瞳の中の暗殺者
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暫くして、風戸という心療科の医師が到着した。風戸は頭の傷に障るからと横になるように言うが、蓮はふるふると小さく頭を振った。診察してもらうのに、横になったままなのは何だか憚られたからだ。
「自分が誰だかわかりますか?」
「………………」
無言の蓮を気にした様子もなく、風戸は続けた。
「それでは、今日、何があったか覚えていますか?」
「…いえ…」
「アメリカの首都はどこですか?」
「ワシントン…」
「5×8はいくつですか?」
「40…」
「このボールペンの芯を出してください」
カチッ
白魚のような指がペン先をかちりと出す。
別室にうつされ、小五郎たちは蓮の症状を聞かされ、目を剥いた。
「逆行健忘!?」
「はい。実際の疾病や外傷によって、損傷が起こる前の事が思い出せなくなる記憶障害のひとつです。息子さんの場合、犯人に殴られたときに、脳に何らかの影響があったこと、目の前で佐藤刑事と蘭さんが撃たれたのを見て強い精神的ショックを受けたためと考えられます。」
小五郎は不安げに声をあげた。
「それで、息子の記憶は戻るんですか?」
「今の段階ではなんとも言えません。ただ、日常生活に必要な知識の点では、障害は認められませんでした」
「それじゃ、普通の生活は出来るんですね?」
英理の言葉に、風戸はこくりと頷いた。
「そうです。ですがとりあえず、何日か入院して様子を見てみましょう」
その言葉に、英理は安心したように息をつく。日常生活すらおくれないなんてそんなの不憫すぎる。これでまずは一安心か。あとは蘭と同じ病室にしてもらえるように、手配だけして…と頭のなかで算段をたてる。忙しいわね、と英理は心のなかでひとりごちた。
蓮の診察結果を知らされてから、腕を負傷した蘭の病室に目暮警部や小五郎たちがやって来た。事件について聞かせるようにと言う皆に、蘭は緊張したような顔をしながらも話始めた。
「蘭くん、あのとき何があったか、知っている限りでいい。教えてくれないか」
「…わかりました」
「無理に思い出さなくてもいいのよ?」
英理の言葉に、蘭は気丈に笑った。正直、パニック状態だったので、所々記憶が飛んでいる。それでも、言わなくては。
「大丈夫よ、お母さん。停電になったとき、懐中電灯を見つけて…その時蓮の声が、いきなり途切れて…そしたらいきなり誰かに撃たれたんです。途中で蓮が犯人の拳銃を叩き落としたけど、また撃ってきて…」
「いきなり途切れた?」
「はい。停電になるまで3人で壁を隔ててですけど、話していて。停電になったとき「大丈夫?」という声の途中で鈍い音と、どさって音がしたので…」
廊下に血痕が残されていて、それはいずれも蓮のものだった。ということは、蓮は廊下で殴られ、倒れたのか。
「犯人の顔は!?」
「いえ、暗かったですし、私は犯人に背を向けるようにして蓮を庇ったので、犯人の顔は…。…あ!でも、もしかしたら…」
犯人は執拗に蓮を狙っていた。しかも、自分が背を向けたとき、蓮は犯人と対峙するように立っていたのだ。一瞬でも顔を見ているかもしれない。まだ、断定はできないけれど。
そこまで考えて、蘭は口をつぐんだ。…記憶を失った蓮に、嫌なことを思い出させたくない。彼は責任感が強いから、自分が撃たれたことも、佐藤刑事のことも自分が守れなかったからだと責めているだろう。双子だから、考えていることくらいお互いすぐわかる。
皆言いたいことを察したのか、口をつぐんだ。記憶を失った事にすら、罪悪感に苛まれているようだった蓮。これ以上、あの心優しい青年を苦しめたくない。
園子は一人、蓮のそばに付き添っていた。静かに眠りにつく蓮の面差しは、ゾッとするほどに、人形のように美しかった。痛々しい包帯が、さらに肌の青白さを際立たせている。
俯く彼女の手に、ぱたぱたと涙が零れ落ちる。…園子にとって、蓮は蘭と同じくらい、大切な親友だったのだから。
『ごめんな、さい…っ』
怯えたような悲痛な表情が、頭からはなれない。大人びた彼のそんな表情は、初めてで…。そんな顔をさせてしまったことに、園子は少なからず後悔した。好きで記憶を無くしたわけではないのに。悪いのは、決して蓮ではないのに。
「…たとえ記憶が、戻らなくても…っあたしは一生、友達だからね…ぅ、っう…」
だから、早く、早く蘭のことも、みんなのことも思い出してよ…
いくら兄だからと言っても、蘭を泣かすなんて許さないんだから…と呟いて、園子は泣き笑いを浮かべた。
翌日、蘭は窓のそとを見ていい天気ねと呟いた。返事をしようかと逡巡する蓮をよそに、晴れやかに笑う。
「蓮、検査のあと、ちょっと外に出てみない?」
「あ…はい。」
同じ病室に移った蘭は、にこにこ微笑みながら明るく接してくれた。蓮もまだまだぎこちないが、双子ゆえ通じあうものがあるのか、比較的他の人よりも早く打ち解け始めていた。
検査を終え、蘭は蓮の車椅子を片手で押しながら外へとでた。途中で見舞いに来たコナンが代わって押してくれる。
「蘭ちゃん。コナンくん。どうもありがとう」
カチューシャをつけた元気な少女、体格のいい十円ハゲが特徴的な少年、そばかす顔の賢そうな少年、物静かでどこか大人びた栗色の髪の少女。そして、保護者なのか彼らを連れてきてくれた恰幅のいい初老の男性。
「私、吉田歩美!!灰原哀さんに、円谷光彦くん、そして小嶋元太くん。みんなコナンくんの友達で、蓮お兄さんと蘭お姉さんを心配してやって来たのよ!」
「ありがとう、みんな」
「ありがとう…。でも、ごめんね…まだ誰のことも思い出せないんだ…」
悲しげに微笑む蓮に、蘭は寄り添うように肩に手を置いて、ぽんぽんと慰める。子供たちは、そんな蓮に心配そうに声をあげる。
「そんな…信じられません!」
「あんなに遊んでくれたじゃねーか!」
困ったように微笑む蓮は、相も変わらず美しい。けれどその綺麗な笑顔が繊細な硝子の仮面のような、儚い作り物のようで、子供たちはしょぼんと肩を落とした。
「ワシのことも覚えとらんか?阿笠博士じゃ!ほれ、君の幼馴染で同級生の、工藤新一君家の隣に住んどる天才科学者じゃよ!!」
「くどう、しんいち…」
なんだろう。思い出せないけれど、心のどこかに引っ掛かる。
「…えっ?新一兄ちゃんのこと、覚えてるの!?」
「ぁ、ううん…わからない…。でも、なんだか、蘭ちゃんと同じで忘れてはいけない人だった気がするんだ…」
蓮はそういって儚げに笑った。早く思い出したくて堪らない。そんなもどかしげな表情に、コナンは複雑そうな顔で歯噛みした。
病室に戻った蓮はきょと、と目を瞬かせた。病室の机やら、乗りきれないものは床にまで大量に届いた手紙、花、プレゼント…。そっと手に取ってみると、日本語だけではなく、ロシア語、イタリア語、英語、スペイン語など、様々な国の言語でメッセージが寄せられている。
「おかえりなさい、二人とも。今しがた##NAME1##宛にお見舞いの品が届いたのよ」
「へ、へぇ…え?僕宛、ですか?」
よくよく見ると確かに宛名は自分宛だ。
(『愛してるよ』『私の天使』『俺の愛する人』…??ぼ、"僕"って一体どんな人だったんだ…?)
愛のメッセージ、というか、恋人宛のようなメッセージがこんなに山ほど…しかも日本人だけじゃなく外国人からも届くなんて、一体どんな繋がりを持っていたんだろう。…というか、なんでこんなに誑かしていたんだろう。自覚あったのかな?あれ、悪女みたいな人だったのか?
「あの、蘭ちゃん…君の知ってる"蓮"って人について、教えて…?」
「え?ふふっいいよ!いっぱい想い出話聞かせてあげる。…でも、その前にお昼寝しましょ?疲れた顔してるわ」
「…ありがとう…」
ベッドに横になる。英理は仲のよい双子にくすっと小さく笑った。毛布をかけてやりながら、さらりとその額にかかる髪を流してやる。
と、コト…と何者かが戸口に立つ気配がした。誰!?と叫んだコナンが一目散に部屋を飛び出していく。人混みに紛れてしまった怪しいやつに悔しげに悪態をつく。
考えろ。考えるんだ。
暗闇とはいえ、蓮が近づいてくる足音に無防備な訳がない。ましてや連続警察官殺人事件で気を張っていたというのに。ということは、初めから蓮の近くにいて犯行に及んだ…?頭を強く殴られたということは、犯人は蓮の外傷性逆行健忘か死を望んでいたことになる。
(間違いない。蓮はあのとき犯人の顔を見ているんだ!)
ようやく追い付いた小五郎は考え込んでいる様子のコナンに声をかけた。時々この少年の洞察力は侮れないものがある。
「どうした?コナン」
「おじさん!もしかしたら蓮兄ちゃん、佐藤さんと蘭姉ちゃんが撃たれたとき、犯人の顔見てるんじゃない?」
「何!?」
「だとしたら犯人は、蓮兄ちゃんの命を狙うかもしれないよ!!」
恐らく、もう既に近くまで、その魔の手は迫ってきている。そう確信してコナンは焦りを滲ませた。警察も協力して警護にはあたってくれるだろうが、それだけでは足りない。なんとしてでも、この手で守り抜かなければ。