ニンゲン夢主の名前
花逍遥と種明かし
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パピルスが去ってようやく静寂を取り戻したボクは重たいジョウロを持ち上げる。揺れた水面には、ひとりのモンスターが映し出されていた。水面越しに、視線が合う。
「…………オマエは、」
感情を乗せずに声を出す。知ってる顔だ。スノーフルに住む子どものモンスターで、面白みに欠けるやつ。スノーフルを住処に選ぶだけあって、こいつ含めた家族全員、寒さに耐えられるように全身が白い毛で覆われてる。一言で言えば、二足歩行のヒツジだ。小さいながらも角が生えているから、モンスターの子によく絡まれていたっけ。
こいつとの会話はいつだって定型文みたいなもので、特に変化がない。何をしても代わり映えがないから、最近 じゃ言葉さえ交わしていなかった。
そもそも、スノーフルの外にいる姿を見るのは今回が初めてだった。……いや。最後の回廊を抜けて、バリアの前までは来てたっけ。なんて言っていたかは覚えてないけど、フリスクを応援してた気がする。こいつもフリスクの優しさに絆されたひとりなんだろう。じゃなきゃ、あの場所には来ないだろうから。
覚えてる限り、こいつがスノーフルの外に出たきっかけはフリスク。それが“最初”だった。
だから、ちょっと気に食わない。
こいつにどんな親切をしたって、街の外には出なかった。面白くないから殺してみても、抵抗もせずに一方的にやられるほど弱っちい。どっかの兄貴と違って、攻撃に長けてるわけでも、回避に秀でているわけでもない。垂れ流しの空気みたく、あるのかないのか曖昧な、愚かな子羊。
“今回”のボクは、大人しくフリスクの行動を見守っていただけから、ある意味じゃ、こいつと同じだったのかもしれない。こいつがボクみたくフリスクを傍観してた観客なんて風には思ってないけどさ。
とにかく。いまのボクのそばに立っていたのは、そんなやつだ。とっくに地上に出たかと思ってたけど、最近ようやく外に出るようになった引きこもりには、荷が重いのかもね。正直、顔を合わせても話すことがない。早くどっかに行っちゃえばいいのに。
「水遣り、してくれてるの? ありがとう」
「……べつに」
忘れていた重たいジョウロの感触が葉っぱに戻ってくる。おかげで我に返ったけど、いまさら隠すのバカらしい。どうせ初対面だ。堂々としていよう。
「お花のキミは、地上に行かなくていいの?」
降り注ぐ言葉を捉えて、そいつを一瞥する。初めて聞くセリフだ。珍しいな、とは思ったけど、バリアが消えるなんてこと自体がいままでにないことだ。そんなこともあるだろう。パピルスという前例もいたことだし。
「興味ないね」
スノーフルで突っ立ってたモンスターたちも、こいつみたいな目新しい反応をするんだろうな。いまになって、その全部を見ようとは思わないよ。今日、たまたま会ったのがパピルスとこいつで、その反応が珍しかったから、すこし会話をしてるだけ。そう。単に、それだけだ。
でも、いい機会だから、気になったことを聞いてみることにした。
「……オマエは、地底に残ったの?」
記憶の底をさらってみても、こいつは地上への希望を話していなかった。こいつの困りごとは、あっさり解決できることが多くて、呆気なくて、くだらないことばかり。ボクのこの手でも届く範囲のおつかいみたいな依頼をしてきて、終わったらお礼を言われて、それでおしまい。不安も希望も持たず、会話も弾まない。付き合いがいのないモンスター。
それでも、他のモンスターと同じように、バリアが消えたから地上に行ったんだと思っていた。
「うん。行ってないところがたくさんあるから、この地底を探索したいんだ。フリスクみたいに!」
静かに微笑むモンスターの表情に、僅かに違和感を覚える。昔見たこいつの笑った顔とは、どこか違っていた。まるで棘でも刺さったかのように、チクリと茎が痛む。見つからない間違い探しに、身体が軋むような錯覚に陥りながら、ボクは平静を装って話の続きを促した。
「この辺りはお花すごいねえ。来て良かったよ」
一面に咲く金色の花畑を見て、そいつは言った。かつてバリアの前まで来たときは、庭を見る余裕がないほど必死だったんだろうか。王さまの玉座には地上の植物があんなに咲いているのに。
「ふうん」
どうでもいいことだ。
パピルスのせいで中断していた水遣りを再開させようとジョウロをさらに引き寄せる。そこで、不意にそいつの右手に握られた花が見えた。別に、見ようと思ったわけじゃない。たまたま目についただけだ。ただの偶然なのに、目を逸らすことができなくなった。
幾度となく『あの力』を使っても、決して、忘れるもできず、埋もれることもなかった記憶。
握られていたのは、湿地帯にひっそりと咲く小ぶりの花。
その花の名前を、バターカップと言う。
「綺麗でしょ? ウォーターフェルで見つけたんだ」
「……だろうね」
視線に気付いて、そいつが答えた。返事は口の中で転がす。
手に持ってるだけなら、害はない。口に含みさえしなければ問題のない花だ。
伝える義理なんてこれっぽっちもない。こいつがまさか、突然花を口に入れるなんて奇行に走るとも思えないし。
ただ、もう水遣りの気分にはなれなかった。
なぜ掘り起こして持って来たのかまではわからないけど、ジョウロだけ置いて去ってしまおう。
いっぱいに満たされた水面に反して、映り込んだボクはすっかりカラッポだった。この姿になったときからそうだったけど。花の姿に辟易しながら地面に引っ込む寸前、またしてもそいつの行動がボクの根っこを縫い付けた。
「おい! なにやってんだよ!」
何を思ったのか、そいつはボクの目の前で口許に花を近付けた。そのまま口を開けて、ぱくりと食べてしまいそうな勢いだ。思わず声を荒らげて中断させる。
なんだってこのタイミングで。ボクの気持ちでも読めるのか? だとしたら、ずいぶんと嫌がらせが凝っている。
「何って、花の匂いを嗅ごうと思って」
呑気な子羊は、つぶらな瞳をまあるくして、不思議そうに答えた。ボクが深いため息を吐いたのは言うまでもない。
こいつの目的がボクの足止めにあるって言うなら大成功だ。パピルスに引き続き、地底の奴らは面倒ごとばかりで疲れる。
「……あっそ。どうぞ、どうぞ、ご自由に」
付き合ってられないよ、と言外に滲ませたら、そいつの手が今度はボクに伸びてくる。それは、驚くほど迅速だった。ボクがモンスターたちを捕まえたときみたいに。こいつなりの意趣返しなのかと疑ったくらいだ。
「ちょ……」
「自由にしていいんでしょ?」
……いや。あのパピルスの兄貴でさえ覚えていない出来事を、一介のモンスターであるこいつが覚えてるわけがない。どんなことをしても、その片鱗さえ見せなかったんだから。馬鹿げた可能性を思考から捨て去る。
「これはやめろ」
「はーい」
意外なことに、話せばわかってくれたらしい。あっさりと手を離すから、ボクのほうが面食らったくらいだ。
ここで脇目も振らずに去ってしまえば良かったのに。ボクは、選択を間違えた。
「ねえ、キミの名前を聞いていい?」
留まったボクに、そいつは至極当然の問いを投げてきた。そう言えば、ボクが一方的に知っているだけで、こいつとは、“まだ”初対面だ。
「フラウィ。おはなのフラウィさ」
本日二度目となる自己紹介は淀みなく滑り落ちる。かわいらしくウインクまで付けてやった。ボクのサービス精神に感謝してほしいくらいだ。
「ふうん? きみ、そういう名前だったっけ?」
「は?」
予想外の反応だったが、すぐに考えを正す。ついさっき、パピルスがフラワリーと口にしたのを聞いたばかりだ。スノーフルに住んでる住人には浸透しているのかもしれない。迷惑な話だ。
「――フリスクが呼び掛けてたのは、違う名前だった気がしたんだけど?」
質問の意図を掴み損ねたボクは、どうやら気付かない間にジョウロにぶつかってしまったらしい。滑稽に倒れたジョウロから溢れた水は、とめどなく流れ出す。濡れた大地から這い寄る水気がとにかく不快で、一旦地面に潜り込んだ。冷えた土の中から、すぐさま乾いた地面へ移動して顔を出す。水を払っても、不快感は拭えなかった。いや。不快感の正体は、捉えどころのない質問に対する強い違和感だろう。
何事もなかったかのように続けられた言葉を、精一杯咀嚼する。パピルスじゃなくて、フリスクが“ボク”に呼び掛けた名前。そもそも、あのフリスクに呼び掛けられた回数なんて数える程度だ。もしも、“フラウィ”という名前に覚えがないのなら、こいつが聞いたことのある名前はひとつだけ。
ただ、解せない。
「オマエ、あのときのこと……」
覚えているはずが、ない。モンスターはひとりも覚えていなかったんだから。
「うん?」
なんてことない表情だ。なのに、意地悪そうに歪んで見える。茎の中を、今度こそ不快感が駆け巡る。
「……取り込まれたときのこと、覚えてるのか?」
「あはは。覚えてるよ。あんな強烈な出来事、忘れようと思ったって難しいってば」
ころころと表情の変わる子羊は、知ってるどのそいつとも異なって見えた。ほとんどのモンスターが覚えていないことだ。なんの変哲もない、ケツイの力もない、かつて無惨に殺されただけの少女の口から聞かされるのはおかしい。
「……覚えてるなら、わざわざ名乗らなくてもいいだろ」
「うまく聞き取れなくてね。それがちょっと心残りだったんだ」
「……………………………………」
「疑ってる?」
取り繕った、はずだった。なのに、バレた。うまくいかない焦燥感が、誤った選択を強いる。
「……オマエ。いつ、から」
絞り出すような声だ。自分でも、情けないと思うよ。
生死が危ぶまれる状況でもないのに、身体中の水分が蒸発してしまったみたいだ。ここはホットランドじゃない、ニューホームだ。気温は温暖なはずなのに、まるで稼働してるコアに身を投げてしまったかのよう。
「……えっと、はじめから?」
そいつは、なぜか疑問系で答えを口にした。
一拍置いて、吐かれた言葉に向き直る。
「はじめから、だって?」
「うん。ぜんぶ覚えてるもん」
「ぜんぶって、そんなわけないだろ」
ぜんぶ。全部だって? そんなわけない。
理屈がわからなくても、時間が巻き戻されていたとわかれば、誰だって原因を探ろうとする。けど、こいつはそんな素振りを見せなかった。他の雑魚モンスターと同じように、ボクの予想できる範囲でしか動かない。
仮に。こいつが言っていた通り『ぜんぶ』覚えていたとしたら? いや、それこそおかしい。一度でも自分を殺した相手を、信用なんてできるはずがない。前提からして間違っている。
こいつを何回殺しても反応は変わらないし、結果も変わらなかった。ただチリになって消える運命の、取るに足らない有象無象のひとり。
繰り返す時間の中の記録が、それを裏付ける。
「そんなこと言われても、本当だもん」
「それを証明する方法なんて、ないだろ」
「うん。私は基本的にスノーフルを出なかったからね。きみはあんまり長居しなかったから、接点がほとんどなかったなあ」
……アタリだ。
ただ、当て推量でもどうにかなる範囲だ。
新しく問いかけをしようとして、閉口する。口車に乗ったその時点でボクの負けだ。付き合うだけ時間の無駄。それに、こいつが話す内容なんて、確認するだけ無意味だ。ゴールまでの通過点。出会ったから倒す雑魚モンスター。それ以上でもそれ以下でもないものに、時間を割いてどうする?
「……それで? いまになってそんなこと話して、どうしようって?」
「うーん、ようやく話せるかな? って思って話しただけで、深い理由はないよ」
「はあ?」
どんな重大な秘密を抱えているのかと思いきや、明日の天気でも話すみたいな素振りで、能天気にそいつは言い放った。
「うまく説明できるかわからないんだけど……。えっとね、私が生きる上でのルールがあったの」
あどけなさが残る言い回しだ。歳相応の振る舞いからも、こいつの発言の信憑性は薄まる。
聞く義理はない。だけど、いまのボクには『あの力』が使えないんだ。
もし、ここで聞かない選択をしたら、今後は一切話さないかもしれない。この世界には、一度しか聞く機会がない会話が存在する。くだらない会話を切り捨てるべきか、それとも好奇心に負けて耳を傾けるべきか。天秤にかけて悩んでいるうちに、沈黙を破って、少女が続きを話す。
「……『誰にも 気取られるな』って」
語られたのは、ボクが何度もリセットをさせられたあいつに向けて抱いていた指標にそっくりだった。
「なんで、また」
「だって、突然同じことが繰り返されたらこわいもん。そうでしょ? 他の誰も気付いてないって、すぐにわかったから、余計に」
ボクがはじめて『ロード』したときを思い返す。あのとき、ボクが助けを呼んだらあの王さまはすぐに駆け付けてくれたけど、『ちょっと前の』出来事を綺麗に忘れていた。ボクが名乗ったことも、忘れてしまっていた。
もしも。ボクがこの力のことを知らないまま、ただ巻き込まれていたのなら、どう思ったんだろう? こいつみたいに、恐怖を覚えるんだろうか。それとも、どこかの兄貴みたいに諦めるんだろうか。
「すぐにわかったって、どう判断したのさ」
「だって、『違い』は明らか。問題は浮き彫り。すぐ、わかるでしょ? 私以外のみんなは、同じ過去を繰り返して、いつも通りを過ごすだけ。誰も疑問を持たないんだもん。あーあ、違うのは私だけなんだ、って。わかるの。私が持ってる記憶は、みんなとは『違う』んだって。それも、たぶんあんまりいい意味じゃない、って」
そんなの、ボクにはわからないよ。
扉を開く鍵は、いつだってボクの中にあった。ボクの気持ちひとつで別の扉へひとっ飛び。起きたことは全部なかったことにできる、万能の鍵だ。恐怖を抱くことはない。多少のスリルはあったかもしれないけどね。それでも、ボクを突き動かしたのは純粋な好奇心だ。
それが、いまさらこんなことで?
知り尽くしたはずの世界が、覆る。
たったひとりのモンスターの証言で。
「すごく、寂しかったよ。たしかに、いつかは誰か気付くかもしれないけど、でも、それがいつかなんてわからない。答えは見つからない。何がきっかけかもわからない。私が見える範囲は狭くて……。べつに、広げようとも、思ってなかったけど……」
……ああ。たしかこいつ、ボクのセーブポイントよりすこし前の段階で、ウォーターフェルの滝から落っこちたんだ。魔力で出来てるモンスターの身体はそう易々とは崩れないけど、その一件以降、外出に消極的になったんだってこいつの親が話していた。活発な子だったのに、家の外にさえ中々出なくなったって。その辺りの話、そう言えば詳しく聞いてなかったな。
「だから、ね。私に見える範囲で考えて、決めたの。知らん振りしようって」
「……ボクに一回殺されたあとも、その考えは変わらなかったの?」
「一回どころじゃなかったでしょ? 痛いし苦しいし……大変なんだから。もう二度としないでね」
窘めるような口調で、少女は言った。
あの力は使えないくせに。死を経験したことを覚えていて、それでいて何度繰り返されても抵抗せずにいたなんて、おかしい。自分の中の常識で測れない存在に、葉っぱの先が揺れる。
「……それで、ええと? 何の話だっけ?」
「しんだあとも、考えは変えなかったのか?」
「うん。だって、きみのせいかわからないもん。私が見てないところで、誰かがそういう風に命令したのかもしれないし、マインドコントロールされてたのかも。……私には、わからないもん」
絶句した。
こいつは、救いようのないバカだ。わからないから、抵抗もせずに死を選ぶ? ろくでなしの考えだ。 迷える仔羊だって、もうすこしマトモな選択をするだろう。
「わからないから、同じことを続けるしかできなかったの。博士みたいに頭良くないから、ひとりでずうっと考えたよ。目立たないように、同じことを繰り返しながら、ずっとずっと考えてた」
見過ごしていたこいつの態度を、有り余るほどの記憶から思い返す。いつだって、特筆するほどの違いはなかった。何度も訪れても反応は同じ。記憶からズレることは一度もなく、新鮮さに欠けるつまらない存在だった、はずだ。
もしも。全部覚えていた上で、毎回同じことをなぞっていたとしたら。
ボクには出来そうもない。知らないものを知る好奇心を宿して何度も繰り返したボクには、自ら同じ行動を何度も繰り返すこいつの異常性が、理解できそうにない。いたって『普通』であるとでも言いたげに間抜けな面を晒しているこいつの偽らざる輪郭が、徐々に浮かび上がってくる。おぞましさの片鱗に反吐が出そうだ。
「私はメタトンみたいなスターじゃないから、誰にも話せなくて、打開策も見つからなかった。誰かに話したかったけど、誰を選べばいいかもわからない。それに、もし話したら、その瞬間から決定的にぜんぶ変わっちゃうかもしれないでしょ? みんなが同じ日々を過ごして、日常は回る。なら、私も同じことをしようって決めたの」
語られた内容の、半分も理解できそうになかった。どんな精神構造をしていたら、そんな選択ができる? ボクが繰り返した回数は、ボク自身も覚えていないほどに膨大だ。その全てで、一切新しいことに挑戦せずに、同じ自分を演じ続けるなんて、正気じゃない。
「……ううん。踏み出すのがこわかったから、止まったままでいることにしたんだ。そしたら……きっと、いつかは終わるもん」
矛盾している。
いつか誰かが気付く日を待ち飽きた少女は、自我を殺して歯車になった。そして、ボクを欺いて、なんでもない端役を演じ、受動的にいつかを待つだけになった。
……まあ。こいつの話が全部本当だとしたら、の話だ。
一介のモンスターが、気付くか?
フリスクはニンゲンだ。モンスターよりも強いタマシイの力を持つ存在。実際に『あの力』を使いこなしていた。
何度もリセットをさせられたサンズは勘づいている。勘づいていると判明してるだけで、なぜかまでは知らない。そのあいつだって、仕組みの全てを理解してるわけじゃない。
目の前にいるのは、やられ役の一介のモンスター。そのはずだ。気付くはずが、ない。
「いや……」
口の中で言葉を転がす。
こいつはウォーターフェルの滝から落っこちた。
あそこにはゴミエリアがあって、地上のものが流れ着くことがある。……もしも。ニンゲンのタマシイが迷い込んでいたら? 滝から落ちた衝撃でこいつが無意識のうちにタマシイの一部を取り込みでもしたら、あの力には及ばないまでも、覚えている可能性は十分に考えられる。
ありえない話では、ないのかもしれない。
「ハ……、ハハ……」
――ボクは、ボクのために力を使った。
ボクの心がカラッポなことも、かつての両親でさえボクの心を満たしてくれないことも、どこを探してもキャラがいないことも、たまらなく退屈を強いる。親切をしても、その反対をしても。ボクの身体に進展はなかった。突き動かすのは好奇心。それから、ちょっとの希望。
ボクより強いケツイを持ってたフリスクは……、自分のためだけに力を使ってたわけじゃないようだけど。
いまさらになって、こんなイレギュラーが生じるなんて、誰も思わないだろう。こいつの発言を信じるなら、イレギュラーはボクが『あの力』を使ったときから起きていたんだろうけど。
「長くて、つらかったけど……、でも。きっと、ここがゴールだと思うの」
隠し通していたという真実を明かし、少女は澄んだ瞳を輝かせて綺麗に笑う。
ああ。どうして、気付かなかった?
その瞳に映っているのは、淡い希望。
かつての少女には、欠落していたものだ。
語られたことが真実かどうかは判断に苦しむ。それでも、あの繰り返しの中では一度も見たことのない清々しい表情が一番近くにあるのは事実だ。
「……しんだあとのことは、覚えてるのか」
思わず、口が滑った。無意識だったせいで言い訳も用意できない。調子が狂う。今日はずっと掻き乱されっぱなしだ。
「ううん。私はボスモンスターじゃないからね。死んだらすぐチリになって、そこでおしまい。…………きみの求めてる答えじゃないみたいだけど、これで満足?」
否定しようとして、やめる。
もしも。キャラのタマシイがまだどこかにあるのなら。かつての日々を覚えているのなら。いま、何を思っているだろう。
もう一度、ボクの名前を呼んでくれるだろうか。
……なんて。アズリエル・ドリーマーは、最期の最後にフリスクに向けて、キャラのことを話した。概ね同意するよ。あいつが言うと思わなかったセリフはあったけどね。とにかく、キャラがボクにとって特別な存在だったのは疑いようもない。
ずっと前にいなくなってしまったキャラが、いまもどこかにいるなんて希望、いい加減に捨ててしまえばいいのに。それができないまま、……できないから、くだらない質問をした。
大体、キャラはニンゲンなんだから、モンスターに死後の記憶を聞いたって意味がない。聞くなら、フリスクにするべきだったな。
「……教えてあげない」
否定しない代わりに、そっぽを向く。
「意地悪だなあ」
「ボクは元からこうだよ。そう簡単に変わるわけないだろ」
「そっかあ。そうだねえ」
間延びした言葉が癪に障る。こいつの中にある記憶でも参照してるんだろうか。
「もういいだろ。これ以上付き合いきれないよ」
「あ、待って」
「……まだなにかあるの?」
「名前!」
まだアズリエルの名前を知りたがってるのか。……その辺にいるモンスターたちにでも聞けばいいのに。喜んで昔話を聞かせてくれるだろう。ああ、いまはほとんど地上に行ってるからいないのか。
それでも伝えるのは面倒なので、早く切り上げることに決める。大体、ボクの名前はアズリエルじゃない。あいつは、あのエンディングを迎えたあと、どこにもいなくなったんだから。
「ボクはフラウィだよ。知ってるだろ」
「……そうだけど……、まあいいか。じゃあフラウィ! 手伝わせて!」
「は……?」
言ってる意味も意図もわからず、せっかく逸らした視線が交錯する。しまった、と後悔する暇さえ与えずに、そいつは距離を縮めた。
「花のお世話! ひとりじゃ大変でしょ? せっかくこんなに咲いてるんだもん。手伝うよ」
「手伝いならいらない。やりたいならオマエひとりでやればいい」
「えー、そんなこと言わずに」
「なんでボクに構うのさ、地底を探索したいんだろ? 花の世話がしたいなんて……キミ、よっぽど暇なんだね」
邪険に扱ったのに、そいつは笑みを深めるばかり。異常者は特殊な趣味でも持ってるのか?
「ふふ。私が言ったこと、覚えてくれてたんだ。ありがとう」
「はあ? ふざけてるの?」
ボクが言われたことをすぐ忘れるバカだって言いたいのか?
「ちがうちがう。ただ、うれしかったから」
屈託なく笑うそいつは、ボクの葉っぱをそれぞれ両の手で包むように触れる。振り払って逃げてやろうか。
「……花の世話をしたいのも、そうだけど。キミに名前を呼んでもらいたくて」
真摯な眼差しが、ボクを貫く。
過去の記憶をおさらいしても、選択肢は浮かばない。正解のわからない懇願に、返す言葉を考えあぐねる。
「…………忘れたよ、オマエの名前なんて」
「もう、意地悪だなあ」
本当のことを話す義務なんてないだろ? ボクのウソを看破したところで関係ないね。
何度断っても花の世話をすると息巻いてうるさいので、そっちは任せることにした。仕事が減って楽できるからいいけど。
倒れたジョウロに蔓を巻き付けて持ち上げる。中身が空っぽのおかげで、ボクはボクの表情を見ずに済んだ。
「水を汲みにいくの? 手伝うよ」
ボクの後を当然のようについてくるそいつが、ひどく鬱陶しかった。解散を呼び掛けても従わない。こいつ、こんなにマイペースだったか?
埒が明かないので無視することにした。
「――ねえ。私……、間違ってなかったよね?」
震える声色に導かれて見遣れば、濡れた瞳が揺れている。戸惑いに滲む視線は、懇願するかのようにボクを見据えていた。
「さあ。どうだろうね」
何を言ってほしいのか、わかりきった問いかけだった。あのエンディングを見る前に聞かれていたら、即座に答えてあげただろう。オマエは間違ってなかった、と。もしくは、間違っていたかもね、と答えて反応を楽しんでいたかもしれない。
いまは、答えに困る。未だ、信じていいのか判断しかねる情報だ。簡単に回答できる話じゃない。
この場所は、ひとつの到達点だろう。でも、いつだって危険と隣り合わせだ。この世界は、“あいつ”の意思ひとつで簡単にリセットできる。そうなったら、フリスクの幸せも、地底のモンスターたちの未来も、等しく奪われる。
バリアが永遠にモンスターを閉じ込められなかったように。絶対、なんて存在しない。
「…………、オマエが望むことは言ったげないよ」
深刻な顔で黙ったそいつに、追い打ちをかけたに違いなかった。それで離れるなら、それでもいい。ボクはあの泣き虫みたいに優しくなんてないから、心情も機微も考慮してやらない。
ただ。このまま別れるには踏ん切りがつかないから、別の話をしてやることにした。
「オマエ、もしも…………、いや」
もう一度リセットが起きたらどうする、と尋ねようとして口を噤む。仮にそのときが来たら、ボクはここでの記憶を忘れている。答えを覚えていられない問いかけに、意味はない。
「オマエのすきないつか 、名前、呼んでやるよ」
目を大きく見張ったそいつは、さっきまで凍りついていた表情を融かして、感情豊かに笑う。
「うんっ。楽しみができてうれしいよ。そのときはよろしくね、フラウィ」
皮肉の通じないやつだ。これさえ演技なら腹の底は読めない。
忘れてしまった名前なんて、呼べるはずがないのにさ。言ったことをすぐ忘れるバカはコロンのほうらしい。
「……機会があればね」
呆れ混じりに吐き出した言葉にも、そいつは喜びをあらわにした。くだらない。このまま平和が保たれるなら、いつか実現するかもしれないという程度の口約束ごときに、何を期待してるんだろう。果たすかもわからないのにさ。
それでも。このままリセットが起きないことを、密かに願う。かつてキャラが望んだ花畑を視界に収めながら、足取り軽く進む未来の花守 に想いを馳せた。
「…………オマエは、」
感情を乗せずに声を出す。知ってる顔だ。スノーフルに住む子どものモンスターで、面白みに欠けるやつ。スノーフルを住処に選ぶだけあって、こいつ含めた家族全員、寒さに耐えられるように全身が白い毛で覆われてる。一言で言えば、二足歩行のヒツジだ。小さいながらも角が生えているから、モンスターの子によく絡まれていたっけ。
こいつとの会話はいつだって定型文みたいなもので、特に変化がない。何をしても代わり映えがないから、
そもそも、スノーフルの外にいる姿を見るのは今回が初めてだった。……いや。最後の回廊を抜けて、バリアの前までは来てたっけ。なんて言っていたかは覚えてないけど、フリスクを応援してた気がする。こいつもフリスクの優しさに絆されたひとりなんだろう。じゃなきゃ、あの場所には来ないだろうから。
覚えてる限り、こいつがスノーフルの外に出たきっかけはフリスク。それが“最初”だった。
だから、ちょっと気に食わない。
こいつにどんな親切をしたって、街の外には出なかった。面白くないから殺してみても、抵抗もせずに一方的にやられるほど弱っちい。どっかの兄貴と違って、攻撃に長けてるわけでも、回避に秀でているわけでもない。垂れ流しの空気みたく、あるのかないのか曖昧な、愚かな子羊。
“今回”のボクは、大人しくフリスクの行動を見守っていただけから、ある意味じゃ、こいつと同じだったのかもしれない。こいつがボクみたくフリスクを傍観してた観客なんて風には思ってないけどさ。
とにかく。いまのボクのそばに立っていたのは、そんなやつだ。とっくに地上に出たかと思ってたけど、最近ようやく外に出るようになった引きこもりには、荷が重いのかもね。正直、顔を合わせても話すことがない。早くどっかに行っちゃえばいいのに。
「水遣り、してくれてるの? ありがとう」
「……べつに」
忘れていた重たいジョウロの感触が葉っぱに戻ってくる。おかげで我に返ったけど、いまさら隠すのバカらしい。どうせ初対面だ。堂々としていよう。
「お花のキミは、地上に行かなくていいの?」
降り注ぐ言葉を捉えて、そいつを一瞥する。初めて聞くセリフだ。珍しいな、とは思ったけど、バリアが消えるなんてこと自体がいままでにないことだ。そんなこともあるだろう。パピルスという前例もいたことだし。
「興味ないね」
スノーフルで突っ立ってたモンスターたちも、こいつみたいな目新しい反応をするんだろうな。いまになって、その全部を見ようとは思わないよ。今日、たまたま会ったのがパピルスとこいつで、その反応が珍しかったから、すこし会話をしてるだけ。そう。単に、それだけだ。
でも、いい機会だから、気になったことを聞いてみることにした。
「……オマエは、地底に残ったの?」
記憶の底をさらってみても、こいつは地上への希望を話していなかった。こいつの困りごとは、あっさり解決できることが多くて、呆気なくて、くだらないことばかり。ボクのこの手でも届く範囲のおつかいみたいな依頼をしてきて、終わったらお礼を言われて、それでおしまい。不安も希望も持たず、会話も弾まない。付き合いがいのないモンスター。
それでも、他のモンスターと同じように、バリアが消えたから地上に行ったんだと思っていた。
「うん。行ってないところがたくさんあるから、この地底を探索したいんだ。フリスクみたいに!」
静かに微笑むモンスターの表情に、僅かに違和感を覚える。昔見たこいつの笑った顔とは、どこか違っていた。まるで棘でも刺さったかのように、チクリと茎が痛む。見つからない間違い探しに、身体が軋むような錯覚に陥りながら、ボクは平静を装って話の続きを促した。
「この辺りはお花すごいねえ。来て良かったよ」
一面に咲く金色の花畑を見て、そいつは言った。かつてバリアの前まで来たときは、庭を見る余裕がないほど必死だったんだろうか。王さまの玉座には地上の植物があんなに咲いているのに。
「ふうん」
どうでもいいことだ。
パピルスのせいで中断していた水遣りを再開させようとジョウロをさらに引き寄せる。そこで、不意にそいつの右手に握られた花が見えた。別に、見ようと思ったわけじゃない。たまたま目についただけだ。ただの偶然なのに、目を逸らすことができなくなった。
幾度となく『あの力』を使っても、決して、忘れるもできず、埋もれることもなかった記憶。
握られていたのは、湿地帯にひっそりと咲く小ぶりの花。
その花の名前を、バターカップと言う。
「綺麗でしょ? ウォーターフェルで見つけたんだ」
「……だろうね」
視線に気付いて、そいつが答えた。返事は口の中で転がす。
手に持ってるだけなら、害はない。口に含みさえしなければ問題のない花だ。
伝える義理なんてこれっぽっちもない。こいつがまさか、突然花を口に入れるなんて奇行に走るとも思えないし。
ただ、もう水遣りの気分にはなれなかった。
なぜ掘り起こして持って来たのかまではわからないけど、ジョウロだけ置いて去ってしまおう。
いっぱいに満たされた水面に反して、映り込んだボクはすっかりカラッポだった。この姿になったときからそうだったけど。花の姿に辟易しながら地面に引っ込む寸前、またしてもそいつの行動がボクの根っこを縫い付けた。
「おい! なにやってんだよ!」
何を思ったのか、そいつはボクの目の前で口許に花を近付けた。そのまま口を開けて、ぱくりと食べてしまいそうな勢いだ。思わず声を荒らげて中断させる。
なんだってこのタイミングで。ボクの気持ちでも読めるのか? だとしたら、ずいぶんと嫌がらせが凝っている。
「何って、花の匂いを嗅ごうと思って」
呑気な子羊は、つぶらな瞳をまあるくして、不思議そうに答えた。ボクが深いため息を吐いたのは言うまでもない。
こいつの目的がボクの足止めにあるって言うなら大成功だ。パピルスに引き続き、地底の奴らは面倒ごとばかりで疲れる。
「……あっそ。どうぞ、どうぞ、ご自由に」
付き合ってられないよ、と言外に滲ませたら、そいつの手が今度はボクに伸びてくる。それは、驚くほど迅速だった。ボクがモンスターたちを捕まえたときみたいに。こいつなりの意趣返しなのかと疑ったくらいだ。
「ちょ……」
「自由にしていいんでしょ?」
……いや。あのパピルスの兄貴でさえ覚えていない出来事を、一介のモンスターであるこいつが覚えてるわけがない。どんなことをしても、その片鱗さえ見せなかったんだから。馬鹿げた可能性を思考から捨て去る。
「これはやめろ」
「はーい」
意外なことに、話せばわかってくれたらしい。あっさりと手を離すから、ボクのほうが面食らったくらいだ。
ここで脇目も振らずに去ってしまえば良かったのに。ボクは、選択を間違えた。
「ねえ、キミの名前を聞いていい?」
留まったボクに、そいつは至極当然の問いを投げてきた。そう言えば、ボクが一方的に知っているだけで、こいつとは、“まだ”初対面だ。
「フラウィ。おはなのフラウィさ」
本日二度目となる自己紹介は淀みなく滑り落ちる。かわいらしくウインクまで付けてやった。ボクのサービス精神に感謝してほしいくらいだ。
「ふうん? きみ、そういう名前だったっけ?」
「は?」
予想外の反応だったが、すぐに考えを正す。ついさっき、パピルスがフラワリーと口にしたのを聞いたばかりだ。スノーフルに住んでる住人には浸透しているのかもしれない。迷惑な話だ。
「――フリスクが呼び掛けてたのは、違う名前だった気がしたんだけど?」
質問の意図を掴み損ねたボクは、どうやら気付かない間にジョウロにぶつかってしまったらしい。滑稽に倒れたジョウロから溢れた水は、とめどなく流れ出す。濡れた大地から這い寄る水気がとにかく不快で、一旦地面に潜り込んだ。冷えた土の中から、すぐさま乾いた地面へ移動して顔を出す。水を払っても、不快感は拭えなかった。いや。不快感の正体は、捉えどころのない質問に対する強い違和感だろう。
何事もなかったかのように続けられた言葉を、精一杯咀嚼する。パピルスじゃなくて、フリスクが“ボク”に呼び掛けた名前。そもそも、あのフリスクに呼び掛けられた回数なんて数える程度だ。もしも、“フラウィ”という名前に覚えがないのなら、こいつが聞いたことのある名前はひとつだけ。
ただ、解せない。
「オマエ、あのときのこと……」
覚えているはずが、ない。モンスターはひとりも覚えていなかったんだから。
「うん?」
なんてことない表情だ。なのに、意地悪そうに歪んで見える。茎の中を、今度こそ不快感が駆け巡る。
「……取り込まれたときのこと、覚えてるのか?」
「あはは。覚えてるよ。あんな強烈な出来事、忘れようと思ったって難しいってば」
ころころと表情の変わる子羊は、知ってるどのそいつとも異なって見えた。ほとんどのモンスターが覚えていないことだ。なんの変哲もない、ケツイの力もない、かつて無惨に殺されただけの少女の口から聞かされるのはおかしい。
「……覚えてるなら、わざわざ名乗らなくてもいいだろ」
「うまく聞き取れなくてね。それがちょっと心残りだったんだ」
「……………………………………」
「疑ってる?」
取り繕った、はずだった。なのに、バレた。うまくいかない焦燥感が、誤った選択を強いる。
「……オマエ。いつ、から」
絞り出すような声だ。自分でも、情けないと思うよ。
生死が危ぶまれる状況でもないのに、身体中の水分が蒸発してしまったみたいだ。ここはホットランドじゃない、ニューホームだ。気温は温暖なはずなのに、まるで稼働してるコアに身を投げてしまったかのよう。
「……えっと、はじめから?」
そいつは、なぜか疑問系で答えを口にした。
一拍置いて、吐かれた言葉に向き直る。
「はじめから、だって?」
「うん。ぜんぶ覚えてるもん」
「ぜんぶって、そんなわけないだろ」
ぜんぶ。全部だって? そんなわけない。
理屈がわからなくても、時間が巻き戻されていたとわかれば、誰だって原因を探ろうとする。けど、こいつはそんな素振りを見せなかった。他の雑魚モンスターと同じように、ボクの予想できる範囲でしか動かない。
仮に。こいつが言っていた通り『ぜんぶ』覚えていたとしたら? いや、それこそおかしい。一度でも自分を殺した相手を、信用なんてできるはずがない。前提からして間違っている。
こいつを何回殺しても反応は変わらないし、結果も変わらなかった。ただチリになって消える運命の、取るに足らない有象無象のひとり。
繰り返す時間の中の記録が、それを裏付ける。
「そんなこと言われても、本当だもん」
「それを証明する方法なんて、ないだろ」
「うん。私は基本的にスノーフルを出なかったからね。きみはあんまり長居しなかったから、接点がほとんどなかったなあ」
……アタリだ。
ただ、当て推量でもどうにかなる範囲だ。
新しく問いかけをしようとして、閉口する。口車に乗ったその時点でボクの負けだ。付き合うだけ時間の無駄。それに、こいつが話す内容なんて、確認するだけ無意味だ。ゴールまでの通過点。出会ったから倒す雑魚モンスター。それ以上でもそれ以下でもないものに、時間を割いてどうする?
「……それで? いまになってそんなこと話して、どうしようって?」
「うーん、ようやく話せるかな? って思って話しただけで、深い理由はないよ」
「はあ?」
どんな重大な秘密を抱えているのかと思いきや、明日の天気でも話すみたいな素振りで、能天気にそいつは言い放った。
「うまく説明できるかわからないんだけど……。えっとね、私が生きる上でのルールがあったの」
あどけなさが残る言い回しだ。歳相応の振る舞いからも、こいつの発言の信憑性は薄まる。
聞く義理はない。だけど、いまのボクには『あの力』が使えないんだ。
もし、ここで聞かない選択をしたら、今後は一切話さないかもしれない。この世界には、一度しか聞く機会がない会話が存在する。くだらない会話を切り捨てるべきか、それとも好奇心に負けて耳を傾けるべきか。天秤にかけて悩んでいるうちに、沈黙を破って、少女が続きを話す。
「……『誰にも 気取られるな』って」
語られたのは、ボクが何度もリセットをさせられたあいつに向けて抱いていた指標にそっくりだった。
「なんで、また」
「だって、突然同じことが繰り返されたらこわいもん。そうでしょ? 他の誰も気付いてないって、すぐにわかったから、余計に」
ボクがはじめて『ロード』したときを思い返す。あのとき、ボクが助けを呼んだらあの王さまはすぐに駆け付けてくれたけど、『ちょっと前の』出来事を綺麗に忘れていた。ボクが名乗ったことも、忘れてしまっていた。
もしも。ボクがこの力のことを知らないまま、ただ巻き込まれていたのなら、どう思ったんだろう? こいつみたいに、恐怖を覚えるんだろうか。それとも、どこかの兄貴みたいに諦めるんだろうか。
「すぐにわかったって、どう判断したのさ」
「だって、『違い』は明らか。問題は浮き彫り。すぐ、わかるでしょ? 私以外のみんなは、同じ過去を繰り返して、いつも通りを過ごすだけ。誰も疑問を持たないんだもん。あーあ、違うのは私だけなんだ、って。わかるの。私が持ってる記憶は、みんなとは『違う』んだって。それも、たぶんあんまりいい意味じゃない、って」
そんなの、ボクにはわからないよ。
扉を開く鍵は、いつだってボクの中にあった。ボクの気持ちひとつで別の扉へひとっ飛び。起きたことは全部なかったことにできる、万能の鍵だ。恐怖を抱くことはない。多少のスリルはあったかもしれないけどね。それでも、ボクを突き動かしたのは純粋な好奇心だ。
それが、いまさらこんなことで?
知り尽くしたはずの世界が、覆る。
たったひとりのモンスターの証言で。
「すごく、寂しかったよ。たしかに、いつかは誰か気付くかもしれないけど、でも、それがいつかなんてわからない。答えは見つからない。何がきっかけかもわからない。私が見える範囲は狭くて……。べつに、広げようとも、思ってなかったけど……」
……ああ。たしかこいつ、ボクのセーブポイントよりすこし前の段階で、ウォーターフェルの滝から落っこちたんだ。魔力で出来てるモンスターの身体はそう易々とは崩れないけど、その一件以降、外出に消極的になったんだってこいつの親が話していた。活発な子だったのに、家の外にさえ中々出なくなったって。その辺りの話、そう言えば詳しく聞いてなかったな。
「だから、ね。私に見える範囲で考えて、決めたの。知らん振りしようって」
「……ボクに一回殺されたあとも、その考えは変わらなかったの?」
「一回どころじゃなかったでしょ? 痛いし苦しいし……大変なんだから。もう二度としないでね」
窘めるような口調で、少女は言った。
あの力は使えないくせに。死を経験したことを覚えていて、それでいて何度繰り返されても抵抗せずにいたなんて、おかしい。自分の中の常識で測れない存在に、葉っぱの先が揺れる。
「……それで、ええと? 何の話だっけ?」
「しんだあとも、考えは変えなかったのか?」
「うん。だって、きみのせいかわからないもん。私が見てないところで、誰かがそういう風に命令したのかもしれないし、マインドコントロールされてたのかも。……私には、わからないもん」
絶句した。
こいつは、救いようのないバカだ。わからないから、抵抗もせずに死を選ぶ? ろくでなしの考えだ。 迷える仔羊だって、もうすこしマトモな選択をするだろう。
「わからないから、同じことを続けるしかできなかったの。博士みたいに頭良くないから、ひとりでずうっと考えたよ。目立たないように、同じことを繰り返しながら、ずっとずっと考えてた」
見過ごしていたこいつの態度を、有り余るほどの記憶から思い返す。いつだって、特筆するほどの違いはなかった。何度も訪れても反応は同じ。記憶からズレることは一度もなく、新鮮さに欠けるつまらない存在だった、はずだ。
もしも。全部覚えていた上で、毎回同じことをなぞっていたとしたら。
ボクには出来そうもない。知らないものを知る好奇心を宿して何度も繰り返したボクには、自ら同じ行動を何度も繰り返すこいつの異常性が、理解できそうにない。いたって『普通』であるとでも言いたげに間抜けな面を晒しているこいつの偽らざる輪郭が、徐々に浮かび上がってくる。おぞましさの片鱗に反吐が出そうだ。
「私はメタトンみたいなスターじゃないから、誰にも話せなくて、打開策も見つからなかった。誰かに話したかったけど、誰を選べばいいかもわからない。それに、もし話したら、その瞬間から決定的にぜんぶ変わっちゃうかもしれないでしょ? みんなが同じ日々を過ごして、日常は回る。なら、私も同じことをしようって決めたの」
語られた内容の、半分も理解できそうになかった。どんな精神構造をしていたら、そんな選択ができる? ボクが繰り返した回数は、ボク自身も覚えていないほどに膨大だ。その全てで、一切新しいことに挑戦せずに、同じ自分を演じ続けるなんて、正気じゃない。
「……ううん。踏み出すのがこわかったから、止まったままでいることにしたんだ。そしたら……きっと、いつかは終わるもん」
矛盾している。
いつか誰かが気付く日を待ち飽きた少女は、自我を殺して歯車になった。そして、ボクを欺いて、なんでもない端役を演じ、受動的にいつかを待つだけになった。
……まあ。こいつの話が全部本当だとしたら、の話だ。
一介のモンスターが、気付くか?
フリスクはニンゲンだ。モンスターよりも強いタマシイの力を持つ存在。実際に『あの力』を使いこなしていた。
何度もリセットをさせられたサンズは勘づいている。勘づいていると判明してるだけで、なぜかまでは知らない。そのあいつだって、仕組みの全てを理解してるわけじゃない。
目の前にいるのは、やられ役の一介のモンスター。そのはずだ。気付くはずが、ない。
「いや……」
口の中で言葉を転がす。
こいつはウォーターフェルの滝から落っこちた。
あそこにはゴミエリアがあって、地上のものが流れ着くことがある。……もしも。ニンゲンのタマシイが迷い込んでいたら? 滝から落ちた衝撃でこいつが無意識のうちにタマシイの一部を取り込みでもしたら、あの力には及ばないまでも、覚えている可能性は十分に考えられる。
ありえない話では、ないのかもしれない。
「ハ……、ハハ……」
――ボクは、ボクのために力を使った。
ボクの心がカラッポなことも、かつての両親でさえボクの心を満たしてくれないことも、どこを探してもキャラがいないことも、たまらなく退屈を強いる。親切をしても、その反対をしても。ボクの身体に進展はなかった。突き動かすのは好奇心。それから、ちょっとの希望。
ボクより強いケツイを持ってたフリスクは……、自分のためだけに力を使ってたわけじゃないようだけど。
いまさらになって、こんなイレギュラーが生じるなんて、誰も思わないだろう。こいつの発言を信じるなら、イレギュラーはボクが『あの力』を使ったときから起きていたんだろうけど。
「長くて、つらかったけど……、でも。きっと、ここがゴールだと思うの」
隠し通していたという真実を明かし、少女は澄んだ瞳を輝かせて綺麗に笑う。
ああ。どうして、気付かなかった?
その瞳に映っているのは、淡い希望。
かつての少女には、欠落していたものだ。
語られたことが真実かどうかは判断に苦しむ。それでも、あの繰り返しの中では一度も見たことのない清々しい表情が一番近くにあるのは事実だ。
「……しんだあとのことは、覚えてるのか」
思わず、口が滑った。無意識だったせいで言い訳も用意できない。調子が狂う。今日はずっと掻き乱されっぱなしだ。
「ううん。私はボスモンスターじゃないからね。死んだらすぐチリになって、そこでおしまい。…………きみの求めてる答えじゃないみたいだけど、これで満足?」
否定しようとして、やめる。
もしも。キャラのタマシイがまだどこかにあるのなら。かつての日々を覚えているのなら。いま、何を思っているだろう。
もう一度、ボクの名前を呼んでくれるだろうか。
……なんて。アズリエル・ドリーマーは、最期の最後にフリスクに向けて、キャラのことを話した。概ね同意するよ。あいつが言うと思わなかったセリフはあったけどね。とにかく、キャラがボクにとって特別な存在だったのは疑いようもない。
ずっと前にいなくなってしまったキャラが、いまもどこかにいるなんて希望、いい加減に捨ててしまえばいいのに。それができないまま、……できないから、くだらない質問をした。
大体、キャラはニンゲンなんだから、モンスターに死後の記憶を聞いたって意味がない。聞くなら、フリスクにするべきだったな。
「……教えてあげない」
否定しない代わりに、そっぽを向く。
「意地悪だなあ」
「ボクは元からこうだよ。そう簡単に変わるわけないだろ」
「そっかあ。そうだねえ」
間延びした言葉が癪に障る。こいつの中にある記憶でも参照してるんだろうか。
「もういいだろ。これ以上付き合いきれないよ」
「あ、待って」
「……まだなにかあるの?」
「名前!」
まだアズリエルの名前を知りたがってるのか。……その辺にいるモンスターたちにでも聞けばいいのに。喜んで昔話を聞かせてくれるだろう。ああ、いまはほとんど地上に行ってるからいないのか。
それでも伝えるのは面倒なので、早く切り上げることに決める。大体、ボクの名前はアズリエルじゃない。あいつは、あのエンディングを迎えたあと、どこにもいなくなったんだから。
「ボクはフラウィだよ。知ってるだろ」
「……そうだけど……、まあいいか。じゃあフラウィ! 手伝わせて!」
「は……?」
言ってる意味も意図もわからず、せっかく逸らした視線が交錯する。しまった、と後悔する暇さえ与えずに、そいつは距離を縮めた。
「花のお世話! ひとりじゃ大変でしょ? せっかくこんなに咲いてるんだもん。手伝うよ」
「手伝いならいらない。やりたいならオマエひとりでやればいい」
「えー、そんなこと言わずに」
「なんでボクに構うのさ、地底を探索したいんだろ? 花の世話がしたいなんて……キミ、よっぽど暇なんだね」
邪険に扱ったのに、そいつは笑みを深めるばかり。異常者は特殊な趣味でも持ってるのか?
「ふふ。私が言ったこと、覚えてくれてたんだ。ありがとう」
「はあ? ふざけてるの?」
ボクが言われたことをすぐ忘れるバカだって言いたいのか?
「ちがうちがう。ただ、うれしかったから」
屈託なく笑うそいつは、ボクの葉っぱをそれぞれ両の手で包むように触れる。振り払って逃げてやろうか。
「……花の世話をしたいのも、そうだけど。キミに名前を呼んでもらいたくて」
真摯な眼差しが、ボクを貫く。
過去の記憶をおさらいしても、選択肢は浮かばない。正解のわからない懇願に、返す言葉を考えあぐねる。
「…………忘れたよ、オマエの名前なんて」
「もう、意地悪だなあ」
本当のことを話す義務なんてないだろ? ボクのウソを看破したところで関係ないね。
何度断っても花の世話をすると息巻いてうるさいので、そっちは任せることにした。仕事が減って楽できるからいいけど。
倒れたジョウロに蔓を巻き付けて持ち上げる。中身が空っぽのおかげで、ボクはボクの表情を見ずに済んだ。
「水を汲みにいくの? 手伝うよ」
ボクの後を当然のようについてくるそいつが、ひどく鬱陶しかった。解散を呼び掛けても従わない。こいつ、こんなにマイペースだったか?
埒が明かないので無視することにした。
「――ねえ。私……、間違ってなかったよね?」
震える声色に導かれて見遣れば、濡れた瞳が揺れている。戸惑いに滲む視線は、懇願するかのようにボクを見据えていた。
「さあ。どうだろうね」
何を言ってほしいのか、わかりきった問いかけだった。あのエンディングを見る前に聞かれていたら、即座に答えてあげただろう。オマエは間違ってなかった、と。もしくは、間違っていたかもね、と答えて反応を楽しんでいたかもしれない。
いまは、答えに困る。未だ、信じていいのか判断しかねる情報だ。簡単に回答できる話じゃない。
この場所は、ひとつの到達点だろう。でも、いつだって危険と隣り合わせだ。この世界は、“あいつ”の意思ひとつで簡単にリセットできる。そうなったら、フリスクの幸せも、地底のモンスターたちの未来も、等しく奪われる。
バリアが永遠にモンスターを閉じ込められなかったように。絶対、なんて存在しない。
「…………、オマエが望むことは言ったげないよ」
深刻な顔で黙ったそいつに、追い打ちをかけたに違いなかった。それで離れるなら、それでもいい。ボクはあの泣き虫みたいに優しくなんてないから、心情も機微も考慮してやらない。
ただ。このまま別れるには踏ん切りがつかないから、別の話をしてやることにした。
「オマエ、もしも…………、いや」
もう一度リセットが起きたらどうする、と尋ねようとして口を噤む。仮にそのときが来たら、ボクはここでの記憶を忘れている。答えを覚えていられない問いかけに、意味はない。
「オマエのすきな
目を大きく見張ったそいつは、さっきまで凍りついていた表情を融かして、感情豊かに笑う。
「うんっ。楽しみができてうれしいよ。そのときはよろしくね、フラウィ」
皮肉の通じないやつだ。これさえ演技なら腹の底は読めない。
忘れてしまった名前なんて、呼べるはずがないのにさ。言ったことをすぐ忘れるバカはコロンのほうらしい。
「……機会があればね」
呆れ混じりに吐き出した言葉にも、そいつは喜びをあらわにした。くだらない。このまま平和が保たれるなら、いつか実現するかもしれないという程度の口約束ごときに、何を期待してるんだろう。果たすかもわからないのにさ。
それでも。このままリセットが起きないことを、密かに願う。かつてキャラが望んだ花畑を視界に収めながら、足取り軽く進む未来の