ニンゲン夢主の名前
Only the saving grace.
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バリアまでの道程には、ほかのモンスターたちの痕跡が残っていた。フリスクのために大急ぎで駆け付けたのだろう。思いやりが垣間見える。同時に、フリスクがいかにモンスターたちに対して想いを寄せていたのかも感じ取れた。
私も、かつてはモンスターたちを親しみ深い友人として感じていたはずなのに。どこで道を踏み外したのだろう。……いや。答えはわかりきっている。他人に原因を求めたって意味がない。元はと言えば、制御できなかった好奇心の暴走によるもの。つまりこれは自業自得なのだ。
さて。悠長にはしていられない。
「ハロー、アズリエル! 調子はどう?」
フリスクを置き去りに姿を消そうとした後ろ姿に声をかける。肩が僅かに跳ねるのが見えた。誰かに話しかけられるとは思っていなかったのだろう。愛嬌のある仕草に笑いを堪えながら、彼がゆっくりと振り返るまで待つ。
彼は緑と黄色で彩られた横じまのシャツを着込んだ姿だ。横じまは子どもを象徴し、その予想に違わず彼の体躯は小さい。全身を覆うふわふわの白い毛は頭のてっぺんでだけ逆立っている。チャームポイントのひとつだろう。私の記憶の中に佇むアズゴアとトリエルの面影を宿す彼こそ、ハッピーエンドの最後に立ちはだかるボスモンスターだ。……尤も、戦いは既に終わっている。バリアも無事に消えたようだ。
「あれ……、キミは…………」
「お花のきみと冒険した仲のグレースだよ。お見知り置きを、王子さま?」
「……その肩書きはもう失われてしまったよ」
そう話すと、アズリエルはつらそうに目を伏せた。そんな表情をさせるつもりはなかったので、自分の口下手が憎たらしい。家に引き篭っていたせいで、コミュニケーション能力が衰えているようだ。
「失言だったね。ごめんなさい」
「ううん。気にしないで」
アズリエルが持ち直してくれたので、すこしだけ心が軽くなったような心地になる。自分の頼りなさがやっぱり恨めしい。
「ところでグレース。キミは、花の姿のボクがみんなを取り込んだとき、いなかったよね? ボクと彼の関係をどこで知ったの?」
話の接穂 を探さずに済んだ代わりに、投げかけられた言葉。一瞬、思考が白く染まる。
「あー……、ええと、なんて言ったら伝わるかな……」
うまい言葉が探し出せない。見つからないまま、意味を成さない言葉の羅列が口から漏れる。
「……これで伝わるかわからないけど、私は『救いようのない悪党』、なんだ」
「……っ、それって……」
「覚えのある言葉だった?」
息を呑む声が聞こえる。嬉しいような、切ないような複雑な心地だ。忙しなくモンスターを殺すニンゲンに対して、サンズが贈った称号である。
アズリエルには通じたようだけど、以前のフラウィには通じていなかった。あのときは思い出せなかっただけで、実は何回もリセットをしたときに聞いていたのだろうか。
「うん。たぶん、キミがいま思ってる通り。私は招かれざる客ってやつなんだ」
「……キミは、モンスターじゃないんだね?」
「たぶんね。元はニンゲンだったはずなんだけど、いまの私がなんなのかは、私にもよくわからない。……ああ、危害を加えるつもりはないよ。安心して……って言ったところで、信じてもらえるかわからないけど」
モンスターたちには互いを傷付ける意思がない。だから隣人とも信頼を築ける。愛や希望、思いやりで構成されている彼ららしい。
けれど、ニンゲンはそれらがなくてもタマシイが形作られている。そして、残忍であればあるほど、モンスターに与える影響が大きくなるのだ。ニンゲンが殺意を込めて攻撃すれば……、結果は言うまでもない。
私とアズリエルとは初対面。しかも自らの罪を告白したニンゲンもどき。信じられる要素が何一つとしてない。笑っちゃいそうだ。
しかし、アズリエルはゆるゆると首を横に振る。優しさを伴った挙動に反して、双眸には強い意志が宿っていた。
「信じるよ」
「……うれしいよ。でも……、そう簡単に私を信じていいの?」
ここではないどこかで、虐殺の限りを尽くしたニンゲンが私だ。心をなくして空っぽだった、と情状酌量の余地が存在するフラウィと違って、好奇心のみで突き進んだ私は救いようがない。地底世界において、私という存在は信じるに値しないのだ。
だから、問いかける。帰ってくる答えなんて想像つかないけど、尋ねないわけにはいかない。
「うん。信じる。……たぶん、キミがここにいるのはボクのせいだから」
「…………私が、フリスクがここに来るように見守ってたのは、アズリエルのせいだって言いたいの?」
「ううん、そうじゃないよ」
再び緩く首を横に振って、アズリエルは私を真っ直ぐに見据える。
「ごめんなさい。キミを、この世界に呼んだのがボクなんだ」
「――………………」
飛び出したのは、思いもよらない言葉。今度こそ、私の思考は真っ白に塗り潰される。
「キミは、記憶をなくしてこの世界を歩きたいと思っていたでしょ?」
「え?」
意表を突かれた私は、純白の思考の糸を必死に束ねる。
「ええっと……覚えてないけど……、思いそうなことではある……かな」
自分のことながら記憶が曖昧なので、返事は不明瞭だ。ただ、そう思っても不思議はない、と感覚が囁いている。
返答を聞いたアズリエルは、儚い笑みを浮かべ、言葉を探すように目蓋を閉ざす。眼を開くときには、揺るがぬ決意が灯っていた。
「バリアが消えたのは知ってるよね? みんなにタマシイを返したときに、キミを呼び寄せてしまったんだ」
「……? 仮にアズリエルが呼んだとしても、私はそれよりも前にこの世界の地上にいたし……、地底に流れ着いたのも、バリアが消えるずっと前なのに?」
冴えない頭を捻って言葉を咀嚼する。思考が働く程度には、いつもの調子を取り戻しつつあるようだ。
フラウィはプレイヤーのことを認知している。だから、アズリエルがプレイヤーを認識していてもおかしくない。けれど、私はこの世界の別のニンゲンとして生まれ落ちた。紆余曲折あって地底へ流れ着き、スケルトンもどきになった。フリスクに会ったから記憶が呼び覚まされただけ。
もしアズリエルが神に等しい力を行使して召喚したのだとしても、効果がちぐはぐだ。呼んだのに近くに現れないのなら、意味がない。
「タマシイの力を失う直前で、ボクは時間軸に干渉してしまったんだ。キミと話すまで気付かなかったけど……、確信したよ」
「確信?」
この短い間の会話を順に巻き戻してみても、答えはわからずじまい。アズリエルの言葉を待つ。
「だって、ボクがひとりぼっちはイヤだって思った瞬間に、キミが現れたんだから」
ただの偶然だよ、とは言えなかった。
アズリエルの眼差しはあまりにもひたむきで、その真実を信じているとはっきりわかる。私にそのつもりはなくても、彼がそう受け止めた事柄を真っ向から否定するのは憚られた。
「ボクが、だいじなひととサヨナラするのはつらいって思ったから、キミが来たんだよね?」
「そ、……れは…………、わからない」
頷くのは簡単だ。
求められてる答えも、見当がつく。
けれど、心情が阻む。心優しいアズリエルを欺くのは、出来れば避けたかった。
「――わからないけど。でも、私がキミとも友達になりたいと思ったのは、ホントのことだよ」
この先で、アズリエルはフラウィに戻る。
両親とも再会せず、フリスクに言付けして、それでおしまい。スタッフロールというエンディングでその姿を見せたきり、アズリエルはどこにもいなくなってしまうのだ。寂しくて、どうしようもなく切ない終わり。
その彼をも地上に連れていきたいと思ったのは、私だけではないはずだ。そうでしょ?
「……ありがとう」
照れたようにはにかんだアズリエルは、すぐに表情を引き締める。
「タマシイをみんなに返す直前だったから、ボクは力を制御しきれなかったんだ。時間も場所も、こことは全然違うところにキミを呼んでしまった」
「私が記憶を失ってたのは……」
「キミの願いを叶えようとしたんだと思う。ボクはニンゲンのタマシイも吸収していたから」
「…………身体は? 前の私じゃないみたいだけど」
「器のこと? それはボクにもわからないけど……、……誰かが手を貸してくれたのかな」
「手を………………」
――手で会話をするものにはどうかお気をつけを。
以前、川の人が他愛なく話した雑談が蘇る。果たして、誰のことを指していたのだろうか?
途端に、脳裏に雑音が走る。
不鮮明な記憶の中に、会ったことのないモンスターの姿が映った。モノクロームの中に男がひとり。ひび割れ歪んだ仮面を貼り付けたような顔面が特徴的だ。両手の真ん中にぽっかりと空いた穴がその向こうを透かす。一本だけ立てられた指はおもむろに口許へ運ばれた。
秘め事をするかのような挙動が記憶の中で再生され、そこで我に返る。時間にして一瞬のこと。しかし、その一瞬、意識が飛んでいたようだ。
気を取り直して、アズリエルに焦点を合わせる。彼は臆することなく受け止めてくれた。
「……本当に、アズリエルが……私を呼んだの……?」
記憶を失ったのは、元を正せば私の願望。ニンゲンのタマシイたちは手助けしてくれただけ。
……転生、という形になっていたのは謎だけど。
ふと脳裏を過るのは、ホットランドにあるラボ。その実験の痕跡だ。
バリアを突破するためのケツイ研究。
地底にあるものを使い成果を求めた実験。
もしも、その実験が世界さえ越えて協力者を求め、それが叶うのならば。手を貸してくれた可能性は否めない。いまは亡き博士が介在していない証拠は、どこにもないのだから。
「……“私”だったのは、偶然?」
アズリエルは言葉に詰まりながら、ぽつりぽつりと話す。ニンゲンのタマシイたちは、死者である私のタマシイを哀れんで救いの手を差し伸べてくれたらしい。要するに偶然だ。私以外に適格者がいたのなら、召喚されていたのは私ではなかった。
突然明かされた自らの死も、あまり驚かなかった。いまの私が既に死した身であるし、なんとなくそんな気はしていたのだ。胸の内は凪いで落胆はなく、会心があるだけ。
だから、アズリエルが私を慮って言葉を選ぶ必要はないんだけれど。それはそれで、後腐れがなくて助かる。
「グレース、キミを巻き込んで、本当にごめんなさい」
短い間に、何度も謝罪を聞いた。謝れるのは彼の美徳だが、そこまでしなくたっていい。
「あー、えっと、謝罪はもういいから。……代わりに、お願いを聞いてくれる?」
いろんなことがあって、呼び止めた本題を話すのを忘れていた。交渉する予定を多少卑劣な手段に変更して、尋ねる。予想に違わず、アズリエルは頷き返した。
「私に、フラウィの空っぽを埋める手伝いをさせてほしいんだ」
「埋めるって、どうやって?」
アズリエルはフラウィが繰り返した時間を共有している。ゆえに、打つ手がないと薄々感じているのだろう。
「以前といまじゃ状況が違うからね。まあ、うまくいくかどうかは自信がないんだけど……」
「……方法を明かすつもりがないのはわかったよ。理由も話せない?」
「うん。ごめんね」
明かせない理由を話せないのは簡単だ。それを話してしまったら、アズリエルは間違いなく止める。
だからこそ、ここが分水領。
愛する隣人たちのために。私は私に許された禁じ手へ賭ける。
「――それは、グレースの望み?」
「もちろんだよ」
私が全てを語らずとも、アズリエルは察したようだ。うつくしい双眸が戸惑いに濡れて揺らぐ。
思えば、彼と会話するのは今回が初めてだ。それも僅かな時間のみ。だというのに、濃密な時間を過ごしているかのような気配を感じる。古くからの友との語らいのようだ。懐かしさが込み上げて、喉を塞ぐ。そうでなくても、それ以上の言葉はこの場に不要だった。
「わかったよ」
最終的に、諦めとも納得とも取れる声色でアズリエルは了承する。最期に見えた彼の表情に曇りはない。
「それじゃあ、サヨナラだね」
別れは私から告げる。この選択が悪くないものだ、と。自分を騙るのだ。
彼にとって満ち足りた門出であることを祈り、互いに笑って手を振った。
かくして、物語はここで幕を下ろす。
私も、かつてはモンスターたちを親しみ深い友人として感じていたはずなのに。どこで道を踏み外したのだろう。……いや。答えはわかりきっている。他人に原因を求めたって意味がない。元はと言えば、制御できなかった好奇心の暴走によるもの。つまりこれは自業自得なのだ。
さて。悠長にはしていられない。
「ハロー、アズリエル! 調子はどう?」
フリスクを置き去りに姿を消そうとした後ろ姿に声をかける。肩が僅かに跳ねるのが見えた。誰かに話しかけられるとは思っていなかったのだろう。愛嬌のある仕草に笑いを堪えながら、彼がゆっくりと振り返るまで待つ。
彼は緑と黄色で彩られた横じまのシャツを着込んだ姿だ。横じまは子どもを象徴し、その予想に違わず彼の体躯は小さい。全身を覆うふわふわの白い毛は頭のてっぺんでだけ逆立っている。チャームポイントのひとつだろう。私の記憶の中に佇むアズゴアとトリエルの面影を宿す彼こそ、ハッピーエンドの最後に立ちはだかるボスモンスターだ。……尤も、戦いは既に終わっている。バリアも無事に消えたようだ。
「あれ……、キミは…………」
「お花のきみと冒険した仲のグレースだよ。お見知り置きを、王子さま?」
「……その肩書きはもう失われてしまったよ」
そう話すと、アズリエルはつらそうに目を伏せた。そんな表情をさせるつもりはなかったので、自分の口下手が憎たらしい。家に引き篭っていたせいで、コミュニケーション能力が衰えているようだ。
「失言だったね。ごめんなさい」
「ううん。気にしないで」
アズリエルが持ち直してくれたので、すこしだけ心が軽くなったような心地になる。自分の頼りなさがやっぱり恨めしい。
「ところでグレース。キミは、花の姿のボクがみんなを取り込んだとき、いなかったよね? ボクと彼の関係をどこで知ったの?」
話の
「あー……、ええと、なんて言ったら伝わるかな……」
うまい言葉が探し出せない。見つからないまま、意味を成さない言葉の羅列が口から漏れる。
「……これで伝わるかわからないけど、私は『救いようのない悪党』、なんだ」
「……っ、それって……」
「覚えのある言葉だった?」
息を呑む声が聞こえる。嬉しいような、切ないような複雑な心地だ。忙しなくモンスターを殺すニンゲンに対して、サンズが贈った称号である。
アズリエルには通じたようだけど、以前のフラウィには通じていなかった。あのときは思い出せなかっただけで、実は何回もリセットをしたときに聞いていたのだろうか。
「うん。たぶん、キミがいま思ってる通り。私は招かれざる客ってやつなんだ」
「……キミは、モンスターじゃないんだね?」
「たぶんね。元はニンゲンだったはずなんだけど、いまの私がなんなのかは、私にもよくわからない。……ああ、危害を加えるつもりはないよ。安心して……って言ったところで、信じてもらえるかわからないけど」
モンスターたちには互いを傷付ける意思がない。だから隣人とも信頼を築ける。愛や希望、思いやりで構成されている彼ららしい。
けれど、ニンゲンはそれらがなくてもタマシイが形作られている。そして、残忍であればあるほど、モンスターに与える影響が大きくなるのだ。ニンゲンが殺意を込めて攻撃すれば……、結果は言うまでもない。
私とアズリエルとは初対面。しかも自らの罪を告白したニンゲンもどき。信じられる要素が何一つとしてない。笑っちゃいそうだ。
しかし、アズリエルはゆるゆると首を横に振る。優しさを伴った挙動に反して、双眸には強い意志が宿っていた。
「信じるよ」
「……うれしいよ。でも……、そう簡単に私を信じていいの?」
ここではないどこかで、虐殺の限りを尽くしたニンゲンが私だ。心をなくして空っぽだった、と情状酌量の余地が存在するフラウィと違って、好奇心のみで突き進んだ私は救いようがない。地底世界において、私という存在は信じるに値しないのだ。
だから、問いかける。帰ってくる答えなんて想像つかないけど、尋ねないわけにはいかない。
「うん。信じる。……たぶん、キミがここにいるのはボクのせいだから」
「…………私が、フリスクがここに来るように見守ってたのは、アズリエルのせいだって言いたいの?」
「ううん、そうじゃないよ」
再び緩く首を横に振って、アズリエルは私を真っ直ぐに見据える。
「ごめんなさい。キミを、この世界に呼んだのがボクなんだ」
「――………………」
飛び出したのは、思いもよらない言葉。今度こそ、私の思考は真っ白に塗り潰される。
「キミは、記憶をなくしてこの世界を歩きたいと思っていたでしょ?」
「え?」
意表を突かれた私は、純白の思考の糸を必死に束ねる。
「ええっと……覚えてないけど……、思いそうなことではある……かな」
自分のことながら記憶が曖昧なので、返事は不明瞭だ。ただ、そう思っても不思議はない、と感覚が囁いている。
返答を聞いたアズリエルは、儚い笑みを浮かべ、言葉を探すように目蓋を閉ざす。眼を開くときには、揺るがぬ決意が灯っていた。
「バリアが消えたのは知ってるよね? みんなにタマシイを返したときに、キミを呼び寄せてしまったんだ」
「……? 仮にアズリエルが呼んだとしても、私はそれよりも前にこの世界の地上にいたし……、地底に流れ着いたのも、バリアが消えるずっと前なのに?」
冴えない頭を捻って言葉を咀嚼する。思考が働く程度には、いつもの調子を取り戻しつつあるようだ。
フラウィはプレイヤーのことを認知している。だから、アズリエルがプレイヤーを認識していてもおかしくない。けれど、私はこの世界の別のニンゲンとして生まれ落ちた。紆余曲折あって地底へ流れ着き、スケルトンもどきになった。フリスクに会ったから記憶が呼び覚まされただけ。
もしアズリエルが神に等しい力を行使して召喚したのだとしても、効果がちぐはぐだ。呼んだのに近くに現れないのなら、意味がない。
「タマシイの力を失う直前で、ボクは時間軸に干渉してしまったんだ。キミと話すまで気付かなかったけど……、確信したよ」
「確信?」
この短い間の会話を順に巻き戻してみても、答えはわからずじまい。アズリエルの言葉を待つ。
「だって、ボクがひとりぼっちはイヤだって思った瞬間に、キミが現れたんだから」
ただの偶然だよ、とは言えなかった。
アズリエルの眼差しはあまりにもひたむきで、その真実を信じているとはっきりわかる。私にそのつもりはなくても、彼がそう受け止めた事柄を真っ向から否定するのは憚られた。
「ボクが、だいじなひととサヨナラするのはつらいって思ったから、キミが来たんだよね?」
「そ、……れは…………、わからない」
頷くのは簡単だ。
求められてる答えも、見当がつく。
けれど、心情が阻む。心優しいアズリエルを欺くのは、出来れば避けたかった。
「――わからないけど。でも、私がキミとも友達になりたいと思ったのは、ホントのことだよ」
この先で、アズリエルはフラウィに戻る。
両親とも再会せず、フリスクに言付けして、それでおしまい。スタッフロールというエンディングでその姿を見せたきり、アズリエルはどこにもいなくなってしまうのだ。寂しくて、どうしようもなく切ない終わり。
その彼をも地上に連れていきたいと思ったのは、私だけではないはずだ。そうでしょ?
「……ありがとう」
照れたようにはにかんだアズリエルは、すぐに表情を引き締める。
「タマシイをみんなに返す直前だったから、ボクは力を制御しきれなかったんだ。時間も場所も、こことは全然違うところにキミを呼んでしまった」
「私が記憶を失ってたのは……」
「キミの願いを叶えようとしたんだと思う。ボクはニンゲンのタマシイも吸収していたから」
「…………身体は? 前の私じゃないみたいだけど」
「器のこと? それはボクにもわからないけど……、……誰かが手を貸してくれたのかな」
「手を………………」
――手で会話をするものにはどうかお気をつけを。
以前、川の人が他愛なく話した雑談が蘇る。果たして、誰のことを指していたのだろうか?
途端に、脳裏に雑音が走る。
不鮮明な記憶の中に、会ったことのないモンスターの姿が映った。モノクロームの中に男がひとり。ひび割れ歪んだ仮面を貼り付けたような顔面が特徴的だ。両手の真ん中にぽっかりと空いた穴がその向こうを透かす。一本だけ立てられた指はおもむろに口許へ運ばれた。
秘め事をするかのような挙動が記憶の中で再生され、そこで我に返る。時間にして一瞬のこと。しかし、その一瞬、意識が飛んでいたようだ。
気を取り直して、アズリエルに焦点を合わせる。彼は臆することなく受け止めてくれた。
「……本当に、アズリエルが……私を呼んだの……?」
記憶を失ったのは、元を正せば私の願望。ニンゲンのタマシイたちは手助けしてくれただけ。
……転生、という形になっていたのは謎だけど。
ふと脳裏を過るのは、ホットランドにあるラボ。その実験の痕跡だ。
バリアを突破するためのケツイ研究。
地底にあるものを使い成果を求めた実験。
もしも、その実験が世界さえ越えて協力者を求め、それが叶うのならば。手を貸してくれた可能性は否めない。いまは亡き博士が介在していない証拠は、どこにもないのだから。
「……“私”だったのは、偶然?」
アズリエルは言葉に詰まりながら、ぽつりぽつりと話す。ニンゲンのタマシイたちは、死者である私のタマシイを哀れんで救いの手を差し伸べてくれたらしい。要するに偶然だ。私以外に適格者がいたのなら、召喚されていたのは私ではなかった。
突然明かされた自らの死も、あまり驚かなかった。いまの私が既に死した身であるし、なんとなくそんな気はしていたのだ。胸の内は凪いで落胆はなく、会心があるだけ。
だから、アズリエルが私を慮って言葉を選ぶ必要はないんだけれど。それはそれで、後腐れがなくて助かる。
「グレース、キミを巻き込んで、本当にごめんなさい」
短い間に、何度も謝罪を聞いた。謝れるのは彼の美徳だが、そこまでしなくたっていい。
「あー、えっと、謝罪はもういいから。……代わりに、お願いを聞いてくれる?」
いろんなことがあって、呼び止めた本題を話すのを忘れていた。交渉する予定を多少卑劣な手段に変更して、尋ねる。予想に違わず、アズリエルは頷き返した。
「私に、フラウィの空っぽを埋める手伝いをさせてほしいんだ」
「埋めるって、どうやって?」
アズリエルはフラウィが繰り返した時間を共有している。ゆえに、打つ手がないと薄々感じているのだろう。
「以前といまじゃ状況が違うからね。まあ、うまくいくかどうかは自信がないんだけど……」
「……方法を明かすつもりがないのはわかったよ。理由も話せない?」
「うん。ごめんね」
明かせない理由を話せないのは簡単だ。それを話してしまったら、アズリエルは間違いなく止める。
だからこそ、ここが分水領。
愛する隣人たちのために。私は私に許された禁じ手へ賭ける。
「――それは、グレースの望み?」
「もちろんだよ」
私が全てを語らずとも、アズリエルは察したようだ。うつくしい双眸が戸惑いに濡れて揺らぐ。
思えば、彼と会話するのは今回が初めてだ。それも僅かな時間のみ。だというのに、濃密な時間を過ごしているかのような気配を感じる。古くからの友との語らいのようだ。懐かしさが込み上げて、喉を塞ぐ。そうでなくても、それ以上の言葉はこの場に不要だった。
「わかったよ」
最終的に、諦めとも納得とも取れる声色でアズリエルは了承する。最期に見えた彼の表情に曇りはない。
「それじゃあ、サヨナラだね」
別れは私から告げる。この選択が悪くないものだ、と。自分を騙るのだ。
彼にとって満ち足りた門出であることを祈り、互いに笑って手を振った。
かくして、物語はここで幕を下ろす。