はじまりの風は紅く
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
綾は後宮へ秀麗を送ると、外朝へと戻った。
「閣下、茶州州尹の鄭補佐からお手紙です」
「わかりました」
「閣下、礼部から…」
「あぁ、その件なら先方と話はついていますよ。ご安心くださいとお伝えください」
執務机についたとたんに飛んでくる仕事仕事仕事仕事………さくさくさばきながら、綾はくるくる働く官吏たちを見て、小さく微笑んだ。
(今王に何かしてやれるのは私ではない。さて、秀麗たちを支えられるように頑張ろうかねぇ)
麗かな春の陽気。辺りは美しい桜が舞い、まるで雪のように幻想的にみせている。邵可、秀麗は、府庫で「藍楸瑛」と名乗る青年…劉輝とお茶をしていた。
劉輝は辺りをきょろきょろと見渡すと、不思議そうに小首をかしげる。
「今日は、綾兄う…いや!!綾彩相は来られないのか?」
「兄様?どうして?」
「いや、その…綾殿はそなたの兄上だと聞いたから……」
しどろもどろの劉輝に、秀麗は必死で笑いを誤魔化す。愛する兄とお茶がしたいと思うのは、どうやら自分だけではないらしい。
「兄様なら…今頃お仕事してらっしゃるんじゃないかしら。王様のお仕事を代わっていらっしゃるなんて話もあるし…今は相当忙しそうだから」
「うぐ…っ」
地味にダメージを受ける劉輝に、端からこそっと様子を見守っていた綾は目を丸くした。なんだ、悪いという自覚はあったのか。そっと気配を消しながら必要な本をとり、使い終わったものを返していく。
「秀麗は紅家の姫なのだろ?何故そのように菓子作りが上手なのだ。それに、その…」
「この手?」
秀麗は穏やかに微笑みながら、自分の手を見つめた。
「皹だらけではないか。姫君の手らしくない」
「これでも後宮に来て、だいぶ綺麗になったのよ。うちって貧乏でね」
「ぐ…」
ぐさぐさっと邵可と綾の胸に言葉が刺さる。もっと稼がなければ、今のままでは家の修繕で全て終わってしまう。…もっと内職を増やそう。綾は人知れずそう決意した。
「毎日毎日、たくさん働かなくちゃなんなくて…だから私の手は、お姫様みたいな白くてすべすべの手じゃないの。兄様は、よくこの手を働き者の美しい手だ、大好きな手だよと言ってくれるけどね。」
そっと目を閉じ、大好きな家族の顔を思い浮かべて、秀麗は続けた。
「でもね、良いと思ってる。父様と兄様、静蘭、私と四人で暮らしていくためだもの。これくらい良いの」
「か、閣下?」
「どうなさいました!?閣下!?」
「いえ…」
官吏たちは、廊下でさめざめと涙を流す綾の姿に暫し見惚れていたが、はっとして駆け寄ってきた。烟る様な長い睫毛が瞬く度、紅玉の双眸からは真珠のような涙が白い頬を伝い流れ落ちる。
現実を冷静にとらえてみれば妹の健気な発言に感動してさめざめと涙を流しているという、何とも言えない兄馬鹿な光景なのだが、この涙一つとっても絵になる男。官吏たちにはそんな阿呆な理由で泣いているなんて想像すらつくまい。
と、わらわら集まっておたおたしている廊下で、低く何処か色気のある声が聞こえてきた。…戸部尚書、黄奇人である。
「何をしている」
「……黄尚書」
ざっと人波が開き、奇人はすたすたと綾へ近寄る。綾はついと細い頤を持ち上げられ、優しく目元に手布をあてられる。
「お前たちはさっさと仕事にもどれ」
「は…っ」
黄尚書の声にばたばたと走り去る官吏たちをぼんやりと見送っていると、不意に体を浮遊感が襲い、驚く間もなく黄尚書に横抱きにされた。
「………へ?」
「さて、どういうことか教えてもらおうか」
「っいえ、大したことでは…あの、下ろしてください黄尚書…っ鳳珠様!」
「廊下のど真ん中でさめざめ泣いておきながら何でもないわけ無いだろうが。いいから来い。」
その日、朝廷のアイドルとも言える彩相閣下が黄尚書にお持ち帰りされたと噂が城中を駆け巡ったのは、また別のはなし。
――――――――――――――――――――――――
「兄様、あのね。折り入って許可がほしいことがあるんだけれど…」
「うん?なんだい?」
綾は珍しく執務室に訪ねてきた秀麗にこてんと小首を傾げた。秀麗は若干しかられるのを待つ子供のようにそわそわしながら、口を開く。
「王と一緒にお忍びで外出する事ってできるかしら?」
「…………え?」
あぁ、美人は驚いている顔をしていても美しいんだな、なんてすっとんきょうな事を考えながら、秀麗はぱかんと口を開いた綾を見つめた。それこそ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた綾は、はっと我に返ると、護衛に静蘭をつけるなら、という条件で了承した。
「私も仕事が終わったら影から見守りに行こうかねぇ…」
「ふふっもう、兄様ったら…静蘭がみていてくれるならきっと大丈夫よ」
井の中の蛙に外海を見せてやるんだから!と息巻く秀麗に、綾はふっと笑みをこぼした。