沈黙の15分
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皆が一斉に駆け出す。蓮は視線を巡らせた。このダムが決壊したら、間違いなく村は沈む。その前に…あった。スノーモービル。
「きゃあ!?」
「歩美ちゃん!?」
「止まらないで行きなさい!立てる?さ、もう少し頑張って!」
蓮はそう言って歩美を助け起こすと、皆と反対方向に走り出した。そこにあったのは、先程乗り捨てたスノーモービル。
(ガソリンが不味いか…いや、まだ行けるはず!)
「蓮!?」
「新一!確か村の前に使われてないスキー場があったよね!?」
「あ、あぁ…って、お前、まさか!?」
蓮はふわりと微笑んだ。外壁の崩れる音がする。ここはもうもたない。蓮はコナンの腕をがっとひっつかむと、ごめんねと呟いて、そのまま子供たちの方へ投げ飛ばした。無事に届いたのを見届けて、蓮はスノーモービルのアクセルを踏み込む。
(さぁ、ここからは運だな)
蓮は勢いよく飛び出すと、ダムの縁を滑り山の斜面へと降り立った。轟々と押し寄せる濁流に舌打ちする。このままでは間に合わない。少し無謀だが、山道を抜けるか。
蓮は森に突っ込んだ。木々をすり抜け、崖を飛び越える。下手をすれば命はないが、冷静に運転していれば事故ることはないと尚もアクセルを全開にする。
(あわよくばこれで雪崩が起きたらと思ったんだけど、やっぱり森は厳しいか…)
と、その時。モービルのエンジン音が僅かに変わった。不調を知らせる音に、蓮は乾いた笑いを浮かべる。
「もうちょっとだけ、もってくれよ…!!」
森から山道に飛び出し、そのまま斜面を駆け上がる。ちょうどその時、小五郎たちはダムから引き返す車のなかにいた。
「おい!この水が一気に流れ込んだら、あの村はどうなるんだ!?」
「大変なことになります…!!」
そんなんじゃわかんないわよ!!と声を荒らげる園子に、運転していた職員は、間違いなく村は水没するでしょうと答えた。成実はぎりっと唇を噛み締める。
嫌な予感がする。コナンを追いかけて行ったまま、蓮とは連絡がつかないし、姿も見ていない。彼のことだから、無茶を無茶とも思わずに飄々とやってのけているのかもしれない。
こんなときなのに、村の心配や子供たちの心配よりも、彼のことだけ考えてしまう。…だから過ちに手を染めたりするのかもしれないなと成実は自嘲した。こうでもしないと、心配と不安で心が潰れ、気が狂ってしまいそうだから。
…いるのだ、確実に、心のなかに。あの皆が噂する幼馴染の高校生探偵たちも、警察も、彼を可愛がっている者たちにも…誰の目にも触れない、危険なことなど何もない、外界から切り離した空間に、自らの腕のなかにずっと閉じ込めてしまいたいと思う猛獣が。
今にも暴れだしそうで、それが恐ろしくてたまらない。そんな成実を心配そうに見つめた蘭は、ふっと山の斜面へと視線をうつして悲鳴をあげた。
「蓮!?」
「何!?」
視線の先には、スノーモービルのアクセルを全開にして斜面を大きく蛇行しながら走る蓮の姿が。小五郎はさっと青ざめた。あんなところでアイツ、何をしているんだ。
「雪崩じゃ!雪崩を起こし、水の流れを変えようとしてるんじゃ!!」
阿笠の声に、成実はいてもたってもいられずに窓を開けた。
「蓮君!!」
走り続ける蓮に、成実たちの声は届かない。そのうち、ぼんっという音がして、エンジンの不調がより明確になる。蓮はこんなときに…!と歯噛みした。
大きく車体が揺れ、雪の上に投げ出される。まだだ。まだ終わっていない。早く何とかしないと…!雪を掻き分け、倒れたモービルを立て直す。エンジンをかけ直すも、うまくかからない。蓮の表情に、初めて焦りが浮かんだ。
「動いて…!動いてよ…っ!」
動け!!!!
その声に呼応するように、スノーモービルのエンジンは息を吹き返す。そして、辺りにゴゴゴゴ…と低い地鳴りのような音が轟いた。
雪の地面にピシピシと亀裂が入り、ずるりと滑った。下の雪を巻き込み、雪は斜面を猛スピードで駆け降りる。――大雪崩だ。
「まずい…」
ここにいては巻き込まれてしまう。蓮は咄嗟に、スノーモービルで雪崩と平行に、雪崩の端へと走り出した。
「――蓮!!!!」
声にはっと斜面の下を見れば、走り去る車の窓から身を取り出した成実と蘭の姿があった。
(蘭、成実さん)
――新一
蓮の華奢な肢体は、純白の大波に飲まれた。巻き込まれる寸前にスノーモービルを乗り捨て、雪のなかで浮上するように手足をばたつかせる。
雪崩は森を、道路を、川を…すべてを飲み込んだ。そのお陰で濁流の流れは変わり、橋を破壊し、木々をなぎ倒した濁流が村に流れ込むことはなかった。…村は、救われたのだ。
「嫌ぁぁぁああぁあ!!!!!!」
蘭の悲痛な声が辺りに響いた。車を降り、必死に駆け寄る。雪で足元が覚束無いながらも、皆は転がるように駆け出した。
―――!
――蓮!
―蓮!!
遠くで、皆の声がする。
(行かなきゃ、皆の、ところに…)
あれ、体が動かない。どうしよう、何だか、声が遠退いて……
そこで、蓮の意識は闇に飲まれた。
コナンは、必死に探しながらぎりっと唇を噛み締めた。口の端を血がつうっと伝い、白い雪を赤く染める。
「蓮!!蓮、何処だ!?」
何が名探偵だ。大切なやつを守れないで、あまつさえ見つけ出してやれなくて、何が名探偵だ!!
「何分だ!?あれから何分経った!?」
「確か…」
「11分50秒。雪崩が起こってから、もうすぐ12分経つわ…!」
哀の言葉に、全員が息を飲む。タイムリミットの15分まで、あと3分もないのか。成実は蓮の携帯に電話をかけた。先の爆発で携帯の通信基地は壊されてしまったが、ここならギリギリダムの方にある基地の範囲内になるはず…!
圏外、と表示されるディスプレイ。震える指で電話をかけつづけると、呼び出し音がなった。繋がった…!
「蓮くんの携帯に繋がったぞ!!」
皆は息を潜め、ただこの雪原のどこかで鳴っているであろう呼び出し音に耳をすます。―――聞こえた!
蘭はだっと音のする方へ駆け出した。雪の中に落ちていたのは、蓮の携帯。この近くにいるはずだと、皆で手分けして探し続ける。園子は二人の掻く雪が赤黒く染まるのを見て、息を飲んだ。
「二人とも!手から血が…!!」
「蓮君、どこにいるんだ蓮君!!」
「何で…!?どうしていないのよ!?」
二人には、手の痛みすらどうでも良かった。最愛の兄を、想い人を見つけるためなら、手なんて惜しくない。泣きそうな声で必死に呼び掛けながら、二人は流れる血もかまわずに雪を掻き分け続けた。
蓮は、雪の中で外から聞こえる声に、再び意識を取り戻した。
(ここだよ…成実さん、蘭…)
「しん、いち…っ」
「―――!!!!」
コナンは微かに聞こえた蓮の声に、ばっと顔をあげた。今、確かに蓮の声がした。そうだ、探偵団バッジで…!
だが、そこではたと気づく。あれは向こうが通信をONにしていなければ、眼鏡で居場所を探ることはできない。だが、それでも諦めきれない。コナンはめげずに呼び掛け続けた。
「蓮!!何処だ!?――蓮!!」
(お願いだ…スイッチをいれてくれ…!)
蓮は朧気な意識の中、必死に体を動かそうと試みた。だが、雪の重みも手伝って、体はそう簡単には動かせない。と、その時。指先に当たる固いものがあった。…探偵団バッジだ。
早く、知らせなきゃ…!
蓮は手の中の探偵団バッジをかちりと押した。
ピピッ
コナンの追跡眼鏡に、反応があった。いた!!と叫ぶと、コナンは蓮のもとへと駆けていき、必死に雪を掻き分ける。
(蓮…!!)
雪の中から、蓮の栗色の髪が現れた。そのまま雪を払うと、人形のような繊細な面差しが現れる。ビスクドールのようなと称される美貌は、今はぐったりと意識がなく、本当に人形のようだ。成実は蓮の体を抱き起こし、力の限り掻き抱いた。
「お願いだ…目を覚ましてくれ…!蓮君!――蓮!!」
蓮の長いまつげがふるりと揺れた。だらりと力なく垂れた腕がぴくっと動き、そっと成実の胸を押した。長い栗色のまつげがそっと開かれ、アクアマリン色の美しい瞳がこちらを映す。
「成実さん…」
へにゃりと頬笑む蓮に、蘭は飛び付くように抱きついた。成実も涙を浮かべて良かった…と呟く。子供たちもわらわら集まってきて、皆で良かったと安堵に胸を撫で下ろす。蓮はぎゅうぎゅう抱き締められながら、ついと視線を巡らせた。
(ありがとう…新一)
ふわりと花が咲くように微笑む蓮に、コナンは当たり前だろ、と呟いた。見上げた空は、清々しくどこまでも晴れ渡っていた。