このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

キメツ

【黒猫おばないさん(おばみつ)】


「あらー、これはまた……全身変化させてしまうなんて、そんなに強い鬼だったんですか。私もお会いしたかったです」
 冨岡とその腕の中にすっぽりと収まる黒猫を交互に眺め、胡蝶は艶やかな笑みを浮かべて告げる。その言葉が気に入らなかったのか、黒猫が抗議の声を上げた。
「人の声も出せないなんて大変ですねぇ、伊黒さん」
 口から出るのはニャーという音ばかりで、黒猫の姿に変わった伊黒がいつものようにネチネチと言葉を並べ立ててもそれが相手に伝わることはない。何度試してみても人の言葉を話すことは叶わず、伊黒は腹立たしさを飲み込み口を噤むしかなかった。しかし、苛立ちは尻尾に現れ抱き抱える冨岡の腕を何度も叩く。
「あらあら冨岡さん、伊黒さんと仲良くなれて良かったですね」
 冨岡は胡蝶に頷き、伊黒の尻尾による攻撃を気にすることなく受け続けながら状況を告げる。
「服を残して変化した」
 冨岡が言葉足らずなのはいつものことだ。胡蝶は伊黒の服を受け取りながら、そうですか、と答えて後退った。ずいっ、と冨岡が黒猫を差し出すが、胡蝶はニッコリと微笑んだまま微動だにしない。毛の生えている動物が苦手な胡蝶は触る気がないらしい。
「診察しないのか」
 動かない胡蝶に、珍しくしびれを切らした冨岡が尋ねる。
「えぇ。血鬼術と分かっていますし、しばらくすれば元に戻るでしょう。どうぞ、伊黒さんを離してあげてください。元に戻るまではこちらでゆっくり過ごしていただいてけっこうです。ただ元に戻った時服が無いと大変でしょうから、部屋にいた方が良いと思いますけど」
 廊下の端に寄り、胡蝶が道を空ける。冨岡は伊黒を廊下におろした。伊黒が囁くように鳴くと礼を述べたととったのか、冨岡はほんの少し表情を和らげた。
 ちらりと伊黒が胡蝶を見上げると、柔らかく微笑んでいる。馬鹿にしたものではなく、心が温かくなるような笑みだ。
「お疲れ様でした。怪我もしていないようですし、元に戻ってからしっかり検査をしましょうね。おそらく数日で復帰できるでしょう」
 その言葉を聞いた伊黒は頷いて、いつもあてがわれる部屋へと歩き出した。鏑丸もゆったりと伊黒に続く。その背に胡蝶の、あっ、という声が届いた。
「伊黒さん、あのですね、いつもの部屋には……」
 胡蝶の声を最後まで聞かずに伊黒が部屋に入ると、甲高い声が響いた。
「きゃー、可愛らしい猫ちゃん! あら、伊黒さんと同じ瞳の色なのね。とってもきれいでキュンとしちゃう」
 伊黒はベッドに座っていた甘露寺を見ると、大慌てでベッドに飛び乗り甘露寺の周りをウロウロと歩く。猫の姿では無事を確認したくても、どうすれば良いのか分からず伊黒は戸惑う。声を出せば猫の鳴き声で甘露寺にその内容は届かず意味がない。ここに甘露寺がいるということは、鬼に怪我を負わされた可能性が高いのにそれを知る術がない。困り果てた伊黒の元に、救いの手が差し伸べられたのはすぐだった。
「甘露寺さん、その黒猫は伊黒さんと同じ瞳をもった猫ではなく、伊黒さんそのものですよ」
「え? しのぶちゃん、伊黒さんが猫になっちゃったの?」
「そのようです。冨岡さんの話では、一気に変化したそうですよ。服もここに」
「伊黒さん、怪我は?」
 一気に甘露寺の顔は青くなり、伊黒を抱き上げ確認し始める。しかし、伊黒は胡蝶に助けを求めるように顔を向け、悲痛な声を上げた。伊黒はなぜここに甘露寺がいるのか知りたいのだ。それに甘露寺に猫の姿とはいえ、くまなく体を観察されるのはいたたまれない。そのことに胡蝶も気付いていたが、二人のやり取りが微笑ましくしばらくそのまま眺めてしまう。その様子を十分堪能し、胡蝶は軽やかな声で笑いながら告げた。
「落ち着いてください。伊黒さんは怪我をしていません。それにほら、伊黒さんは甘露寺さんがどうしてここにいるかの方が気になってるみたいですよ。残念ながら猫の言葉しか話せないんですけど」


つづく
1/2ページ
スキ