ニンゲン夢主の名前
Only the saving grace.
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バリアが消え、地底世界のモンスターたちは続々と地上への進出を果たした。彼らの傍らには、バリアの消失へと貢献したフリスクの姿がある。
これは決してゴールではない。
むしろ、ここから先にスタートラインがある。
「ま、ボクには関係ないね」
冷めた眼差しを地上へ注ぐのは、花びら六枚で構成される金色の花、フラウィだ。花の姿へ逆戻りした彼は、ひねくれた言葉を吐き出す。
地底はずいぶん静かになり、窮屈だったまちも広く感じられる。もちろん、退屈に変わりはない。しかし、フラウィはフラウィなりに訪れた平穏を享受していた。悪くない、と思える程度に心境の変化が訪れていたのである。
予想もしなかったエンディングを見たせいでもあるが、理由はほかにも存在した。
「余計なことして。……ボクにはわからないよ」
周囲に誰もいないのをいいことに、フラウィは自分の内側へと悪態を吐く。どうせ届きやしないのに、言わずにはいられなかった。
最期にアズリエルを約束を交わしたグレースは、この地底のどこにも存在しない。それどころか、地上にだっていやしない。
グレースはニンゲンのタマシイの持ち主だった。モンスターのタマシイとは比べるまでもなく圧倒的な強さを誇るタマシイを、あろうことかフラウィへと捧げたのである。グレースは存在そのものを賭して、心という器へと昇華した。
けれど、あと一歩のところで足りなかった。
当然だ。ニンゲンひとりのタマシイだけで心を象ることができるのなら、王を打ち倒した果てで、フラウィが執拗にフリスクを攻撃する必要はない。真に心を取り戻せていたのなら、フラウィは攻撃をやめていただろう。ニンゲンと友達になる可能性だってある。でも、そうはならなかった。
タマシイが六つ揃っても、フラウィは満たされない。七つに匹敵するタマシイが集っても、元来の優しさが足枷となって、掴んだはずの心を手放す。
現実を直視できないアズリエル・ドリーマーの甘さは、彼自身を苦しめる。フリスクがなにを選んでも、報われないはずだった。
なのに。なのに。
そのアズリエル・ドリーマーの存在が、結末を覆す。彼が、自身が取り込んだモンスターたちの気持ちを知ったように、取り込まれたタマシイたちも彼の人となりを知った。それは、フラウィに注がれたケツイにも影響を及ぼす。そしてケツイはグレースのタマシイと結び付いた。
空っぽの器に、不完全ながら心が生まれる。
だが、フラウィにはグレースの選択の意図がわからない。やり直す力もないくせに、わざわざ身を擲 つなんて。かつてのキャラは計画を立ててから実行した。でもグレースにはそんな考えがなかった。向こう見ずの愚者だ。
フラウィはかつての記憶に想いを馳せる。
モンスターを地底に縛り付けていた忌々しいバリアは消えた。もちろん、多くの住民は地上を目指して旅立つ。日の光溢れる地上で暮らすために。
だと言うのに、真っ先に帰ってきた者たちがいた。逆光で影ばかりが強調されるが、ひとりはわかりやすい。背の高いスケルトンだ。
「あ! お花さん!」
予想に違わず大きな声で溌剌と、パピルスは名を呼ぶ。その声で察したのか、隣の小さな人影は片手を挙げた。
「フラウィ!」
つい最近地底に落っこちて世界を救ったニンゲンにして英雄、フリスクの声だ。
しかし、呼び掛けられたフラウィの反応は遅れる。思考に耽っていたため、完全に虚を突かれた。静かな地底を闊歩しながら思い出をなぞっていたのである。決して悟られないよう取り繕うのも一苦労だ。
「ん? フリスク、フラウィってお花さんの名前?」
「うん、そうだよ」
「オレさまはじめて知った!」
「みんな、あんまり名前聞かないからね」
「そうなのだ。オレさまはフリスクの名前もフラウィの名前も知らなかった……。でもこれからは大丈夫ッ! はじめに名前を聞くからね!」
「それがいいと思うな」
話題はフラウィだが、当人を置き去りにして会話は進んだ。面白くなくて、フラウィは思わず口を開く。
「……なに? つまらない話をするために戻ってきたの?」
「ううん、フラウィと話すのは楽しいよ。でも今回は、ナプスタブルークの忘れ物を取りに来たんだ」
「……フリスクにもらったお茶……家にあるから……引き取ってもらおうと思っテ……」
「覚えがないんだけど……、見たほうが手っ取り早いから」
だから来た、とフリスクは言った。相変わらず無表情のように見えて、口許が綻んでいる。知ってか知らずか、傍らのふたりも嬉しそうに表情を緩めていた。
だが、パピルスがついてくる必要はないだろう、とフラウィは怪訝な眼差しを向ける。
「熱烈な眼差しッ! フラウィの期待に応えて教えてあげるねッ! オレさまはフリスクをエスコートしてるのだ! 骨手が必要だからねッ!」
「……エスコートって必要なことなの?」
「うん! メタトンからも頼まれたからねッ!」
続けられた言葉で腑に落ちた。パピルスの性格上、エスコートの件も本心だろうが、とフラウィはアタリをつける。しかし、それよりも気になってることについて尋ねることにした。
「……つまり、ウォーターフェルまで行くの?」
「うん、そのつもり。……フラウィも着いてくる?」
フラウィは逡巡し、無言を挟む。間を置いて口を開いても、その声には戸惑いが滲んでいた。
「……グレースもいないのに?」
言ってからフラウィは我に返る。逆に彼女の存在を期待しているかのような発言だった。自ら、キャラとグレースの違いを語っておきながら、同じように求めていたなんて笑い草にもならない。
折しも、目の前の三人はグレースとの関わりがあった。グレースはモンスターとの交流がほとんどなかったくせに、数少ない交流者ばかりが集うなんてどんな因果だ、とフラウィは吐き捨てる。
「忘れて」
三者三様に間抜け面を晒す彼らに、フラウィはすかさず言い放つ。視線を逸らしたはずなのに、膝をついて覗き込むパピルスと目が合った。
「グレースって? フラウィのオトモダチ?」
「はあ? 居候だろ?」
「ところでイソーローさんってだれ?」
「…………………………………、覚えてないの?」
パピルスは至って真剣で、冗談を言っている風ではなかった。フラウィの身体の中を得体の知れない不安が這い回る。ひどく気分が悪い。まるで悪夢の中にいるかのようだ。フラウィは焦燥に駆られるがままフリスクへ視線を投げる。意図を察したフリスクは、けれど、首を横に振った。ナプスタブルークも、恐らく同じ返答をするだろう。繰り返し積み重ねて摩耗した過去の記録が、フラウィにそれを教えてくれる。
浮かび上がった不確定な仮説を棄却するため、フラウィを意を決して方針を定めた。
「……、わかった。着いてくよ。用ができたから」
「フラウィ? 大丈夫?」
「別に平気さ。ほら、行くんだろ?」
案じたフリスクの眼差しを振り切るように、フラウィは道行きを先導する。元々ひとりで見て回る予定だったのだ。同行者が増えて煩わしいが、飲み込んで進む。
彼女と初めて会った場所には何かしらの痕跡があるかもしれない。そんな淡い希望を抱き続ける。つまらない感傷であることも、縋るように彼女の生きた証を探している自覚も、まだなかった。
道すがら、フラウィは思案する。
グレースと関わりのあった三人は、どうやら彼女を覚えていないらしい。あのエンディング以降リセットやロードの形跡はない。つまり、記憶が欠如するきっかけはどこにもない。
気になるのが、ナプスタブルークが言ったフリスクの忘れ物。当のフリスクが覚えていないというそれは、もしかしたら、ひょっとしたら、グレースの痕跡ではないか?
希望よりも頼りない期待が、フラウィの中に芽生えていた。
フリスクとパピルスが共通の話題で盛り上がり、同意を求める形でフラウィやナプスタブルークに水を向ける。道中はその繰り返しで、早くもフラウィは後悔していた。
ようやくナプスタブルークの家に辿り着いた頃には、すっかり口数が減っていた。勝手知ったる他人の家に上がり込んだフラウィが目敏く見つける。それは何の変哲もないただのお茶だった。もちろん、置き場所がゴーストの家でなければ、だが。
「これ……じぶんで買った覚え……ないんダ……」
ゴーストのナプスタブルークは触れられるものが限られる。ゆえに、指を差しながら口頭で説明をした。遅れて視界に収めたパピルスは、大袈裟なくらいに驚き、直後には得意げに胸を張る。
「それ、知ってるぞ! ガーソンのお店で買えるお茶だねッ!」
「そういう見た目だったんだ。ごめん、買ったことないから知らなかったよ」
「……ん? つまり、このお茶はフリスクが買ったものじゃないの?」
「うん」
「うー…………」
フリスクとパピルスの会話を聞き、ナプスタブルークは戸惑っているようだ。友達の忘れ物と判断していたお茶に、出処不明にレッテルを貼らざるを得なくなったのだから当然だろう。フラウィは口を挟まないが、冷めた眼差しを向けることは止めない。
「どうしよウ……飲めないヤ……」
「このお茶、ナプスタは持てないし飲めないんだね?」
「うん……わるいけど……キミにあげるネ……」
「そういうことなら、受け取るよ」
ゴーストだから、持とうとしてもすり抜ける。当然、お茶が飲めるわけもない。無用の長物だ。誰がなんのために置いたのか、それともイタズラか。謎だけが尾を引く。
「……キミ、ほいほい受け取ってたら今後痛い目見るんじゃない?」
「心配してくれてありがとう、フラウィ」
「……………………」
苦言を呈するべきか悩んで、一旦保留とする。何を言っても、フリスクはバカみたいな思考で前向きに捉えそうだったから。そのお人好し加減には付き合いきれない、とフラウィはそっぽを向く。視界の外れで、お茶がフリスクに渡ったのが見えた。
「えっと……パピルス、そのお茶はガーソンの店で売ってるんだよね?」
「うん! アンダインから聞いたことがあるから間違いなしッ! オレさまも見かけたことあるし!」
「ガーソン、まだ店にいるかな?」
「ガラクタの処理に困って残ってるんじゃない?」
フリスクの問いかけに答えられる者はいない。多くの者が地上に行き、地底の現状に詳しくないのだ。ただ、フラウィだけが彼の性格を基に推理を述べる。
「じゃ、ガーソンのお店に寄っていこう。いるといいな」
「だれが買ったか聞くのだなッ! まるでおつかい! ニャハハ、みんなでおつかいなんて、今日は最高の日だねッ」
奇しくも、フラウィと同じ考えに辿り着いたフリスクの提案は、皆に受け入れられた。フラウィは毒を吐いたが、川のせせらぎに掻き消されてしまう。一行は川の近くへと向かい、見えてきた店の入口を潜った。
迎え入れてくれた歴史家は、フリスクの手の中にある商品を見て、不思議そうに目を瞬かせる。
「なんじゃ? 返品は受け付けとらんよ」
フリスクが事情を説明すると、ガーソンは眉間に新たなシワを刻む。悩ましげに腕を組み、唸り声を上げた。
「ゴーストへの手土産かなんかしらんが、おかしなチョイスじゃのう。それに、客の顔を忘れたことはないんじゃが……いかん、ちぃとも思い出せんわい」
売った覚えもなく、ゴースト相手に意味のないアイテムを売るほど耄碌しているつもりもない、とガーソンは話す。フラウィは適当な相槌を打って聞き流すが、パピルスは興味を持ったようだ。
「謎の差し入れ……、オレさまなんて言うか知ってるぞ! これがユーレイ差し入れだねッ!」
ぽかん、と口を開けてる一同を見渡して、パピルスは不思議そうに首を傾げる。
「あれッ? 違った? 本には姿の見えないものをユーレイって言うって書いてあったよ?」
「……どうでもいいけどさ。店でわからないなら、これ以上ここにいても意味がないでしょ」
パピルスのペースに巻き込まれないよう、フラウィは遮るようにして口を挟む。当のパピルスは気を悪くした風でもなく感謝を口にした。感情を込めずに息を吐き、フラウィは真っ先に地中へと潜る。一足先に店を出たフラウィの背後では、それぞれが口々に別れの挨拶を告げていた。ガーソンは鷹揚に頷いて応える。
「で? 用は終わったの?」
一部始終を見ていたが、収穫はないに等しい。純粋な疑問と皮肉が同じくらいの割合で込められた問いである。
「それがさっぱり! 謎が増えてしまったな!」
パピルスの返答はいっそ清々しい。爽やかに言い放ったあとは、瞳を燃やすように拳を握りしめた。
「これは、星占いよりもナンカイなパズルに違いない!」
「……ま、ある意味ではそうなのかもね」
すげなく返し、フラウィは遠くに視線を投げた。道の奥に、こちらへ背を向けて作業しているモンスターがいるようだ。地底に残った物好きの後ろ姿をなんとなく見つめ、フラウィは思考を整理する。
もし、フラウィが立てた仮説通りならば。この世界の住人のほとんどはナンカイなパズルの答えに辿り着けない。そもそも理不尽な問題だ。解なしの廃問に近い。わざわざ指摘してやる義理はないが、フラウィの内側に生じたわだかまりは中々解消されない。不満を持て余したフラウィはくだらない、と毒を吐く。
「このまま地底で今日を過ごす気?」
「ナゾトキが終わってないのは嘆かわしいけど……、そろそろ帰らなきゃ!」
「あ……ゴメン……。戸締まり……確認してないヤ……」
「それは大変ッ! 家にイヌが入っちゃう! オレさまはみんなとここにいるから、確認に行って!」
パピルスの言葉に異論を唱えるものはいなかった。フラウィだけは勝手なこと言わないでくれる? と口にしたが、聞き入れてもらえず流された。彼は不貞腐れたように沈黙を保ち、ナプスタブルークを見送る。ゴーストは音もなく自宅へ飛び立ち、一行に暇を与えた。突如生まれた時間を潰すべく、フラウィは改めて遠くにいるモンスターを両眼に捉える。
最初に目に付くのは、青くて小さなバスタブだ。
どうやら、一心不乱に床を拭いているらしい。動きに合わせて緑色のしっぽが揺れ動く。
外見は亀にも見えるが、ガーソンとは似ても似つかない。甲羅の役割を果たすかのようなバスタブは水で満たされているが、どんなに動いていても中身が零れることはなかった。そんな甲羅の奥で、まあるい頭が上下する。
「ダメだ、汚すぎる。清潔にしないと」
漏れ聞こえた言葉と姿から、潔癖症のウォッシュアだとわかった。フラウィたちの視線にも気付かず、濡れた地面と格闘している。水浸しで色が変わった地面は、淡く緑に輝いているようだ。ウォッシュアが使う魔法に酷似しているが、本人の発言には怒りが孕む。恐らく、第三者の仕業なのだろう。
それが誰かはわからない。そう断定しようとして、フラウィの中で何かが引っ掛かる。違和感が思考を掠めて、咄嗟に傍らのふたりを窺った。しかし、ウォッシュアの行動に違和感を抱いている様子は見受けられない。
だから、仕方なくフラウィが問うしかなかった。
「……誰が水浸しにしたの?」
振り向かず見向きもせず。しかし、声は届いていたらしい。ウォッシュアはすぐさま口を開く。
「知らない。でも、きっとろくでもない誰かだよ」
「……………………………………」
フラウィは静かに目を閉じて回顧する。
グレースとの付き合いは短い。逆に言えば、交わした言葉のほとんどは記憶に根付いていた。
『ウォッシュアから教わったの。清潔な水で回復できないかなって』
教わった、と言っていた。ならば実践したに違いない。ウォーターフェルの一部分を水浸しにするほどに。
いまさら清掃をしているということは、グレースが練習していたときはそばにいなかったのだろうか。……いや。どのタイミングでグレースの記憶が抜け落ちたのかはわからないが、ウォッシュアとグレースがトモダチなら、笑って許したのかもしれない。
パピルスがアンダインの家の窓を壊しても、フリスクがアンダインの家を燃やしても、アンダインは怒らない。それはトモダチだからだ。
ウォッシュアも同じように、トモダチのグレースが魔法の練習で床を水で荒らしても文句のひとつも言わずに流した。そう考えられるのでは、とフラウィは仮定する。
「……ハ、ハハ……」
もしも、仮定に誤りがないのなら、あまりにも理不尽だった。
かつてのトモダチに忘れ去られ、関係性はリセットされ、挙げ句の果てに悪態を吐かれるなんて。たとえ本人の意思だったとしても、こんな副産物は予想していなかったに違いない。
グレースの行いは、拭い去れない痕跡は、地底にたしかに存在した。それでも、痕跡から彼女の軌跡だと判断できるのも、感情を差し込めるのも、フラウィだけだ。
心の痛みは増していく。
自分以外のことで疎外感を覚えるなど、初めての経験だった。
「――お花さんッ! ……じゃなかった、フラウィ? 地上に行かないの?」
「気が向いたらね」
別れ際、パピルスは花びらを優しく小突いて尋ねる。名残惜しさが滲む動作だがくすぐったい。フラウィは蔦を絡めて止めさせる。横目で見ると、フリスクは帰ってきたナプスタブルークとの会話に夢中で、助け舟は期待できない。
「ホントッ? 明日かな?」
「さあね」
のらりくらりと言葉を返す。まともに取り合わないのは八つ当たりなのか、厄介払いのつもりなのか、フラウィ自身にもわからない。不快感から目を逸らすように強引に地上組を見送って、いつものように地中に潜る。
ただわかっているのは、誰も彼も、グレースのことを覚えていないということだけだ。
□■□
フラウィは自身の意志で地底に留まっていた。地上への興味がないわけじゃない。ただ、キャラやグレースの痕跡が刻まれたこの地底から離れるには、もうすこし時間が必要だった。
フラウィは、バリアが消えてから毎日、叶いっこない期待に突き動かされるように不法侵入を繰り返した。無人の家の多くは施錠済みだが、地中から向かえば鍵なんてあってないようなものだ。
今日も昨日と変わらない成果に飽き飽きしながら、それでも縋るようにフラウィは繰り返す。
だから、気分を変えて城まで足を伸ばそうと思ったのは自然なことだ。前はフリスクたちが電撃訪問したせいで調子が狂わされた。まるで刺客だった、と苦笑いを零し、フラウィは空っぽの玉座を目指す。
座るべきものがいない玉座は空虚で、誰に言われるまでもなく似たもの同士だと感じさせる。果たして、フラウィに欠けているものはなんなのだろう。
「……キミって、」
項垂れたフラウィは言葉を滑らせる。向けるべき相手は、自らの胸の内にしか存在しない。
グレースは自らのタマシイを代償にした。それは紛れもない事実だ。だが、彼女自身、その選択の副産物については考えてもみなかったのだろう。
地底のモンスターたちの記憶から消えてしまう、なんて。わかっていたら別の方法を取るか、もうすこし賢い立ち回りをするはずだ。たとえ無鉄砲でも、多少は。
「ほんとうに、バカだね」
いつものようにフラウィは毒を吐いた。聞かせたい相手まで運ばれることはない。それでも、何度でも言う。余分な心があるせいで、歯止めが利かない。
心を提供されたフラウィだからこそ、グレースの存在を覚えていられた。あのフリスクでさえ、グレースのことを覚えていない。ならば、ほかの誰かが覚えている可能性は絶望的だった。フラウィにグレースとの出来事を他人と語り合うつもりなど毛頭ない。ただ。もう二度とあの応酬が叶わないという事実に、不完全な心が苦しく呻く。
余分だった。心なんて置き土産は。
「バカだよ」
最早、誰に宛てているのかわからない独り言だった。グレースにか、己自身にか。ふたつの命は、いまではひとつに統合されてしまって、言の葉は大気にむなしく響く。
キャラのタマシイを取り込んだときとは状況がちがう。ひとつの身体にタマシイがふたつ存在していたが、あのときはまだ、キャラの声が聞こえていたのだから。
暗澹たる気持ちは、突然降って湧いた足音で保留せざるを得なくなった。
「よう。『救いようのない悪党』さん」
身に覚えのある言葉にフラウィは顔を上げる。
予想に違わず、声の主はニコニコと笑って花を見下ろしている。玉座の前に佇んでいるのは、フラウィがクズ野郎と呼ぶスケルトンであった。ほかのスケルトンに比べたら低身長。すっかりトレードマークとなりつつある青いパーカーを羽織り、中には白シャツを着込んでいる。下半身には骨のように白いラインの入った黒いハーフパンツ。足下まで視線を下げれば、まるで自宅でくつろぐかのようにスリッパを履いているのが見えた。以前、フラウィが格好について聞いたときにはカジュアルダウンだと話していたが、恐らくからかわれていただけなのだろう。
器用なことに、咲き誇る花を避けて立っている。フラウィに対する気遣いかどうかは判断に苦しむところだ。
見上げると茎の芯が痛いので、フラウィはスリッパに視線を固定した。無反応を貫いても意味がないと知っているフラウィは、仕方なく口を開く。
「なんだよ」
「いや。……アンタ、よっぽど居候 が好きなんだと思ってさ」
そこまで言われて、フラウィは弾かれたようにサンズを見上げた。視線が交錯するが、サンズはフラウィと言うよりも、フラウィの内に向けて話しているように思えた。
「……オマエ、覚えてるのか?」
アズリエルによって招かれた異邦のもの――稀人であるがゆえか、彼女の軌跡はこの世界から掻き消された。まるで、この在り方こそが正しい姿なのだと、世界が強制しているかのようだ。
「さあ。なんのことか。カマ 、かけてみただけだぜ?」
ずい、と突き出されたのはウォーターソーセージ――ガマ を挟んだホットドッグ。虚を突かれたフラウィは、視界を遮って飛び散るケチャップさえ気にならない。
言われた言葉の意味を、咀嚼していく。
どうやら、時間軸の歪みを認知できるサンズは、薄らと覚えていたらしい。いや、フリスクが覚えていないのだから、同居していた縁が記憶を留めたのか? ただ、パピルスは覚えていなかったから、その前提もどうだか。
しかし。
いずれにせよ、それまでだ。
フラウィはひとり、想いに耽る。
セーブもロードもしたことのないサンズに、グレースの説明は難しい。いまはまだ地底に残っている痕跡も、いずれ薄れる。それに、彼女が遺したのは、目には見えないものだ。たとえEXPやLOVEを可視化できたとしても、心までは見通せまい。ここにいるのに、いない彼女の軌跡を語る術など、フラウィは持ち得ないのだ。
これはありえないが、間違いなくハッピーエンドだろう。かつて、フリスクに『もっといいエンディングにする方法』を教えた。その上で、倒せたら『ハッピーエンド』をみせてあげるとも話した。
みんなが幸せになる方法を。
あのアズリエル・ドリーマーがフラウィの発言を汲んだかどうかまではわからないが、多くのモンスターは幸せになったことだろう。
だと言うのに、フラウィの内側は苦渋まみれ。心の痛みが警鐘のように鳴り響く。
「オマエ、なんで戻ってきた?」
「べつに。忘れもんがあったからな」
「……よっぽどヒマなんだね。さっさと行きなよ」
「せっかちは嫌われるぜ?」
「なんとでも言えよ」
フラウィは不機嫌を隠さず、サンズを邪険にする。露骨 な態度にサンズがつまらないギャグを披露したようだが、フラウィは聞き流した。
「ま、挨拶は済んだからな、パピルスからニューレターだぜ」
「は? ボクに?」
「他にいないだろ」
肩を竦めてみせたサンズの挙動に嫌気が差し、フラウィは早々に手紙を奪い取る。大文字で綴られた宛て名から、パピルスの大声が聞こえてきそうだ。
「返事はあとでいいって言ってたぜ」
遠い目をしてフラウィは、あっそう、と言葉を紡ぐ。
「じゃ、なにも言ってあげない」
「オイラの用事はそんだけだ。あとは好きなだけ独り言を楽しんでくれ」
「オマエ、性格悪いな」
サンズの余計な一言が耳障りで、フラウィは即座に言葉の刃を突き付ける。
「なにも言わないんじゃなかったのか?」
「……………………………………」
しかし、サンズは余裕綽々で言い返した。フラウィが押し黙ると、背を向けて歩き出す。どうやら、用事がこれだけというのは本当らしい。
フラウィは目立つ青色へ怪訝な視線を送り、完全に見えなくなってから細く息を吐く。
「……面倒な奴に目をつけられたな」
もしもここにグレースがいたのなら、元からだろう、と言ったかもしれない。しかし、残念ながら彼女はいないのだ。
フラウィが地底で過ごした膨大な時間に比べたら、グレースが同行したのはほんの僅かでしかない。グレースはキャラとは似ても似つかない存在だ。バカで、非効率で、愛嬌がなく、フラウィの計画の邪魔をして、自分本位にただ駆け回っていた理不尽の塊。枚挙に遑 がない。
――だから。
この心の痛みも、気のせいだ。
「バカだね」
罵倒はなぜか温もりに満ちて。ひとりごとが大気に融ける。肯定も否定も存在しない。差し込む柔らかな光だけが、一輪とひとりぼっちの玉座を照らし続ける。
これは決してゴールではない。
むしろ、ここから先にスタートラインがある。
「ま、ボクには関係ないね」
冷めた眼差しを地上へ注ぐのは、花びら六枚で構成される金色の花、フラウィだ。花の姿へ逆戻りした彼は、ひねくれた言葉を吐き出す。
地底はずいぶん静かになり、窮屈だったまちも広く感じられる。もちろん、退屈に変わりはない。しかし、フラウィはフラウィなりに訪れた平穏を享受していた。悪くない、と思える程度に心境の変化が訪れていたのである。
予想もしなかったエンディングを見たせいでもあるが、理由はほかにも存在した。
「余計なことして。……ボクにはわからないよ」
周囲に誰もいないのをいいことに、フラウィは自分の内側へと悪態を吐く。どうせ届きやしないのに、言わずにはいられなかった。
最期にアズリエルを約束を交わしたグレースは、この地底のどこにも存在しない。それどころか、地上にだっていやしない。
グレースはニンゲンのタマシイの持ち主だった。モンスターのタマシイとは比べるまでもなく圧倒的な強さを誇るタマシイを、あろうことかフラウィへと捧げたのである。グレースは存在そのものを賭して、心という器へと昇華した。
けれど、あと一歩のところで足りなかった。
当然だ。ニンゲンひとりのタマシイだけで心を象ることができるのなら、王を打ち倒した果てで、フラウィが執拗にフリスクを攻撃する必要はない。真に心を取り戻せていたのなら、フラウィは攻撃をやめていただろう。ニンゲンと友達になる可能性だってある。でも、そうはならなかった。
タマシイが六つ揃っても、フラウィは満たされない。七つに匹敵するタマシイが集っても、元来の優しさが足枷となって、掴んだはずの心を手放す。
現実を直視できないアズリエル・ドリーマーの甘さは、彼自身を苦しめる。フリスクがなにを選んでも、報われないはずだった。
なのに。なのに。
そのアズリエル・ドリーマーの存在が、結末を覆す。彼が、自身が取り込んだモンスターたちの気持ちを知ったように、取り込まれたタマシイたちも彼の人となりを知った。それは、フラウィに注がれたケツイにも影響を及ぼす。そしてケツイはグレースのタマシイと結び付いた。
空っぽの器に、不完全ながら心が生まれる。
だが、フラウィにはグレースの選択の意図がわからない。やり直す力もないくせに、わざわざ身を
フラウィはかつての記憶に想いを馳せる。
モンスターを地底に縛り付けていた忌々しいバリアは消えた。もちろん、多くの住民は地上を目指して旅立つ。日の光溢れる地上で暮らすために。
だと言うのに、真っ先に帰ってきた者たちがいた。逆光で影ばかりが強調されるが、ひとりはわかりやすい。背の高いスケルトンだ。
「あ! お花さん!」
予想に違わず大きな声で溌剌と、パピルスは名を呼ぶ。その声で察したのか、隣の小さな人影は片手を挙げた。
「フラウィ!」
つい最近地底に落っこちて世界を救ったニンゲンにして英雄、フリスクの声だ。
しかし、呼び掛けられたフラウィの反応は遅れる。思考に耽っていたため、完全に虚を突かれた。静かな地底を闊歩しながら思い出をなぞっていたのである。決して悟られないよう取り繕うのも一苦労だ。
「ん? フリスク、フラウィってお花さんの名前?」
「うん、そうだよ」
「オレさまはじめて知った!」
「みんな、あんまり名前聞かないからね」
「そうなのだ。オレさまはフリスクの名前もフラウィの名前も知らなかった……。でもこれからは大丈夫ッ! はじめに名前を聞くからね!」
「それがいいと思うな」
話題はフラウィだが、当人を置き去りにして会話は進んだ。面白くなくて、フラウィは思わず口を開く。
「……なに? つまらない話をするために戻ってきたの?」
「ううん、フラウィと話すのは楽しいよ。でも今回は、ナプスタブルークの忘れ物を取りに来たんだ」
「……フリスクにもらったお茶……家にあるから……引き取ってもらおうと思っテ……」
「覚えがないんだけど……、見たほうが手っ取り早いから」
だから来た、とフリスクは言った。相変わらず無表情のように見えて、口許が綻んでいる。知ってか知らずか、傍らのふたりも嬉しそうに表情を緩めていた。
だが、パピルスがついてくる必要はないだろう、とフラウィは怪訝な眼差しを向ける。
「熱烈な眼差しッ! フラウィの期待に応えて教えてあげるねッ! オレさまはフリスクをエスコートしてるのだ! 骨手が必要だからねッ!」
「……エスコートって必要なことなの?」
「うん! メタトンからも頼まれたからねッ!」
続けられた言葉で腑に落ちた。パピルスの性格上、エスコートの件も本心だろうが、とフラウィはアタリをつける。しかし、それよりも気になってることについて尋ねることにした。
「……つまり、ウォーターフェルまで行くの?」
「うん、そのつもり。……フラウィも着いてくる?」
フラウィは逡巡し、無言を挟む。間を置いて口を開いても、その声には戸惑いが滲んでいた。
「……グレースもいないのに?」
言ってからフラウィは我に返る。逆に彼女の存在を期待しているかのような発言だった。自ら、キャラとグレースの違いを語っておきながら、同じように求めていたなんて笑い草にもならない。
折しも、目の前の三人はグレースとの関わりがあった。グレースはモンスターとの交流がほとんどなかったくせに、数少ない交流者ばかりが集うなんてどんな因果だ、とフラウィは吐き捨てる。
「忘れて」
三者三様に間抜け面を晒す彼らに、フラウィはすかさず言い放つ。視線を逸らしたはずなのに、膝をついて覗き込むパピルスと目が合った。
「グレースって? フラウィのオトモダチ?」
「はあ? 居候だろ?」
「ところでイソーローさんってだれ?」
「…………………………………、覚えてないの?」
パピルスは至って真剣で、冗談を言っている風ではなかった。フラウィの身体の中を得体の知れない不安が這い回る。ひどく気分が悪い。まるで悪夢の中にいるかのようだ。フラウィは焦燥に駆られるがままフリスクへ視線を投げる。意図を察したフリスクは、けれど、首を横に振った。ナプスタブルークも、恐らく同じ返答をするだろう。繰り返し積み重ねて摩耗した過去の記録が、フラウィにそれを教えてくれる。
浮かび上がった不確定な仮説を棄却するため、フラウィを意を決して方針を定めた。
「……、わかった。着いてくよ。用ができたから」
「フラウィ? 大丈夫?」
「別に平気さ。ほら、行くんだろ?」
案じたフリスクの眼差しを振り切るように、フラウィは道行きを先導する。元々ひとりで見て回る予定だったのだ。同行者が増えて煩わしいが、飲み込んで進む。
彼女と初めて会った場所には何かしらの痕跡があるかもしれない。そんな淡い希望を抱き続ける。つまらない感傷であることも、縋るように彼女の生きた証を探している自覚も、まだなかった。
道すがら、フラウィは思案する。
グレースと関わりのあった三人は、どうやら彼女を覚えていないらしい。あのエンディング以降リセットやロードの形跡はない。つまり、記憶が欠如するきっかけはどこにもない。
気になるのが、ナプスタブルークが言ったフリスクの忘れ物。当のフリスクが覚えていないというそれは、もしかしたら、ひょっとしたら、グレースの痕跡ではないか?
希望よりも頼りない期待が、フラウィの中に芽生えていた。
フリスクとパピルスが共通の話題で盛り上がり、同意を求める形でフラウィやナプスタブルークに水を向ける。道中はその繰り返しで、早くもフラウィは後悔していた。
ようやくナプスタブルークの家に辿り着いた頃には、すっかり口数が減っていた。勝手知ったる他人の家に上がり込んだフラウィが目敏く見つける。それは何の変哲もないただのお茶だった。もちろん、置き場所がゴーストの家でなければ、だが。
「これ……じぶんで買った覚え……ないんダ……」
ゴーストのナプスタブルークは触れられるものが限られる。ゆえに、指を差しながら口頭で説明をした。遅れて視界に収めたパピルスは、大袈裟なくらいに驚き、直後には得意げに胸を張る。
「それ、知ってるぞ! ガーソンのお店で買えるお茶だねッ!」
「そういう見た目だったんだ。ごめん、買ったことないから知らなかったよ」
「……ん? つまり、このお茶はフリスクが買ったものじゃないの?」
「うん」
「うー…………」
フリスクとパピルスの会話を聞き、ナプスタブルークは戸惑っているようだ。友達の忘れ物と判断していたお茶に、出処不明にレッテルを貼らざるを得なくなったのだから当然だろう。フラウィは口を挟まないが、冷めた眼差しを向けることは止めない。
「どうしよウ……飲めないヤ……」
「このお茶、ナプスタは持てないし飲めないんだね?」
「うん……わるいけど……キミにあげるネ……」
「そういうことなら、受け取るよ」
ゴーストだから、持とうとしてもすり抜ける。当然、お茶が飲めるわけもない。無用の長物だ。誰がなんのために置いたのか、それともイタズラか。謎だけが尾を引く。
「……キミ、ほいほい受け取ってたら今後痛い目見るんじゃない?」
「心配してくれてありがとう、フラウィ」
「……………………」
苦言を呈するべきか悩んで、一旦保留とする。何を言っても、フリスクはバカみたいな思考で前向きに捉えそうだったから。そのお人好し加減には付き合いきれない、とフラウィはそっぽを向く。視界の外れで、お茶がフリスクに渡ったのが見えた。
「えっと……パピルス、そのお茶はガーソンの店で売ってるんだよね?」
「うん! アンダインから聞いたことがあるから間違いなしッ! オレさまも見かけたことあるし!」
「ガーソン、まだ店にいるかな?」
「ガラクタの処理に困って残ってるんじゃない?」
フリスクの問いかけに答えられる者はいない。多くの者が地上に行き、地底の現状に詳しくないのだ。ただ、フラウィだけが彼の性格を基に推理を述べる。
「じゃ、ガーソンのお店に寄っていこう。いるといいな」
「だれが買ったか聞くのだなッ! まるでおつかい! ニャハハ、みんなでおつかいなんて、今日は最高の日だねッ」
奇しくも、フラウィと同じ考えに辿り着いたフリスクの提案は、皆に受け入れられた。フラウィは毒を吐いたが、川のせせらぎに掻き消されてしまう。一行は川の近くへと向かい、見えてきた店の入口を潜った。
迎え入れてくれた歴史家は、フリスクの手の中にある商品を見て、不思議そうに目を瞬かせる。
「なんじゃ? 返品は受け付けとらんよ」
フリスクが事情を説明すると、ガーソンは眉間に新たなシワを刻む。悩ましげに腕を組み、唸り声を上げた。
「ゴーストへの手土産かなんかしらんが、おかしなチョイスじゃのう。それに、客の顔を忘れたことはないんじゃが……いかん、ちぃとも思い出せんわい」
売った覚えもなく、ゴースト相手に意味のないアイテムを売るほど耄碌しているつもりもない、とガーソンは話す。フラウィは適当な相槌を打って聞き流すが、パピルスは興味を持ったようだ。
「謎の差し入れ……、オレさまなんて言うか知ってるぞ! これがユーレイ差し入れだねッ!」
ぽかん、と口を開けてる一同を見渡して、パピルスは不思議そうに首を傾げる。
「あれッ? 違った? 本には姿の見えないものをユーレイって言うって書いてあったよ?」
「……どうでもいいけどさ。店でわからないなら、これ以上ここにいても意味がないでしょ」
パピルスのペースに巻き込まれないよう、フラウィは遮るようにして口を挟む。当のパピルスは気を悪くした風でもなく感謝を口にした。感情を込めずに息を吐き、フラウィは真っ先に地中へと潜る。一足先に店を出たフラウィの背後では、それぞれが口々に別れの挨拶を告げていた。ガーソンは鷹揚に頷いて応える。
「で? 用は終わったの?」
一部始終を見ていたが、収穫はないに等しい。純粋な疑問と皮肉が同じくらいの割合で込められた問いである。
「それがさっぱり! 謎が増えてしまったな!」
パピルスの返答はいっそ清々しい。爽やかに言い放ったあとは、瞳を燃やすように拳を握りしめた。
「これは、星占いよりもナンカイなパズルに違いない!」
「……ま、ある意味ではそうなのかもね」
すげなく返し、フラウィは遠くに視線を投げた。道の奥に、こちらへ背を向けて作業しているモンスターがいるようだ。地底に残った物好きの後ろ姿をなんとなく見つめ、フラウィは思考を整理する。
もし、フラウィが立てた仮説通りならば。この世界の住人のほとんどはナンカイなパズルの答えに辿り着けない。そもそも理不尽な問題だ。解なしの廃問に近い。わざわざ指摘してやる義理はないが、フラウィの内側に生じたわだかまりは中々解消されない。不満を持て余したフラウィはくだらない、と毒を吐く。
「このまま地底で今日を過ごす気?」
「ナゾトキが終わってないのは嘆かわしいけど……、そろそろ帰らなきゃ!」
「あ……ゴメン……。戸締まり……確認してないヤ……」
「それは大変ッ! 家にイヌが入っちゃう! オレさまはみんなとここにいるから、確認に行って!」
パピルスの言葉に異論を唱えるものはいなかった。フラウィだけは勝手なこと言わないでくれる? と口にしたが、聞き入れてもらえず流された。彼は不貞腐れたように沈黙を保ち、ナプスタブルークを見送る。ゴーストは音もなく自宅へ飛び立ち、一行に暇を与えた。突如生まれた時間を潰すべく、フラウィは改めて遠くにいるモンスターを両眼に捉える。
最初に目に付くのは、青くて小さなバスタブだ。
どうやら、一心不乱に床を拭いているらしい。動きに合わせて緑色のしっぽが揺れ動く。
外見は亀にも見えるが、ガーソンとは似ても似つかない。甲羅の役割を果たすかのようなバスタブは水で満たされているが、どんなに動いていても中身が零れることはなかった。そんな甲羅の奥で、まあるい頭が上下する。
「ダメだ、汚すぎる。清潔にしないと」
漏れ聞こえた言葉と姿から、潔癖症のウォッシュアだとわかった。フラウィたちの視線にも気付かず、濡れた地面と格闘している。水浸しで色が変わった地面は、淡く緑に輝いているようだ。ウォッシュアが使う魔法に酷似しているが、本人の発言には怒りが孕む。恐らく、第三者の仕業なのだろう。
それが誰かはわからない。そう断定しようとして、フラウィの中で何かが引っ掛かる。違和感が思考を掠めて、咄嗟に傍らのふたりを窺った。しかし、ウォッシュアの行動に違和感を抱いている様子は見受けられない。
だから、仕方なくフラウィが問うしかなかった。
「……誰が水浸しにしたの?」
振り向かず見向きもせず。しかし、声は届いていたらしい。ウォッシュアはすぐさま口を開く。
「知らない。でも、きっとろくでもない誰かだよ」
「……………………………………」
フラウィは静かに目を閉じて回顧する。
グレースとの付き合いは短い。逆に言えば、交わした言葉のほとんどは記憶に根付いていた。
『ウォッシュアから教わったの。清潔な水で回復できないかなって』
教わった、と言っていた。ならば実践したに違いない。ウォーターフェルの一部分を水浸しにするほどに。
いまさら清掃をしているということは、グレースが練習していたときはそばにいなかったのだろうか。……いや。どのタイミングでグレースの記憶が抜け落ちたのかはわからないが、ウォッシュアとグレースがトモダチなら、笑って許したのかもしれない。
パピルスがアンダインの家の窓を壊しても、フリスクがアンダインの家を燃やしても、アンダインは怒らない。それはトモダチだからだ。
ウォッシュアも同じように、トモダチのグレースが魔法の練習で床を水で荒らしても文句のひとつも言わずに流した。そう考えられるのでは、とフラウィは仮定する。
「……ハ、ハハ……」
もしも、仮定に誤りがないのなら、あまりにも理不尽だった。
かつてのトモダチに忘れ去られ、関係性はリセットされ、挙げ句の果てに悪態を吐かれるなんて。たとえ本人の意思だったとしても、こんな副産物は予想していなかったに違いない。
グレースの行いは、拭い去れない痕跡は、地底にたしかに存在した。それでも、痕跡から彼女の軌跡だと判断できるのも、感情を差し込めるのも、フラウィだけだ。
心の痛みは増していく。
自分以外のことで疎外感を覚えるなど、初めての経験だった。
「――お花さんッ! ……じゃなかった、フラウィ? 地上に行かないの?」
「気が向いたらね」
別れ際、パピルスは花びらを優しく小突いて尋ねる。名残惜しさが滲む動作だがくすぐったい。フラウィは蔦を絡めて止めさせる。横目で見ると、フリスクは帰ってきたナプスタブルークとの会話に夢中で、助け舟は期待できない。
「ホントッ? 明日かな?」
「さあね」
のらりくらりと言葉を返す。まともに取り合わないのは八つ当たりなのか、厄介払いのつもりなのか、フラウィ自身にもわからない。不快感から目を逸らすように強引に地上組を見送って、いつものように地中に潜る。
ただわかっているのは、誰も彼も、グレースのことを覚えていないということだけだ。
□■□
フラウィは自身の意志で地底に留まっていた。地上への興味がないわけじゃない。ただ、キャラやグレースの痕跡が刻まれたこの地底から離れるには、もうすこし時間が必要だった。
フラウィは、バリアが消えてから毎日、叶いっこない期待に突き動かされるように不法侵入を繰り返した。無人の家の多くは施錠済みだが、地中から向かえば鍵なんてあってないようなものだ。
今日も昨日と変わらない成果に飽き飽きしながら、それでも縋るようにフラウィは繰り返す。
だから、気分を変えて城まで足を伸ばそうと思ったのは自然なことだ。前はフリスクたちが電撃訪問したせいで調子が狂わされた。まるで刺客だった、と苦笑いを零し、フラウィは空っぽの玉座を目指す。
座るべきものがいない玉座は空虚で、誰に言われるまでもなく似たもの同士だと感じさせる。果たして、フラウィに欠けているものはなんなのだろう。
「……キミって、」
項垂れたフラウィは言葉を滑らせる。向けるべき相手は、自らの胸の内にしか存在しない。
グレースは自らのタマシイを代償にした。それは紛れもない事実だ。だが、彼女自身、その選択の副産物については考えてもみなかったのだろう。
地底のモンスターたちの記憶から消えてしまう、なんて。わかっていたら別の方法を取るか、もうすこし賢い立ち回りをするはずだ。たとえ無鉄砲でも、多少は。
「ほんとうに、バカだね」
いつものようにフラウィは毒を吐いた。聞かせたい相手まで運ばれることはない。それでも、何度でも言う。余分な心があるせいで、歯止めが利かない。
心を提供されたフラウィだからこそ、グレースの存在を覚えていられた。あのフリスクでさえ、グレースのことを覚えていない。ならば、ほかの誰かが覚えている可能性は絶望的だった。フラウィにグレースとの出来事を他人と語り合うつもりなど毛頭ない。ただ。もう二度とあの応酬が叶わないという事実に、不完全な心が苦しく呻く。
余分だった。心なんて置き土産は。
「バカだよ」
最早、誰に宛てているのかわからない独り言だった。グレースにか、己自身にか。ふたつの命は、いまではひとつに統合されてしまって、言の葉は大気にむなしく響く。
キャラのタマシイを取り込んだときとは状況がちがう。ひとつの身体にタマシイがふたつ存在していたが、あのときはまだ、キャラの声が聞こえていたのだから。
暗澹たる気持ちは、突然降って湧いた足音で保留せざるを得なくなった。
「よう。『救いようのない悪党』さん」
身に覚えのある言葉にフラウィは顔を上げる。
予想に違わず、声の主はニコニコと笑って花を見下ろしている。玉座の前に佇んでいるのは、フラウィがクズ野郎と呼ぶスケルトンであった。ほかのスケルトンに比べたら低身長。すっかりトレードマークとなりつつある青いパーカーを羽織り、中には白シャツを着込んでいる。下半身には骨のように白いラインの入った黒いハーフパンツ。足下まで視線を下げれば、まるで自宅でくつろぐかのようにスリッパを履いているのが見えた。以前、フラウィが格好について聞いたときにはカジュアルダウンだと話していたが、恐らくからかわれていただけなのだろう。
器用なことに、咲き誇る花を避けて立っている。フラウィに対する気遣いかどうかは判断に苦しむところだ。
見上げると茎の芯が痛いので、フラウィはスリッパに視線を固定した。無反応を貫いても意味がないと知っているフラウィは、仕方なく口を開く。
「なんだよ」
「いや。……アンタ、よっぽど
そこまで言われて、フラウィは弾かれたようにサンズを見上げた。視線が交錯するが、サンズはフラウィと言うよりも、フラウィの内に向けて話しているように思えた。
「……オマエ、覚えてるのか?」
アズリエルによって招かれた異邦のもの――稀人であるがゆえか、彼女の軌跡はこの世界から掻き消された。まるで、この在り方こそが正しい姿なのだと、世界が強制しているかのようだ。
「さあ。なんのことか。
ずい、と突き出されたのはウォーターソーセージ――
言われた言葉の意味を、咀嚼していく。
どうやら、時間軸の歪みを認知できるサンズは、薄らと覚えていたらしい。いや、フリスクが覚えていないのだから、同居していた縁が記憶を留めたのか? ただ、パピルスは覚えていなかったから、その前提もどうだか。
しかし。
いずれにせよ、それまでだ。
フラウィはひとり、想いに耽る。
セーブもロードもしたことのないサンズに、グレースの説明は難しい。いまはまだ地底に残っている痕跡も、いずれ薄れる。それに、彼女が遺したのは、目には見えないものだ。たとえEXPやLOVEを可視化できたとしても、心までは見通せまい。ここにいるのに、いない彼女の軌跡を語る術など、フラウィは持ち得ないのだ。
これはありえないが、間違いなくハッピーエンドだろう。かつて、フリスクに『もっといいエンディングにする方法』を教えた。その上で、倒せたら『ハッピーエンド』をみせてあげるとも話した。
みんなが幸せになる方法を。
あのアズリエル・ドリーマーがフラウィの発言を汲んだかどうかまではわからないが、多くのモンスターは幸せになったことだろう。
だと言うのに、フラウィの内側は苦渋まみれ。心の痛みが警鐘のように鳴り響く。
「オマエ、なんで戻ってきた?」
「べつに。忘れもんがあったからな」
「……よっぽどヒマなんだね。さっさと行きなよ」
「せっかちは嫌われるぜ?」
「なんとでも言えよ」
フラウィは不機嫌を隠さず、サンズを邪険にする。露
「ま、挨拶は済んだからな、パピルスからニューレターだぜ」
「は? ボクに?」
「他にいないだろ」
肩を竦めてみせたサンズの挙動に嫌気が差し、フラウィは早々に手紙を奪い取る。大文字で綴られた宛て名から、パピルスの大声が聞こえてきそうだ。
「返事はあとでいいって言ってたぜ」
遠い目をしてフラウィは、あっそう、と言葉を紡ぐ。
「じゃ、なにも言ってあげない」
「オイラの用事はそんだけだ。あとは好きなだけ独り言を楽しんでくれ」
「オマエ、性格悪いな」
サンズの余計な一言が耳障りで、フラウィは即座に言葉の刃を突き付ける。
「なにも言わないんじゃなかったのか?」
「……………………………………」
しかし、サンズは余裕綽々で言い返した。フラウィが押し黙ると、背を向けて歩き出す。どうやら、用事がこれだけというのは本当らしい。
フラウィは目立つ青色へ怪訝な視線を送り、完全に見えなくなってから細く息を吐く。
「……面倒な奴に目をつけられたな」
もしもここにグレースがいたのなら、元からだろう、と言ったかもしれない。しかし、残念ながら彼女はいないのだ。
フラウィが地底で過ごした膨大な時間に比べたら、グレースが同行したのはほんの僅かでしかない。グレースはキャラとは似ても似つかない存在だ。バカで、非効率で、愛嬌がなく、フラウィの計画の邪魔をして、自分本位にただ駆け回っていた理不尽の塊。枚挙に
――だから。
この心の痛みも、気のせいだ。
「バカだね」
罵倒はなぜか温もりに満ちて。ひとりごとが大気に融ける。肯定も否定も存在しない。差し込む柔らかな光だけが、一輪とひとりぼっちの玉座を照らし続ける。