ちょっとだけ、ひとやすみ。
苦しかった。貴方が、私以外の誰かと笑い合う姿を目に映すことが、まるで鋭い光でも見ているかのように痛かった。
るりね、貴方は私「だけ」を見てくれないのね。どうしても、貴方には広い世界があるのね。
…憎いだなんて思ってはいけない。憎いだなんて思ってはいけないのよ。だってほら、私はそんなことを言える立場ではないのだから。貴方の交友関係を無神経にも制限することは、どうしても私にはできなかった。いや、というより、したいしたいと思いながらも、ただ「貴方にしあわせでいてほしい」その一点のみの思いやりで、ぎりぎりのところに踏みとどまっているだけだった。
だから、口からこぼれ出てしまいそうな棘のある言葉を飲み込んで、喉を引っ掻いて痛みを流すそれに悶えながら、唇を噛むだけにしようと思った。いつものように。
「あれえ、ほのかちゃんやないの。どしたん?そんな苦しそうな顔して。あ、また体調悪かったりするん?」
ふわりと、春の霧雨のような声だった。それに触れた私は、自分の苦しさを包むように細く笑った。
目の前にいるのは、キースホンドという種類の犬獣人、とばりさんだった。自分と同じクラスにいて、小さい身体ながら包容力のあるお姉さんのような声をした、ちょっと不思議な言葉遣いをする子だ。確か、なんとかピリカみたいな名前の島の訛りだったはず…
あと、この間授業中に頭が痛くなった私を保健室まで連れて行ってくれたのも、この子だ。
「とばりさん、先日はご迷惑をおかけいたしました。もう体調も良くなったので、ご心配なさらないでくださいませ」
「良かったわ~、ならうちの気のせいやね。でも、あんまり無理したらダメやからね?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
にこっと笑って、とばりさんは私の肩に手を置いた。じんわりとした肉球の暖かさが、確かな存在感を私のなかに刻んでいた。
その時に私はどうして気付けなかったのだろう。こちらを見遣る空色の眼光に。
ーーー
私は、自分の家の部屋にるりねとともにいた。どうしてだか今日は、彼女のほうから「今日の帰り、ほのちゃんの家に寄りたいな」と言ってきたのだ。まあ特段断る理由もないし、親も仕事でいないので、いいだろう。そう判断して家に上げて、部屋でお茶でも飲んでもらおうとしたのだが。
「ほのちゃんに、お土産があるんだ」
「何かしら?」
勿体つけるようにゆっくりと彼女がスクールバッグから出したものは、私が全く予想していないものだった。
端的に言うと…赤い首輪とリードだ。
首輪なんて家畜くらいしかつけることはないだろう。もしくは、そういう癖のある一部の人か。自分はどちらにも属していないので、困惑で頭が痛くなってきた。でも、それを見てもなお、るりねはにこにことこちらを見ている。
「ねえ、さっきとばりちゃんと何話してたの?」
怖いくらいに冷たい声だった。自分は普段、かなり冷たい声を出していると思うが、それを遥かに上回るくらいの、怒りと憎しみの滲んだ声だった。普段のるりねからは考えられない。
私は何かがおかしいと感じ、怖くなってきて、少し後ずさった。
「体調を心配された、だけ、なんだけれど」
声が無意識に上擦る。
「へえ、そっか。ねえほのちゃん、僕はね、〈僕のことだけしか見ない〉ほのちゃんじゃないと愛せないんだ。
だから、ちゃんと僕だけを見ていてくれるように、これを買ったんだよ」
るりねは私を器用に、しかも強く制し、首輪をつけさせた。私は自分が非力であることを恨み、小さな抵抗をしながらも「この人には敵わない」とどこか諦めていた。
「似合ってるよ」
ぎゅっと唇が押し付けられ、私は目を見張った。嘘じゃない。こんな、不本意なかたちではあるけれど、好きな人とキス…を、することができたのだから。そう考えると、もう綺麗さっぱりと抵抗する気が失せてしまった。好きな人にされること全部、抵抗する必要なんてないと知ってしまった。震える声で、どうか肯定してくれますようにと祈りながら、こう口にした。
「るりね、貴方は私を愛しているの?」
彼女はぽかんとして、少し笑って、こう言った。
「もちろんだよ」
この日からだった。私達の、歪な関係が始まってしまったのは。
るりね、貴方は私「だけ」を見てくれないのね。どうしても、貴方には広い世界があるのね。
…憎いだなんて思ってはいけない。憎いだなんて思ってはいけないのよ。だってほら、私はそんなことを言える立場ではないのだから。貴方の交友関係を無神経にも制限することは、どうしても私にはできなかった。いや、というより、したいしたいと思いながらも、ただ「貴方にしあわせでいてほしい」その一点のみの思いやりで、ぎりぎりのところに踏みとどまっているだけだった。
だから、口からこぼれ出てしまいそうな棘のある言葉を飲み込んで、喉を引っ掻いて痛みを流すそれに悶えながら、唇を噛むだけにしようと思った。いつものように。
「あれえ、ほのかちゃんやないの。どしたん?そんな苦しそうな顔して。あ、また体調悪かったりするん?」
ふわりと、春の霧雨のような声だった。それに触れた私は、自分の苦しさを包むように細く笑った。
目の前にいるのは、キースホンドという種類の犬獣人、とばりさんだった。自分と同じクラスにいて、小さい身体ながら包容力のあるお姉さんのような声をした、ちょっと不思議な言葉遣いをする子だ。確か、なんとかピリカみたいな名前の島の訛りだったはず…
あと、この間授業中に頭が痛くなった私を保健室まで連れて行ってくれたのも、この子だ。
「とばりさん、先日はご迷惑をおかけいたしました。もう体調も良くなったので、ご心配なさらないでくださいませ」
「良かったわ~、ならうちの気のせいやね。でも、あんまり無理したらダメやからね?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
にこっと笑って、とばりさんは私の肩に手を置いた。じんわりとした肉球の暖かさが、確かな存在感を私のなかに刻んでいた。
その時に私はどうして気付けなかったのだろう。こちらを見遣る空色の眼光に。
ーーー
私は、自分の家の部屋にるりねとともにいた。どうしてだか今日は、彼女のほうから「今日の帰り、ほのちゃんの家に寄りたいな」と言ってきたのだ。まあ特段断る理由もないし、親も仕事でいないので、いいだろう。そう判断して家に上げて、部屋でお茶でも飲んでもらおうとしたのだが。
「ほのちゃんに、お土産があるんだ」
「何かしら?」
勿体つけるようにゆっくりと彼女がスクールバッグから出したものは、私が全く予想していないものだった。
端的に言うと…赤い首輪とリードだ。
首輪なんて家畜くらいしかつけることはないだろう。もしくは、そういう癖のある一部の人か。自分はどちらにも属していないので、困惑で頭が痛くなってきた。でも、それを見てもなお、るりねはにこにことこちらを見ている。
「ねえ、さっきとばりちゃんと何話してたの?」
怖いくらいに冷たい声だった。自分は普段、かなり冷たい声を出していると思うが、それを遥かに上回るくらいの、怒りと憎しみの滲んだ声だった。普段のるりねからは考えられない。
私は何かがおかしいと感じ、怖くなってきて、少し後ずさった。
「体調を心配された、だけ、なんだけれど」
声が無意識に上擦る。
「へえ、そっか。ねえほのちゃん、僕はね、〈僕のことだけしか見ない〉ほのちゃんじゃないと愛せないんだ。
だから、ちゃんと僕だけを見ていてくれるように、これを買ったんだよ」
るりねは私を器用に、しかも強く制し、首輪をつけさせた。私は自分が非力であることを恨み、小さな抵抗をしながらも「この人には敵わない」とどこか諦めていた。
「似合ってるよ」
ぎゅっと唇が押し付けられ、私は目を見張った。嘘じゃない。こんな、不本意なかたちではあるけれど、好きな人とキス…を、することができたのだから。そう考えると、もう綺麗さっぱりと抵抗する気が失せてしまった。好きな人にされること全部、抵抗する必要なんてないと知ってしまった。震える声で、どうか肯定してくれますようにと祈りながら、こう口にした。
「るりね、貴方は私を愛しているの?」
彼女はぽかんとして、少し笑って、こう言った。
「もちろんだよ」
この日からだった。私達の、歪な関係が始まってしまったのは。
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