お見舞い騒動
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
吐く息が白く煙り、凍えるような風が頬を打つ。それは新年になってすぐのことだった────
「多分風邪ですね」
掛布をかけ直しながら、静蘭はそう言って息をついた。ぐったりと寝台に横たわり、困ったように力なく笑う綾は、ごめんね、と小さく謝った。
「秀麗が落ちそうになったものだから、思わず引き戻したら勢いで…」
視察から戻る途中で、悪戯をした寺子屋の子供 柳晋を怒って追いかける秀麗に出くわした。柳晋は橋の欄干からひょいと川沿いの木に飛び移り、ここまでこれるか?との挑発に乗った秀麗が、同じく木に飛び移ろうとしたのだ。
『柳晋!危ないから降りなさい!』
『ここまで来れるか?秀麗先生』
『言ったわねぇ』
『っ!?やめなさい、秀麗!』
挑戦されて簡単に引き下がる秀麗ではない。知っているからこそ、綾は血の気がひいた。柳晋と同じく橋の手すりに足をかける秀麗に慌てて手を伸ばす。
『あ、ちょっと!やめなよ!先生には無理だよ』
『待ってなさいよぉ!』
『む、無理だってばぁ!』
秀麗の足が欄干からずるりと滑り、体が前に大きく傾いだ。秀麗の悲鳴と、柳晋のあぁ!!!という叫び声が響く。
綾は咄嗟に秀麗の襟首を引っ付かんで強く後ろにひいた。反動で、その細い体は冬の冷たい川へ吸い込まれていく。
『『兄様ぁあ!!!/綾兄ちゃぁあん!!!』』
バッシャーンと、雪の舞う貴陽の寒空に、派手な水音が響いたのだった。
「本当にごめんなさい、兄様…」
「ふふ、お前が無事ならいいんだよ。秀麗。でも、もう危ないことはしないでおくれ」
「はい…」
しゅんと項垂れる秀麗の頭を優しく撫で、綾はふわりと微笑む。ケホケホと小さく咳き込めば、静蘭はこら、と眉根を寄せた。
「喋らないでください。何か温かい飲み物と氷袋を作ってきますから」
「そうね。兄様、ちょっと待っててね」
その時、くるりと庖厨(だいどころ)のほうへと踵を返す二人の袖を、綾の白魚のような手が控えめに引いた。
「「!」」
「ぁ、ごめんなさい…ふふ、子供みたいだね…」
しっかりしなくては、と息をつく綾に、二人は顔を見合わせる。ぽやぽやしているようで、人一倍しっかりしているこの兄が、まるで子供のように甘えている。
はっきり言って物凄く可愛い。
「傍にいますから、眠ってください」
「そうよ。何かしてほしいことある?兄様」
二人は悶え転がる内心をおくびにも出さず、にっこりとそれはそれはいい笑顔で綾に向き直った。綾は、してほしいこと…とぼんやりと呟いて思案を巡らせる。
「秀麗の二胡が聞きたいな。…だめ?」
「お安いご用よ!」
今持ってくるわね!と秀麗はバタバタと部屋を出ていく。静蘭は手巾でそっと綾の汗をぬぐう。綾はホッとした様子でそっと目を閉じた。
「静蘭の手…冷たくて気持ちいい…」
思えば、綾は昔から身体が弱かった。
『にいたぁ♡』
『おやまぁ…またお見舞いに来てくれたのかな?ありがとう、秀麗』
寝台に臥す綾は、無邪気に笑って寝台によじ登る妹姫にそっと手を伸ばした。大好きな兄に抱き上げられ、満足そうにきゃっきゃと笑う秀麗は、寝台の上でころころと転がる。
『あぁ…!こら、そっちに行っては落ちてしまうよ!秀麗っ』
どたっと鈍い音がする。静蘭が慌てて部屋へと飛び込めば、寝台から落ちる秀麗を庇ったのだろう。床の上で寝転ぶ綾と、その上できゃっきゃと笑う秀麗がいた。
『……………何をしておられるのです、兄上』
『あ、はは…落ちちゃった…//』
恥ずかしそうに笑う顔は、妙に幼げで可愛らしい。艶やかな紫苑の髪が扇のように広がり、困ったようにはにかみながら此方を見上げる様は、どこか色を感じさせる。
静蘭は、どきりとした内心を誤魔化すように、不機嫌そうに眉をひそめた。そっと綾の上ではしゃぐ秀麗を抱き上げ、寝台に乗せる。
『まったく…綾様はご病気なのですから、見舞いでころころ転がらないでください』
『ふふっまだ幼い子にそんなこと…っひゃあ!?』
突然抱き上げた綾は、驚きに身を固くした。
『び、吃驚させないでおくれ…心の臓が止まるかと…』
『申し訳ありません。ですが、貴方様もお熱がおありなのですから、大人しくなさってください。何度目ですか、寝台から落ちるのは』
『だ、だって…』
『おや、邪魔したかぇ?』
飄飄とした声音についと視線をやれば、綾に負けず劣らずの絶世の美女がニヤニヤと笑って立っていた。綾と秀麗の母───薔薇姫、その人である。
『奥様、お薬湯は?』
『おぉ!持ってきたぞ』
『ありがとうございます。母様』
寝台にそっと降ろされた綾は、華のような笑みを浮かべて薬湯を受け取った。息子が可愛くて仕方がない薔薇姫は、これまたにんまりと満足そうに笑いながら、綾のすべらかな頬を撫でる。
ついで、にしても、と薔薇姫は一つ息をつくと、むにっと静蘭の頬を摘んだ。仏頂面はやめろと言っているというのに、この少年はどうしてこうもにこりともしないのか。
『せっかく可愛い顔をしておるのに勿体無い』
『笑おうが笑うまいが私の勝手です。何が変わるわけでも無いでしょう』
『そうか?少なくとも、秀麗が勝手に寝台を抜け出したり、綾が寝台から転げ落ちることは無くなるは思うがな』
『え』
薬湯を飲み終え、妹姫を抱いてあやしていた綾は、急に己に向いた話の矛先に、思わず目を丸くした。
『なんじゃ。バレていないとでも思っていたのかぇ?受け身が上達しておるのはわかったが、秀麗に甘すぎるのも問題じゃぞ?』
『う…っ』
昔から弟妹が可愛くて可愛くて仕方がない故に、甘やかしてしまう節があることは自覚していた。特に秀麗は、綾にとって初めての"妹"であり、自分の事を無邪気に笑って慕ってくるのが可愛くて仕方がないのだ。
『せいらぁー!にこっして!にこぉーー』
『ふふっ、にこっだって。私も笑った顔が見たいなぁ………ダメ?』
ほら、にこっと♡なんて言いながら微笑む綾は、百点満点の可憐な笑顔である。静蘭はうっかり頷きかけ、いやいやまてまてと正気に戻った。
今この状況で、笑えと言われて笑える気がしない。恥ずかしすぎるだろう。まして、相手は自分が幼少の頃よりずっと想いを寄せている相手で。
『ほれ、早うしてやらぬか。最低一日一回笑顔と命令したではないか』
『あれれ?もう笑顔の時間かい?それじゃ私も』
ひょっこりと顔をだした邵可も、どっこいしょと寝台に腰掛け、一家全員がキラキラとした純粋な笑顔で静蘭を見つめる。
『…そ…そんなに見られていては笑えません』
"笑顔の幸せ家族"を体現したような、にっこり笑顔の四人に見つめられ、静蘭はがっくりと項垂れたのだった。
1/1ページ