいぜ」
「もともと、うちのケチャップでしょ!」
「そうだったな」
 危機的状況に変わりはない。それでも、和気藹々とした兄弟の会話を聞いているうちに緊張はほぐれていた。できれば小屋から離れたところでしてほしいところだけれど。
「えーと、なんのはなしだったっけ……」
 話が終わったのなら、そのまま距離を置いてくれないかな。
「そう! このパピルスさまがかならずニンゲンをつかまえてやるのだぁッ!」
 祈りが通じることはなく、パピルスはその場で話を再開させる。無理な姿勢のせいで、身体の限界も近い。早く立ち去ってくれ、という願いが頭の中を埋め尽くした。凍える指先を白い息で温め、祈りを捧げる。
 不意に、パピルスの口から物騒な単語が出ていないことに気付く。
 トリエルは、遺跡から出ればアズゴアに殺されてしまう、と話していた。そのアズゴアの手先なら、そういう言葉が出てきても不思議ではないのに。
 ニンゲンハンターという言葉は脅威だ。でも、少なくともまだ、何もされていない。首の皮一枚繋がった状態とは言え、ランプや小屋を隔ている私たちは安全と言い換えてもいい。
「そうすれば、このいだいなるパピルスさまの……」
 一度気付いてしまったら、恐ろしいと思ったパピルスの言動もどこかかわいげが覗く。
「のぞみはすべてかなう!」
 誇らしげに放った言葉。
「にんきものになって、そんけいされて……。ついにあこがれのロイヤル・ガードになって……!」
 列挙される望みの数々。
「そして、みんなに『おともだちになって!』って、いわれちゃったりして?」
 熱の入った上擦った声。
「まいにちラブラブこうせんをあびまくるのだッ!」
 そのどれもが、ニンゲンハンターという恐ろしい肩書きを愛嬌で塗り潰していく。
 唯一パピルスと対面しているサンズに、三者三様の注目が集まる中、彼はなんてことないことのように応えた。 
「このランプに相談してみるのがいいかもな」
「ちょっと! てきとうなこといわないでよ! この、くされスケルトンめッ!」
 もちろん、パピルスは激怒した。
「まいにち、なーんもせずに、ホネくそほじってばっかのくせに! そんなだと、えらいひとに、なれないんだぞ!」
 パピルスが感情を込めた声は途切れ途切れに伝わってきた。踏み鳴らされた大地が振動を運ぶ。
「いやいや。こうみえても、トントン拍子に出世してるんだぜ」
 私が口を挟む間もなく、サンズは言葉を続ける。
「スケルトンなだけに!?」
「さむっ!」
 間髪入れずにサンズへツッコミを入れるパピルスの心境を察する。そして、ひとつわかったことがある。この世界のダジャレは、円滑なコミュニケーションのひとつとして浸透しているわけではないってこと。
 ただ。ここにトリエルがいたら、きっと大喜びでサンズのダジャレに良い反応をしてくれたに違いない。話の合いそうな相手だけに、どうしても遺跡の方角を見ずにはいられない。いまも花の世話をしているんだろうか。遺跡の中なら安全だと思うけれど、それでも気にかかる。
「またまたぁ。顔が笑ってるぜ?」
「しってる! くやしいけどッ!」
 同意を示すパピルスは、露骨な溜め息を零す。
「なぜ、オレさまほどのいだいなスケルトンが……、にんきものになるのに、こんなくろうをしないといけないのか……」
「パピルス、たまには肩の力抜けよ。それが、ほんとの……」
 嫌な予感がした。直感の類。黙って聞いているしかないとは言え、完全にサンズのペースに乗せられている。
「ホネやすめ……! なんつって」
「ぬぁぁぁぁぁぁ!」
 とうとうパピルスの堪忍袋の緒が切れた。サンズの受け答えが普段通りであると判明した反面、パピルスは限界を迎えてしまったみたい。
「もういい! オレさまはじぶんのパズルのかんりでいそがしいんだ……」
 パピルスには申し訳ないけれど、長居されても困る。話が終わる雰囲気を感じ、すぐに動けるよう静かに壁から背中を離した。
 まったく、と零すパピルスは、言葉とは裏腹にどこか楽しそうな口調。兄弟仲はいいんだと思う。
「兄ちゃんは、ホントに……、『ホネ』のずいまでなまけものだな!」
 この兄にして、この弟ありだった。実はそこまでダジャレが嫌いなわけでもないのかもしれない。
「ニャハハハハハハハハハ!」
 歓喜の声が遠ざかる。小屋から立ち上がろうとしたところで、パピルスが戻ってくる。
「ハ!!」
 それだけ言い残して、パピルスは今度こそ姿を消したみたい。神経を研ぎ澄ませても、もう足音は拾えない。
 フェイントとは、中々にホネのある相手みたいだ。サンズの弟だからきっとスケルトンだろうし、納得である。
「よし。もう、でてきていいぜ」
 告げられた言葉を合図に、今度こそ凝り固まった身体をほぐす。小屋からフリスクたちと合流し、安堵の息を漏らす。
「はー……。バレるかと思った……」
「オイラに任せておけって。悪いようにはしないからさ」
 綱渡りのような状況を作り出したのはサンズだったような気もするけれど。
「だいじょうぶだよ。ね? サンズを信じて」
 私がサンズに向ける胡乱な眼差しを察したのか、フリスクがフォローを入れるような口振りで言い添える。
「いや、その言葉を疑ってるわけじゃないよ? ただ、心臓には悪いなって思っただけ!」
 だって、絶対にサンズは面白がっていた。こっちはスリルなんて求めていないのに! いつパピルスにバレて捕まるのか、それだけで胸の内が不安でいっぱいだった。ニンゲンをからかって楽しんでいるに違いない。
「けど、ま、これでパピルスのことはわかっただろ?」
「おかげさまでね」
「バッチリ」
 皮肉を込めて返答する私と違って、フリスクは素直に返事する。その純粋さが、いまの私にはとても眩しい。
「……どうした? はやく行かないとパピルスが戻ってくるぜ?」
「それはまずい」
「そしたら……、オイラのキレッキレのダジャレが、再び炸裂するぜ?」
 左目を閉じてウインクするサンズが茶目っ気たっぷりに話す。
「……それもまずい」
「そうかな? ボクは聞いてみたいな」
「熱烈なアンコールだな。考えておくよ。カーテンコールには間に合うといいな」
 気安い言葉の応酬を聞き流す。パピルスとのやり取りから察するに、いつもこんな具合にはぐらかしているんだろう。
「どうしたんだ? だいじょうぶ。こわくない、こわくない」
 かと思えば、こちらの不安を見透かしたかのような言葉を贈ってくる。面倒見がいいのだろう。あやすような発言なのに、嫌な感じはしない。兄がいたらこんな感じなのだろうか。
「暗い洞窟に、ガイコツとモンスターがウジャウジャいるだけさ」
「それで恐怖心が薄れるひとのほうが貴重だと思うけどな……」
 サンズのこと、すこしだけ見直したのに、すぐに台無しにする。それでも、この距離感は嫌いじゃなかった。
 森の寒さは相変わらずだけれど、胸の内が温まる。温もりが背中を押してくれるから、聞けずじまいのことを聞くことにした。トリエルのときは中々切り出せなくて、きっとお互いつらい思いをしたから。
 早めに聞いてしまおう。
「サンズに聞きたいことがあるんだ」
「オイラにわかるかな」
「わからないならそれでもいいんだけれど……、この持ち主のこと、なにか知ってる?」
 ペンダントトップをサンズの視線に合わせて持ち上げる。正確には、中身のチリを。硝子細工は雪景色を――ううん、サンズの顔貌と眼窩をくっきりと映し出す。
「……おまえさん、そいつをどうしたんだ?」
「あー、えーっと、なんて言えばいいかな……」
 まさか聞き返されると思ってなかったので、言葉に詰まった。違和感を与えないよう、さりげなく緊張を飲み干して。懸命に言葉を探す。
 気のせいかもしれないけれど、どこか品定めするような視線が注がれていた。裁定者を前にしたかのような空気感が、静かな森に蔓延る。
「うちの倉庫にあったの。戦争の生き残りのモンスターが地上で亡くなったあとに残った遺灰なんだって」
「……へえ」
「なにか、おかしなこと言った?」
「いや?」
「そう?」
 無事に場を凌げただろうか。嘘をついたわけではないのに、背筋に嫌な汗が伝う。
「それで、話を戻すけれど。サンズはなにか知ってる?」
「残念。オイラもさっぱり」
「そっか。答えてくれてありがとう」
 トリエルも、遺跡のみんなも、誰も遺灰の還るべき場所を知らなかった。幸先は良くないけれど、冒険は始まったばかり。まだ希望は残ってる。
「……もしかしたら、この先のまちの図書館に、ヒントがあるかもな」
 希望を胸に抱くと、サンズから福音がもたらされた。
「図書館があるの?」
「ああ。道なりに進めばまちに着く。図書館には看板があるから迷わずに行けると思うぜ」
「サンズ! ありがとう! すっごく助かったよ!」
「……へへ、どういたしまして」
 図書館があるなら、手がかりが見つかるかもしれない。トリエルが隠し通した地上に戻る方法だって。いや、それはさすがに高望みかもしれないけれど。
 善は急げ、とフリスクの手を取った。先に進もうとしたところで、私たちの背中にサンズが呼びかける。
「ちょっと、ひとつ頼んでもいいか?」
「うん? 内容によるけれど……、サンズには助けられたし、私にできることなら聞くよ。なあに?」
「ここ最近、パピルスはずっと落ち込んでる……」
 中々に元気いっぱいだったと思うけれど、あれは空元気だったのかもしれない。そう思うと、ちょっかいをかけていたサンズの対応も、彼を慮っての行動に思えてくるから不思議だ。
「アイツのゆめはニンゲンに会うことだから、アンタ、会ってやってくれよ」
 随分可愛らしいゆめに思えたけれど、その考えは一瞬で掻き消える。地底の世界でニンゲンに会うのは至難の業だ。地上で、私がついぞモンスターに出会えなかったのだから、地底の世界ではその逆が起きているのだろう。
 サンズと面白いやり取りを繰り広げたパピルスに会えるのなら望むところだ。でも、ニンゲンハンターという肩書きを持つパピルスが、人間を前にどう豹変するかは未知数。信じてもいいのだろうか。フラウィによる騙し討ちが、心に鉛のように重たい影を落とす。
「だいじょうぶ。パピルスは、実はそんなにキケンなヤツじゃない。頑張って、強そうなフリしてるだけだ」
「わりと容赦ない評価だね……?」 
 うっかり、思っていたことがそのまま口から滑り落ちた。しかし、サンズは意に介さずに言葉を続ける。
「だから、ひとつよろしく頼むぜ。オイラはこの先で待ってる」
 返答を待たずに去るサンズの後ろ姿が雪景色に掻き消えた。二、三度目を瞬かせても、どこにも彼の姿はない。まるで手品のよう。
「サンズ、行っちゃったね」
 フリスクの言葉に頷き返し、去った方角に視線を投げる。
「向こうは遺跡しかないと思ったけれど、見落としてたのかな……」
「とにかく、先に進もう!」
「えっ、サンズはいいの? この先で待ってるって言って、向こうのほうに行っちゃったけれど……」
「たぶんサボってるだけだよ」
「サボり……。なんでだろ、見たわけじゃないに否定できない……」
 フリスクの言葉に説得力があるのか、この短時間で目にしたサンズの行動がそれを裏打ちしているからか。サンズの行き先は気になったけれど、まずは目標をこの先にあるというまちの図書館に定める。
 まだ警戒は拭えないから、フードを外すことはできないけれど。アドバイスをくれたサンズの頼みは断れない。いざとなったら、対面することも視野に入れて。銀世界の森を進む。
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