はじまりの風は紅く
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
酒宴の席。上座には劉輝と秀麗が座り、各州牧やら高官やらの挨拶と盃を受けている。綾はそれを尻目に、くっと酒を流し込んだ。
「それにしても、すっかり王らしくなられましたな!」
「妻を持つと男は変わりますなぁ」
「最近では朝議でも積極的に発言されておるし、これも紅貴妃様のお陰ですな。閣下」
「えぇ。嬉しい限りです」
綾は非の打ち所のない笑顔の仮面を張り付けた。面倒臭い。こんなことより視察に行きたい。それでなくともやらねばならぬ案件は山ほど残っていると言うに…
(胡麻すりしてる暇があったら仕事を覚えろ、なんて言ってはいけないんだよなぁ…ふむ。貴族とは本当に面倒な生き物だ)
元第一公子であり、現在名門紅家の長子として生活する彼も十分貴族なのだが、中身はもののみごとに庶民派若様であった。
ついと上座へ視線をやれば、二人は白州州牧の挨拶を受けている時だった。
「紅貴妃は酒に弱い。代わりにこの杯は余が受けよう」
言うなり劉輝は杯を一気に飲み下した。白州州牧もにこやかに「お見事。恐れ入りました」と笑っている。
(…劉輝が秀麗への酒を代わりに…まさか、毒が?)
「閣下。如何なさいました?」
「あぁ、いえ…今宵は宴。酷く酔われる方もいらっしゃるでしょう。陶老子に薬の材料を揃えておくように言っておいてください。あと、私も調合をお手伝いしに行く、と」
「畏まりました」
綾はにこやかに部下へそう申し付けると、ちら、と上座へ視線をやり、すっと暗がりへ姿を消した。堂々と後宮へ忍び込めば、仮にこの毒酒騒ぎが大きくなったときにあらぬ疑いがかかるやもしれない。
人目を盗んで庭を通り、紅貴妃の部屋へと飛び込めば、ぐったりと寝台に倒れ伏す劉輝がいた。
「劉輝!」
「兄、上…」
「静蘭と秀麗もここにいたんだね。…静蘭。見立ては」
「はい、これは毒かと」
「やはりな」
「毒…!?っ、じゃああのとき…!」
「そうだ…狙われたのはそなただ」
秀麗ははっと息を飲んだ。すっかり兄が言った言葉が頭から抜けていた。「後宮は危険だ」と。あれはこういうことだったのか。
「分かってたならなんで飲むのよ!あんなお酒、捨てれば良かったじゃない!」
「酒宴の席で盃を拒否することは、とても非礼なことです」
悲鳴に似た秀麗の声に、静蘭は苦々しく顔を歪めて答える。綾は劉輝の胸元を楽にさせ、手布で汗をぬぐいながら瞳孔の開きやら何やらを確認しつつ冷静に答える。
「ましてや今のお前は貴妃だからね。あらぬ疑いをかける馬鹿もいるんだよ。男社会は変なときに形式を重んじてまったく非効率的な世の中だよねぇ。…この症状なら…大丈夫。毒の種類はわかった。今から薬を用意するから、待っていなさい」
「……すいません」
「何を謝るんだい?私の妹を守ってくれてありがとう、劉輝。でもお前も私の可愛い弟なんだから、それだけは忘れないでおくれ。…秀麗。劉輝のそばについていてくれるかい?静蘭はもう下がって良いだろう。なんなら薬の調合の手伝いに来ておくれ」
「はい」
流れるように立ち上がる兄と、それに付き従って下がる静蘭に、どっちが王だかわからないななんてぼんやりと思いながら、劉輝は小さく笑った。
きっと、綾兄上は私だから助けてくださったのだ。自惚れではなく、あの方が最愛だと豪語する者の中に…最愛の弟であれたから、あの美しい才人は手をさしのべてくれた。何だかんだ言いながら、昔から王に厳しくて弟妹に頗る甘い。
「大丈夫。綾兄上があぁ言っていたし、たいした毒では無いのだろう…これなら、朝まで寝ていれば具合もよくなる」
兄上は、昔から後宮の医務官顔負けの医術の腕があることで有名なんだぞ、と劉輝は苦笑した。本当に、何事にも一直線で努力を惜しまない人だった。
『末の可愛い弟を、きちんと治してあげたいのです。できれば、この先何があっても可愛い弟たちを守ってやれるように、助けてやれるように知識と技術がほしい』
知識と能力に関しては、公子の中で誰よりも貪欲にして傲慢。ちなみに、お願いします、なんて柔和な笑顔で流れるように頭を下げてはいるけれど、絶対によこせ。いや技術なんざぶんどってやる、なんて副音声が聞こえてくるくらいにはなかなかなジャイアニズムを先王からしっかり受け継いだ綾である。
まぁ、誰よりも熱心に、それこそ書庫に埋もれるようにして学び、葉先生という伝説の医者まで師につけて、切開から縫合まで臆することなく実践する綾を「是非ともうちに!!!!」と陶老子が熱望したなんて伝説も残ってたりする。
(あー…なんでも興味もったら一直線。たまにぶっとんだことまでやってのける兄様らしいわね)
秀麗は呆れたように頬をかいた。あのおっとりしながらも突然斜め上の方向に行動力を発揮したりする兄には、いつも驚かされている。余談だが、「家計が今月も赤字ね…」なんて話していた次の日から恒娥楼に、顔を見せないが二胡やら琵琶やら舞やら、どれをとっても天下一品の絶世の美姫が現れた。その正体が兄だと知ったときには本気で腰を抜かしてしまった。本人は「だってこの賃仕事凄く割りがいいんだよ**」なんてホケホケ笑っていたけれど。
(あんとき静蘭たちに隠し通すの中々大変だったのよね…今でも家計がピンチの時にああやって稼いできてくれるけど)
「闇は、嫌いだ」
「え?」
「闇のなかで一人は、嫌いなのだ」
劉輝はそっと瞳を閉じた。秀麗は静かに言葉の続きを待っている。
「昔、よく閉じ込められた。…暗い中に」
劉輝はぽつりぽつりと語り始めた。兄公子たちや実母である第六貴妃に折檻されていた事、そんな中でも、第一公子の綾と第二公子の清苑というふたりの兄がいてくれればそれで良かったこと。二人は勉学を教え、傷の手当てをして、時には兄公子たちを追い払ってくれたこと。
「秀麗、二胡を弾いてくれないか」
静かな後宮に、美しい二胡の音が響く。暫くして、かたりと部屋の戸が開いた。
「…寝てしまった?」
「兄様ったら、眠るの待ってたくせに…」
綾は秀麗のジト目に肩をすくめた。
「ふふっだって入りづらいだろう、あんな話されてたら。…はい、薬だよ。これは水。少々苦い薬だから口直しに水菓子を用意したよ。大丈夫そうなら汁だけでも飲ませてあげておくれ。秀麗、後は任せたよ」
さて、今回の一件の裏をとらないとね。
綾は可愛い可愛いと豪語する妹姫の頬をするりと撫でると、再び宵闇のなかに消えていった。