ホーム
夢主の名前変換設定
この小説の夢小説設定イビト山に登って落ちた成人済女性(ニンゲン)。
ある目的のために地底を冒険することになる。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ここでトリエルと会えたと言うことは、やっぱりあの落ち葉を敷いていたのは彼女だったに違いない。ニンゲンを見ると襲ってくるモンスターたちは多いけれど、彼女は始まりからずっと私たちを気遣ってくれた。年の功、もあるかもしれないけれど。それだけじゃないような気もする。
考えがまとまらない間にも足は動く。辿り着いた先で見上げた家は、なんとも可愛らしい。外壁は遺跡の紫を基調とした色合いで、なにが待ち構えているのか想像するだけでドキドキする。遺跡の延長線のようなを佇まいを想定しながら足を踏み入れると、温かみのある柔らかい印象の部屋が迎えてくれた。いままで歩いてきた遺跡とは一線を画す雰囲気に目を瞬かせていると、バターの芳醇な香りが鼻をくすぐる。目の前には下り階段があって、視界の両端には通路が続いていた。
「いいにおいでしょう?」
階段を囲う手摺りを背に、トリエルは弾んだ声で問う。フリスクと揃って頷くと、彼女は柔らかく微笑んだ。
「サプラーイズ!」
うれしそうなトリエルは茶目っ気たっぷりに続ける。パイを焼いてくれたらしい。
「貴方たちが来てくれたお祝いにね」
望んで落っこちたわけじゃないから反応に困って曖昧に笑う。本当に、うっかり足を滑らせただけだから。
「ふたりの好みを聞いたけれど……。口に合わなかったらごめんなさい。ここで楽しく暮らしてもらいたくて……」
「あ……」
トリエルの言葉ではっとした。祝ってもらうほどのことじゃないよ、と伝えようとした言葉はつっかえて話せない。そうだ、ここに長居するつもりがないことを、まだちゃんと伝えられていなかった。
先送りにした問題が足を引っ張る。
「だから、今夜はカタツムリパイは我慢するわ」
「トリエル、その……、」
「さあ、入って入って! 他にも見せたいものがあるの」
そう言うとトリエルは向かって右側の通路へと向かった。離れていく後ろ姿を見て、早く言わなきゃと気が急く。ここまで先送りにしたんだ、十分すぎる時間はあったはず。でも、思考は絡まって、開いた口はイミもない音を奏でるだけ。このままじゃいけない、という焦燥感が優先事項を曖昧にする。
「待って、トリエル! 悪いんだけど、その……先に手を洗わせてもらっていい?」
「そうね。うっかりしていたわ。手を洗うならこっちよ。案内するわ」
トリエルは苦笑すると、引き返し、反対の通路へ進んだ。背中を見失わないように追いながら、私は傍らのフリスクに小声で話しかける。
「……ねえ、フリスク。私、トリエルのことは好きだよ。でも、ここで暮らすつもりはないんだ。ただ、これは私の意見だからさ。フリスクは、どうしたい?」
「ボクは……、」
どんな言葉が続いたとしても、私はそれを尊重する。心構えはできていた、はずなのに。いざ聞く段になると急に怖じ気づいて、指先が冷えていく。フリスクがこの震えに気付かないように祈りながら、永遠にも思える一拍を待つ。
「ボクは、地上に出たいよ」
「……そっか」
ほっとしているのが自分でもわかって嫌になる。
ああ。私はこのちいさな旅人さんと、まだ冒険を続けていたいんだ。
キッチンには焼きたてのパイが湯気を立てて置かれていた。一層濃くなるバターとシナモンの香りが漂っている。焼き上がって間もないみたい。
「冷めるまで、もう少し待ってね」
私の視線の先を見て、トリエルは微笑む。取り繕うように頷いて、早々に手を洗い終えた。排水溝にたまっているのは白い毛で、トリエルのものかどうかはよくわからない。ぼうっと眺めていると、ふわふわのタオルを差し出され、厚意をありがたく受け取る。水気を拭うと、流しのそばのケーキクーラーが目に入った。置かれたクッキーは粗熱が取れていて、パイより先に焼いたことが窺える。クッキーの形は様々。遺跡で出会ったモンスターやトリエルのような角の生えた山羊に似た形もある。
「クッキーも焼いたの?」
「ええ。その……、あなたたちにキャンディが好評だったから、ほかにも用意していたの」
「トリエル……」
「良かったら、作ってみる?」
「? もうできてるんじゃ?」
「まだ、冷蔵庫に生地が残っているの」
張り切って用意しすぎたみたい、とトリエルは気恥ずかしそうに続ける。たしかに、パイの大きさから推測するとクッキーもそれなりの量を用意しそうな気がする。それを踏まえてクッキーの数を確認すると、たしかに物足りないというか、目に見えている量が全てとは到底思えない。
フリスクと目配せを交わす。もしも疲れているようなら休んでもらったほうがいいと思ったけれど、フリスクは拳を固く握り締めて、全身でやりたい、とつよくアピールしていた。愛らしい挙動に頬が緩む。
「ぜひ!」
口を揃えて、勢いよく返事をする。一瞬驚いた表情をしたトリエルはすぐに破顔して、私たちの頭を順に撫でてくれた。
「じゃあ、この抜き型で抜いてもらっていいかしら?」
「うん!」
「ほかに使いたい型があったら、引き出しの中のものも自由に使ってくれていいわ」
「ふふ、お星様の形もある」
トリエルに言われた通りに引き出しを開ける。すると、星の形をした可愛らしい型が大切そうに仕舞われていた。他にも、ハートと花、イヌやネコやうさぎにクマ、おばけに魚、雪だるまや雪の結晶など、種類が豊富だ。ワッフルやビスケットの形にくり抜いて模様をつけるタイプの抜き型もある。愛くるしいものが多いのは、家の内装から察するにトリエルのシュミなのだろう。
「……ええ、そうなの。子どもがすきだと思って」
そう話したトリエルは、冷やした生地を取り出すために私たちに背を向けて屈んでいたから、表情はよく見えない。トリエルの話している子どもは、フリスクを指したんだろう。
「たしかに、昔もいまもすきだなあ」
イビト山に辿り着くまでにいろんな土地を巡ったけれど、大地も空もどこまでも繋がっていた。見上げる夜空に輝く星々に、何度、目を奪われたか、もう覚えていない。それくらい魅力的だから、トリエルが星のクッキー型を持っていることがうれしかった。
トリエルが作業スペースの確保と後片付けに勤しむ傍ら、フリスクはお魚のクッキー型を、私は星のクッキー型を持ってくり抜いていく。フリスクとちょっとした競争もした。どっちが多くクッキーをくり抜けるか。勝敗はあってないようなもので、余すことなく生地を使い切ったフリスクを賞賛しておしまい。
鉄板の上に間隔を開けて並べたら、あとはトリエルにお任せ。魔法の炎で調理してくれるらしい。
「ジンジャーブレッドだから、アイシングもしてみる?」
「するする!」
トリエルの提案に一も二もなく頷いたのはフリスク。フリスクにあんな質問をしておいて虫のいい話だとは思うけれど、フリスクが楽しそうで良かった。
胸に温かい気持ちが差した次の瞬間、私の身体は硬直する。
「そ、そんなに使うんだ……」
「ええ、一般的な量よ」
トリエルが計量カップで掬ったのは、粉砂糖カップ二杯。他にも材料を加えて、それからふるいにかける姿を呆然と見つめる。普段作らないから知らなかったけれど、たくさん砂糖を使っていたらしい。おいしいわけだ。世界の真実に気付いてしまった気分だ。
「私、トリエルのお手本が見たいな」
「ボクも、ママのアイシング見てみたい!」
「そんなに面白いものは作れないわよ?」
そう話しながら、トリエルは透明なシートを取り出して、器用に巻き、道具を作り出す。アイシングを絞るためのもので、コルネというみたい。仕上げたアイシングを手際よく詰め、先端を垂直に小さく切ったら斜めに持ち、細く紡いだアイシングで丁寧にお花を描いていく。
「いや、この出来なら庭先で売れるよ……」
故郷じゃありふれたレモネード売りを思い浮かべながら、売り物に匹敵する出来のうつくしい作品を注視する。地底でも、そういう文化ってあるのかな。スイーツ即売会があるんだし、一般的なのかも。
「そんな大層なものじゃないわ。でも、ありがとう」
照れ笑いを浮かべるトリエルに朗らかな笑みを返しながら、私とフリスクはアイシングに取りかかった。
やる気に溢れたフリスクは、魚の形のクッキーに目やウロコの模様を描いていく。私も見よう見まねで絞り出した。幅が均等になるように線を綴るのは難しくて、でも、楽しい。雪だるまにドットのボタンで飾り付けたり、ハートのクッキーに花びらを絞るのも数を重ねるうちに上達していく。
「難しいけど、楽しいね、フリスク」
「うん、すっごくたのしい!」
「良かったわ。乾くまで、もうすこしこのままにしましょう」
「うん!」
喜色を滲ませたフリスクの返事に倣って、私も頷く。
「完成まで時間がかかるから、先にお部屋の案内をするわ。ついていらっしゃい」
魔法の炎はつきっきりじゃなくても平気みたい。コンロで調理していた頃は火元から離れるなんて考えられなかったから、改めて魔法のすごさの目の当たりにしているんだ、と感慨深く思う。
来た道を遡るトリエルを追いかけ、先程踵を返した廊下に戻る。
トリエルは、迷子にならないようにフリスクの手を握った。……かと思いきや、なぜか私の手も繋ぐ。トリエルを中心に、彼女の左手側にフリスク、もう一方に私、といった具合に。この廊下には私の他にトリエルとフリスクしかいないけれど、さすがにすこし恥ずかしい。羞恥で顔は真っ赤に染まっていると思う。トリエルの影に隠れるように俯いて、されるがまま一番近くの部屋の扉の前まで一緒に歩いた。遺跡でも似たようなことがあったけれど、あのときは不可抗力というか、抱えられていたのでノーカウント。今回はまた違った羞恥に襲われている。
気付かれないようにそっと深呼吸を繰り返す。落ち着きを取り戻して、ようやく周囲を見る余裕を得た。部屋は三つあるみたい。トリエルの家族が住んでいるのかな。そう言えば、リビングにあったイスは大人用が二つで子ども用が一つだった。年季を感じさせるテーブルに合わせた作りの調度品だから、急拵えで作ったものでも、急遽用意したものでもないと思う。きっと、ご家族はいま出払っているんだろう。
「さあ、ここが貴方のお部屋よ。気に入ってもらえるといいけれど……」
静かに手が離れたので、じっと扉を見つめる二人からほんのすこしだけ距離を置く。ついでに他の部屋の前まで歩いて確認してみる。一番の部屋には『改装中』のプレートが提げられていて、端まで歩くと横長の鏡があった。映った私はすこし疲れた表情をしていたので、無理矢理に笑顔を繕う。辛気くさい表情で、温もりに満ちたこの家に滞在したくなかった。
「それから……、スフィア?」
「呼んだ? いま戻るね」
トリエルとフリスクの話は終わったみたい。素早くトリエルたちに合流すると、フリスクはトリエルが優しく頭を撫でてくれているおかげか、朗らかな表情で出迎えてくれる。
「あまり面白いものもないでしょう? ごめんなさいね」
「ううん、そんなことないよ」
興味を引かれるものは多い。リビングの暖炉のそばの本棚の本も、廊下に飾られた見覚えのある植物の名前も気になる。
「もちろん、貴方のことも忘れていないわ。でも……、この部屋は貴方には小さすぎるから、私のベッドで休んでちょうだい」
諭すような物言いにも慣れてきた。トリエルは、自分より年下ならみんな子どもに見えてしまうのかもしれない。そう思われてしまうほど、私が子どもっぽい性格という可能性に関しては目を瞑る。
「え、いいの? トリエルは休む場所ある?」
「いいの。あなたはお客さんだもの。おもてなしさせて?」
「えっと……、この隣の部屋は……?」
改装中と書いてあるのは目に入ったけれど、トリエルのベッドを占有するのは気が引ける。とにかく聞いてみることにした。
「ごめんなさい。隣の部屋は……改装中で、中に入れてあげられないの。今日はこの部屋のベッドで許してちょうだい」
「リビングにあったソファでも私は構わないよ?」
「ダメよ。怪我もしていたし、疲れているでしょう。ベッドで寝るべきだわ」
命の恩人に言われては頷かざるを得ない。
「あら? 焦げ臭いわね……。たいへん!」
「このにおい……クッキー?」
「ええ、そうみたい。クッキーが冷めたらまた来るわ。ふたりとも、ゆっくりしていてね!」
フリスクと部屋の前で別れ、押し切られる形で部屋に転がり込む。フリスクが案内された部屋に顔を出すべきかしばらく悩んで突っ立っていると、孤独になったせいか急に疲労が押し寄せてきた。ふらふらと重たい足取りで歩くと、机の上に上がっているトリエルのノートが目に入る。日記帳かな。覗くのはいけない、と自らを戒めたものの、足は思うように動かない。そのまま縺れて倒れ込む。手を突いた場所が悪く、咄嗟に日記を掴んでしまったみたい。すぐに手を離したつもりだけれど、指先に引っかかったのかノートが落下。折れやシワになったら一大事だ。すぐに目を通す。幸いなことに、杞憂で終わったみたい。安心したせいで気が抜けて、日記の一文を無意識に読んでしまった。
綴られていたのは、トリエルの渾身のダジャレ。他にも、似たようなダジャレがたくさん書き連ねてある。
さすがに気が重くなった。
あんなにも歓迎してくれて、日記の内容にダジャレを綴るひとに、どう考えたって悪いひとはいない。でも、私は私の目的のために、先に進む必要がある。
手首に巻いた小瓶のペンダントトップが、まるで私の心境を映すように揺れていた。
重苦しい沈黙の中、溜まっていた空気を吐き出す。それを聞いていたのは部屋の中のサボテンや金色の花たち。もしかしたらフラウィやベジトイドのように喋り出すのかもしれない、とすこしだけドキドキした。残念ながら、トリエルの部屋の植物は寡黙だったみたい。目を引く金色の花の見上げながら本棚に近付くと、真っ先に図鑑が視界に飛び込む。地下に棲息する植物が載っているみたい。手に取ってぱらぱらと捲ると、真ん中辺りのページにガマの記載があった。廊下に飾ってある植物の名前が判明したところで、控えめなノックの音が割り込む。
「トリエル?」
「スフィア、起きているかしら?」
「うん、起きてるよ。休みに来たの?」
図鑑を仕舞い、扉のほうへ歩き出す。出迎えると、トリエルは苦笑いを浮かべて佇んでいた。
「落ち着ける場所が少ないでしょう、窮屈な思いをしていないか心配で」
トリエルは、質問には答えなかった。違和感を覚えたけれど、それよりも切羽詰まった表情が気になる。だから、何事ともなかったように会話を続けることにした。
「ううん、トリエルは良くしてくれてるし、感謝してる。ありがとう」
「だと、いいんだけれど……」
言いにくそうに言葉を濁すトリエルを彼女自身の部屋に招いて、大きなベッドの縁に腰を下ろす。
「……聞きたいことがあるの」
改まった声に、身体が強張る。日記を見た負い目もあって、隣を直視できない。フリスクがいないいま、一体何を聞かれるのだろう。身構えながらもゆっくりとトリエルに向き直ると、彼女は真っ直ぐに私を見つめていて、鼓動が跳ねた。心音がうるさくて、声がうまく吐き出せない。無言で続きを促す。
「貴方が持っていた小瓶、あの中身は……」
真っ赤な瞳から目を逸らせない。覚悟を決めるまでに、何度も何度も喉が震える。勇気を振り絞る私を、トリエルは辛抱強く待ってくれた。
「モンスターの、遺灰だって聞いてる」
トリエルは相変わらず黙ったまま。視線は逸らされなかった。強い眼差しに、私のほうがたじろぐ。
「……昔、人間とモンスターの間で戦争があったって言い伝えがあって。そのモンスターの生き残りがひそかに地上で暮らして。……そして、命を落としたときに遺ったもの、なんだって」
私が遺灰を見つけたのは家の倉庫だった。きっかけは本当に単純で、倉庫からレモネード売りの道具を引っ張り出すつもりで、捜索に足を踏み入れたのが発端。埃に塗れてもきらきらと輝きを放つ小瓶を発見したときは、心が弾んだ。色褪せた日常に彩りが添えられたような錯覚。これだ、と思った。欠けていた人生のピースに出会えたような気がした。
幸いなことに、一部始終を記したメモも近くに置いてあった。劣化が激しくて、所々解読できなかったけれど。私のご先祖様は、この灰を遺族に渡してあげたいと思っていたみたい。目的は明確で、でも、方法だけが定かではなかった。だって、この世界にモンスターはいない。いないものを探すなんてナンセンスだ。だから、だと思う。メモの最後には、意志を継ぐ者を待つ、と綴られていた。近頃の玩具の説明書のほうがよほど親切に思えるほど、情報が虫食いで、自分勝手なメモだった。
なのに、胸は躍る。未知に対する興味と好奇心が私を突き動かす。
その日から、小瓶は宝物になり、遺灰を本来の持ち主の元に還してあげることが、私のしたいことになった。
「叶うなら、この子の家族……親戚や知り合いのもとに届けてあげたいんです」
それが、私が旅をする理由。地上で風化してしまったモンスターの情報を求めて、冒険を続けてきた。
「そもそも、モンスターたちの話がおとぎ話のようなもので、半信半疑だったけれど……。ここに落ちたおかげで、可能性があるってわかったから」
「……貴方は、山の近くに住んでいたの?」
「ううん。でも噂を聞いたの」
「登ったら戻ってはこれないと?」
「あー……、それもあとから聞いた。けど、理由の全てじゃないよ。私が来たきっかけはね、この山の近くの花畑で、異形の化け物が子どもを襲ったって噂を聞いたからなの」
「異形の化け物……」
表情を曇らせるトリエルを見て、言葉を誤ったと気付いた。
「あー……、聞いたまま話してごめんね。もしかしたら、モンスターのことかなって思って。いままでも真偽をたしかめに各地を巡ってたから、その延長のつもりだったんだけど……。山に登ったあと、気が付けば滑り落ちてしまったみたい」
「……話の詳細はわかる?」
「え? うん。口伝だから、結局真実については怪しいけど、それでもいいなら」
「――その話、ボクも聞いていい?」
トリエルと私しかいなかった部屋に第三者の声が転がる。声の主に視線を向ければ、そこにいたのはフリスクだ。眠れなかったのだろうか。
「……休めなかった? 枕が合わなかったのかしら?」
「ううん、十分休んだよ。……ボクも、その話聞きたいんだ。ダメかな?」
「私は構わないけど……、楽しい話じゃないよ?」
「それでも、聞きたいな。それって、アズリエルの話だと思うから」
「アズリエル? フリスクの知り合いの子の名前?」
「ううん。……でも、名前は知ってる」
聞き覚えのない名前だった。フリスクはどこで聞いたのだろう。
「フリスク、どうしてアズリエルの名前を……」
同じことをトリエルも思ったらしい。けれど、反応が少し引っかかる。まるで、トリエルはその名前を元から知っていたみたい。
「フロギーが話してるのを聞いたんだ」
「あら、どの子が話したのかしら……」
「それに、お部屋に名前があったよ」
「お部屋って、隣の部屋?」
どちらも初耳だったけど、それならフリスクだけが知っているのも得心がいく。遺跡でははじめて見るモンスターや魔法に驚いてばかりで、あんまり余裕がなかったから。
「うん。あのお部屋に、いたんだよね?」
ひとりで納得しているうちに、話はどんどん進んでいた。そのアズリエルという子は、トリエルとどういう関係なんだろう。それに、フリスクは私が聞いた話をアズリエルの話だと言った。どんな根拠があるんだろう。
トリエルは両目を閉じて長考の姿勢に入る。私としては、フリスクが構わないというのなら、フリスクの耳に入れても良いと思ったけれど。なにやら関係していそうなトリエルの反応を見ると悩ましい。
「……そうね。私も、話さなきゃいけないわね」
元から真っ赤なトリエルの瞳が、このときだけは泣き腫らしたものに見えた。