黄金の約束
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夜も更けてきた頃。綾と秀麗は、黄家本邸の客間で劉輝たちをもてなしていた。
「もう…何だってこんな時間に、人様の家でご飯作らなくちゃいけないの」
「まぁまぁ。こんなに大人数になるとは思わなかったからねぇ」
おっとり微笑む兄に、秀麗はなにも言えなくなった。秀麗以上に、曜春と翔琳の分の夕飯を作り、この家の若様の分の夕飯を作り、ついでに請われて傍に侍ったりなんだりと気を使っていたのは兄だ。
自分より何倍も動いてる人間が気にしていないのなら、自分は何も言えまい。いや、それよりもだ。なんで劉輝たちがここにいるんだ。
「ちゃんと文は出したぞ?今日ご飯食べに行くと」
「私は聞いてないの」
「……秀麗は余に会えて嬉しくないのか?」
まるで拗ねた幼子のように唇を尖らせる。すっかりぶーたれた様子の劉輝に、秀麗ははたと目を瞠った。
そう言えば、もう暫く会っていなかったのか。度々送られてくる妙ちくりんな文やら贈り物やらのせいで、そんなことすっかり忘れていた。
「本人に会えて、まぁ嬉しいわ」
「!」
劉輝は、文読んでくれたか?と誉められた子犬のように目を輝かせる。一部始終を見守っていた男たちはその様子においおいと目を伏せる。
(((チョロすぎるぞこの王……)))
(((というか今嬉しいの前に「まぁ」ってつきましたけど「まぁ」って)))
王。それでいいのか王。
傍目から見ていれば、完全に主人と飼い犬である。
「文、ちゃんと読んでるわよ。でもあんたね…あんな高級な料紙に一行だけ"今日は雨だから池の鯉が元気だった"って何よあれ」
「楸瑛が、文はまめに書けば書くほどいいって言うから…」
(大事なのは中身ですよ)
これには流石の楸瑛も呆れ顔で頬杖をついた。愛の言葉なら兎も角、池の鯉が元気だった報告を聞いて喜ぶ女人がいるものか。逆にどうしろと。
劉輝はそわそわと贈り物はどうだった?と目を輝かせた。兄に聞いても笑顔ではぐらかされ、秀麗からは梨の礫。考えに考え抜いた末の、粋な贈り物だったと思うのだが。
「氷は?今年の夏は暑かったろう」
「かき氷にして子供たちと食べたわ。涼しかったし、美味しかった」
「卵は?茹でたのが好きだと言っていたから」
「近所の人たちと美味しくいただいたわ」
「赤い花は?綺麗だっただろう」
「えぇ。押し花にして本の間に挟ませてもらってる」
「藁人形は?」
「部屋に飾ってある」
えっ何この会話。燕青は思わず隣の静蘭と綾を凝視した。藁人形ってあの藁人形か?完全に嫌がらせの産物じゃないのか。あと赤い花ってもしかして、大量に押し花にしてあったあの彼岸花?
綾は恥ずかしそうに俯いて袖口で顔を隠し、静蘭は呆れたように息をついている。本当に、中途半端に純粋無垢で世間知らずに育ってしまったものだ。もっと教育しておけば良かった。
何が困るって、劉輝自身は藁人形もスケールの大きすぎる贈り物も、どちらも心のそこからいいと思ってやっているのだから。
「実は、今日も贈り物を持ってきたのだ」
劉輝はそう言うと、服の袂から一枝の桜を取り出した。苗木は明日にも届くだろうが、枝だけでも先にと持ってきたのだ。前に、庭の桜が咲かなくなったと言っていたから。
「――――ありがとう。嬉しいわ。今までで一番」
そう言って穏やかに笑う秀麗の頬を、透明な滴が流れ落ちていく。苗木を植えて、いつか綺麗な花を咲かせてみせる。
『うちの桜は、もう咲かないの』
あの王位争いの時から、我が家の庭は時が止まったような有り様だ。桜は花を咲かせるのをやめ、果樹は実をつけず、池には魚の一匹もいない。
(秀麗…)
劉輝の手が、秀麗の頬に添えられる。劉輝は、誰が止める間もなく流れるように唇を重ねた。ぴしりと場の空気が凍りつく。
(今…とんでもないことが起きたような…)
秀麗は拳を握りしめてぷるぷると震える。視界の端では、綾が宝玉のような瞳を見開いて固まっているのが見える。兄様ごめん。でも私この男を殴らないと気がすまないわ。
「劉輝!」
「なんだ?」
「大人しく殴られなさいッッ!!!」
飛んできた拳をひらりとかわし、劉輝は心底意味がわからぬとばかりに首をかしげた。そのままぎゃんぎゃん言い合いを展開する二人に、絳攸と楸瑛はやれやれと肩を落とす。相変わらずか、この二人は。
燕青は、困ったように柳眉を下げる綾にそっと耳打ちした。綾の隣の静蘭は、何でもない顔でしれっと茶を飲んでいる。
「綾様いいの?あれはおにーちゃんとして…。姫さんに手ェ出されてるけど」
「うーん…桜の贈り物に免じて許してあげようかなって。きっとこれで、秀麗は庭をみても泣かなくなるだろうから…。で、でも」
人前で口づけを交わすのは、やはりダメだと思うのだけど…///
ぷしゅう…と音がしそうな程に赤面して項垂れるのが、実に可愛らしい。
色恋なんて完全に興味の対象外。純粋無垢で恥じらい深いこの方には、人前での口づけは刺激が強かったらしい。
(((俺が/私が全力で護らなくては)))
それは完全に二人の世界な劉輝と秀麗以外の全員の心が一つになった瞬間だった。なんだこの可愛すぎる28歳は。反応が完全に生娘な少女のそれだ。
「主上には後で灸を据えておきます」
「そうだねぇ。手が早いことが、女人にとって最も良いとは限らないし」
「あ。ついでに文と贈り物の件についても訂正お願いします、藍将軍」
国のお金を湯水のように、それもこんな事に使うなんて…そもそも贈り物に何を贈ったらいいのかもわからぬような阿呆に育ってしまったなんて、と綾がさめざめ涙を流していたこの問題。
さくっと解決と軌道修正を図ってもらおうと、静蘭は楸瑛に丸投げした。丸投げされた楸瑛は、頬をひきつらせつつ##NAME1##様のためならと漸々頷く。
(まぁ、主上は女性に慣れていないんじゃなくて、"恋"に慣れていないだけだから、なんとかなるとは思うけど)
なんで恋愛初心者ながら、難易度の高い相手を選んでしまったのか。まぁ好きになってしまったものは仕方がないのだけれど。
観念しなさい!!!とギリギリと帯を締め上げられ、潰れた蛙のような声を出す劉輝に、前途多難だなと楸瑛はひっそりと肩を落とした。
翌朝、綾たちは黄本邸の前で、王宮へ帰る劉輝たちを見送っていた。
「いい?劉輝。ちゃんと王宮で大人しくしてるのよ?」
兄様には絶対迷惑かけないこと!と念押しする。まるで幼子を諭す母親である。寂しそうな顔でこくりと首肯く劉輝と、困ったように笑いながらそのやり取りを見守る綾に、全員が思った。綾に迷惑をかけないように…とは言うものの、既にだいぶ手遅れである。
絳攸は秀麗の前へと進み出た。何事か口を開く前に、ついと綾に視線を投げる。綾も意を汲んだ様子で、ふっと優しく微笑んで頷いた。
「秀麗。国試を受ける気はあるか?」
「えっ?」
秀麗は思いがけない言葉に、はたと目を瞠った。国試を受ける気があるか、だと?
絳攸は静かに言葉を続けた。劉輝と絳攸は、今年中に国試の女人受験を通す気でいる。だが、仮に受かったとしても朝廷は完全なる男社会。道は想像を遥かに越える厳しいものになるだろう。
ろくな仕事も与えられず、意見は無視され、嘲笑や罵倒の的にされる。きっと、文字通り"一人で"頑張らねばならないだろう。
「それでもお前は、国試を受けるか?」
絳攸の言葉に、秀麗はそっと目を伏せた。絳攸が危惧するように、きっとその道は酷く険しく孤独なものになるだろう。
綾の手を借りることは勿論、絳攸たちを頼ることは絶対に許されない。「女だから」と蔑まれることだって多いはずだ。だが、それでも朝廷(そこ)は、自分にとっては夢を実現する為の大事な、上がらなくてはならない舞台であって。
何より、この国を「女に生まれてこなければ」と後悔するような国にはしたくない。
「やります。やらせてください。官吏になりたいんです!」
毅然と言い切った秀麗に、絳攸はふっと目元を和らげた。上出来だ。綾が目をかける理由もわかる気がする。ご指導よろしくお願いします!!と頭を深々と下げた秀麗に絳攸は満足げに頷いた。
その日の昼下がり。綾たちは邵可を連れ、一家で母の墓に手を合わせていた。
「見ててね、母様。私、頑張るから」
秀麗の覚悟を示す言葉に、綾は静かに目を伏せている。朝廷で求められるのは仕事ができるかどうかだ。性別などどうでもいい。ましてや国を思う気持ちに、男も女も関係ない。
それでも、それをわかっていない馬鹿どもというものは、一定数いるわけで。この国の「男中心でまわる」という悪しき伝統が、保守派のそういった思考に拍車をかけているのも一因だろう。
(私は、未来ある若者たちの為に、道を切り開かなくては)
どれだけ険しい茨の道であろうとも、まずは道をつくってやらねば話は進まない。よく無謀にも「道は自分で創るもの」とか言い出すやつがいるが、ことこの政に関してはそれほど甘い話ではない。そこは、「上に立つ者」の仕事である。
墓参りがすむと、旅支度をした燕青はわしわしと綾と秀麗の頭を撫でた。
「じゃあな、綾様、姫さん。お別れだ」
綾は子供のようにくすくす笑うと、また行き倒れるならうちの前にしたらいい、と微笑んだ。それだけは勘弁してくれ、と静蘭が後ろで肩を落とす。これには思わず燕青も目を眇めた。
友達だってのになんてやつだ。まぁ、それに引きかえ綾と秀麗は本当にお人好しというか、絵にかいたようないい人なのだけれど。
「姫さんが、うちの上官になってくれたら面白いんだけどな」
「え?」
「なんでもねぇよ。そんなことより、国試頑張れよ」
言われるまでもないわ!と秀麗は拳を握りしめた。待てば海路の日和ありって言うけれど、本当に待ちに待った機会なのだから。
「だな。んじゃ、##NAME1##様も姫さんも静蘭も元気でな」
ひらひらと軽く手を振り、燕青は茶州へ向かうべく去っていく。
この夏の終わり、朝廷で一つの議案が可決された。国試女人受験制である。彩相と並ぶ官位…宰相。その次期宰相候補と目される吏部尚書と戸部尚書が賛同したことで、多くの反対意見を押しきっての可決であった。
「綾殿。…ふっ憂い顔で何をお考えかな?」
「――――霄太子」
誰もいない彩相の執務室。月を見上げていた綾は、いつの間にやら部屋に入り込んでいた"青年"をみやり、柳眉を寄せた。
「何の用です」
「そう邪険にしてくれるな。月を見上げて物想いに耽る麗人に、目の保養だと思わず声をかけてしまったまで」
「お生憎様ですが、私は貴方の癒しとなるために此処にいるのではありません」
つんと言い切ってそっぽを向く。気が強いところも、惚れた欲目か可愛らしいとしか思えない。大抵のことは何でも思い通りに進めてきた霄太子にとって、長い長い紫仙としての生で唯一思い通りにならぬ存在がこの綾という青年で。心底嫌がっている綾には申し訳ないが、面白くて堪らない。
茶 鴛洵をして「今時寺子屋の子供でもやらんぞこの馬鹿め」と言わしめた男である。恋愛面にはからっきしの綾だが、それ以上にこの霄という男は不器用かつポンコツであった。
「貴方が来るとろくなことがないのです。…ただでさえ、これからまた一波乱ありそうだというのに」
「つれないな。まぁ…綾殿の予見は外れん。私が来ようと来まいと、一波乱起きることに変わりはないんだろう?」
綾は霄太子の言葉に小さく鼻をならした。あぁ、やることが山積みだ。こんなに残業しても、明日もまたさばかなければならぬ案件が、根回ししなくてはいけない事項が待っている。なんだってこんな時間に狸の話し相手なんぞしなくてはならないのか。余計に体力を使ってしまうではないか。
「帰るのか?」
「当たり前です。ここは私の家じゃありません。敬愛する父と可愛い弟妹の顔を見るのが一番癒されますし」
帰り支度を始める綾に、気を悪くする様子もなくにやにやと笑う。
「愛している」
「狸に化かされる気はありませんよ」
相も変わらずつれない綾の返事に、霄太子の笑みが深まる。なにより、誰に対しても穏和なこの青年が、自分に対してだけはこんな風に態度を変えるのが嬉しくて堪らない。呆れでも怒りでもいい。自分が綾の唯一であるのなら、それだけで。
「送っていこうか」
「結構です。では、おやすみなさいませ」
くるりと衣の裾を翻し、綾の姿が夜闇に消えていく。苛烈で芯の強い、しかし華奢で儚げなその背を愛おしそうに見送った霄太子は、文字通り闇に溶けるようにして姿を消した。