ニンゲン夢主の名前
地底観光ツアー
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バリアが壊れてから一年 が巡り、ニンゲンとモンスターは良好な友好関係を築いていた。
“これは、まだ通過点に過ぎない”。
多くのモンスターたちは、誰に言われるまでもなく感じていた。
まず、問題として挙げられるのはニンゲン側の認識だ。ニンゲンとモンスターとの争いは、ニンゲンたちの間ではとうに風化し、歴史上から抹消されたも同然であった。モンスターたちは死後ちりとなるため、痕跡が地上に残らず、歴史の本にも載っていない。仮にいくつかの文献が残っていたとして、現在の科学がそれを否定する。
ゆえに、バリアに閉じ込められたモンスターたちと、地上で何千年も暮らしていたニンゲンたちの間には、大きな隔たりが横たわっていた。
当初、ニンゲンの大人たちは、地底からやってきた異種族へ恐怖を抱いた。なんの前情報もない見知らぬ存在へ畏怖を抱くのは当然のことである。
一触即発とも思える状況で架け橋となったのは、親善大使の肩書きで呼ばれるニンゲン、フリスクであった。同胞であるフリスクの尽力により、ニンゲン側の認識は徐々に改善され、恐怖は大幅に緩和されていった。
もちろん、フリスクのみならず、地底からやってきたモンスターたちの存在によるところも大きかったのだろう。モンスターたちが地上に現れて以降、イビト山付近に広まる伝承と合わせて、モンスターに関して根も葉もない噂が出回っていた時期もある。だが、フリスクのそばには、常に愛らしいマスコットを自称するパピルスがいた。
およそニンゲンの常識では計れないような発想は警戒心を薄める。パピルスの存在は彼が想像する以上に貢献してくれていた。
また、モンスターたちの提案によってもたらされた技術の影響もあるだろう。おかげでニンゲンの文化は革新的な飛躍を迎えた。悩みの種となっているエネルギー問題についても、資源の少ない地底での生活をヒントに、共同研究が進められている。無論、非人道的――非モンスター道的な研究は、治験の段階が進むまではご法度とされた。法の整備はまだ追いついていないものの、バリアが破壊されて一年が経ったいまも、大きな問題なく共存していることから、時間の問題であると目されている。
未だにモンスターたちを許容できないニンゲンの派閥は存在するらしいが、それでも概ね受け入れられていた。
逆に、モンスター側からそういった派閥の存在を聞くことは一切ない。フリスクのおかげも考えられるが、モンスターたちを構成する要素が関係しているのではないか。翻って、思いやりの心がなくとも存在できるというニンゲンの真価が問われているのでは、といった言説が一部のワイドショーを賑わせることもあった。
バリアが破壊されて数年も経つ頃には、モンスターの存在は普遍的なものと変化を遂げ、生活に溶け込むようになりつつあった。
当然、その時期に生まれた子どもも物心がつくようになる。されど、未だにモンスターの存在を教材に盛り込むには時間を要していた。この件に関しては、幸いなことにモンスター側が協力的だ。数年以内に教育方針が刷新され、取り入れられることだろう。
モンスターたちの存在は、ゆっくりと世間に浸透しつつある。それでも、偏見や固定観念を払拭するには、まだまだ力が及ばない。
そこで、フリスクは一計を案じることにした。
子ども向けの地底観光ツアーを企画したのである。
――モンスターに対して偏見を持たない世代の子どもたちに、ありのままの感性で地底を楽しんでほしい。
規格概要を、フリスクは何度も語った。しかし、これは表向きの理由である。ツアーを体験した彼らの口を通して語られる言葉が、親御さんへ良い影響を及ぼすことを願う、打算も含まれていた。
観光ツアーは大々的に宣伝され、多くの人々の目に映り、話題を攫った。安全で危険はないことを呼びかけた上で、地底で生活していたモンスターたちの文化や暮らしを知ってほしい。訴え続けたフリスクの言葉は連日テレビで取り上げられた。
批判も覚悟していたが、結果として、定員オーバーするほど申し込みが殺到した。先着順の予定を急遽変更し、抽選制となったのもやむなしと言えた。
「……、…………あ、あたっ、てる……!!」
そうして。地底世界に憧れるとある少女のもとにも、一通の手紙が届く。乱暴に破かないようにペーパーナイフで丁寧に切り取られた封筒から躍り出たのは、当選を告げる文章であった。
ツアー当日は天候に恵まれた。幸先が良い、とフリスクは微笑み、手元の名簿に目を通す。しかし、点呼を取る前に、周りを子どもたちに囲まれてしまった。数にして二十名。テレビに映るような有名人がすぐ目の前にいる事態に、誰もが大興奮。その波は留まることを知らず、段取り通りに進まない。
フリスクは困り果て、付き添いのアンダインに視線を投げた。受け取ったアンダインは頼もしく頷くと、努めて優しく話しかける。しかし、誤算があった。当のアンダインも有名人であり、テレビへの出演経験がある彼女は、地底のみならず地上の子どもたちにとってもヒーローだったのだ。
「よし、わかった! これが終わったらツアー開始だ! ちゃんとフリスクの言うことを聞くんだぞ」
せがまれるままベンチプレスを披露したアンダインは、子どもたちと約束を取り付けてうまく誘導する。怪我なく穏便に話を済ませたところで、フリスクが集合した子どもたちの点呼を取る。欠員なしを確認して、安心させるように笑顔を見せた。いつの日か、アンダインの真似だと言って見せたあの笑顔である。アンダインも得意げに見守っていた。
「それじゃあ、みんな、準備はいい? いくよ!」
どこか懐かしむように声をかけて、フリスクは子どもたちを先導する。アンダインはホットランドに行く気はない、と事前に断りをいれているため、見送りのみ。名残惜しそうな子どもたちに見えるよう拳を高く掲げ、楽しんでこい、と送り出す。
バリアが壊れて以降、ホットランドにあるエレベーターは地上に開通した。そのために様々な協議が何度も挟まれたが、今回その苦労話は不要だろう。
エレベーターは大幅なショートカットに一役買っており、観光ツアーでは行きの道にのみ適応される。帰りは別ルートになるのだ。
エレベーターでホットランドに降り立ったツアー客一行は、突然やってきた熱気に悲鳴をあげた。事前に聞かされていたとはいえ、実際に味わうとなるとまた別物なのである。
退散するようにラボに向かうと、出迎えてくれたのはアルフィー博士。謹製のアイスクリームを振る舞ってくれたおかげで、子どもたちの胃袋はしっかりと掴まれる。地下の植物から生成されたものなので、話題性もバッチリ。ゲストにメタトンが登場したおかげで、ラボでの見学は大盛況だ。
ラボで簡単な説明を受けたあとは、ウォーターフェルまで向かうことになる。ラボの扉を開けた途端、再びの熱気に襲われて、こどもたちは怯んだ。
それでも、先達のフリスクが励ましたことで、子どもたちは一歩を踏み出す。褐色の大地の上を歩き、互いに声を掛け合い、ときに水分補給を挟みながら、厳しい気候を乗り切る。
ようやくウォーターフェルに辿り着くと、ひんやりと心地好い空気が清涼感を与えてくれる。一息ついた一行は、ガーソンとアーロン、そしてパピルスに迎えられた。
子どもたちは初めて見るモンスターに大はしゃぎ。若いモンスターばかり見ていたので、年老いたガーソンの姿に興味津々である。当のガーソンも悪い気はしないようで、シワの出来た目許が優しさを帯びて柔和な表情を象った。
「案内には書いていたけど、ここからふたつの班に分かれるよ。説明をよく聞いてね」
子どもたちが落ち着いたタイミングで、改めてフリスクから説明を始める。
事前に公表されていまタイムテーブルは主に保護者に向けたものであった。そのため、フリスクは子どもたちにも伝わるよう、噛み砕いた言葉で、二手に分かれる発表をする。
班のひとつは、午前にウォーターフェル、午後にスノーフルに向かう。もう一方はその逆。班分けは無難に名前順ということになった。
ウォーターフェルからスノーフルまでは舟で向かうことになる。しかし、スペースが限られる地底では思うように舟は増やせず、漕ぎ手も少ない。そのため、今回は臨時でパピルスとアーロンが採用されたのだ。以前と違ってすっかり成人したフリスクも船頭を担い、以前から渡し守として働いていた川の人と合わせて、四人が担当する。
川の渡し守とフリスクが三名ずつ、アーロンとパピルスが二名ずつ。ここでも名前順が採用されるはずだったが、見知ったフリスクとパピルスに子どもたちが殺到したため、公平を期してジャンケンが用いられた。
ここまで、受動的に話を聞いていたミシェルは、パピルスの舟に乗る権利を勝ち取った。喜びのあまり、同じ権利を得た男の子と共に飛び跳ねる。
舟に乗ろうとすると、パピルスに手を引かれた。慣れない浮遊感に戸惑いつつも、ミシェルは無事に舟に乗り込んだ。進行方向と逆側に座ったものの、おかげで漕ぎ手のパピルスと向かい合えて、すこしお得な気分である。
考え事をしていると、屈んだパピルスが二人分のブランケットを取り出した。向かいに座る男の子経由で、ミシェルの膝の上へ到達する。
「揺れるからしっかり掴まってねッ! いくよ!」
水上でも退屈しないように、パピルスはいろんな話をしてくれた。これから向かうスノーフルのこと、ホネがだいすきなイヌのこと、フリスクのこと、自らの兄のこと、仕事のこと。どれも楽しい話題で、あっという間にスノーフルへ到着した。
先に辿り着いた子どもたちと合流を果たし、一行はスノーフルにある宿泊施設、スノーテルへ。今日限りの貸切で、子どもたちが風邪を引かないよう、隅々まで温もりが満ちている。
「お昼休憩……のつもりだったんだけど、デリバリーが届かないね?」
不思議そうなフリスクはみんなに待機をお願いしたが、子どもの好奇心は易々と抑えられるものではかった。近くのグリルビーズへ向かうフリスクのあとを、子どもたちが尾行する。
グリルビーズに足を踏み入れたフリスクが見たのは、カウンター席に座って、グリルビーに積もる話を繰り広げるサンズだった。
「よう、フリスク。早いな。……その顔は…………、あー……、悪い。デリバリーの時間だったな」
「なんの話をしてたの?」
「ツケの件でちょっとな。仕事はするぜ。スノーテルまででいいか? 後ろにお客さんもいるみたいだが」
「えっ?」
サンズの発言を聞いて、ようやくフリスクは背後を振り返る。スノーテルで待っているはずの子どもたちは、一人残らずグリルビーズの目の前までやってきていた。
「……、…………グリルビー、使わせてもらってもいい?」
「ああ。たぶん『いいぜ』って言ってると思うぜ」
グリルビーが否定しないので、フリスクは子どもたちを招き入れることにした。大人の雰囲気漂う空間に、子どもたちは目の色を変えて喜ぶ。カウンター席に座ればブーブークッションの罠があったり、テーブル席に座ってお店の中をじっくり見渡す子どももいたり、思い思いに堪能しているようだ。
「料理はできてる。いま運ぶよ」
さて、食事も終えてのんびり、とは問屋が卸さなかった。
子どもは風の子、とはよく言ったもので、彼らはスノーフルの森に興味を示した。
ウォーターフェル組と交代するにも、時間に余裕がある。子どもたちの懇願にフリスクが折れて、森での自由行動を許した。森の奥にある扉の先には行かないように、と言い含めて。
許しを得た子どもたちの行動は素早く、我先に森を探索する。
かつてギフトロッドが避難していた区画の先で、謎の扉を見つけたり。足を滑らせて崖に落ちそうになった子どもをパピルスが救出したり。一番人気なのはスノーボールだ。いつの間にか順番を決めて、かわりばんこに遊んでいる。
地底に残ったモンスターたちには、事前に観光ツアーの話を通している。経路から外れた場所で待機してもらっているため、森は無人。積もった雪が、子どもたちの喧騒を吸収する。
早めにスノーボールを遊んだは、一緒の舟に乗った男の子に袖を引かれた。彼はミシェルよりも年上だが、好奇心は人一倍に強そうだ。森はさらに奥に続いてるから先に進んでみよう、と提案され、ミシェルは戸惑った。いいのかな、という気持ちではない。私が一緒に行っていいのかな、という迷いだ。
「素早く行って戻ってくれば、だれにも心配かけないって。なあ、行ってみよう?」
「――うん!」
男の子の提案を、ミシェルは素直に受け取った。彼女も、地底を隅々まで楽しみたかったのである。
子ども二人による冒険は続く。基本は一本道なので迷わずに進むことが出来た。
背の高い並木道に見送られ、ひたすら歩き続け、そうして、最後に森の奥へと辿り着いた。
「これがフリスクが言ってた扉……かなあ」
紫を基調とした建物には、子どもたちの背をゆうに超える大きな扉が待ち構えていた。
「でも、まちのちかくにもトビラがあったっていってたの、きいたよ?」
ミシェルたちは実際に見ていないが、ほかの子どもの言葉は聞こえていた。フリスクが言ってたトビラはどちらのことだろう。ふたりは顔を見合わせて頭を悩ませる。
「……開く」
試しに手を当てた男の子は、驚きながらも事実を述べた。
「まったく、不用心だなあ。でも、入っちゃいけない扉なら開くわけないし、フリスクが言ってたのはミシェルが言ってたほうなんじゃない?」
「そっか〜」
それなら、まだぼうけんはつづく。
ミシェルは男の子との冒険がまだ楽しめるんだ、と喜んだ。
「待って、誰か来る! 近くの石……は、隠れるのに向かないから、中に入って待ってて」
「どうするの?」
「もう少し探検したいだろ? 時間を稼ぐ。……ええと、時計貸すよ。ここ、この長い針がてっぺんに来るまでに、戻っておいで」
男の子は、腕時計をミシェルの左腕に巻き付けて、時計の見方を教えた。最後に頭を優しく撫でて、彼は柔らかく微笑む。
「行っておいで。楽しんでくるんだよ」
そうして。ミシェルは遺跡の中に入った。中は薄暗く、手探りで進むとお家の中に繋がっている。不思議な造りに驚きはしたが、気を取り直してお邪魔します、と一言呟いた。ミシェルはお家の階段を登り切り、玄関の扉を開く。家の中も探検したかったが、この先に何があるのかを自らの目で見たかったのである。
葉が枯れて落ちた木を通り越して、右か左に進むか悩んで、心の赴くままに突き進む。無人の遺跡は静かで、ミシェルの心は弾む。
大きな柱のそばにあるスイッチを調べようとした瞬間、突然足元に穴が空いた。ミシェルは驚いて、抵抗もできないまま穴に吸い込まれていく。
幸いなことに厚く敷かれた木の葉がクッションになってくれた。しかし、味わったことのない浮遊感が彼女の鼓動を早める。預かった腕時計が無事であることを確かめ、彼女は唯一の出口を通った。出口の先は違う風景だったが気にせず進む。すると、やけに広い空間に辿り着いた。あちらこちらとふらふら歩くと、またしても足元に穴が空いて、再びミシェルは落下する。
二度目ともなると落ち着いたもので、身体そのものは硬直していたが、ミシェルの心は安らかだった。落ちた先に木の葉があるのも相変わらず。今回は楽しむ余裕があったので、上の階へ続く道を辿ったあとは片っ端から落っこちてみた。慣れない落下も、あらかじめ心の準備ができていれば楽しいものへ早変わり。歩いては落ち、勢い任せに跳んでは落ち、雪玉に生まれ変わった気持ちで転がっては落ち、木の葉の絨毯に受け止めてもらう。何度も繰り返している内に、自分がどちらからやって来たかわからなくなった。
「うん。まだへいき」
腕時計の針は、まだてっぺんには遠い。
道は一本。前か後ろか、どっちかに進んで見覚えがなかったら来た道を戻る。見覚えがあるほうがアタリ。シンプル、というやつだ。迷子なんかじゃない、とミシェルは言い聞かせる。まだ、大丈夫のはず。彼女は気軽に楽観視。道を進もうとして、足がもつれた。
あっという間に落とし穴が出現する。出鼻を挫く意地の悪い仕掛けに、ミシェルは地団駄を踏もうとするが、空中ではうまくいかない。両手が宙を掻いて、何度目かになる木の葉が迎え入れる。しかし、先程までとは打って変わって、落ちた先にある木の葉の層は薄かった。
背中を強く打ち付けたミシェルは、人目も憚らずに大声で叫んだ。激痛に、声が迸る。手のひらも擦りむいてしまったようで、じんじんと痛みを発している。
なるべく痛みが少なくなるように身体を動かす。木の葉の層はさらに薄まり、地面があらわになった。荒い呼吸のせいか、視界が滲む。色もよくわからない。預かった腕時計の針がゆっくりと刻まれていくのを、ミシェルは歪んだ視界の中で捉え続けた。痛みは少しずつ遠のいたが、代わりに心細さと人恋しさが肥大していく。
「だれか……、たすけて…………」
か細く震える声では、きっと誰にも届かない。それでも言わずにはいられなかった。どうにか起き上がって、まちに帰らないといけない。あの男の子にも、パピルスやフリスクにも、おかあさんにも、かなしい顔をさせたくない。
身体を動かそうとしても、僅かに腕が持ち上がるのみ。結果として木の葉と戯れるだけで終わる。むなしい気持ちに拍車がかかり、鼻の奥がつんと痛む。
「こっちから聞こえたと思ったけどな……」
無為に時間を浪費していたミシェルだったが、光明が差した。第三者の声が聞こえてきたのだ。
「あれ! キミは……! ひょっとして、おちてきたの……?」
上の階層から覗き込んでいたのは、見知らぬモンスターだった。歳の頃はミシェルとそう変わりないように見える。心配そうに眉根を下げていた。
「ケガ、してるね。……立てる?」
いつの間にか、ミシェルのそばにやってきたそのモンスターは、いまにも泣きそうな顔で案じてくれている。それがなんだかおかしくて、ミシェルはへにゃりと泣きながら笑って、ひとつ頷いた。
肩を貸してくれたモンスターは、ミシェルに対して、銀紙に包まれた何かをそっと差し出してくれる。彼女の直感は、それが何かを告げていた。それでも、逸る気持ちを抑えて受け取り、静かに包みを剥いでいく。中から出てきたのは、予想通りのチョコレートだった。
「たべていいの!?」
「うん。すこしは元気が出ると思うよ」
まさか地底でもチョコレートが食べられるなんて思ってもみなかったミシェルは、大喜びで頬張る。不思議なことに、怪我なんかしなかったみたいに調子が戻ってきた。おいしいってすごい、と大満足のミシェルだったが、モンスターは依然心配そうだ。
「おいしいってすごいねえ……」
「口に合って良かった。ここだと満足に手当てができないから移動するけど……、大丈夫?」
「うん!」
すっかり元気になったので、ミシェルはいま、モンスターに手を引かれる形で歩き出していた。曰く、応急処置だから無理をしないように、とのことらしい。モンスターが辿る道は、奇しくも、ミシェルの知りたかった帰り道の答え合わせでもあった。
「……あ。お兄さん、くさのにおいがするー」
「そうかい? お花の世話をしてたからかな」
繋がった手は温もりに満ちて、すこしくすぐったい。ふわふわの感触に次いで、においがミシェルの鼻をくすぐっていく。不思議そうなモンスターに対して、ミシェルは一層力強く頷いた。
「うん、くさのにおいするよ! わたしもおちばであそんだから、きっとおんなじにおいなの。おそろいだー」
「フフ、そうだね」
モンスターから伝わってくる温もりは心地好いもので、ミシェルはすっかり懐いていた。雑談を交わしているうちに、家が見えてくる。外から見るとかわいらしい造りの家の内装は、先程見たものと全く同じ。しかし、案内されたのはダイニング。初めて行く場所だった。
大きなチェアに座るようにお願いされ、ミシェルは素直に従う。手馴れた様子でガーゼを貼り、丁寧に包帯を巻いてくれるモンスターは、一貫して優しい。無人の家に汚れが少なかったのは、彼が掃除をしているからなのかもしれない。ミシェルはぼんやりと考えて、お礼がまだだと気付いた。
「……あのね、わたしミシェル。たすけてくれてありがとう!」
「どういたしまして。いい名前だね」
「ありがとう! あっ、お兄さんにね、さっきつたえわすれちゃったことがあるの!」
「なんだい?」
「あのね、わたしはおちてきたんじゃなくてね、フリスクたちときたんだよ。あついトコロとさむいトコロをたんけんしたら、ここだったんだの」
「……そっか。フリスクと一緒だったんだね」
「お兄さんも、フリスクとともだち?」
「うん。そうなんだ」
嬉しそうに答えるモンスターを見て、ミシェルも幸せな気持ちになる。いつもの調子が戻ってきた。
「フリスクと一緒に来たなら、きっともう帰らないといけないよね?」
「……えっと……、ここのはりが、てっぺんにくるまでにかえってきてって……」
「そっか。急いだほうがいいね」
「……、………………うん……」
本音を言うと帰りたくない。せっかく元気になったのだ、もう少し冒険をしていたい。
しかし、優しそうなモンスターを見ていると、本音は胸の奥で溶けてしまう。モンスターは魔法を使うと聞くから、これもその魔法なのかもしれない。
浮かないミシェルを見たモンスターは、ダイニングとは反対方向に姿を消す。追いかけるか迷っている内に、その手に魅力的なぬいぐるみを連れて帰って来た。
「……キミが迷惑じゃなかったら、連れていくかい?」
甘美な提案にミシェルの心はだいぶ揺らぐ。彼女自身、幼心ながら理解していたのだ。こんな遠くまで来るのは、良くないことを。
「チョコも、ほーたいも、もらったの。それよりいっぱいは、もらえないから……、いいの」
緩く首を振って、ミシェルは答えた。
本心を話すと、素直に受け取ってしまいたい。絶対に大切にすると誓える。ぬいぐるみはだいすきだ。毎日ベッドで一緒に眠るし、おはようのキスだって雨のように降らせる。
だけど。だけど。悪いことをした自分が受け取るわけにはいかない。それに、もしかしたら、彼の大切な友達かもしれない。
「あ、あのね。……ほんと、は……フリスクにいわないで、ここ、きたの」
「……うん」
モンスターは温かく迎えてくれた。いまも、ミシェルの言葉を優しく聞いてくれる。それがなぜか、彼女の胸にはひどく苦しい。
「とびら、はいっちゃだめって、いわれたけど……、ここじゃないところって、おもったけど……、きっと、ここのことで、」
「……うん」
「いけないこと、したから、いっぱい、おこられちゃう」
思わず俯いたミシェルの頭に、モンスターの手のひらが置かれていた。熱を帯びた手のひらが静かに頭を撫でる。
「ありがとう。話してくれて」
「お兄さん…………? 」
「……大丈夫。フリスクは許してくれるよ」
まるで経験者のように、モンスターは笑って見せた。こんなに親切なお兄さんもフリスクに怒られるようなことをしたのかな、とミシェルは声には出さずに考える。それくらい、説得力と熱量がある発言だった。
「それじゃあ行こうか。忘れ物はない?」
頷き返したミシェルは、再び手を引かれる。階段を降りて道なりに進むと、終わりが近いと嫌でもわかってしまった。
「ここが出口だよ」
ついにそのときはやって来て、辿り着いたゴールを前にミシェルは途方に暮れていた。ここから進めば、あの雪景色が待っている。けれど、お別れを乗り越える必要があった。
このまま手と手がくっついて、離れられなくならないかな、と意味のない思考が空転する。
「お別れの前に一つだけお願いがあるんだ」
彼の口からお別れ、の言葉が聞こえた瞬間、耳を塞ぎたくなった。けれど、ミシェルは努めて気丈に振る舞いながら聞き返すことにした。
「なに?」
「ボクに会ったことは誰にも言わないでほしい」
「どうして?」
誰にも言わなかったら、いまの全てがなかったことになってしまいそうで、ミシェルは困り果ててしまう。
「ええと、とても困ったことになってしまうんだ。お願い」
でも、もし誰かに話してしまったら、彼自身も困ってしまう。それは良くない。こんなに良くしてもらった彼を、これ以上困らせたくなかった。
「うーん……」
だから、ミシェルは考えて、考えて、思いつかなかったから、いっそ聞いてみることにした。
「じゃあなんて言えばいい?」
「この家を探検してたら転んだっていうのはどうかな? 言えそうかい?」
「……わかった」
「ありがとう」
約束を紡ぐと、モンスターは感謝を告げて、繋いだ手がゆっくりとほどかれる。奇跡は起きない。手と手はあっさり離れて、名残惜しい熱だけが残ってる。
ミシェルが寂しさを覚えた刹那、モンスターは彼女を優しく抱擁してくれた。背中に回された両手がふわふわと心地好くて、くさのにおいが仄かに香り立つ。優しさと愛が、そこにはあった。
ずっとこのままでいられたらな、とミシェルは思う。永遠に思えた時間は、不意に終わりを告げる。わかっていたことでも、納得できない。それでも、ミシェルはモンスターを困らせないように笑ってみせた。作り笑いの空元気だと見破られないよう、祈りながら。
「さあ、ミシェル。皆のところへ戻って」
「うん、」
最後まで、夢のように優しかったモンスターの言葉に、ミシェルは頷いて歩き出した。彼は抱えたままのぬいぐるみの手を動かして、最後までその手を振る。何度振り返っても手を振ってくれる彼の心遣いが愛おしくて、ミシェルの唇からは自然と笑い声が漏れた。
「お兄さんバイバイ」
一息で言い切って、ミシェルは扉の先へ。
後ろで閉じた扉は頑なで、突然夢から醒めてしまったかのように、森の空気が肌を刺す。
一呼吸する合間に、目を閉じて、気持ちを整理する。大丈夫、と呪文のように繰り返して言い聞かせ、目を開けた。
扉の前で別れた男の子はどこにもいない。
きっと、先にまちに帰っているはず。道はほとんど一本道だったから、迷わなければ平気だ、とミシェルは考えをまとめる。
腕時計を見ると、あともうすこしで針がてっぺんに到着してしまいそうだ。急ぐ必要がある。
並木に見守られながら走るミシェルの耳は自分の呼吸ばかり拾って、ほかの足音に気付けない。
「よう、ガキンチョ。こんなとこまでお散歩か?」
それが自分に向けられたものだと気付くのに、すこし時間が掛かった。
ミシェルの後ろからやってきたのは、ひとりのスケルトン。振り返ってその姿を見たミシェルは驚いた。後ろから来たこともそうだが、それ以上に同じくらいの背丈であることに。
ミシェルは、彼がグリルビーズで椅子に座っていた姿しか見ていなかった。座高だけでは身長は掴みにくい。加えて、弟であるパピルスを先に見ていたので、余計に勘違いをしていたのだ。
ミシェルは必死に記憶の糸を手繰り寄せ、名前を思い返す。グリルビーズでも会って、パピルスの話にも登場した存在。名前はたしかサンズ。
思い出を振り返れば、先程別れたばかりのモンスターとの記憶が蘇る。堪えきれず、ミシェルは瞳に涙を溜め、小さく頷いた。
「言いつけは守らないとダメだぜ。フリスクも心配してる」
悪いことをしたのに、サンズの口調は柔らかい。背丈はこんなにそっくりなのに、どこかお兄さんらしさを感じさせる。もっとも、ミシェルは一人っ子なのだが。
その雰囲気のおかげか、彼女の口から謝罪の言葉が滑り落ちた。
「それはオイラじゃなくて、フリスクに言わないとな」
軽口を叩くように気安い口振りでサンズは笑う。ミシェルはすこし心が軽くなったような気がして、お礼を言う代わりに頷いた。
「ほら、帰るんだろ? オイラ、近道知ってんだ」
差し出された手に手を重ねれば、ブーブークッションの仕掛けが出迎える。ミシェルは大口を開けたままその手を凝視した。すると、依然にこやかなままのスケルトンが、そこにはいた。
「お約束のギャグだよ。せっかく地底に来たんだ。楽しんで帰ってくれよ」
「……うん」
扉の向こうにいるはずのモンスターが気掛かりで、ミシェルは一度だけ扉を注視する。遠くの扉の内側でモンスターに親切にしてもらったことは誰にも話さないようにしないといけない。そう約束をしたから。でも、振り返るな、とは言われなかった。屁理屈を捏ねたミシェルは後ろ髪を引かれる思いで眺める。
どうか、忘れずにいられますように。
少女は祈り、スケルトンに手を引かれてスノーフルのまちへと戻る。幸いなことに、少女の不在に気付いていたのはフリスクだけのようで、子どもたちは思い思いにスノーフルのまちを堪能していた。
「サンズ!」
「よう、フリスク。迷子一名保護したぜ」
「ありがとう……、助かったよ」
駆け寄ってきたフリスクは肩で息をしながら、安堵の表情を見せる。無事で良かった、と言われ、ミシェルはこそばゆい気持ちで見上げた。
「ねえ、サンズ。どこで見かけたの?」
「森の奥だな。遺跡の前で会ったぜ」
「遺跡の……? キミ、中に入った?」
ミシェルは身体を強張らせる。とうとう、質問が来たのだ。モンスターに言われた言葉を思い出したミシェルは、勇気を振り絞って頷く。
「……うん。はいっちゃった。……ごめんなさい」
「説明してなかったし、目を離したボクが悪いよ。謝らなくて大丈夫。……中でケガはしなかった?」
「あ……、あのね、おうちがあって……、そこで……ころんじゃって……」
「えっ? 擦りむいてない? 痛いところは?」
「ううん、へいき」
「あれ……? 包帯してたっけ?」
「……あ! ええと、おうち、おうちで! おうちのなかで……」
手当てをしてもらった、とは言えない。モンスターの話に波及してしまう。けれど、ミシェルが見つけた、とも言えない。
じっ、と包帯を見つめるフリスクの視線から逃れるようにミシェルは身を捩った。居心地が悪そうに視線が泳ぐが、当の本人は気付かない。
「へえ。アンタ、最初から包帯してたわけじゃないんだな」
「ケガしたから……、まきまき、したの」
あのモンスターが。続けるべき言葉は、ミシェルの胸の内に留める。
「キミが巻いたの?」
「っ、……え、えーと、」
「ああ、ごめんね。質問を変えるよ。
ミシェル、キミの身近にモンスターはいる?」
「……? いないよ?」
「そっか。答えてくれてありがとう。もう一個、聞いていいかな?」
「うん」
「この白い毛は誰のもの?」
「あっ………………」
咄嗟に視線を向けて、ミシェルははっとする。褪せた包帯と同系色でいままで気付かなかったが、あのモンスターの毛が挟まっていたのだ。
ミシェルが答えを間違えた、と悟ったときには既に遅い。それでも、なんとか恩人に頼まれたことを守ろうと、頭を回転させる。
「し、しらない! わたし、だれともあってない、しらないもん!」
たどたどしい言い回しが、余計に思考を空回りさせる。
「キミ、遺跡の中でモンスターに会った?」
「……う、うう……それ は……、いっ、言えない!」
言わないと約束した少女は、必死に回答を拒む。とはいえ、それ自体が答えのようなものだが、幼い少女には知る由もない。
「……花は、見た?」
「おはな? おはなは見てないよ……?」
「……うん、わかった。いろいろと聞いてごめんね」
「…………? もう、だいじょぶ……?」
「うん、大丈夫」
もっと追求されるものと思っていたミシェルは拍子抜けしながら、フリスクが差し出した手のひらに自らのそれを重ねる。サンズと違って、そこにブーブークッションはなかった。あのモンスターとも違って、ふわふわの毛で覆われてもいない。
それが、すこし切なくて。
くよくよし始めた思考を振りかぶって払い、ミシェルはフリスクの案内に従う。
「それじゃあ、みんなが集合したらウォーターフェルに出発するよ」
「……うん」
フリスクに手を引かれ、ミシェルはスノーテルへ到着する。冷たい頬が暴力的な熱気に触れて、すこし痛んだ。温度変化に四苦八苦しながら、ミシェルは傍らに佇むサンズに気付く。
「あれ? ごはんのところいかなくていいの?」
「オイラ、腹減ってないぜ」
「さいしょ、むこうにいたから」
「仕事があったからな」
「ふうん……?」
話が続かずなんだかバツが悪くなり、ミシェルは自らの冷たい手で熱っぽい頬に触れる。ちべたい、と思わず零した。
「ま、アンタがあのドアから出て来たからな。約束を守ってるだけだぜ」
「やくそく……?」
サンズの小さな呟きはよく聞き取れなかった。独り言だったのかもしれない。だが、あのモンスターと約束をしたミシェルは、その単語だけは聞き逃さなかった。
あのモンスターと約束をしたのは、ミシェルだけじゃないのだろうか。聞いてみようとしたが、言葉を遮るようにあの男の子がやってきた。再会を果たしている内に、サンズはどこかに姿を消してしまう。はじめこそ気にしていたが、腕時計を返さなければ、と思い出したミシェルはそれどころではない。腕時計を無事に返して、遺跡での大冒険について話す。舟の上だとパピルスにも聞かれてしまうから、ふたりきりのときにこっそりと。あのモンスターのことは結局話せなかったが、遺跡の奥の落っこちる仕掛けについては目を輝かせて聞いてくれたので、大満足だ。一緒に冒険できなかったのが悔やまれる。
さて、次はウォーターフェルでの観光だった。ウォーターフェル組と入れ替わったミシェルたちは、出迎えてくれたガーソンの説明を聞きながら探検する。彼は終始上機嫌だったが、ミシェルは上の空で楽しめない。語られた歴史は理解できないところが多く、モンスターがみんな優しい、ということしか覚えられなかったのである。
上の空には、他にも理由がある。ミシェルは、遺跡で別れたモンスターのことで頭がいっぱいだった。彼に言われた通りの受け答えをして、フリスクもそれ以上聞かなかったから、きっと『困ったこと』にはなっていない。そう信じつつも、鼓動の早まりは中々治まってくれそうになかった。
唯一、ウォーターフェルに咲く喋るお花には興味が引かれた。地上にはないものだ。お花が喋るなんてすごい、と子どもたちはみんな思った。最後の言葉を繰り返す花にすっかり魅了されていた。
そうして、ついに最後の目的地を目指すことになる。スノーフルへ向かった子どもたちと合流したら、舟でホットランドへ。エレベーターを活用してコアに接近したら、ホテルからニューホームまで徒歩での移動になる。
コアの先に待ち受けるのは、かつて地底を治めていた王様が暮らすお城だ。
「ドリーマーさんはね、フワフワだよッ!」
「ま、着けばわかるさ」
王さまってどんな人だろう、と話す子どもたちに、パピルスは得意げになって答えてくれる。それはまるでナゾナゾを教えているみたいで、一層謎が深まる。フォローするようにサンズが言うので、みんなは思いも思いに王さまの姿を脳裏に描き出す。
ニューホームに辿り着いた一行は、最後の道程を歩く。ミシェルは、あの家を彷彿とさせる造りに戸惑ったが、表情に出さないように細心の注意を払った。気は抜けない。約束は、一回守っただけでは意味がないのだ。
旅路は終わりへ近付く。到着したのは王の庭だ。
黄色の花が咲き乱れる庭には、ほかの場所と違って日が差して温かい。小鳥のさえずりも耳を豊かにしてくれる。一行は思いもよらない風景に、感嘆の息を漏らした。ミシェルの鼻はくさのにおいを嗅ぎつける。あのモンスターのにおいに似ていた。
「ハロー! いらっしゃい。みんな、来てくれてありがとう。早速だけど、お茶でもいかがかな?」
柔和な風貌のモンスターだった。おっかない角も、子どもたちの目には格好良く映り込む。好奇の視線に晒されても、彼は穏やかな口調を崩さない。
ミシェルは、王さまの居住まいに、あのモンスターを想起していた。体毛のせいか、それともにおいのせいだろうか。
「今日のツアーは、お茶を飲んでおしまいだよ。王さまに質問したいひとはいる?」
「王さまと言っても、昔の話だからね。私のことはすこしモフモフしているモンスターだと思ってくれて構わないよ」
引率のフリスクの発言を引き継ぎ、王さまは場を和ませる。親しげな間柄の友人との他愛ない雑談のような口振りで、茶目っ気たっぷり。目許が柔くシワを刻むので、穏やかな雰囲気がさらに強調される。
子どもたちはいてもたってもいられなかった。許可を求めず、真っ先にその感触を確かめる。
フリスクは慌てるが、王様はされるがまま。むしろ歓迎しているようにも見える。
フワフワの身体。立派な角。ニンゲンにはない身体的な特徴は子どもたちの心を掴んで離さない。
さて、設けられた質疑応答の時間は、というと。挙手の時間も惜しんだ子どもたちによって矢継ぎ早の質問が浴びせられた。心地好い銃弾の照準は王さまに向けられているが、彼は温厚で、パピルスが話した通りにモフモフで、どんな質問だろうと愉快に笑って期待に応えてくれる。王さまの名前、王さまのおしごと、玉座に座ってみたい、もっと長くさわってみたい。そのほかにも要望てんこ盛り。
つまり、お茶を淹れる時間がなかった。したがって、代わりにフリスクやパピルスが用意することになった。傍らにはサンズもいたものの、口を開いた彼は。
「オイラ、今日はデリバリーの仕事しか入れてないから」
と、言い放って拒否した。もちろんパピルスは怒ったが、お湯が沸くと文句ばかりも言っていられない。
「お喋りもいいけれど、お茶とパイもどうぞ」
彼らを手伝ったのは控えていたもうひとりのモンスターだった。白い体毛で覆われた身体は紫を基調としたゆったりとしたロープ、その上からケープを羽織っており、落ち着いた印象を与える。苛烈さの象徴のような赤色の瞳は、眼鏡の奥に控えているせいか、優麗さを覗かせていた。漂う雰囲気には母性も混じっている。
「どうぞ、召し上がれ」
そう言われて、我慢できる子どもはここにはいなかった。
絶品のパイに舌鼓を打ち、王さまお気に入りのお茶で喉を潤して、それぞれが短く感想を述べる。美味しい、と口々に話す子どもたちは、今日一番の笑顔を浮かべていた。
「それは良かった。良い思い出になれたかな?」
低い声は耳によく馴染み、温和な王さまはすっかり子どもたちの心を掴んでいた。別れを惜しむ声が次々と重なるほどに。
すこしだけ迂闊な王さまは、子どもたちの背を押すために、オフレコであったはずの次回開催を匂わせてしまった。眼鏡をかけたモンスターが冷めた視線を向けているので、王さまはわざとらしく咳払いをする。子どもたちに、その意図が伝わったかは定かではないが。
「……いつでもおいで。歓迎するよ」
そう締め括り、第一回地底観光ツアーは無事に終了したのである。
“これは、まだ通過点に過ぎない”。
多くのモンスターたちは、誰に言われるまでもなく感じていた。
まず、問題として挙げられるのはニンゲン側の認識だ。ニンゲンとモンスターとの争いは、ニンゲンたちの間ではとうに風化し、歴史上から抹消されたも同然であった。モンスターたちは死後ちりとなるため、痕跡が地上に残らず、歴史の本にも載っていない。仮にいくつかの文献が残っていたとして、現在の科学がそれを否定する。
ゆえに、バリアに閉じ込められたモンスターたちと、地上で何千年も暮らしていたニンゲンたちの間には、大きな隔たりが横たわっていた。
当初、ニンゲンの大人たちは、地底からやってきた異種族へ恐怖を抱いた。なんの前情報もない見知らぬ存在へ畏怖を抱くのは当然のことである。
一触即発とも思える状況で架け橋となったのは、親善大使の肩書きで呼ばれるニンゲン、フリスクであった。同胞であるフリスクの尽力により、ニンゲン側の認識は徐々に改善され、恐怖は大幅に緩和されていった。
もちろん、フリスクのみならず、地底からやってきたモンスターたちの存在によるところも大きかったのだろう。モンスターたちが地上に現れて以降、イビト山付近に広まる伝承と合わせて、モンスターに関して根も葉もない噂が出回っていた時期もある。だが、フリスクのそばには、常に愛らしいマスコットを自称するパピルスがいた。
およそニンゲンの常識では計れないような発想は警戒心を薄める。パピルスの存在は彼が想像する以上に貢献してくれていた。
また、モンスターたちの提案によってもたらされた技術の影響もあるだろう。おかげでニンゲンの文化は革新的な飛躍を迎えた。悩みの種となっているエネルギー問題についても、資源の少ない地底での生活をヒントに、共同研究が進められている。無論、非人道的――非モンスター道的な研究は、治験の段階が進むまではご法度とされた。法の整備はまだ追いついていないものの、バリアが破壊されて一年が経ったいまも、大きな問題なく共存していることから、時間の問題であると目されている。
未だにモンスターたちを許容できないニンゲンの派閥は存在するらしいが、それでも概ね受け入れられていた。
逆に、モンスター側からそういった派閥の存在を聞くことは一切ない。フリスクのおかげも考えられるが、モンスターたちを構成する要素が関係しているのではないか。翻って、思いやりの心がなくとも存在できるというニンゲンの真価が問われているのでは、といった言説が一部のワイドショーを賑わせることもあった。
バリアが破壊されて数年も経つ頃には、モンスターの存在は普遍的なものと変化を遂げ、生活に溶け込むようになりつつあった。
当然、その時期に生まれた子どもも物心がつくようになる。されど、未だにモンスターの存在を教材に盛り込むには時間を要していた。この件に関しては、幸いなことにモンスター側が協力的だ。数年以内に教育方針が刷新され、取り入れられることだろう。
モンスターたちの存在は、ゆっくりと世間に浸透しつつある。それでも、偏見や固定観念を払拭するには、まだまだ力が及ばない。
そこで、フリスクは一計を案じることにした。
子ども向けの地底観光ツアーを企画したのである。
――モンスターに対して偏見を持たない世代の子どもたちに、ありのままの感性で地底を楽しんでほしい。
規格概要を、フリスクは何度も語った。しかし、これは表向きの理由である。ツアーを体験した彼らの口を通して語られる言葉が、親御さんへ良い影響を及ぼすことを願う、打算も含まれていた。
観光ツアーは大々的に宣伝され、多くの人々の目に映り、話題を攫った。安全で危険はないことを呼びかけた上で、地底で生活していたモンスターたちの文化や暮らしを知ってほしい。訴え続けたフリスクの言葉は連日テレビで取り上げられた。
批判も覚悟していたが、結果として、定員オーバーするほど申し込みが殺到した。先着順の予定を急遽変更し、抽選制となったのもやむなしと言えた。
「……、…………あ、あたっ、てる……!!」
そうして。地底世界に憧れるとある少女のもとにも、一通の手紙が届く。乱暴に破かないようにペーパーナイフで丁寧に切り取られた封筒から躍り出たのは、当選を告げる文章であった。
ツアー当日は天候に恵まれた。幸先が良い、とフリスクは微笑み、手元の名簿に目を通す。しかし、点呼を取る前に、周りを子どもたちに囲まれてしまった。数にして二十名。テレビに映るような有名人がすぐ目の前にいる事態に、誰もが大興奮。その波は留まることを知らず、段取り通りに進まない。
フリスクは困り果て、付き添いのアンダインに視線を投げた。受け取ったアンダインは頼もしく頷くと、努めて優しく話しかける。しかし、誤算があった。当のアンダインも有名人であり、テレビへの出演経験がある彼女は、地底のみならず地上の子どもたちにとってもヒーローだったのだ。
「よし、わかった! これが終わったらツアー開始だ! ちゃんとフリスクの言うことを聞くんだぞ」
せがまれるままベンチプレスを披露したアンダインは、子どもたちと約束を取り付けてうまく誘導する。怪我なく穏便に話を済ませたところで、フリスクが集合した子どもたちの点呼を取る。欠員なしを確認して、安心させるように笑顔を見せた。いつの日か、アンダインの真似だと言って見せたあの笑顔である。アンダインも得意げに見守っていた。
「それじゃあ、みんな、準備はいい? いくよ!」
どこか懐かしむように声をかけて、フリスクは子どもたちを先導する。アンダインはホットランドに行く気はない、と事前に断りをいれているため、見送りのみ。名残惜しそうな子どもたちに見えるよう拳を高く掲げ、楽しんでこい、と送り出す。
バリアが壊れて以降、ホットランドにあるエレベーターは地上に開通した。そのために様々な協議が何度も挟まれたが、今回その苦労話は不要だろう。
エレベーターは大幅なショートカットに一役買っており、観光ツアーでは行きの道にのみ適応される。帰りは別ルートになるのだ。
エレベーターでホットランドに降り立ったツアー客一行は、突然やってきた熱気に悲鳴をあげた。事前に聞かされていたとはいえ、実際に味わうとなるとまた別物なのである。
退散するようにラボに向かうと、出迎えてくれたのはアルフィー博士。謹製のアイスクリームを振る舞ってくれたおかげで、子どもたちの胃袋はしっかりと掴まれる。地下の植物から生成されたものなので、話題性もバッチリ。ゲストにメタトンが登場したおかげで、ラボでの見学は大盛況だ。
ラボで簡単な説明を受けたあとは、ウォーターフェルまで向かうことになる。ラボの扉を開けた途端、再びの熱気に襲われて、こどもたちは怯んだ。
それでも、先達のフリスクが励ましたことで、子どもたちは一歩を踏み出す。褐色の大地の上を歩き、互いに声を掛け合い、ときに水分補給を挟みながら、厳しい気候を乗り切る。
ようやくウォーターフェルに辿り着くと、ひんやりと心地好い空気が清涼感を与えてくれる。一息ついた一行は、ガーソンとアーロン、そしてパピルスに迎えられた。
子どもたちは初めて見るモンスターに大はしゃぎ。若いモンスターばかり見ていたので、年老いたガーソンの姿に興味津々である。当のガーソンも悪い気はしないようで、シワの出来た目許が優しさを帯びて柔和な表情を象った。
「案内には書いていたけど、ここからふたつの班に分かれるよ。説明をよく聞いてね」
子どもたちが落ち着いたタイミングで、改めてフリスクから説明を始める。
事前に公表されていまタイムテーブルは主に保護者に向けたものであった。そのため、フリスクは子どもたちにも伝わるよう、噛み砕いた言葉で、二手に分かれる発表をする。
班のひとつは、午前にウォーターフェル、午後にスノーフルに向かう。もう一方はその逆。班分けは無難に名前順ということになった。
ウォーターフェルからスノーフルまでは舟で向かうことになる。しかし、スペースが限られる地底では思うように舟は増やせず、漕ぎ手も少ない。そのため、今回は臨時でパピルスとアーロンが採用されたのだ。以前と違ってすっかり成人したフリスクも船頭を担い、以前から渡し守として働いていた川の人と合わせて、四人が担当する。
川の渡し守とフリスクが三名ずつ、アーロンとパピルスが二名ずつ。ここでも名前順が採用されるはずだったが、見知ったフリスクとパピルスに子どもたちが殺到したため、公平を期してジャンケンが用いられた。
ここまで、受動的に話を聞いていたミシェルは、パピルスの舟に乗る権利を勝ち取った。喜びのあまり、同じ権利を得た男の子と共に飛び跳ねる。
舟に乗ろうとすると、パピルスに手を引かれた。慣れない浮遊感に戸惑いつつも、ミシェルは無事に舟に乗り込んだ。進行方向と逆側に座ったものの、おかげで漕ぎ手のパピルスと向かい合えて、すこしお得な気分である。
考え事をしていると、屈んだパピルスが二人分のブランケットを取り出した。向かいに座る男の子経由で、ミシェルの膝の上へ到達する。
「揺れるからしっかり掴まってねッ! いくよ!」
水上でも退屈しないように、パピルスはいろんな話をしてくれた。これから向かうスノーフルのこと、ホネがだいすきなイヌのこと、フリスクのこと、自らの兄のこと、仕事のこと。どれも楽しい話題で、あっという間にスノーフルへ到着した。
先に辿り着いた子どもたちと合流を果たし、一行はスノーフルにある宿泊施設、スノーテルへ。今日限りの貸切で、子どもたちが風邪を引かないよう、隅々まで温もりが満ちている。
「お昼休憩……のつもりだったんだけど、デリバリーが届かないね?」
不思議そうなフリスクはみんなに待機をお願いしたが、子どもの好奇心は易々と抑えられるものではかった。近くのグリルビーズへ向かうフリスクのあとを、子どもたちが尾行する。
グリルビーズに足を踏み入れたフリスクが見たのは、カウンター席に座って、グリルビーに積もる話を繰り広げるサンズだった。
「よう、フリスク。早いな。……その顔は…………、あー……、悪い。デリバリーの時間だったな」
「なんの話をしてたの?」
「ツケの件でちょっとな。仕事はするぜ。スノーテルまででいいか? 後ろにお客さんもいるみたいだが」
「えっ?」
サンズの発言を聞いて、ようやくフリスクは背後を振り返る。スノーテルで待っているはずの子どもたちは、一人残らずグリルビーズの目の前までやってきていた。
「……、…………グリルビー、使わせてもらってもいい?」
「ああ。たぶん『いいぜ』って言ってると思うぜ」
グリルビーが否定しないので、フリスクは子どもたちを招き入れることにした。大人の雰囲気漂う空間に、子どもたちは目の色を変えて喜ぶ。カウンター席に座ればブーブークッションの罠があったり、テーブル席に座ってお店の中をじっくり見渡す子どももいたり、思い思いに堪能しているようだ。
「料理はできてる。いま運ぶよ」
さて、食事も終えてのんびり、とは問屋が卸さなかった。
子どもは風の子、とはよく言ったもので、彼らはスノーフルの森に興味を示した。
ウォーターフェル組と交代するにも、時間に余裕がある。子どもたちの懇願にフリスクが折れて、森での自由行動を許した。森の奥にある扉の先には行かないように、と言い含めて。
許しを得た子どもたちの行動は素早く、我先に森を探索する。
かつてギフトロッドが避難していた区画の先で、謎の扉を見つけたり。足を滑らせて崖に落ちそうになった子どもをパピルスが救出したり。一番人気なのはスノーボールだ。いつの間にか順番を決めて、かわりばんこに遊んでいる。
地底に残ったモンスターたちには、事前に観光ツアーの話を通している。経路から外れた場所で待機してもらっているため、森は無人。積もった雪が、子どもたちの喧騒を吸収する。
早めにスノーボールを遊んだは、一緒の舟に乗った男の子に袖を引かれた。彼はミシェルよりも年上だが、好奇心は人一倍に強そうだ。森はさらに奥に続いてるから先に進んでみよう、と提案され、ミシェルは戸惑った。いいのかな、という気持ちではない。私が一緒に行っていいのかな、という迷いだ。
「素早く行って戻ってくれば、だれにも心配かけないって。なあ、行ってみよう?」
「――うん!」
男の子の提案を、ミシェルは素直に受け取った。彼女も、地底を隅々まで楽しみたかったのである。
子ども二人による冒険は続く。基本は一本道なので迷わずに進むことが出来た。
背の高い並木道に見送られ、ひたすら歩き続け、そうして、最後に森の奥へと辿り着いた。
「これがフリスクが言ってた扉……かなあ」
紫を基調とした建物には、子どもたちの背をゆうに超える大きな扉が待ち構えていた。
「でも、まちのちかくにもトビラがあったっていってたの、きいたよ?」
ミシェルたちは実際に見ていないが、ほかの子どもの言葉は聞こえていた。フリスクが言ってたトビラはどちらのことだろう。ふたりは顔を見合わせて頭を悩ませる。
「……開く」
試しに手を当てた男の子は、驚きながらも事実を述べた。
「まったく、不用心だなあ。でも、入っちゃいけない扉なら開くわけないし、フリスクが言ってたのはミシェルが言ってたほうなんじゃない?」
「そっか〜」
それなら、まだぼうけんはつづく。
ミシェルは男の子との冒険がまだ楽しめるんだ、と喜んだ。
「待って、誰か来る! 近くの石……は、隠れるのに向かないから、中に入って待ってて」
「どうするの?」
「もう少し探検したいだろ? 時間を稼ぐ。……ええと、時計貸すよ。ここ、この長い針がてっぺんに来るまでに、戻っておいで」
男の子は、腕時計をミシェルの左腕に巻き付けて、時計の見方を教えた。最後に頭を優しく撫でて、彼は柔らかく微笑む。
「行っておいで。楽しんでくるんだよ」
そうして。ミシェルは遺跡の中に入った。中は薄暗く、手探りで進むとお家の中に繋がっている。不思議な造りに驚きはしたが、気を取り直してお邪魔します、と一言呟いた。ミシェルはお家の階段を登り切り、玄関の扉を開く。家の中も探検したかったが、この先に何があるのかを自らの目で見たかったのである。
葉が枯れて落ちた木を通り越して、右か左に進むか悩んで、心の赴くままに突き進む。無人の遺跡は静かで、ミシェルの心は弾む。
大きな柱のそばにあるスイッチを調べようとした瞬間、突然足元に穴が空いた。ミシェルは驚いて、抵抗もできないまま穴に吸い込まれていく。
幸いなことに厚く敷かれた木の葉がクッションになってくれた。しかし、味わったことのない浮遊感が彼女の鼓動を早める。預かった腕時計が無事であることを確かめ、彼女は唯一の出口を通った。出口の先は違う風景だったが気にせず進む。すると、やけに広い空間に辿り着いた。あちらこちらとふらふら歩くと、またしても足元に穴が空いて、再びミシェルは落下する。
二度目ともなると落ち着いたもので、身体そのものは硬直していたが、ミシェルの心は安らかだった。落ちた先に木の葉があるのも相変わらず。今回は楽しむ余裕があったので、上の階へ続く道を辿ったあとは片っ端から落っこちてみた。慣れない落下も、あらかじめ心の準備ができていれば楽しいものへ早変わり。歩いては落ち、勢い任せに跳んでは落ち、雪玉に生まれ変わった気持ちで転がっては落ち、木の葉の絨毯に受け止めてもらう。何度も繰り返している内に、自分がどちらからやって来たかわからなくなった。
「うん。まだへいき」
腕時計の針は、まだてっぺんには遠い。
道は一本。前か後ろか、どっちかに進んで見覚えがなかったら来た道を戻る。見覚えがあるほうがアタリ。シンプル、というやつだ。迷子なんかじゃない、とミシェルは言い聞かせる。まだ、大丈夫のはず。彼女は気軽に楽観視。道を進もうとして、足がもつれた。
あっという間に落とし穴が出現する。出鼻を挫く意地の悪い仕掛けに、ミシェルは地団駄を踏もうとするが、空中ではうまくいかない。両手が宙を掻いて、何度目かになる木の葉が迎え入れる。しかし、先程までとは打って変わって、落ちた先にある木の葉の層は薄かった。
背中を強く打ち付けたミシェルは、人目も憚らずに大声で叫んだ。激痛に、声が迸る。手のひらも擦りむいてしまったようで、じんじんと痛みを発している。
なるべく痛みが少なくなるように身体を動かす。木の葉の層はさらに薄まり、地面があらわになった。荒い呼吸のせいか、視界が滲む。色もよくわからない。預かった腕時計の針がゆっくりと刻まれていくのを、ミシェルは歪んだ視界の中で捉え続けた。痛みは少しずつ遠のいたが、代わりに心細さと人恋しさが肥大していく。
「だれか……、たすけて…………」
か細く震える声では、きっと誰にも届かない。それでも言わずにはいられなかった。どうにか起き上がって、まちに帰らないといけない。あの男の子にも、パピルスやフリスクにも、おかあさんにも、かなしい顔をさせたくない。
身体を動かそうとしても、僅かに腕が持ち上がるのみ。結果として木の葉と戯れるだけで終わる。むなしい気持ちに拍車がかかり、鼻の奥がつんと痛む。
「こっちから聞こえたと思ったけどな……」
無為に時間を浪費していたミシェルだったが、光明が差した。第三者の声が聞こえてきたのだ。
「あれ! キミは……! ひょっとして、おちてきたの……?」
上の階層から覗き込んでいたのは、見知らぬモンスターだった。歳の頃はミシェルとそう変わりないように見える。心配そうに眉根を下げていた。
「ケガ、してるね。……立てる?」
いつの間にか、ミシェルのそばにやってきたそのモンスターは、いまにも泣きそうな顔で案じてくれている。それがなんだかおかしくて、ミシェルはへにゃりと泣きながら笑って、ひとつ頷いた。
肩を貸してくれたモンスターは、ミシェルに対して、銀紙に包まれた何かをそっと差し出してくれる。彼女の直感は、それが何かを告げていた。それでも、逸る気持ちを抑えて受け取り、静かに包みを剥いでいく。中から出てきたのは、予想通りのチョコレートだった。
「たべていいの!?」
「うん。すこしは元気が出ると思うよ」
まさか地底でもチョコレートが食べられるなんて思ってもみなかったミシェルは、大喜びで頬張る。不思議なことに、怪我なんかしなかったみたいに調子が戻ってきた。おいしいってすごい、と大満足のミシェルだったが、モンスターは依然心配そうだ。
「おいしいってすごいねえ……」
「口に合って良かった。ここだと満足に手当てができないから移動するけど……、大丈夫?」
「うん!」
すっかり元気になったので、ミシェルはいま、モンスターに手を引かれる形で歩き出していた。曰く、応急処置だから無理をしないように、とのことらしい。モンスターが辿る道は、奇しくも、ミシェルの知りたかった帰り道の答え合わせでもあった。
「……あ。お兄さん、くさのにおいがするー」
「そうかい? お花の世話をしてたからかな」
繋がった手は温もりに満ちて、すこしくすぐったい。ふわふわの感触に次いで、においがミシェルの鼻をくすぐっていく。不思議そうなモンスターに対して、ミシェルは一層力強く頷いた。
「うん、くさのにおいするよ! わたしもおちばであそんだから、きっとおんなじにおいなの。おそろいだー」
「フフ、そうだね」
モンスターから伝わってくる温もりは心地好いもので、ミシェルはすっかり懐いていた。雑談を交わしているうちに、家が見えてくる。外から見るとかわいらしい造りの家の内装は、先程見たものと全く同じ。しかし、案内されたのはダイニング。初めて行く場所だった。
大きなチェアに座るようにお願いされ、ミシェルは素直に従う。手馴れた様子でガーゼを貼り、丁寧に包帯を巻いてくれるモンスターは、一貫して優しい。無人の家に汚れが少なかったのは、彼が掃除をしているからなのかもしれない。ミシェルはぼんやりと考えて、お礼がまだだと気付いた。
「……あのね、わたしミシェル。たすけてくれてありがとう!」
「どういたしまして。いい名前だね」
「ありがとう! あっ、お兄さんにね、さっきつたえわすれちゃったことがあるの!」
「なんだい?」
「あのね、わたしはおちてきたんじゃなくてね、フリスクたちときたんだよ。あついトコロとさむいトコロをたんけんしたら、ここだったんだの」
「……そっか。フリスクと一緒だったんだね」
「お兄さんも、フリスクとともだち?」
「うん。そうなんだ」
嬉しそうに答えるモンスターを見て、ミシェルも幸せな気持ちになる。いつもの調子が戻ってきた。
「フリスクと一緒に来たなら、きっともう帰らないといけないよね?」
「……えっと……、ここのはりが、てっぺんにくるまでにかえってきてって……」
「そっか。急いだほうがいいね」
「……、………………うん……」
本音を言うと帰りたくない。せっかく元気になったのだ、もう少し冒険をしていたい。
しかし、優しそうなモンスターを見ていると、本音は胸の奥で溶けてしまう。モンスターは魔法を使うと聞くから、これもその魔法なのかもしれない。
浮かないミシェルを見たモンスターは、ダイニングとは反対方向に姿を消す。追いかけるか迷っている内に、その手に魅力的なぬいぐるみを連れて帰って来た。
「……キミが迷惑じゃなかったら、連れていくかい?」
甘美な提案にミシェルの心はだいぶ揺らぐ。彼女自身、幼心ながら理解していたのだ。こんな遠くまで来るのは、良くないことを。
「チョコも、ほーたいも、もらったの。それよりいっぱいは、もらえないから……、いいの」
緩く首を振って、ミシェルは答えた。
本心を話すと、素直に受け取ってしまいたい。絶対に大切にすると誓える。ぬいぐるみはだいすきだ。毎日ベッドで一緒に眠るし、おはようのキスだって雨のように降らせる。
だけど。だけど。悪いことをした自分が受け取るわけにはいかない。それに、もしかしたら、彼の大切な友達かもしれない。
「あ、あのね。……ほんと、は……フリスクにいわないで、ここ、きたの」
「……うん」
モンスターは温かく迎えてくれた。いまも、ミシェルの言葉を優しく聞いてくれる。それがなぜか、彼女の胸にはひどく苦しい。
「とびら、はいっちゃだめって、いわれたけど……、ここじゃないところって、おもったけど……、きっと、ここのことで、」
「……うん」
「いけないこと、したから、いっぱい、おこられちゃう」
思わず俯いたミシェルの頭に、モンスターの手のひらが置かれていた。熱を帯びた手のひらが静かに頭を撫でる。
「ありがとう。話してくれて」
「お兄さん…………? 」
「……大丈夫。フリスクは許してくれるよ」
まるで経験者のように、モンスターは笑って見せた。こんなに親切なお兄さんもフリスクに怒られるようなことをしたのかな、とミシェルは声には出さずに考える。それくらい、説得力と熱量がある発言だった。
「それじゃあ行こうか。忘れ物はない?」
頷き返したミシェルは、再び手を引かれる。階段を降りて道なりに進むと、終わりが近いと嫌でもわかってしまった。
「ここが出口だよ」
ついにそのときはやって来て、辿り着いたゴールを前にミシェルは途方に暮れていた。ここから進めば、あの雪景色が待っている。けれど、お別れを乗り越える必要があった。
このまま手と手がくっついて、離れられなくならないかな、と意味のない思考が空転する。
「お別れの前に一つだけお願いがあるんだ」
彼の口からお別れ、の言葉が聞こえた瞬間、耳を塞ぎたくなった。けれど、ミシェルは努めて気丈に振る舞いながら聞き返すことにした。
「なに?」
「ボクに会ったことは誰にも言わないでほしい」
「どうして?」
誰にも言わなかったら、いまの全てがなかったことになってしまいそうで、ミシェルは困り果ててしまう。
「ええと、とても困ったことになってしまうんだ。お願い」
でも、もし誰かに話してしまったら、彼自身も困ってしまう。それは良くない。こんなに良くしてもらった彼を、これ以上困らせたくなかった。
「うーん……」
だから、ミシェルは考えて、考えて、思いつかなかったから、いっそ聞いてみることにした。
「じゃあなんて言えばいい?」
「この家を探検してたら転んだっていうのはどうかな? 言えそうかい?」
「……わかった」
「ありがとう」
約束を紡ぐと、モンスターは感謝を告げて、繋いだ手がゆっくりとほどかれる。奇跡は起きない。手と手はあっさり離れて、名残惜しい熱だけが残ってる。
ミシェルが寂しさを覚えた刹那、モンスターは彼女を優しく抱擁してくれた。背中に回された両手がふわふわと心地好くて、くさのにおいが仄かに香り立つ。優しさと愛が、そこにはあった。
ずっとこのままでいられたらな、とミシェルは思う。永遠に思えた時間は、不意に終わりを告げる。わかっていたことでも、納得できない。それでも、ミシェルはモンスターを困らせないように笑ってみせた。作り笑いの空元気だと見破られないよう、祈りながら。
「さあ、ミシェル。皆のところへ戻って」
「うん、」
最後まで、夢のように優しかったモンスターの言葉に、ミシェルは頷いて歩き出した。彼は抱えたままのぬいぐるみの手を動かして、最後までその手を振る。何度振り返っても手を振ってくれる彼の心遣いが愛おしくて、ミシェルの唇からは自然と笑い声が漏れた。
「お兄さんバイバイ」
一息で言い切って、ミシェルは扉の先へ。
後ろで閉じた扉は頑なで、突然夢から醒めてしまったかのように、森の空気が肌を刺す。
一呼吸する合間に、目を閉じて、気持ちを整理する。大丈夫、と呪文のように繰り返して言い聞かせ、目を開けた。
扉の前で別れた男の子はどこにもいない。
きっと、先にまちに帰っているはず。道はほとんど一本道だったから、迷わなければ平気だ、とミシェルは考えをまとめる。
腕時計を見ると、あともうすこしで針がてっぺんに到着してしまいそうだ。急ぐ必要がある。
並木に見守られながら走るミシェルの耳は自分の呼吸ばかり拾って、ほかの足音に気付けない。
「よう、ガキンチョ。こんなとこまでお散歩か?」
それが自分に向けられたものだと気付くのに、すこし時間が掛かった。
ミシェルの後ろからやってきたのは、ひとりのスケルトン。振り返ってその姿を見たミシェルは驚いた。後ろから来たこともそうだが、それ以上に同じくらいの背丈であることに。
ミシェルは、彼がグリルビーズで椅子に座っていた姿しか見ていなかった。座高だけでは身長は掴みにくい。加えて、弟であるパピルスを先に見ていたので、余計に勘違いをしていたのだ。
ミシェルは必死に記憶の糸を手繰り寄せ、名前を思い返す。グリルビーズでも会って、パピルスの話にも登場した存在。名前はたしかサンズ。
思い出を振り返れば、先程別れたばかりのモンスターとの記憶が蘇る。堪えきれず、ミシェルは瞳に涙を溜め、小さく頷いた。
「言いつけは守らないとダメだぜ。フリスクも心配してる」
悪いことをしたのに、サンズの口調は柔らかい。背丈はこんなにそっくりなのに、どこかお兄さんらしさを感じさせる。もっとも、ミシェルは一人っ子なのだが。
その雰囲気のおかげか、彼女の口から謝罪の言葉が滑り落ちた。
「それはオイラじゃなくて、フリスクに言わないとな」
軽口を叩くように気安い口振りでサンズは笑う。ミシェルはすこし心が軽くなったような気がして、お礼を言う代わりに頷いた。
「ほら、帰るんだろ? オイラ、近道知ってんだ」
差し出された手に手を重ねれば、ブーブークッションの仕掛けが出迎える。ミシェルは大口を開けたままその手を凝視した。すると、依然にこやかなままのスケルトンが、そこにはいた。
「お約束のギャグだよ。せっかく地底に来たんだ。楽しんで帰ってくれよ」
「……うん」
扉の向こうにいるはずのモンスターが気掛かりで、ミシェルは一度だけ扉を注視する。遠くの扉の内側でモンスターに親切にしてもらったことは誰にも話さないようにしないといけない。そう約束をしたから。でも、振り返るな、とは言われなかった。屁理屈を捏ねたミシェルは後ろ髪を引かれる思いで眺める。
どうか、忘れずにいられますように。
少女は祈り、スケルトンに手を引かれてスノーフルのまちへと戻る。幸いなことに、少女の不在に気付いていたのはフリスクだけのようで、子どもたちは思い思いにスノーフルのまちを堪能していた。
「サンズ!」
「よう、フリスク。迷子一名保護したぜ」
「ありがとう……、助かったよ」
駆け寄ってきたフリスクは肩で息をしながら、安堵の表情を見せる。無事で良かった、と言われ、ミシェルはこそばゆい気持ちで見上げた。
「ねえ、サンズ。どこで見かけたの?」
「森の奥だな。遺跡の前で会ったぜ」
「遺跡の……? キミ、中に入った?」
ミシェルは身体を強張らせる。とうとう、質問が来たのだ。モンスターに言われた言葉を思い出したミシェルは、勇気を振り絞って頷く。
「……うん。はいっちゃった。……ごめんなさい」
「説明してなかったし、目を離したボクが悪いよ。謝らなくて大丈夫。……中でケガはしなかった?」
「あ……、あのね、おうちがあって……、そこで……ころんじゃって……」
「えっ? 擦りむいてない? 痛いところは?」
「ううん、へいき」
「あれ……? 包帯してたっけ?」
「……あ! ええと、おうち、おうちで! おうちのなかで……」
手当てをしてもらった、とは言えない。モンスターの話に波及してしまう。けれど、ミシェルが見つけた、とも言えない。
じっ、と包帯を見つめるフリスクの視線から逃れるようにミシェルは身を捩った。居心地が悪そうに視線が泳ぐが、当の本人は気付かない。
「へえ。アンタ、最初から包帯してたわけじゃないんだな」
「ケガしたから……、まきまき、したの」
あのモンスターが。続けるべき言葉は、ミシェルの胸の内に留める。
「キミが巻いたの?」
「っ、……え、えーと、」
「ああ、ごめんね。質問を変えるよ。
ミシェル、キミの身近にモンスターはいる?」
「……? いないよ?」
「そっか。答えてくれてありがとう。もう一個、聞いていいかな?」
「うん」
「この白い毛は誰のもの?」
「あっ………………」
咄嗟に視線を向けて、ミシェルははっとする。褪せた包帯と同系色でいままで気付かなかったが、あのモンスターの毛が挟まっていたのだ。
ミシェルが答えを間違えた、と悟ったときには既に遅い。それでも、なんとか恩人に頼まれたことを守ろうと、頭を回転させる。
「し、しらない! わたし、だれともあってない、しらないもん!」
たどたどしい言い回しが、余計に思考を空回りさせる。
「キミ、遺跡の中でモンスターに会った?」
「……う、うう……それ は……、いっ、言えない!」
言わないと約束した少女は、必死に回答を拒む。とはいえ、それ自体が答えのようなものだが、幼い少女には知る由もない。
「……花は、見た?」
「おはな? おはなは見てないよ……?」
「……うん、わかった。いろいろと聞いてごめんね」
「…………? もう、だいじょぶ……?」
「うん、大丈夫」
もっと追求されるものと思っていたミシェルは拍子抜けしながら、フリスクが差し出した手のひらに自らのそれを重ねる。サンズと違って、そこにブーブークッションはなかった。あのモンスターとも違って、ふわふわの毛で覆われてもいない。
それが、すこし切なくて。
くよくよし始めた思考を振りかぶって払い、ミシェルはフリスクの案内に従う。
「それじゃあ、みんなが集合したらウォーターフェルに出発するよ」
「……うん」
フリスクに手を引かれ、ミシェルはスノーテルへ到着する。冷たい頬が暴力的な熱気に触れて、すこし痛んだ。温度変化に四苦八苦しながら、ミシェルは傍らに佇むサンズに気付く。
「あれ? ごはんのところいかなくていいの?」
「オイラ、腹減ってないぜ」
「さいしょ、むこうにいたから」
「仕事があったからな」
「ふうん……?」
話が続かずなんだかバツが悪くなり、ミシェルは自らの冷たい手で熱っぽい頬に触れる。ちべたい、と思わず零した。
「ま、アンタがあのドアから出て来たからな。約束を守ってるだけだぜ」
「やくそく……?」
サンズの小さな呟きはよく聞き取れなかった。独り言だったのかもしれない。だが、あのモンスターと約束をしたミシェルは、その単語だけは聞き逃さなかった。
あのモンスターと約束をしたのは、ミシェルだけじゃないのだろうか。聞いてみようとしたが、言葉を遮るようにあの男の子がやってきた。再会を果たしている内に、サンズはどこかに姿を消してしまう。はじめこそ気にしていたが、腕時計を返さなければ、と思い出したミシェルはそれどころではない。腕時計を無事に返して、遺跡での大冒険について話す。舟の上だとパピルスにも聞かれてしまうから、ふたりきりのときにこっそりと。あのモンスターのことは結局話せなかったが、遺跡の奥の落っこちる仕掛けについては目を輝かせて聞いてくれたので、大満足だ。一緒に冒険できなかったのが悔やまれる。
さて、次はウォーターフェルでの観光だった。ウォーターフェル組と入れ替わったミシェルたちは、出迎えてくれたガーソンの説明を聞きながら探検する。彼は終始上機嫌だったが、ミシェルは上の空で楽しめない。語られた歴史は理解できないところが多く、モンスターがみんな優しい、ということしか覚えられなかったのである。
上の空には、他にも理由がある。ミシェルは、遺跡で別れたモンスターのことで頭がいっぱいだった。彼に言われた通りの受け答えをして、フリスクもそれ以上聞かなかったから、きっと『困ったこと』にはなっていない。そう信じつつも、鼓動の早まりは中々治まってくれそうになかった。
唯一、ウォーターフェルに咲く喋るお花には興味が引かれた。地上にはないものだ。お花が喋るなんてすごい、と子どもたちはみんな思った。最後の言葉を繰り返す花にすっかり魅了されていた。
そうして、ついに最後の目的地を目指すことになる。スノーフルへ向かった子どもたちと合流したら、舟でホットランドへ。エレベーターを活用してコアに接近したら、ホテルからニューホームまで徒歩での移動になる。
コアの先に待ち受けるのは、かつて地底を治めていた王様が暮らすお城だ。
「ドリーマーさんはね、フワフワだよッ!」
「ま、着けばわかるさ」
王さまってどんな人だろう、と話す子どもたちに、パピルスは得意げになって答えてくれる。それはまるでナゾナゾを教えているみたいで、一層謎が深まる。フォローするようにサンズが言うので、みんなは思いも思いに王さまの姿を脳裏に描き出す。
ニューホームに辿り着いた一行は、最後の道程を歩く。ミシェルは、あの家を彷彿とさせる造りに戸惑ったが、表情に出さないように細心の注意を払った。気は抜けない。約束は、一回守っただけでは意味がないのだ。
旅路は終わりへ近付く。到着したのは王の庭だ。
黄色の花が咲き乱れる庭には、ほかの場所と違って日が差して温かい。小鳥のさえずりも耳を豊かにしてくれる。一行は思いもよらない風景に、感嘆の息を漏らした。ミシェルの鼻はくさのにおいを嗅ぎつける。あのモンスターのにおいに似ていた。
「ハロー! いらっしゃい。みんな、来てくれてありがとう。早速だけど、お茶でもいかがかな?」
柔和な風貌のモンスターだった。おっかない角も、子どもたちの目には格好良く映り込む。好奇の視線に晒されても、彼は穏やかな口調を崩さない。
ミシェルは、王さまの居住まいに、あのモンスターを想起していた。体毛のせいか、それともにおいのせいだろうか。
「今日のツアーは、お茶を飲んでおしまいだよ。王さまに質問したいひとはいる?」
「王さまと言っても、昔の話だからね。私のことはすこしモフモフしているモンスターだと思ってくれて構わないよ」
引率のフリスクの発言を引き継ぎ、王さまは場を和ませる。親しげな間柄の友人との他愛ない雑談のような口振りで、茶目っ気たっぷり。目許が柔くシワを刻むので、穏やかな雰囲気がさらに強調される。
子どもたちはいてもたってもいられなかった。許可を求めず、真っ先にその感触を確かめる。
フリスクは慌てるが、王様はされるがまま。むしろ歓迎しているようにも見える。
フワフワの身体。立派な角。ニンゲンにはない身体的な特徴は子どもたちの心を掴んで離さない。
さて、設けられた質疑応答の時間は、というと。挙手の時間も惜しんだ子どもたちによって矢継ぎ早の質問が浴びせられた。心地好い銃弾の照準は王さまに向けられているが、彼は温厚で、パピルスが話した通りにモフモフで、どんな質問だろうと愉快に笑って期待に応えてくれる。王さまの名前、王さまのおしごと、玉座に座ってみたい、もっと長くさわってみたい。そのほかにも要望てんこ盛り。
つまり、お茶を淹れる時間がなかった。したがって、代わりにフリスクやパピルスが用意することになった。傍らにはサンズもいたものの、口を開いた彼は。
「オイラ、今日はデリバリーの仕事しか入れてないから」
と、言い放って拒否した。もちろんパピルスは怒ったが、お湯が沸くと文句ばかりも言っていられない。
「お喋りもいいけれど、お茶とパイもどうぞ」
彼らを手伝ったのは控えていたもうひとりのモンスターだった。白い体毛で覆われた身体は紫を基調としたゆったりとしたロープ、その上からケープを羽織っており、落ち着いた印象を与える。苛烈さの象徴のような赤色の瞳は、眼鏡の奥に控えているせいか、優麗さを覗かせていた。漂う雰囲気には母性も混じっている。
「どうぞ、召し上がれ」
そう言われて、我慢できる子どもはここにはいなかった。
絶品のパイに舌鼓を打ち、王さまお気に入りのお茶で喉を潤して、それぞれが短く感想を述べる。美味しい、と口々に話す子どもたちは、今日一番の笑顔を浮かべていた。
「それは良かった。良い思い出になれたかな?」
低い声は耳によく馴染み、温和な王さまはすっかり子どもたちの心を掴んでいた。別れを惜しむ声が次々と重なるほどに。
すこしだけ迂闊な王さまは、子どもたちの背を押すために、オフレコであったはずの次回開催を匂わせてしまった。眼鏡をかけたモンスターが冷めた視線を向けているので、王さまはわざとらしく咳払いをする。子どもたちに、その意図が伝わったかは定かではないが。
「……いつでもおいで。歓迎するよ」
そう締め括り、第一回地底観光ツアーは無事に終了したのである。
