ホーム
夢主の名前変換設定
この小説の夢小説設定イビト山に登って落ちた成人済女性(ニンゲン)。
ある目的のために地底を冒険することになる。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
どこか寒々しさを覚える地下の空気の中を、フリスクとふたりで進む。トリエルの家の中で見た、穏やかで温もり溢れる色調は、遺跡の壁と同じ紫に変化し、窮屈な印象を与えていた。行く先で待ち構えているのが命の恩人であるトリエル、という事実も、必要以上に精神を追い詰める。
手を開いて閉じて、緊張をほぐすために何度か繰り返す。大丈夫、と心で唱えて前を向いた。どこにもトリエルの痕跡はないけれど、目的地はそう遠くない。直感が、そう告げていた。
実際、トリエルの背中には予想よりも早くに追い付いた。私たちの足音を聞きつけて、白い耳が微かに動く。静かに振り返る彼女と私たちの間には、越えられない一線が敷かれているみたい。いままでの優しい言葉や温もりが嘘のように距離が離れている。必死に手を伸ばしても、この手はきっと届かない。
「来たのね」
目を伏せていたトリエルの真っ赤な瞳が私たちを捉える。扉の前に立ち、行く手を塞ぐトリエルからは、話し合いで解決できそうな雰囲気は微塵も感じられない。
この時点で、私は気付くべきだった。自分の楽観的思考と、トリエルの覚悟を。
「ト、トリエル……」
気持ちを固めてこの場に臨んだはずなのに、縋るように見てしまう。期待と不安が入り乱れる胸中を抱え、適当な話題を思いつけないまま。無意識で呼びかける声は、意図的に流された。
私たちを撫でた手のひらに生まれたのは炎。その熱気は、私たちを取り巻く寒気を吹き飛ばす。まるで手品のように展開された炎に照らされ、私たちは対峙する。狭くて、逃げ場も十分に確保できない。そんな中、火の粉を撒き散らす魔法の炎は私たち目掛けて迫った。
かろうじて避けた私は、トリエルが大きく息をつく声を聞く。
もう一度、声をかけようとしても、頭上からゆっくりと降り注ぐ小さな炎の群れを避けるのに精一杯。呼吸に割いた唇は、言葉を紡げない。
トリエルは魔法攻撃を準備しているみたい。皮肉なことに、話し合いでは解決できそうになかった。
「これは、あなたたちをまもるため」
毅然とした態度で佇むトリエルに愕然とした。一切の仮借なく放たれる炎が服を焦がし、慌てて振り払って鎮火を試みる。幸いなことに被害は少ない。
改めて、トリエルの行動が私に現実を突き付ける。炎を使ったらどうなるのか、わからないトリエルではないはずなのに、それでも迷わず使ったと言うことは、彼女は本気なんだ。
トリエルはその後も手を抜かなかった。私の楽観的思考は砕かれ、斟酌せずに魔法の炎が放たれる。
彼女の覚悟は強い、とようやく気付いたときには、もう引き返せない。発言は取り消せない。
発せられているのは優しい警告でも単なる牽制でもない。トリエルは本気で、私たちを止めようとしているのだ。彼女が何度も見届けてきた死を、繰り返さないために。私たちを守るために。
子を亡くし、その後も何度も子どもたちの死を見届けてきた彼女の言葉は重く、伴う行動には、慈愛と思いやりの気持ちが強く根付いている。トリエルがここまで私たちを追い詰めるのは、それだけ外が危険だからなんだ。心を鬼にして危険性を説くトリエルの優しさが、炎を通じて伝わってくるようで、知らず頬が濡れる。
私の目的は遺灰を遺族に届けること。けれど、何年前の遺灰なのかも、誰のものなのかもわからない。そもそも、この遺灰が本当に亡くなったモンスターのものかどうか、という真偽さえ私は知らない。
知らないことばかりで、足下が揺らぐ。
命を賭してまで果たすべき目的なのかどうか、わからなくなってきた。
ここまで心を砕いてくれるトリエルの気持ちを無下にしてまで、優先すべき目的だったっけ。
ゆっくりと天秤にかける。優先すべきは私の目的か、トリエルの意思か。
もう、心が折れそうだった。わけのわからない花に脅されて、命の危機に陥って、トリエルとフリスクに助けられて。遺跡ではモンスターたちと一悶着あって、めまぐるしくて息をつく暇もなくて。
ああ。外を諦めて、ここでトリエルと一緒に暮らすのも悪くないんじゃないかな。遺跡の中では最終的にみんなとわかり合えた。トリエルが教えてくれたように、お話することが和解の鍵だ。それを教えてくれたトリエル相手には話し合いの余地がないというのが、皮肉のようで悲しいけれど。
もう、諦めてしまおうか?
「なにをしているの……」
そこに、第三の選択肢が生まれる。トリエルの言葉はフリスクに向けられ、行動を見咎めて叱責を飛ばした。
「ボクは、諦めない」
「たたかうか逃げるかしなさい!」
「ううん、どっちもいやだ!」
「何を言っているの、力を証明するんでしょう?」
「戦わず、逃げもせずに証明する方法があるって、ボクは知ってる!」
威勢良く啖呵を切るフリスクに、トリエルは瞠目した。
「貴方、まさか……。私の知らないことを知っているの……?」
トリエルは、自身の小さな呟きに頭を振って答えとした。
「戦うつもりがないなら逃げて!」
「……だって、逃げたって、なにも変わらないから」
フリスクは恐れずに一歩を踏み出した。ちいさな一歩。けれど、私の目には大きな一歩に映った。手が届かないのなら、踏み出せばいい。こんな簡単なことに、いままで気が付かなかったなんて、自分が恥ずかしい。
「やめなさい。……そんな目で見るのは止めて」
トリエルの生み出した炎が私たちの両脇を塞ぐ。空から絶えず揺れ動いて散る紅蓮が迫っても、フリスクは退かず。ただ、じっと耐え抜く。フリスクの意思の力か、トリエルが本当は傷付けたくないと思っているからか、その炎が私たちに接触することはない。
「ママの気持ちはすっごくうれしいよ、ありがとう。……でも、みんなのためにも、ボクは行かなきゃ」
そのちいさな身体のどこに、大きなケツイを秘めているのだろう。フリスクは私の思考を容易く凌駕した。その立派な姿に感銘を受けて、不覚にも泣いてしまいそうだったから。どこか低く感じるこの気温のせいだ、と言い訳する。幸い、使う機会はなかった。
「だから、ボクは諦めないよ」
挫けかけた心が、フリスクの言葉に感化されて奮起する。
「……うん。私も、諦めたくない」
折れかけた心を、フリスクのケツイで補強して繋ぎ止める。フリスクと同じように一歩踏み出して、隣に並び立つ。よそよそしい態度のトリエルが息を呑むのがわかった。
「トリエルには悪いけれど……、いままでと同じになるとは限らないでしょ?」
見方を変えれば、前例がないということは悪いことばかりじゃない。
「ニンゲンがふたり一緒に落ちてきたことはないんだよね?」
トリエルは返事をしない。その沈黙は肯定だった。
「それに、フリスクと一緒なら、不可能なんてないって思えるんだ」
遺跡で目を覚ましてから、ここにくるまでというほんの短い付き合いだけれど。どんなに難しそうな局面も、フリスクと共に乗り越えて行けるって、そう信じたいから。
「綺麗事かもしれないけれど……、私は信じてるんだ」
フリスクの可能性を。優しいトリエルや、遺跡のモンスターたちとわかり合えた事実も。ここで体験したいろんなことが私の背中を押してくれる。ひとりじゃ、きっと諦めてしまったけれど。ひとりじゃないから、手を繋げる。ひとりじゃないなら、いままでと違う可能性を切り開くことだってできるはず。
だから、ここに強く意思を表明する。示すべき力はきっと、心の強さ。
「悪いね、たとえトリエルが相手でも、譲ってあげられないんだ!」
ポケットから素早く取り出したスマートフォンを構える。ボタン一つで起動したカメラをトリエルに向け、間髪入れずにシャッターを切った。設定は前回のまま。フラッシュが焚かれて閃光が生じる。局所的な目くらましには有効だった。咄嗟に目を瞑って視線を逸らしたトリエルに、迷わず突貫する。
慌てたトリエルは、距離を詰められることを想定していないのか、たじろいだ。動揺は炎の揺らめきで手に取るようにわかる。決して当てないように配慮してくれた優しさにつけ込むのは、これっきりがいい。
「トリエル!」
「ママ!」
距離を詰めて、身体を密着させて、ふたりでトリエルを思いっきり抱き締めた。この距離なら、トリエルは攻撃をしてこない。そういう打算も、すこしあった。
ややあって、ぎこちないトリエルの腕が、ゆっくりと背中に回される。
「フフフ……」
彼女の声が静かに降ってくる。
「私、本当にダメね……」
「そんなことない! これは、私の……、私たちのワガママだから……、トリエルがダメなんてことはないよ!」
後悔が滲む声色に、即座に反論する。隣でフリスクもしきりに頷いてくれた。
「……ありがとう。ええ、わかっているわ。ここは、あなたたちにとって良い環境とは言えないもの」
背中を撫でる手は、感極まって寒気がするくらいに優しい。嗚咽が私の喉を塞いで、手のひらから伝わる温もりをただ甘受することしかできない。
やがて、トリエルの手が離れていく。見上げると、私たちを交互に見る彼女がいた。その表情はいまにも泣き出しそうで、既に限界に近い私は歯を食い縛って堪える。
「私の望みも……寂しい気持ちも……心配も……」
切なげに紡がれた言葉たちは、静かに、静かに、私たちに降り積もる。口を開けばきっと泣き出してしまうから、ただただ耳を澄ませた。
「あなたたちのために、いまは全部忘れましょう」
でも、その言葉を聞いてしまったら。戦いを通して伝わった彼女の覚悟を、私たちが台無しにしたことを思えば、もう我慢できなかった。
「ごめんなさい、トリエル……」
「あらあら、泣かないで」
これ以上困らせたくないのに、感情に抑制が利かない。傍らのフリスクも涙ぐんでいたのに、トリエルと一緒に慰めてくれる。
「……服も、ごめんなさいね」
「ううん、大丈夫。びっくりしたけれど……、元々落ちたときに破れてたから。ね、だから気にしないで」
「もしも貴方たちに時間があるのなら……私が繕ってもいいかしら?」 おずおずとした提案に、フリスクと二人で顔を見合わせた。答えは決まってる。
「もちろん!」
口を揃えた返答に、トリエルは綺麗な微笑みを浮かべてくれた。
踵を返すトリエルの隣を、私とフリスクで埋める。来た道を戻るだけなのに、行きとは違った心地で辿ることになった。
「みんなにも、挨拶したいな」
本音と建て前が入り交じる。挨拶をしたいのは本当。別れがたいもん。でも、この遺灰のことを詳しく知りたい気持ちもある。初対面のときは、皆の魔法から逃げたり、和解するのに必死だったりで、なにも聞けなかったから。
「ボクたちが作ったお菓子も食べてもらおうよ」
「それはいい考えだね!」
「うん!」
「あ……、トリエル、いいかな?」
「ええ、もちろん。みんなに振る舞う予定だったもの。それに、あなたたちが手伝ってくれたおかげで、とても華やかになったわ。好きにしてちょうだい」
「ママ、ありがとう!」
「フフフ、どういたしまして」
今度は私からトリエルの手を取る。優しい手のひら。柔らかな感触はくすぐったくて、でも、とても愛おしい。終わりを先延ばしにする選択だけれど。それでも私は、この選択を後悔しない自信があった。
ホームまで戻ると、帰ってきた実感が湧いて肩の力が抜ける。疲労を感じ取ったのか、トリエルは休憩を提案してくれた。私とフリスクの縫い物をしてくれている間の自由行動。
すこし休んだら外に遺跡のモンスターたちに会いに行こうかな、と思ったところで、自分が服を脱いでいることに気付く。フリスクは子ども部屋から服を貸し与えられたけれど、ニンゲンの大人サイズのものはさすがになかったみたい。下着姿でうろつくのって、この地底の世界的にはどうなんだろう。モンスターたちは服の有無を気にしないかもしれないけれど、地上暮らしが長い私はなんとなく気後れしてしまう。
ちなみに、フリスクはとっくに遺跡に遊びに行って、いまは私とトリエルのふたりだけ。フリスクの有り余る元気と無邪気さを好ましく思う。
「終わるまで退屈だと思うけれど、じっとしていてね。休むのならそれもいいわ。……つまみ食いはダメよ?」
「そう言われると……、ちょっと食べたくなると言うか……」
「もう。仕方ないわね。パイをどうぞ。切り分けてあるわ」
「やった! ありがとう、トリエル!」
帰ってきたフリスクの分までご丁寧に切り分けられている。どこまでも優しいトリエルの配慮に感謝しながら、パイを一つ食べる。染みついた疲労が一気に解消されたような爽快感に包まれて、吹き抜けるシナモンの香りが懐かしさを掻き立てる。シナモンはすっかりトリエルとの思い出の香辛料になっていた。
思い出の香りを堪能しつつ、部屋での休息を選択する。大きくて思わず萎縮したベッドは、拒絶することなく私を迎え入れてくれた。いつ眠ったのかも覚えていないくらい。
「あら、起こしてしまったかしら?」
再び目を覚ましたとき、そばにトリエルがいた。差し出された服はすっかり繕われて、お礼を告げて早速袖を通す。
「フリスクは帰ってきた?」
「まだよ。そろそろ帰ってくる頃じゃないかしら。友達がたくさんできたみたいで、私もうれしいわ」
「……。ねえ、トリエル。その……、ニンゲンのこと、嫌にならなかった?」
モンスターたちが地底に閉じ込められるきっかけは、ニンゲンとの戦争だ。戦争、と呼ばれるくらいなのだから、被害は想像を大きく上回る。
モンスターたちは人間を憎んでいてもおかしくない。
けれど、トリエルはかつて落ちてきたニンゲンを迎え入れた。家族として接した。なにがどう関与したのかはわからないけれど、ニンゲンの子どもは死に、そして息子のアズリエルの死因にはニンゲンたちが関わっている。
仮に、子どもに罪はないとしても。ニンゲンの大人を憎んでいても不思議ではないのに。
トリエルは、分け隔てなく接してくれた。
「……理不尽に納得することはできないわ。でも、ニンゲンのすべてが理不尽だとも思わないの。ほら、スフィアは仲良くお喋りしてくれるでしょう?」
「でも、私、最初は疑って……。ごめんなさい」
「いいの。誰だって、慣れない環境や文化には戸惑うものよ。私のほうこそ、気が利かなくてごめんなさい」
「トリエルが謝ることなんて、なんにもないよ」
「それはお互いさまね。[FN:スフィア]もフリスクも、私のパイを美味しいって食べてくれた。それだけで十分よ」
どこまでも優しいトリエルの言葉が、ずっと胸に残っていたわだかまりを丁寧に解いてくれる。トリエルに出会えて良かった。万感のも意を言の葉に乗せて、口を開く。
「……ありがとう、トリエル。親切にしてくれて」
「そんなことないわ。貴方たちったら、私の親切をはねのけてしまうんだもの。私はほんのすこし背中を押しただけよ」
「あはは、思い通りにさせてあげられなくて、ごめんね?」
「本当よ。……どうか、誰にも殺されないで」
「……約束はできないけれど。頑張るよ」
慈愛に溢れた瞳は潤んで、私の視界もおんなじように滲む。柔らかな手のひらが頬に添えられ、輪郭を確かめるようになぞっていく。
「無事でいてね」
小さく滑り落ちた言葉を掻き消すように、玄関から賑やかな声が転がってくる。ちょうどフリスクが帰ってきたみたい。
「行きましょうか?」
「うん」
トリエルの提案に従って声の中心地に向かう。
どうやら、フリスクは遺跡中のモンスターに声をかけたみたい。玄関の前に勢揃い。圧巻の光景だった。さすがにマネキンと岩のモンスターは持ち場を離れず、仕事に忠実の模様。挨拶したかったな、と思っていると見透かしたようにフリスクに耳打ちされる。あとで会いに行こうね、の言葉に、はにかみながら頷いた。
集合したみんなに遺灰のことは聞いてみた。けれど、求めていた返答は得られない。空振りなのは寂しいけれど、こうしてまた会えたことは素直にうれしかった。
私の用事が済んだら、あとはフリスクの希望通り、モンスターたちへ順繰りにジンジャーブレッドを手渡す。最初は私とフリスクで対応していたけれど、段々と手に負えなくなって。最終的に見かねたトリエルが助け船を出してくれた。一部のモンスターはトリエルのことを畏れていたみたいだけれど、この件をきっかけにすこし空気が緩和されたように思える。
「トリエル。あのさ」
一通り配り終えたら、フリスクはモンスターたちの輪に飛び入り参加。仲良く談笑していた。その様子を遠巻きに眺めながら、傍らのトリエルに声をかける。
「やっぱり、私たちと一緒には行けない?」
まるで今生の別れみたいな素振りのトリエルを、なんとか口説き落とせないかと思って声をかける。一瞬目をまあるくした彼女は、緩く首を横に振った。
「……ダメ?」
「ええ。誰かがお花の世話をしなきゃならないもの」
「そっか。……じゃあ、仕方ないね」
地底の一番最初。始まりの場所で咲き誇る花。あの花がクッションになって助かった、とフリスクは言っていた。もしも花が萎れていたら。そもそも咲いていなかったら。フリスクも私のようにケガを負ったかもしれない。遺跡の管理人だというトリエルは、きっといままでもあの花の世話をしてくれていたのだろう。彼女の優しさが、いまに繋がっている。
花を絶やさずいてくれたおかげで助かる命があるのなら。彼女をここから連れ出すのは、いい案だとは言えない。もしもこの先、別のニンゲンが落ちてくるようなことがあったとき、花があるかないかでケガの度合いが変わる。それは、私が身を以て証明していることだから。
「ママ。ボクたち、行くね」
別れを切り出すフリスクは、いつの間にか私たちの会話を聞いていたみたい。彼女との別れを当然のように受け入れていた。私なんかよりもよっぽど大人びた姿は強かで、憧れてしまう。
「出発の前に渡すものがあるの」
「……パイとか?」
「それもあるわ。すこし待っていてちょうだい」
そう告げたトリエルはリビングに姿を消した。私はと言えば、大人しく待つフリスクの隣で呑気に雑談を交わしながら階段の近くを少し散策する。読まずじまいの本やカレンダーを目で追っていると、トリエルが帰ってきた。
「この外は寒いから、コートが必要だと思って」
フリスクにはサイズがピッタリの淡い黄緑色のコートを。私に差し出されてたのは、可愛らしいアイボリーのコート。元はトリエルのものだったコートのサイズを直してくれたらしい。フードには、トリエルの角のためか、可愛らしいお耳が二つ付いているように見える。
「いいの?」
「サイズはどうかしら?」
「うん、問題ないよ! ありがとう、ママ!」
ぴょん、と飛び跳ねて、フリスクはトリエルに抱き付く。
「私のほうもサイズ大丈夫! 何から何まで、本当にありがとう」
彼女は、本心では私たちを外に出したくなかったはずなのに。それでも、外で過ごすために必要な装備を準備してくれた。その優しさに報いることができないのが、とても歯痒い。
「トリエル。私、貴方のことを絶対に忘れない。親切にしてくれたトリエルのこと、絶対に覚えてる」
忘れられるわけがなかった。右も左もわからない私、ううん、私たちに、こんなにも親身になって手を貸してくれたこと。
「大丈夫。また会えるよ」
トリエルに抱き付いたフリスクは、しっかりと抱擁された態勢のまま伝えた。もらい泣きしそうだったから、必死に堪えて、私も二人の身体に手を伸ばして抱き締める。愛おしい温もりは、とても離れ難くて。きっと、ふたりには泣いてることがばれていたに違いない。
「忘れないで」
温もりに包まれた私たちの間に、突風が吹き込んだ。一瞬の身震いのあと、視線を向ける。玄関の扉が開いて、そこから風が入ってきたみたい。覗き込むくモンスターたちが、不安そうに私たちを見つめている。
「私も、ここにいるモンスターも、みんな、貴方たちの味方ですからね」
思い思いに同意を示すモンスターたちの挙動が微笑ましい。培った絆と友情が、胸の内を温めてくれる。
「うん、忘れないよ。トリエルのことも、みんなのことも」
「ボクも! みんなのこと、だいすきだからね!」
最期にパイを受け取って、準備は万端。
二人揃って、階段に足を踏み出す。
「――いってきます!」
「ええ、いってらっしゃい。私の大事な子たち」
最後のトリエルの言葉を胸に、私たちは歩き出した。感傷で揺さぶられる心の痛みさえ飲み干して、また会える日を強く望む。
階段の先は、相変わらず静けさを保っているけれど。どこか、私たちの門出を祝福しているようにも思えた。
□■□
トリエルは寂しげに目を伏せたが、それでもたしかに笑顔を浮かべて見送った。階段を下りて、姿が見えなくなって、ようやく、深く息を吐く。
ふたりの歩む先に困難が待ち受けていることは明白。その旅路の果てに真実を知ったとき、後悔しないだろうか、と一抹の不安が押し寄せる。
「だいじょうぶ」
納得させるように、トリエルは自身の胸元に手を宛がう。
「また、会えるわ」
フリスクが言った言葉を繰り返す。魔法が使えないはずの小さな子どもは、トリエルに魔法をかけていた。それはきっと、希望の灯火。
希望を胸に抱くふたりの旅人が、明るく照らされることを祈り、トリエルは階段に背を向けた。