ニンゲン夢主の名前
Only the saving grace.
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目を開いて真っ先に飛び込んできたのは、最近ではすっかり慣れた子ども部屋の風景、じゃなかった。どこか物悲しさを訴える風景が広がり、軒を連ねる家々は沈黙を以て出迎えてくれる。音も気配もなく、無人のようだ。
ブーツの底は平らな地面を舐める。遅まきながら立っていることを自覚した。一歩を踏み出しながら視線を動かすと、整備された道の両脇を一際目を引く黄色い花が彩っているのが見える。覚えている限り、この場所、ニューホームには咲いていなかったはずなのに。
「……アズ?」
いつも傍らにいたはずの、半身とも呼べるような相棒の姿は見当たらない。そもそも、あの場所から動けないはずの私が外にいるのはおかしい。
寝る前に何かおかしなことがあっただろうか。
しばし思案して、唐突に腑に落ちる。
これは恐らく夢なのだ。しかも、夢という自覚があるから明晰夢。
フラウィが見たものだけでは飽き足らず、自分の足で歩いて自分の目で見たいという願望が反映されたのかもしれない。たしかに、記憶を失っていたときはほとんど動かなかったし、取り戻したあとは必死で、地底を見て回るなんて考えがなかった。記憶をなくしてまで、再び地底の世界に触れることを願っていたくせにおかしな話である。
折角の機会だから、地底の世界を歩いて回ることにしよう。フラウィ越しに見ていた風景は、自分の目で見ると新たな発見もあって新鮮だった。
道の果てにはフラウィがいて、物珍しさを覚えた。近くにはもうひとり、子羊のモンスターがいて、互いに会話を交わしている。子羊が小さな手にバターカップを持っているのが些か不穏だが、思い遣りに溢れたモンスターに限って奇行には及ぶまい。
それに、どうやら彼らには私の姿が見えていないようだ。口を挟むことは出来ず、観測するしかできない。夢だから、そういうものなのだろう。味気なさを覚えつつ、盗み聞きは良くないと足早に隣を通り抜ける。スケルトンに耳なんてないけど。そう思った瞬間、まるで耳元で囁かれたかのように雑音が騒ぐ。間髪入れず目眩に襲われ、膝が笑って崩れ落ちた。周囲を見渡して様子を確認すると、フラウィたちの姿がなくなっている。あれだけ咲き乱れていた花も幻のように忽然と消え、記憶に違わぬ景色に変貌していた。
「……まあ、夢だし」
最近ずっとそばにいた話し相手がいないのが心細い。相談相手がいない。居候時代だってあの兄弟のどちらか、もしくは両方がいたから、久し振りの孤独にすこしだけ気持ちが引き摺られる。
しかし、夢ならば。いつでも中断できる。私の気持ちひとつ。だから、もうすこしだけ、この不思議な地底の冒険を優先したい。叶わなかったこの世界の冒険を続けたい。
気を取り直してラボまでの道程をゆっくり歩く。うしろから雑踏が響く。振り返れば、フリスクとアルフィーを筆頭に、パピルスに肩車をされている見慣れないニンゲンの姿があった。フリスクよりも幼い容姿で、でも家族ではなさそうだ。地上の友達なのかもしれない。その後ろを並んで歩くのはイヌの夫婦で、仲睦まじく鼻をスリスリ合わせている。最後尾では、決して背中を晒さないメタトンに対して、アンダインが格闘を挑んでいるところだった。
幸か不幸か、この身体は壁をすりぬける。もちろんラボも。タマシイの力を使い果たしたせいか、はたまた夢の中だからか。とにかく、ラボの扉が固く閉ざされていたとしても、問題はなかった。
ホットランドの空気を吸う瞬間、再び雑音に苛まれる。きっかけはわからない。立っていられないほどの激痛が頭蓋骨に迫り、平衡感覚を失う。支えもなく縋るものもなく、為す術なく倒れた。感覚が戻った頃には、私の身体はスノーフルまで飛んでいた。
夢とはいえ手荒な場面転換だ。誰に文句を言えばいいか悩み、帰ったらアズに伝えようと心に決める。
気持ちを振り払うように頭を振ると、私たちの家の前で足が止まった。
「…………………………………………」
誰にも見られていないと判明しているのに、なんとなく後ろめたい。かつての我が家。骨の兄弟たちには居候扱いされていた家は、郷愁を喚起させる。
玄関の前に立って、意味もなく深呼吸して、回れ右。施錠を確かめることなく、森へと向かう。
意気地無し、とフラウィの幻聴が聞こえた気がしたけど無視して、足を止めずに道なりに突き進む。森にはニンゲンの子どもが溢れていた。地底の、それも寒さ厳しい森の中がこんなにも喧騒に包まれているなんて、私の夢も中々捨てたものじゃない。
感心しながら進むと、遺跡の扉が遠くに見えた。そう言えば、地底に落っこちてから言ったことがあるのは精々森の中までで、模試の最深部にも遺跡の中に入ったことがなかった。足を向ければ、相変わらず扉は閉まっている。けど、この身体なら問題なく不法侵入できる。不法侵入自体が問題だけどね。
果たして、そこにいたのはアズだった。
先程フラウィを見かけたばかりなので戸惑う。
「えっ……?」
思わず声が漏れたが、届いていないらしい。滑稽だが、目の前で手振り身振りで存在をアピールしてみるも梨の礫。夢の中の存在は、私の話し相手のアズとはまた違っているらしい。
不可思議な感覚が胸を満たす。盗み見るつもりはなかったはずなのに、好奇心が足を縫い止める。
アズリエルは見知らぬニンゲンの子どもの手当てをしていた。手際が良い。キャラが落ちてきたときも、彼が手当をしていたのだろうか。そういう縁があるのかもしれない。思わず魅入って、すぐに気を取り直す。
気にはなるが、覗き見の趣味はないのだ。鋼の意思で足を動かして、遺跡の最深部へ向かう。
はじまりの場所。スケルトンのグレースには馴染みのない場所だけど、見てみたかった。
地上から差し込む僅かな光は、花びらの表層を滑って散る。柔らかな印象を与える花々は、相変わらず来るものを拒まない。
ここに落ちたら、私は違う道を歩んでいたのだろうか。
答えのない疑問が浮かび上がって、気持ちをざわつかせる。一旦落ち着くために腰を下ろし、自然と天を仰ぐ。切り抜かれた空は果てしなく、そして、誰かを彷彿とさせる青を広げていた。
「……どうせ、見えてないんだからいいよ。いいよ、ね」
意気地無しの私は、自問を繰り返して来た道を戻る。途中でまた頭痛に襲われたせいか、森に溢れていたニンゲンたちの姿は見えなくなっていた。賑わいが薄れた寂しさはあるものの、無人の世界はそこまで廃れていない。
改めて、私たちの家の前に立つ。用心なことに施錠済らしい。夢の中の私は横暴なので、鍵なんて無意味だけど。いまならサンズの部屋にだって無断で侵入できる。……まあ、しないけどね。
「さすがにいないか」
夢の中だからか、感覚がおかしい。気配に鈍感だ。仮にサンズがいたとしても、夢の住人とは視線が合わないだろう。深く考えずに帰宅を果たす。
無人の家は相変わらず。ペットロックにはお馴染みのチョコスプレーがまぶされていた。
骨の絵画を持ち上げて、内緒の部屋の扉を露わにする。真っ先に顔を突っ込んで中の様子を確認すると、佇むサンズの後ろ姿が見えた。いつもと様子が違う。手にした紙をじっと見つめて、そして、感情の乗らない音を漏らす。
それは、私の名前だった。
もう一度。たしかめるかのように、覚束ない言の葉が吐き出される。頼りない声色は珍しい。
「……私のこと、みえてる?」
振り返らないサンズの視線を探るため、目の前に立つ。いつまで経っても目線は合わないし、反応もない。
不審に思って、紙そのものを覗き込む。たしか、私が残したメッセージには抗議を書いていたはずだ。5000Gは高すぎる、と。それを読んでいるのだろうか。
「白紙?」
そこには何もなかった。正確には、インク汚れさえない紙があるだけ。サンズがどうしてその白紙を眺めているのか、理由がわからない。
「……へんなの」
サンズにも、私は見えていないらしい。名前を呼ばれた気がしたけど、気のせいだったのだろう。
「……もう一個残したはずだけど、そっちは見たかな」
物思いに耽るサンズの双眸は白紙に落とされたまま。顔を上げさせたいが、私の存在は見えていないようなので難しい。そこで魔法を使うことを思いついた。
けど、タマシイがない関係か、魔法の骨はうまく出力できない。形にしようとしても霧散して、焦燥だけを募らせる。私は、魔法を使って気持ちを表現することさえ出来なくなったのだろうか。
縋るように胸の前で手を握る。よくアズもしている仕草だ。一緒にいることですっかり身体に染み付いてしまったらしい。
「……アズ。力を貸して」
不意に脳裏に浮かんだのは、アズの子ども部屋だ。蓄光ステッカーを星型に切り抜いて天井に貼っているおかげで、休むときはいつだって目に入る。いまのこの夢を見る前だって、私はそれを目にしたはずだ。
「星……なら!」
アズのすきなもの。それから、サンズだってすきなもののはずだ。もし、アズの力を借りることができれば、サンズに届くかもしれない。
祈るような気持ちで、思い描く。アズのすきな星、彼の口調と、スターブレイジングの召喚を念じる。願いに応えて飛来した小さな流れ星は、頼りない軌道でサンズのフードの中に入り込む。サンズ自身に直撃しなくて良かった。
「なんだ?」
質量の増したフードを、彼の左手が探る。淡く光る星は、サンズに触れられた瞬間に飛び上がり、例のメモを隠したクローゼットへ彼を導いた。案内したものの、サンズがクローゼットを開けるかどうかは賭けだった。杞憂に終わったようで何より。
「……Itchy…………」
サンズが読み上げた。無事に見つけてくれたらしい。一安心だ。いつか忘れ去られるとしても、たしかに彼は痕跡をなぞってくれた。これが、たとえ私の願望が反映されただけの夢なのだとしても。
踵を返して歩き出すと、背後で勢いよく扉を閉める音が轟く。何事かと振り返り、音の発生源へ駆けつけた。声が届かないから、彼からの説明は期待できない。接近して無遠慮に眺めると、頭を押さえたサンズは沈黙を貫いたまま、忌々しげに軋む扉へ視線を注ぐ。
「ええ……? その言葉、気に食わなかった……?」
有名なセリフを引用しただけなのだが。
明滅する星は大気にほどけ、消えていく。残されたのはサンズと私だけ。しかし、何を言っても通じないのでひとりぼっちが二人いるだけに過ぎない。
「これ以上……」
「うん?」
「消えていくな、グレース……!」
悲痛な叫びだった。込められた感情の色はわからない。夢以外で会っていたら、わかったのだろうか。
「サンズ? え? み、見えてる?」
慌てて眼窩を見つめるも、やはり視線は一度も交錯しない。独り言のようだ。
「……もう、消えちゃったよ」
星も、私も。この世界のどこにもいない。唯一、タマシイを捧げたフラウィだけが覚えていてくれる。不満はあるけど、それも仕方ないかな。それに、いまはいなくてもアズがそばにいる。ひとりじゃない。そこまで不幸でもないよ。幸せかどうかは、まだ答えが出ないけど。
「……どうしても、気になるなら。お花さんを探したら?」
聞こえないヒントを残す。さすがに可哀想かもしれない。
仕方ないので、先程とおなじ要領で魔法を編む。今度は星を工夫して六芒星にして……、……不器用だからうまくできなかった。伝わるかな? 伝わらないかな。お花に見えるといいんだけど。
「Where have all the flowers gone ?」
去り際にもう一度。届かぬ声で、ヒントを残す。もう振り返るのは止めた。これ以上ここにいると、きっと離れ難くなるから。
「名前、呼んでくれてありがとう。うれしかったよ」
聞こえるといいのにな。こんなに近くにいるんだから、奇跡くらい起きたっていいのに。……なんてね。
「じゃあ、次で最後にしよう」
この物語の始まった場所。スケルトンの私にはあまり馴染みがないけれど、かつての私には関連深い、遺跡の最深部の花畑を見に行こう。
遺跡の内部は静まり返っていた。
家の暖炉は火こそ消えていたけどまだ暖かく、誰かの存在を伝えてくれる。軽々とパズルを越えていけば、花畑まではそう遠くない。
宵闇を切り裂く星々の光は、密やかに花へ降り注ぐ。いつの間にか夜になっていたらしい。目的地に近付くにつれ、花畑のそばに立つ誰がの姿が鮮明になる。
花畑の世話をしているのだろう。こちらに背を向けているのはアズリエルだ。
「アズリエル……」
思わず声が漏れた。懲りもせず。見えないことは、さっきわかったのに。また会えるかもしれない、と期待したことを自覚して自己嫌悪が増す。
目を覚ませば、すぐに会えるのに。夢の中でも会いたかったなんて、自分の弱い部分を突き付けられたようで、身体中の骨が軋む。
「ハロー?」
「えっ」
呼び掛けはアズリエルの口から発せられた。口から漏れた言葉は端的に私の驚愕を示す。
「そこに、いるんだよね?」
「……、……み、えてる……?」
「アハハ、ボクには見えてないよ。でも、キミがそっちのボクと一緒にいたおかげで、すこしはわかる。なんとなくなら声も聞こえるんだ」
「そ、そうなの……?」
まさか、あのアズ以外にも影響を及ぼしているとは思わず、犯した罪が背筋を伝うような錯覚に陥る。もしかして、さっきも?
「ごめんね。日が変わるまで時間がないから、長話はできないんだ」
「日が変わるとなにかあるの? 夢から醒めるとか?」
「うん。ボクが見てる夢が醒めてしまうんだ」
「アズリエルが見てる夢……? ここは、私の夢の世界でしょ?」
「……ううん。ここはキミの夢の中じゃないよ。ゆめみたいな奇跡が起きた場所に違いはないけどね」
「夢の中じゃ、ない……?」
「ここは、本当はキミとは交わらない世界なんだ」
私の戸惑いを見透かしたかのように、アズリエルは言葉を続ける。
「……一時だけど、神になっていたから。ボクは、他の世界のボクと繋がりができたみたい。逆に、その繋がりのせいで、キミがここに来ちゃったんだと思う」
「へ、へえ…………」
そこまで大事 になってるとは露とも思わず、呑気に物見遊山してしまった。以前、パピルスが私を図太いと言ったことがあったけど、どうやら否定できないようだ。
「それ、時間の歪みとか……大丈夫……?」
「……うん。言いにくいんだけど……、キミは世界から弾かれてるから、影響が出ないんだ」
改めて言われると、さすがにすこし狼狽える。うまい相槌も打てないまま、乾いた笑いが滑り落ちる。
「どこにもいないから、どこにでもいけるんだよ」
「……、…………もしかして。私が通ったのは、ひとつの世界だけじゃない……?」
「うん。ここ以外にも通ってたみたいだね」
「ええ…………?」
驚きが先んじて、何も考えられなかった。夢じゃないということは、どこかに存在する世界。いくら影響が出ないとは言え、さすがに……。いや。待て。
「夢だと思ってサンズに接触しちゃった……」
「え」
今度はアズリエルが驚く番だった。
「いや、いやー、いやいや、でも見えてないからセーフのはず、うん。大丈夫」
「キミがそう言うならいいけど、本当に大丈夫……?」
大丈夫ではない。どうでもいいゾンビ構文を読ませてしまった上にお気に召さなかったご様子。ご立腹っぽいので気分としては最悪だ。
……あれ? でも、そのメモが残っていたのなら、私が辿り着いていたのは、元の世界……? それからまたほかの世界に移動した?
「ここ、私がいた元の世界じゃない、でしょう? 私はアズのとこに戻れるの?」
目を覚まそうと思えばそれで終わりだと思っていたのに、急に道が断たれた。もしかして、私はずっとこの世界に取り残されるのだろうか。
「安心して。ボクがちゃんと届けるよ」
「……タマシイの力が残ってるの?」
「ううん。タマシイはみんなの元に戻したから、ここにはないんだ。別の力を使うよ」
「別の……」
「ごめんなさい。詳しく話してる時間はないみたい」
「……それは、しょうがないからいいけど……。その力を使って、アズリエルは平気? 私みたく消えたりしない?」
「うん。……でも、すこしだけ、キミの力を借りたいんだ」
「私の? 魔法、いつもの骨は使えなかったから、あまり力になれないと思うよ?」
「魔法の力じゃなくて大丈夫。キミと、キミと繋がってるボクの力を貸してほしいんだ。お手紙も、住所がわからないと届かないでしょ?」
「そ、そうだね……」
恐らくヤギがモチーフのモンスターであるアズリエルから手紙の話題が出てくることが新鮮だった。牧歌的な風景を連想してしまい、笑みが零れそうになる。真剣な話に水を差すわけにはいかず、思わず声が上擦った。スケルトンの身体には皮膚がない。ニンゲンなら頬を抓って、その痛みで堪えるという芸当ができるのに。すこし不便だ。
「心配しなくても、大丈夫」
そして、私の胸中を知らないアズリエルは、こちらを安心させるように微笑んだ。見えていないはずなのに、まるで見えているかのようだ。愛おしい赤い瞳が、柔く細められる。
「そっちのボクに、よろしくね」
「……え」
瞬く間に突風が生まれる。空気を破るように吹き荒れた嵐が止む頃には、幼いアズリエルの身体に変化が訪れていた。
子どもの身体は成体へと変貌し、頭には立派な角が二本生えている。愛嬌のある双眸は白目が黒に反転し、変わらぬ赤い瞳が間違いなく私を見据えていた。どうやら、この姿であれば私を認識できるらしい。トリエルが纏うデルタルーンの描かれた法衣と同種の紫色の服に身を包んだ彼は、首から思い出のハートのロケットを提げ、慈愛の眼差しを与えてくる。
「これでサヨナラだね」
淡々と事実を向ける声色には、恐れも、悲しみも、切なさも、寂しさもなかった。だからこそ、こんなにも胸が痛い。洪水のように押し寄せる感情が、視界を滲ませる。相変わらず本心をひた隠しにする彼の挙動に、知れず頬骨が濡れた。
空を見上げる彼の目の前に、一振りの剣が召喚される。カオスセーバーだ。一対のはずなのに、片割れは不在。まるでいまの私のようだ。あるいは、ここにない片割れこそが、私とアズを繋ぐ道になるのかもしれない。そう思えば、こわくはなかった。
月と星に照らされ、携えた剣先からは光の粒が零れる。終わりが近い。こわくはない。けれど、よく知る彼と同じ顔が別れを紡ぐのは、あまり耐えられそうになかった。間に合え、と祈りを込めて口を開く。
「……アズリエル、まって! これでお別れなんて、」
けれども、時間は私を置いていく。
続きを待たずに、剣は光を増幅して眩く迸った。目を開けているのも困難ほど強い純白が目を灼く。必死に抗うも、報われそうになかった。世界を越える度に幾多も経験した痛みと無縁のまま、意識だけが薄れて、儚い笑顔が遠ざかっていく。
「そっちのボクを救ってくれて、ありがとう」
弧を描いた笑顔が、見えない壁に隔たれて、目の前で閉じられた。
伸ばした手は宙を掻く。一寸先どころか自分の腕さえも見えない真っ暗闇は夜の帳のようだった。唐突な暗転に、前後不覚な心地を揺蕩う。
「――グレース!」
「…………あ、ず……?」
体が引っ張られる感覚に眼を開く。いつから眼を閉じていたのだろう。霞んでいる視界が像を結び、朧気な輪郭が揺れた。
「良かった、目を覚まさないかと思った……!」
小さくて白いモフモフが視界いっぱいを埋め尽くす。私に覆い被さっているらしく、胸骨が圧迫されて身動きが取れない。
「あー……、えーと…………心配かけてごめんなさい」
当事者の私でさえ状況が飲み込めないが、とにかくたくさん心配をかけてしまったらしい。彼の過去を思えば、胸が痛む。かつて目的のために親友がいなくなり、結果として彼自身も命を落とした出来事。あれをなぞるかのような経験は、彼としても味わいたくないはずだ。
近過ぎて表情はわからないけど、いまも変わらず泣き虫なアズの震えが伝わってくる。見た目相応な仕草が私を落ち着かせてくれた。背中に手を回して慰めるようにゆっくりとさする。小さな身体の一体どこにそんな力があるのか、引き離せそうになかったのだ。
「ううん。謝らないで。戻ってきてくれたから、大丈夫。……おかえりなさい、グレース」
「ただいま、アズ」
すっかり親しんだ子ども部屋でふたり、笑い合う。腰を落ち着ける場所がある幸運を噛み締めながら。
「ほ、ほかの……アズリエル? から聞いてるかも、しれないんだけど」
「うん」
「それって肯定? 相槌?」
「両方かな」
「……じゃあ、詳しい話は後回しにするとして。質問があるんだけど、いい?」
「うん。なあに?」
「もしかして……、私とアズって、……融合……とか……? ひとつに、なってたり……する……?」
自分でもどうかと思う質問だけど、どうしても気になるのだ。疑問をそのままにするのは嫌だし、向こうのアズには遠慮して聞けなかったけど、もはや運命共同体となったも同然のアズには聞ける。
「まさか。ボクらがひとつになってたら、こうしてお話はできないでしょ?」
「それもそうか……。ただ、魔法を使おうとしたら、骨が出せなくって……星なら出せたんだけど、これ、なにか影響出てたりする……?」
「え? うーん……、なんでだろう……?」
「アズにもわからないんだ……」
「なんでも知ってるわけじゃないからね」
かつて神になったはずのモンスターは、泣き腫らした瞳で、無邪気に笑う。直前で別れたアズリエルを思い返せば、とても不可思議な状況だった。ここが在るべき場所なら、もう二度と会えないのだろうか。
『どこにもいないから、どこにでもいけるんだよ』
彼の言葉が脳裏に蘇る。
「じゃあ。もしも次があったら、一緒に来てね」
「……次の予定があるの?」
「ないよ。でも、独りは……寂しさが骨身に染みるからね」
「それ、かあさんのギャグ?」
「バレた?」
「ふふ、まあね」
そう言えば、しんじつのラボには、アズゴア相手にギャグを披露するトリエルのビデオが残っていたっけ。当然、アズの前でも聞かせていたのだろう。地底のみんな、ギャグがすきだよね。
「約束する。もし次があるなら、今度は独りにしないからね」
「頼りにしてるよ。……王子さま?」
ふざけて付け足すと、アズは綺麗な瞳をまあるくして、すぐに破顔した。
「その肩書きは、もう失われてしまったよ」
いつかをなぞる言葉。だけど、そこに暗い色は一欠片もなかった。
□■□
切り立った崖に鮮やかな日が射し込む。隔たりの消えた地底から、果てしなく遠い空が見えた。蒼穹は憎たらしい骨を彷彿とさせるから嫌いだ、と金色の花は忌々しげで、それでも仰ぐのを止めない。自由に羽ばたく鳥が視界を横切る度に、撃ち落としてやろうか、と考えて憂さを晴らした。程なくしてやかましい囀りは遠ざかり、孤独な空と花だけが取り残される。
日中のほとんどを空を見上げて過ごすのが、近頃のフラウィの日課になりつつあった。もちろん、仕事ではない。地底を覗き込む空を見つめるだけの仕事など、頼まれたところで一蹴するだろう。かと言って、趣味と呼べるものでもなかった。飽き飽きするほど変化のない風景はつまらないだけだ。必要に迫られて、フラウィは遺跡の花畑に棲みついた。
この場所は、バリアが消えたあとも稀に子どもが落っこちることがあった。ニンゲンもモンスターも、種族に違いなく等しく落ちる。
いい加減、柵か杭か立ち入り禁止の立て看板でも設置すれば良いのに、とフラウィは呆れ混じりの溜め息を吐いた。同時に、自ら考えを打ち消す。警告したところで好奇心があれば無意味だ、と。
フラウィは兎にも角にも余計な遺骨を増やされるのが嫌だった。チリが撒かれて余分な心が宿っても迷惑だ。
場所を汚されたくないフラウィが、落ちてきた迷える子どもの道案内を担うのは自然な流れだった。口止めをしなかったせいで、地上に妙な噂が流れているのは遺憾だが、いまの環境を守れるのなら些事だ。
――フラウィは、せめて花畑を守りたかった。
地底に暮らしていたモンスターたちの多くは徐々に生活の拠点を地上へ移したため、遺跡の中はこれまで以上に静謐に包まれた。地底に残ったモンスターもいるが、その少数も、進んで辺鄙な遺跡の中には来ないし、ましてやこの場所を管理しよう、なんて突飛な発想はしない。道楽のような花の世話を好んでするお人好しは、もう地底には残っていないのだ。
つまり、花畑は貸切状態。
独擅場で、フラウィはかつての親友を偲ぶように花の世話を欠かさなかった。
地底に完成した花畑は、見せたい相手には届かない。フラウィ自身も、当時からはずいぶんと変わってしまった。仮に、キャラのタマシイがもう一度地底に落っこちて、運良くフラウィを見たとしても、アズリエルだとは気付かないだろう。悲しいことに。
――花畑の下に、キャラの遺骨が眠っている。
その妄信にフラウィが取り憑かれたのは、いつからだっただろう。確証はない。地中を探ることもしなかった。べつに、知ることを恐れているわけではない。好奇心なら人並み以上に抱えている。だが、遺骨があったとして、それがキャラだとわからないほうが、フラウィには堪えるのだ。
ゆえに。フラウィは花畑を守る。花畑ごと、いるかもしれない親友を守り続ける。あるいは、空ばかりに視線を向けるのも、地中から目を背けたい一心だからなのかもしれなかった。
心を補うために身を捧げた悪友は、もうどこにもいない。確認のしようがない。かと言って、確認しようと思えば容易い親友の骸は、自分の不感症を恐れて目を逸らし続ける。どうしようもない。
日に日に募る自己嫌悪に、フラウィ自身が頭を抱えたかった。
何事もなく日が暮れ、辺りが暗くなったところで、地底に迫る影が見えた。明るくても足を滑らせる輩が多発するのだから、暗ければ尚更だろう。また落ちてきたのか、とフラウィは呆れ混じりに見守る。
「……は?」
今回は、いつもと違っていた。
何より速い。影は、あのツンデレ飛行機よりも高速で落下してくる。おかげで影の輪郭を把握する前に回避行動を取らざるを得なかった。
まるで流星のように光の尾を引き、空気を裂いてまっすぐフラウィに迫る正体不明の影。この場で地中に潜ることは避けたいフラウィは、着弾地点を予想して身を捩る。軌道は予想に違わず、しかし星は突然静止した。生じた衝撃は殺しきれず、フラウィの身体は強風に見舞われ、咄嗟に目を閉じる。再び開いたあとは、注意深く落下物を見遣った。
「なにこれ。……星?」
影の正体は、ニンゲンでもモンスターでもなく、まさかの星。星が落っこちてきたのだ。初めての経験である。それも、記号的な星。フラウィの花びら一枚に匹敵する大きさで、吹けば飛んでいきそうな頼りなさだ。
通常、流れ星とはチリのことを指す。モンスターのチリとは別ものだ。遙か遠く、彼方の宇宙に存在するチリが、この惑星に落っこちてくるときに大気と激しく衝突して気化し、大気の成分と混ざり合って光を放っているだけだ。ロマンの欠片もない真実である。
星を多用していたどこかの泣き虫のことが呼び覚まされ、フラウィは目を細めて唾棄する。記号的な星になんの意味もないことは明白だった。
思考とは裏腹に、フラウィは改めて星を注視する。浮遊したまま回旋する星を訝しみながら観察し、ややあって期待はずれと言わんばかりにそっぽを向いた。危険性がないと判断し、その上で放置を決めたのである。
「なんだよ」
されど、星はお気に召さなかった模様。明滅を繰り返すほどに自己主張が激しく、気を引こうと必死なように見える。
「ジャマだよ」
半眼で睨んでも、不気味な顔で脅しても、星は退かない。一層輝きを増すばかりで、フラウィの神経を逆撫でする。後からやって来て居座ろうなんて、ずいぶんと傲然だ。
「いい加減にしろよ」
鬱憤を晴らすように、フラウィは以前なかよしカプセルと呼んだ種の形をした弾を展開し、躊躇なく放つ。着弾した瞬間、跡形もなく消え去るものと思っていたが、星は変わらずそこにあった。
「どっかいってくんない?」
苛立ちをぶつけても不完全燃焼で、フラウィはとうとう実力行使に出た。
植物の蔦を伸ばして、抵抗もしない星を絡め取る。そのまま放り投げようとしたが、フラウィは目を白黒させて動きを止めた。星は脈を打ち始め、その鼓動はまるで共鳴するかのようにフラウィの芯を揺さぶり、意図せず項垂れてしまう。
何が起きたかわからないまま、フラウィは視線だけを持ち上げた。蔦の牢獄に囚われた星は微かに震え、さながらカウントダウンのように回旋が控えめになる。徐々に緩慢になった動作ののち、星はその身を砕き、小さな星屑となって放射状に降り注ぐ。もちろん、そばにいたフラウィにも。ぱちぱちと弾けた星は徐々に光を失い、大気に溶けて見えなくなる。
「は……、」
それきり、フラウィは言葉を失った。
あまりに多くの言葉を受け取ったせいで、何も言えなくなった。小さな星屑は、ボイスメッセージの結晶だった。詰まっていた音声は、記憶に刻まれた声と遜色がない。
『Howdy!』
お決まりの挨拶は重なって聞こえた。ふたり分、あいつとグレースの声が詰まっているらしい。
『杞憂なら笑って流してね。心配してるかもしれないから、どうにかメッセージを送ろうと思って。アズの力を借りたんだ』
心配なんてするはずがない、と強がりを言いそうになって、堪えた。とめどなく続く音声を逃さないよう、フラウィは口を噤む。いつからあいつのことを愛称で呼ぶようになったのか、気になるところはあった。しかし、奇跡のようなメッセージを台無しにするのはバカのすることだ。
『キミは嫌がるかもしれないけどね、』
泣き虫の苦笑が挟まって、フラウィは全くもってその通りだ、と無言で肯定した。言ったところで一方通行のメッセージは止まらないのだから、続く言葉を待ち侘びる。
『本当は手紙にしたかったけど、届かないで消える可能性が高いみたいだから、声を送るよ。……このメッセージで怪我してないといいんだけど、……大丈夫?』
かりそめの心が強く締め付けられ、痛みを訴える。声を出してもいいなら、大丈夫じゃないと叫んだに違いない。叫んだところで音声は止まらない。フラウィは縋るように目を閉じる。いまは、空よりも、花畑よりも、姿の見えない奇跡を身近に感じていたかった。
『私はフラウィの心のそばに、いまもいるよ。見えなくても、聞こえないとしても、ちゃんといる。だから安心して……って言うのは変かもしれないけど……、』
言葉を探して言い淀むグレースの沈黙は、フラウィを焦らす。言葉の続きを知りたい。だが、いつか終わってしまうのなら、永遠にこの沈黙を保っていてほしい。二律背反の感情が綯い交ぜになる。星に手が届かないように、星に詰まった言葉にも手が届かない。
ずっとこのままでいられたら、どんなに幸せだろう。それが、グレースの望みではないことくらい、とっくにわかりきっているのに。願わずにいられなかった。
やがて、意を決したグレースの丁寧な息遣いが響く。吸って、吐いて。そこにいるときよりも克明に聞こえる音は終わりの予兆だ。フラウィは整理されていない気持ちを引き摺ったまま、身構える。
『――少なくとも、私はいま、幸せだよ』
目蓋の裏側に、にやついたスケルトンが見えた。幻覚に過ぎないそれを、フラウィはそっと優しく抱き締める。
『言いたいこと、まだあるのに。時間だって。名残惜しいけどまたね、フラウィ。次はもっとちゃんと話すから』
メッセージは終わり、無音の世界に戻る。
ゆっくりと目を開くと、いつの間にか日を跨ぎ、空には太陽が昇っていた。相も変わらず賑やかな鳥は鬱陶しいが、晴らすべき鬱憤もないので、いまだけは穏やかに聞き流す。
何よりも反芻したい音は、心の内にたしかに宿っていた。
なにもかもが一方的で、押し付けがましくて、なのに、それが嫌じゃない。そんな感情は、恐らく[FN:グレース]に与えられたのだろう。
「キミ、よっぽどヒマなんだね。……次、なんてさ。…………、次があるって?」
だから、恨み言を呟いた。心のそばにいると言うのなら、この声も届くだろう、と踏んで。しかし、途中で言葉を中断せざるを得ない。見落としていた言葉に気が付いたのだ。
「フフフ……、そんな横紙破りができるなら、見せてみてよ」
挑発的な物言いでありながら、その声色はどこまでも優しかった。心の内側に語りかけるように、一度きりの奇跡でないことを心から祈る。
孤独だった一輪の花は、悲しくもないのに涙を流す。泣き虫の誰かの性質まで継いだ覚えないのに。その誰かのような白い雲は空を覆い隠し、地底の花を静かに見守っていた。
ブーツの底は平らな地面を舐める。遅まきながら立っていることを自覚した。一歩を踏み出しながら視線を動かすと、整備された道の両脇を一際目を引く黄色い花が彩っているのが見える。覚えている限り、この場所、ニューホームには咲いていなかったはずなのに。
「……アズ?」
いつも傍らにいたはずの、半身とも呼べるような相棒の姿は見当たらない。そもそも、あの場所から動けないはずの私が外にいるのはおかしい。
寝る前に何かおかしなことがあっただろうか。
しばし思案して、唐突に腑に落ちる。
これは恐らく夢なのだ。しかも、夢という自覚があるから明晰夢。
フラウィが見たものだけでは飽き足らず、自分の足で歩いて自分の目で見たいという願望が反映されたのかもしれない。たしかに、記憶を失っていたときはほとんど動かなかったし、取り戻したあとは必死で、地底を見て回るなんて考えがなかった。記憶をなくしてまで、再び地底の世界に触れることを願っていたくせにおかしな話である。
折角の機会だから、地底の世界を歩いて回ることにしよう。フラウィ越しに見ていた風景は、自分の目で見ると新たな発見もあって新鮮だった。
道の果てにはフラウィがいて、物珍しさを覚えた。近くにはもうひとり、子羊のモンスターがいて、互いに会話を交わしている。子羊が小さな手にバターカップを持っているのが些か不穏だが、思い遣りに溢れたモンスターに限って奇行には及ぶまい。
それに、どうやら彼らには私の姿が見えていないようだ。口を挟むことは出来ず、観測するしかできない。夢だから、そういうものなのだろう。味気なさを覚えつつ、盗み聞きは良くないと足早に隣を通り抜ける。スケルトンに耳なんてないけど。そう思った瞬間、まるで耳元で囁かれたかのように雑音が騒ぐ。間髪入れず目眩に襲われ、膝が笑って崩れ落ちた。周囲を見渡して様子を確認すると、フラウィたちの姿がなくなっている。あれだけ咲き乱れていた花も幻のように忽然と消え、記憶に違わぬ景色に変貌していた。
「……まあ、夢だし」
最近ずっとそばにいた話し相手がいないのが心細い。相談相手がいない。居候時代だってあの兄弟のどちらか、もしくは両方がいたから、久し振りの孤独にすこしだけ気持ちが引き摺られる。
しかし、夢ならば。いつでも中断できる。私の気持ちひとつ。だから、もうすこしだけ、この不思議な地底の冒険を優先したい。叶わなかったこの世界の冒険を続けたい。
気を取り直してラボまでの道程をゆっくり歩く。うしろから雑踏が響く。振り返れば、フリスクとアルフィーを筆頭に、パピルスに肩車をされている見慣れないニンゲンの姿があった。フリスクよりも幼い容姿で、でも家族ではなさそうだ。地上の友達なのかもしれない。その後ろを並んで歩くのはイヌの夫婦で、仲睦まじく鼻をスリスリ合わせている。最後尾では、決して背中を晒さないメタトンに対して、アンダインが格闘を挑んでいるところだった。
幸か不幸か、この身体は壁をすりぬける。もちろんラボも。タマシイの力を使い果たしたせいか、はたまた夢の中だからか。とにかく、ラボの扉が固く閉ざされていたとしても、問題はなかった。
ホットランドの空気を吸う瞬間、再び雑音に苛まれる。きっかけはわからない。立っていられないほどの激痛が頭蓋骨に迫り、平衡感覚を失う。支えもなく縋るものもなく、為す術なく倒れた。感覚が戻った頃には、私の身体はスノーフルまで飛んでいた。
夢とはいえ手荒な場面転換だ。誰に文句を言えばいいか悩み、帰ったらアズに伝えようと心に決める。
気持ちを振り払うように頭を振ると、私たちの家の前で足が止まった。
「…………………………………………」
誰にも見られていないと判明しているのに、なんとなく後ろめたい。かつての我が家。骨の兄弟たちには居候扱いされていた家は、郷愁を喚起させる。
玄関の前に立って、意味もなく深呼吸して、回れ右。施錠を確かめることなく、森へと向かう。
意気地無し、とフラウィの幻聴が聞こえた気がしたけど無視して、足を止めずに道なりに突き進む。森にはニンゲンの子どもが溢れていた。地底の、それも寒さ厳しい森の中がこんなにも喧騒に包まれているなんて、私の夢も中々捨てたものじゃない。
感心しながら進むと、遺跡の扉が遠くに見えた。そう言えば、地底に落っこちてから言ったことがあるのは精々森の中までで、模試の最深部にも遺跡の中に入ったことがなかった。足を向ければ、相変わらず扉は閉まっている。けど、この身体なら問題なく不法侵入できる。不法侵入自体が問題だけどね。
果たして、そこにいたのはアズだった。
先程フラウィを見かけたばかりなので戸惑う。
「えっ……?」
思わず声が漏れたが、届いていないらしい。滑稽だが、目の前で手振り身振りで存在をアピールしてみるも梨の礫。夢の中の存在は、私の話し相手のアズとはまた違っているらしい。
不可思議な感覚が胸を満たす。盗み見るつもりはなかったはずなのに、好奇心が足を縫い止める。
アズリエルは見知らぬニンゲンの子どもの手当てをしていた。手際が良い。キャラが落ちてきたときも、彼が手当をしていたのだろうか。そういう縁があるのかもしれない。思わず魅入って、すぐに気を取り直す。
気にはなるが、覗き見の趣味はないのだ。鋼の意思で足を動かして、遺跡の最深部へ向かう。
はじまりの場所。スケルトンのグレースには馴染みのない場所だけど、見てみたかった。
地上から差し込む僅かな光は、花びらの表層を滑って散る。柔らかな印象を与える花々は、相変わらず来るものを拒まない。
ここに落ちたら、私は違う道を歩んでいたのだろうか。
答えのない疑問が浮かび上がって、気持ちをざわつかせる。一旦落ち着くために腰を下ろし、自然と天を仰ぐ。切り抜かれた空は果てしなく、そして、誰かを彷彿とさせる青を広げていた。
「……どうせ、見えてないんだからいいよ。いいよ、ね」
意気地無しの私は、自問を繰り返して来た道を戻る。途中でまた頭痛に襲われたせいか、森に溢れていたニンゲンたちの姿は見えなくなっていた。賑わいが薄れた寂しさはあるものの、無人の世界はそこまで廃れていない。
改めて、私たちの家の前に立つ。用心なことに施錠済らしい。夢の中の私は横暴なので、鍵なんて無意味だけど。いまならサンズの部屋にだって無断で侵入できる。……まあ、しないけどね。
「さすがにいないか」
夢の中だからか、感覚がおかしい。気配に鈍感だ。仮にサンズがいたとしても、夢の住人とは視線が合わないだろう。深く考えずに帰宅を果たす。
無人の家は相変わらず。ペットロックにはお馴染みのチョコスプレーがまぶされていた。
骨の絵画を持ち上げて、内緒の部屋の扉を露わにする。真っ先に顔を突っ込んで中の様子を確認すると、佇むサンズの後ろ姿が見えた。いつもと様子が違う。手にした紙をじっと見つめて、そして、感情の乗らない音を漏らす。
それは、私の名前だった。
もう一度。たしかめるかのように、覚束ない言の葉が吐き出される。頼りない声色は珍しい。
「……私のこと、みえてる?」
振り返らないサンズの視線を探るため、目の前に立つ。いつまで経っても目線は合わないし、反応もない。
不審に思って、紙そのものを覗き込む。たしか、私が残したメッセージには抗議を書いていたはずだ。5000Gは高すぎる、と。それを読んでいるのだろうか。
「白紙?」
そこには何もなかった。正確には、インク汚れさえない紙があるだけ。サンズがどうしてその白紙を眺めているのか、理由がわからない。
「……へんなの」
サンズにも、私は見えていないらしい。名前を呼ばれた気がしたけど、気のせいだったのだろう。
「……もう一個残したはずだけど、そっちは見たかな」
物思いに耽るサンズの双眸は白紙に落とされたまま。顔を上げさせたいが、私の存在は見えていないようなので難しい。そこで魔法を使うことを思いついた。
けど、タマシイがない関係か、魔法の骨はうまく出力できない。形にしようとしても霧散して、焦燥だけを募らせる。私は、魔法を使って気持ちを表現することさえ出来なくなったのだろうか。
縋るように胸の前で手を握る。よくアズもしている仕草だ。一緒にいることですっかり身体に染み付いてしまったらしい。
「……アズ。力を貸して」
不意に脳裏に浮かんだのは、アズの子ども部屋だ。蓄光ステッカーを星型に切り抜いて天井に貼っているおかげで、休むときはいつだって目に入る。いまのこの夢を見る前だって、私はそれを目にしたはずだ。
「星……なら!」
アズのすきなもの。それから、サンズだってすきなもののはずだ。もし、アズの力を借りることができれば、サンズに届くかもしれない。
祈るような気持ちで、思い描く。アズのすきな星、彼の口調と、スターブレイジングの召喚を念じる。願いに応えて飛来した小さな流れ星は、頼りない軌道でサンズのフードの中に入り込む。サンズ自身に直撃しなくて良かった。
「なんだ?」
質量の増したフードを、彼の左手が探る。淡く光る星は、サンズに触れられた瞬間に飛び上がり、例のメモを隠したクローゼットへ彼を導いた。案内したものの、サンズがクローゼットを開けるかどうかは賭けだった。杞憂に終わったようで何より。
「……Itchy…………」
サンズが読み上げた。無事に見つけてくれたらしい。一安心だ。いつか忘れ去られるとしても、たしかに彼は痕跡をなぞってくれた。これが、たとえ私の願望が反映されただけの夢なのだとしても。
踵を返して歩き出すと、背後で勢いよく扉を閉める音が轟く。何事かと振り返り、音の発生源へ駆けつけた。声が届かないから、彼からの説明は期待できない。接近して無遠慮に眺めると、頭を押さえたサンズは沈黙を貫いたまま、忌々しげに軋む扉へ視線を注ぐ。
「ええ……? その言葉、気に食わなかった……?」
有名なセリフを引用しただけなのだが。
明滅する星は大気にほどけ、消えていく。残されたのはサンズと私だけ。しかし、何を言っても通じないのでひとりぼっちが二人いるだけに過ぎない。
「これ以上……」
「うん?」
「消えていくな、グレース……!」
悲痛な叫びだった。込められた感情の色はわからない。夢以外で会っていたら、わかったのだろうか。
「サンズ? え? み、見えてる?」
慌てて眼窩を見つめるも、やはり視線は一度も交錯しない。独り言のようだ。
「……もう、消えちゃったよ」
星も、私も。この世界のどこにもいない。唯一、タマシイを捧げたフラウィだけが覚えていてくれる。不満はあるけど、それも仕方ないかな。それに、いまはいなくてもアズがそばにいる。ひとりじゃない。そこまで不幸でもないよ。幸せかどうかは、まだ答えが出ないけど。
「……どうしても、気になるなら。お花さんを探したら?」
聞こえないヒントを残す。さすがに可哀想かもしれない。
仕方ないので、先程とおなじ要領で魔法を編む。今度は星を工夫して六芒星にして……、……不器用だからうまくできなかった。伝わるかな? 伝わらないかな。お花に見えるといいんだけど。
「
去り際にもう一度。届かぬ声で、ヒントを残す。もう振り返るのは止めた。これ以上ここにいると、きっと離れ難くなるから。
「名前、呼んでくれてありがとう。うれしかったよ」
聞こえるといいのにな。こんなに近くにいるんだから、奇跡くらい起きたっていいのに。……なんてね。
「じゃあ、次で最後にしよう」
この物語の始まった場所。スケルトンの私にはあまり馴染みがないけれど、かつての私には関連深い、遺跡の最深部の花畑を見に行こう。
遺跡の内部は静まり返っていた。
家の暖炉は火こそ消えていたけどまだ暖かく、誰かの存在を伝えてくれる。軽々とパズルを越えていけば、花畑まではそう遠くない。
宵闇を切り裂く星々の光は、密やかに花へ降り注ぐ。いつの間にか夜になっていたらしい。目的地に近付くにつれ、花畑のそばに立つ誰がの姿が鮮明になる。
花畑の世話をしているのだろう。こちらに背を向けているのはアズリエルだ。
「アズリエル……」
思わず声が漏れた。懲りもせず。見えないことは、さっきわかったのに。また会えるかもしれない、と期待したことを自覚して自己嫌悪が増す。
目を覚ませば、すぐに会えるのに。夢の中でも会いたかったなんて、自分の弱い部分を突き付けられたようで、身体中の骨が軋む。
「ハロー?」
「えっ」
呼び掛けはアズリエルの口から発せられた。口から漏れた言葉は端的に私の驚愕を示す。
「そこに、いるんだよね?」
「……、……み、えてる……?」
「アハハ、ボクには見えてないよ。でも、キミがそっちのボクと一緒にいたおかげで、すこしはわかる。なんとなくなら声も聞こえるんだ」
「そ、そうなの……?」
まさか、あのアズ以外にも影響を及ぼしているとは思わず、犯した罪が背筋を伝うような錯覚に陥る。もしかして、さっきも?
「ごめんね。日が変わるまで時間がないから、長話はできないんだ」
「日が変わるとなにかあるの? 夢から醒めるとか?」
「うん。ボクが見てる夢が醒めてしまうんだ」
「アズリエルが見てる夢……? ここは、私の夢の世界でしょ?」
「……ううん。ここはキミの夢の中じゃないよ。ゆめみたいな奇跡が起きた場所に違いはないけどね」
「夢の中じゃ、ない……?」
「ここは、本当はキミとは交わらない世界なんだ」
私の戸惑いを見透かしたかのように、アズリエルは言葉を続ける。
「……一時だけど、神になっていたから。ボクは、他の世界のボクと繋がりができたみたい。逆に、その繋がりのせいで、キミがここに来ちゃったんだと思う」
「へ、へえ…………」
そこまで
「それ、時間の歪みとか……大丈夫……?」
「……うん。言いにくいんだけど……、キミは世界から弾かれてるから、影響が出ないんだ」
改めて言われると、さすがにすこし狼狽える。うまい相槌も打てないまま、乾いた笑いが滑り落ちる。
「どこにもいないから、どこにでもいけるんだよ」
「……、…………もしかして。私が通ったのは、ひとつの世界だけじゃない……?」
「うん。ここ以外にも通ってたみたいだね」
「ええ…………?」
驚きが先んじて、何も考えられなかった。夢じゃないということは、どこかに存在する世界。いくら影響が出ないとは言え、さすがに……。いや。待て。
「夢だと思ってサンズに接触しちゃった……」
「え」
今度はアズリエルが驚く番だった。
「いや、いやー、いやいや、でも見えてないからセーフのはず、うん。大丈夫」
「キミがそう言うならいいけど、本当に大丈夫……?」
大丈夫ではない。どうでもいいゾンビ構文を読ませてしまった上にお気に召さなかったご様子。ご立腹っぽいので気分としては最悪だ。
……あれ? でも、そのメモが残っていたのなら、私が辿り着いていたのは、元の世界……? それからまたほかの世界に移動した?
「ここ、私がいた元の世界じゃない、でしょう? 私はアズのとこに戻れるの?」
目を覚まそうと思えばそれで終わりだと思っていたのに、急に道が断たれた。もしかして、私はずっとこの世界に取り残されるのだろうか。
「安心して。ボクがちゃんと届けるよ」
「……タマシイの力が残ってるの?」
「ううん。タマシイはみんなの元に戻したから、ここにはないんだ。別の力を使うよ」
「別の……」
「ごめんなさい。詳しく話してる時間はないみたい」
「……それは、しょうがないからいいけど……。その力を使って、アズリエルは平気? 私みたく消えたりしない?」
「うん。……でも、すこしだけ、キミの力を借りたいんだ」
「私の? 魔法、いつもの骨は使えなかったから、あまり力になれないと思うよ?」
「魔法の力じゃなくて大丈夫。キミと、キミと繋がってるボクの力を貸してほしいんだ。お手紙も、住所がわからないと届かないでしょ?」
「そ、そうだね……」
恐らくヤギがモチーフのモンスターであるアズリエルから手紙の話題が出てくることが新鮮だった。牧歌的な風景を連想してしまい、笑みが零れそうになる。真剣な話に水を差すわけにはいかず、思わず声が上擦った。スケルトンの身体には皮膚がない。ニンゲンなら頬を抓って、その痛みで堪えるという芸当ができるのに。すこし不便だ。
「心配しなくても、大丈夫」
そして、私の胸中を知らないアズリエルは、こちらを安心させるように微笑んだ。見えていないはずなのに、まるで見えているかのようだ。愛おしい赤い瞳が、柔く細められる。
「そっちのボクに、よろしくね」
「……え」
瞬く間に突風が生まれる。空気を破るように吹き荒れた嵐が止む頃には、幼いアズリエルの身体に変化が訪れていた。
子どもの身体は成体へと変貌し、頭には立派な角が二本生えている。愛嬌のある双眸は白目が黒に反転し、変わらぬ赤い瞳が間違いなく私を見据えていた。どうやら、この姿であれば私を認識できるらしい。トリエルが纏うデルタルーンの描かれた法衣と同種の紫色の服に身を包んだ彼は、首から思い出のハートのロケットを提げ、慈愛の眼差しを与えてくる。
「これでサヨナラだね」
淡々と事実を向ける声色には、恐れも、悲しみも、切なさも、寂しさもなかった。だからこそ、こんなにも胸が痛い。洪水のように押し寄せる感情が、視界を滲ませる。相変わらず本心をひた隠しにする彼の挙動に、知れず頬骨が濡れた。
空を見上げる彼の目の前に、一振りの剣が召喚される。カオスセーバーだ。一対のはずなのに、片割れは不在。まるでいまの私のようだ。あるいは、ここにない片割れこそが、私とアズを繋ぐ道になるのかもしれない。そう思えば、こわくはなかった。
月と星に照らされ、携えた剣先からは光の粒が零れる。終わりが近い。こわくはない。けれど、よく知る彼と同じ顔が別れを紡ぐのは、あまり耐えられそうになかった。間に合え、と祈りを込めて口を開く。
「……アズリエル、まって! これでお別れなんて、」
けれども、時間は私を置いていく。
続きを待たずに、剣は光を増幅して眩く迸った。目を開けているのも困難ほど強い純白が目を灼く。必死に抗うも、報われそうになかった。世界を越える度に幾多も経験した痛みと無縁のまま、意識だけが薄れて、儚い笑顔が遠ざかっていく。
「そっちのボクを救ってくれて、ありがとう」
弧を描いた笑顔が、見えない壁に隔たれて、目の前で閉じられた。
伸ばした手は宙を掻く。一寸先どころか自分の腕さえも見えない真っ暗闇は夜の帳のようだった。唐突な暗転に、前後不覚な心地を揺蕩う。
「――グレース!」
「…………あ、ず……?」
体が引っ張られる感覚に眼を開く。いつから眼を閉じていたのだろう。霞んでいる視界が像を結び、朧気な輪郭が揺れた。
「良かった、目を覚まさないかと思った……!」
小さくて白いモフモフが視界いっぱいを埋め尽くす。私に覆い被さっているらしく、胸骨が圧迫されて身動きが取れない。
「あー……、えーと…………心配かけてごめんなさい」
当事者の私でさえ状況が飲み込めないが、とにかくたくさん心配をかけてしまったらしい。彼の過去を思えば、胸が痛む。かつて目的のために親友がいなくなり、結果として彼自身も命を落とした出来事。あれをなぞるかのような経験は、彼としても味わいたくないはずだ。
近過ぎて表情はわからないけど、いまも変わらず泣き虫なアズの震えが伝わってくる。見た目相応な仕草が私を落ち着かせてくれた。背中に手を回して慰めるようにゆっくりとさする。小さな身体の一体どこにそんな力があるのか、引き離せそうになかったのだ。
「ううん。謝らないで。戻ってきてくれたから、大丈夫。……おかえりなさい、グレース」
「ただいま、アズ」
すっかり親しんだ子ども部屋でふたり、笑い合う。腰を落ち着ける場所がある幸運を噛み締めながら。
「ほ、ほかの……アズリエル? から聞いてるかも、しれないんだけど」
「うん」
「それって肯定? 相槌?」
「両方かな」
「……じゃあ、詳しい話は後回しにするとして。質問があるんだけど、いい?」
「うん。なあに?」
「もしかして……、私とアズって、……融合……とか……? ひとつに、なってたり……する……?」
自分でもどうかと思う質問だけど、どうしても気になるのだ。疑問をそのままにするのは嫌だし、向こうのアズには遠慮して聞けなかったけど、もはや運命共同体となったも同然のアズには聞ける。
「まさか。ボクらがひとつになってたら、こうしてお話はできないでしょ?」
「それもそうか……。ただ、魔法を使おうとしたら、骨が出せなくって……星なら出せたんだけど、これ、なにか影響出てたりする……?」
「え? うーん……、なんでだろう……?」
「アズにもわからないんだ……」
「なんでも知ってるわけじゃないからね」
かつて神になったはずのモンスターは、泣き腫らした瞳で、無邪気に笑う。直前で別れたアズリエルを思い返せば、とても不可思議な状況だった。ここが在るべき場所なら、もう二度と会えないのだろうか。
『どこにもいないから、どこにでもいけるんだよ』
彼の言葉が脳裏に蘇る。
「じゃあ。もしも次があったら、一緒に来てね」
「……次の予定があるの?」
「ないよ。でも、独りは……寂しさが骨身に染みるからね」
「それ、かあさんのギャグ?」
「バレた?」
「ふふ、まあね」
そう言えば、しんじつのラボには、アズゴア相手にギャグを披露するトリエルのビデオが残っていたっけ。当然、アズの前でも聞かせていたのだろう。地底のみんな、ギャグがすきだよね。
「約束する。もし次があるなら、今度は独りにしないからね」
「頼りにしてるよ。……王子さま?」
ふざけて付け足すと、アズは綺麗な瞳をまあるくして、すぐに破顔した。
「その肩書きは、もう失われてしまったよ」
いつかをなぞる言葉。だけど、そこに暗い色は一欠片もなかった。
□■□
切り立った崖に鮮やかな日が射し込む。隔たりの消えた地底から、果てしなく遠い空が見えた。蒼穹は憎たらしい骨を彷彿とさせるから嫌いだ、と金色の花は忌々しげで、それでも仰ぐのを止めない。自由に羽ばたく鳥が視界を横切る度に、撃ち落としてやろうか、と考えて憂さを晴らした。程なくしてやかましい囀りは遠ざかり、孤独な空と花だけが取り残される。
日中のほとんどを空を見上げて過ごすのが、近頃のフラウィの日課になりつつあった。もちろん、仕事ではない。地底を覗き込む空を見つめるだけの仕事など、頼まれたところで一蹴するだろう。かと言って、趣味と呼べるものでもなかった。飽き飽きするほど変化のない風景はつまらないだけだ。必要に迫られて、フラウィは遺跡の花畑に棲みついた。
この場所は、バリアが消えたあとも稀に子どもが落っこちることがあった。ニンゲンもモンスターも、種族に違いなく等しく落ちる。
いい加減、柵か杭か立ち入り禁止の立て看板でも設置すれば良いのに、とフラウィは呆れ混じりの溜め息を吐いた。同時に、自ら考えを打ち消す。警告したところで好奇心があれば無意味だ、と。
フラウィは兎にも角にも余計な遺骨を増やされるのが嫌だった。チリが撒かれて余分な心が宿っても迷惑だ。
場所を汚されたくないフラウィが、落ちてきた迷える子どもの道案内を担うのは自然な流れだった。口止めをしなかったせいで、地上に妙な噂が流れているのは遺憾だが、いまの環境を守れるのなら些事だ。
――フラウィは、せめて花畑を守りたかった。
地底に暮らしていたモンスターたちの多くは徐々に生活の拠点を地上へ移したため、遺跡の中はこれまで以上に静謐に包まれた。地底に残ったモンスターもいるが、その少数も、進んで辺鄙な遺跡の中には来ないし、ましてやこの場所を管理しよう、なんて突飛な発想はしない。道楽のような花の世話を好んでするお人好しは、もう地底には残っていないのだ。
つまり、花畑は貸切状態。
独擅場で、フラウィはかつての親友を偲ぶように花の世話を欠かさなかった。
地底に完成した花畑は、見せたい相手には届かない。フラウィ自身も、当時からはずいぶんと変わってしまった。仮に、キャラのタマシイがもう一度地底に落っこちて、運良くフラウィを見たとしても、アズリエルだとは気付かないだろう。悲しいことに。
――花畑の下に、キャラの遺骨が眠っている。
その妄信にフラウィが取り憑かれたのは、いつからだっただろう。確証はない。地中を探ることもしなかった。べつに、知ることを恐れているわけではない。好奇心なら人並み以上に抱えている。だが、遺骨があったとして、それがキャラだとわからないほうが、フラウィには堪えるのだ。
ゆえに。フラウィは花畑を守る。花畑ごと、いるかもしれない親友を守り続ける。あるいは、空ばかりに視線を向けるのも、地中から目を背けたい一心だからなのかもしれなかった。
心を補うために身を捧げた悪友は、もうどこにもいない。確認のしようがない。かと言って、確認しようと思えば容易い親友の骸は、自分の不感症を恐れて目を逸らし続ける。どうしようもない。
日に日に募る自己嫌悪に、フラウィ自身が頭を抱えたかった。
何事もなく日が暮れ、辺りが暗くなったところで、地底に迫る影が見えた。明るくても足を滑らせる輩が多発するのだから、暗ければ尚更だろう。また落ちてきたのか、とフラウィは呆れ混じりに見守る。
「……は?」
今回は、いつもと違っていた。
何より速い。影は、あのツンデレ飛行機よりも高速で落下してくる。おかげで影の輪郭を把握する前に回避行動を取らざるを得なかった。
まるで流星のように光の尾を引き、空気を裂いてまっすぐフラウィに迫る正体不明の影。この場で地中に潜ることは避けたいフラウィは、着弾地点を予想して身を捩る。軌道は予想に違わず、しかし星は突然静止した。生じた衝撃は殺しきれず、フラウィの身体は強風に見舞われ、咄嗟に目を閉じる。再び開いたあとは、注意深く落下物を見遣った。
「なにこれ。……星?」
影の正体は、ニンゲンでもモンスターでもなく、まさかの星。星が落っこちてきたのだ。初めての経験である。それも、記号的な星。フラウィの花びら一枚に匹敵する大きさで、吹けば飛んでいきそうな頼りなさだ。
通常、流れ星とはチリのことを指す。モンスターのチリとは別ものだ。遙か遠く、彼方の宇宙に存在するチリが、この惑星に落っこちてくるときに大気と激しく衝突して気化し、大気の成分と混ざり合って光を放っているだけだ。ロマンの欠片もない真実である。
星を多用していたどこかの泣き虫のことが呼び覚まされ、フラウィは目を細めて唾棄する。記号的な星になんの意味もないことは明白だった。
思考とは裏腹に、フラウィは改めて星を注視する。浮遊したまま回旋する星を訝しみながら観察し、ややあって期待はずれと言わんばかりにそっぽを向いた。危険性がないと判断し、その上で放置を決めたのである。
「なんだよ」
されど、星はお気に召さなかった模様。明滅を繰り返すほどに自己主張が激しく、気を引こうと必死なように見える。
「ジャマだよ」
半眼で睨んでも、不気味な顔で脅しても、星は退かない。一層輝きを増すばかりで、フラウィの神経を逆撫でする。後からやって来て居座ろうなんて、ずいぶんと傲然だ。
「いい加減にしろよ」
鬱憤を晴らすように、フラウィは以前なかよしカプセルと呼んだ種の形をした弾を展開し、躊躇なく放つ。着弾した瞬間、跡形もなく消え去るものと思っていたが、星は変わらずそこにあった。
「どっかいってくんない?」
苛立ちをぶつけても不完全燃焼で、フラウィはとうとう実力行使に出た。
植物の蔦を伸ばして、抵抗もしない星を絡め取る。そのまま放り投げようとしたが、フラウィは目を白黒させて動きを止めた。星は脈を打ち始め、その鼓動はまるで共鳴するかのようにフラウィの芯を揺さぶり、意図せず項垂れてしまう。
何が起きたかわからないまま、フラウィは視線だけを持ち上げた。蔦の牢獄に囚われた星は微かに震え、さながらカウントダウンのように回旋が控えめになる。徐々に緩慢になった動作ののち、星はその身を砕き、小さな星屑となって放射状に降り注ぐ。もちろん、そばにいたフラウィにも。ぱちぱちと弾けた星は徐々に光を失い、大気に溶けて見えなくなる。
「は……、」
それきり、フラウィは言葉を失った。
あまりに多くの言葉を受け取ったせいで、何も言えなくなった。小さな星屑は、ボイスメッセージの結晶だった。詰まっていた音声は、記憶に刻まれた声と遜色がない。
『Howdy!』
お決まりの挨拶は重なって聞こえた。ふたり分、あいつとグレースの声が詰まっているらしい。
『杞憂なら笑って流してね。心配してるかもしれないから、どうにかメッセージを送ろうと思って。アズの力を借りたんだ』
心配なんてするはずがない、と強がりを言いそうになって、堪えた。とめどなく続く音声を逃さないよう、フラウィは口を噤む。いつからあいつのことを愛称で呼ぶようになったのか、気になるところはあった。しかし、奇跡のようなメッセージを台無しにするのはバカのすることだ。
『キミは嫌がるかもしれないけどね、』
泣き虫の苦笑が挟まって、フラウィは全くもってその通りだ、と無言で肯定した。言ったところで一方通行のメッセージは止まらないのだから、続く言葉を待ち侘びる。
『本当は手紙にしたかったけど、届かないで消える可能性が高いみたいだから、声を送るよ。……このメッセージで怪我してないといいんだけど、……大丈夫?』
かりそめの心が強く締め付けられ、痛みを訴える。声を出してもいいなら、大丈夫じゃないと叫んだに違いない。叫んだところで音声は止まらない。フラウィは縋るように目を閉じる。いまは、空よりも、花畑よりも、姿の見えない奇跡を身近に感じていたかった。
『私はフラウィの心のそばに、いまもいるよ。見えなくても、聞こえないとしても、ちゃんといる。だから安心して……って言うのは変かもしれないけど……、』
言葉を探して言い淀むグレースの沈黙は、フラウィを焦らす。言葉の続きを知りたい。だが、いつか終わってしまうのなら、永遠にこの沈黙を保っていてほしい。二律背反の感情が綯い交ぜになる。星に手が届かないように、星に詰まった言葉にも手が届かない。
ずっとこのままでいられたら、どんなに幸せだろう。それが、グレースの望みではないことくらい、とっくにわかりきっているのに。願わずにいられなかった。
やがて、意を決したグレースの丁寧な息遣いが響く。吸って、吐いて。そこにいるときよりも克明に聞こえる音は終わりの予兆だ。フラウィは整理されていない気持ちを引き摺ったまま、身構える。
『――少なくとも、私はいま、幸せだよ』
目蓋の裏側に、にやついたスケルトンが見えた。幻覚に過ぎないそれを、フラウィはそっと優しく抱き締める。
『言いたいこと、まだあるのに。時間だって。名残惜しいけどまたね、フラウィ。次はもっとちゃんと話すから』
メッセージは終わり、無音の世界に戻る。
ゆっくりと目を開くと、いつの間にか日を跨ぎ、空には太陽が昇っていた。相も変わらず賑やかな鳥は鬱陶しいが、晴らすべき鬱憤もないので、いまだけは穏やかに聞き流す。
何よりも反芻したい音は、心の内にたしかに宿っていた。
なにもかもが一方的で、押し付けがましくて、なのに、それが嫌じゃない。そんな感情は、恐らく[FN:グレース]に与えられたのだろう。
「キミ、よっぽどヒマなんだね。……次、なんてさ。…………、次があるって?」
だから、恨み言を呟いた。心のそばにいると言うのなら、この声も届くだろう、と踏んで。しかし、途中で言葉を中断せざるを得ない。見落としていた言葉に気が付いたのだ。
「フフフ……、そんな横紙破りができるなら、見せてみてよ」
挑発的な物言いでありながら、その声色はどこまでも優しかった。心の内側に語りかけるように、一度きりの奇跡でないことを心から祈る。
孤独だった一輪の花は、悲しくもないのに涙を流す。泣き虫の誰かの性質まで継いだ覚えないのに。その誰かのような白い雲は空を覆い隠し、地底の花を静かに見守っていた。