黄金の約束
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粛々と行われる朝議。滔々と行われる報告を聞きながら、綾はぱらりと扇を開く。
あれはあっちの部署に任せて、その案件は出来上がったのなら向こうにまわして…さて、今日も今日とて仕事が忙しくなりそうだ。
そんな兄の様子を気にもとめず、劉輝は愛しい少女を思い浮かべていた。春に後宮を出ていったっきり、文にも贈り物にも返事が来ない。嗚呼、今は一体どうしているのやら。
秀麗…秀麗…!
「最後に余から一つ聞いてほしいことがあるのだ。国試に関してなのだが―――」
まさか、と綾は瞠目した。余計なことを言わないでくれ。まだあの草案は不完全だ。この男性社会で女人の国試受験はそう簡単には受け入れられないだろう。
それに必要な根回しと準備がまだすんでいないのに……!!!!
「次の国試から、女人を受け入れようと思う!」
国試の女人受験、これを導入したい!!!
「女人…受験?」
「これは…なんの冗談ですかな?」
唖然とする官吏たち。黄尚書はさっさと衣の裾を翻して出ていった。え?え?とアホ面を晒しておろおろする弟に、綾は疲れたように深く息をつく。
「あ、兄上ぇ…」
「お黙りなさい馬鹿たれ」
ギロリと劉輝を睨み付ける綾は、なまじ怒っていても美しいだけに恐ろしい。完全に兄としての顔になっているが、そこは付き合いの長い官吏たち。誰も動じることはない。
……………迫力に気圧されて劉輝共々動けないだけなのかもしれないが。
「静かになさい。陛下の仰有った草案に関しては、後程詳しいことを彩省で伺い、形になり次第審議することとしましょう」
これにて本日の朝議は終了とします!
彩相の執務室に戻った綾は、椅子に深く腰かけてぐったりと力を抜いた。
「閣下!」
「…少し、疲れてしまいまして」
颯爽とお茶を…と茶器を差し出してくる部下に短く礼を言って受け取った綾は、嘗て大切な妹に言われた言葉を思いだした。
『どうして町の人がこんなに苦しまなきゃいけないの?みんななんにも悪いことしてないのに。お役人は私たちを守ってくれる筈の人なんでしょ?どうして助けてくれないの?』
兄様しか私たちのことを"人として"見てくれないのは…どうして?
「女人は官吏になれない、か…」
己も嘗て散々言われた。公子は官吏になれない。顔で、体で、血縁で成り上がったのではないかと。疚しいことなど何もない。
「皆さんは、陛下の仰有った女人の国試受験についてどう思いますか?」
ぐるりと部下の顔を見回して、一人一人に意見を求める。ここ彩省は実力主義の少数精鋭揃い。…信頼のおけるものたちだ。
「はい。…僭越ながら、私は賛成です」
「実は、私も」
「私も、有能な人間が来てくれるのなら男も女も関係ありません」
「正直男だろうとボンクラの使えないやつは使えませんからね」
「ふふ、さすが私の元で働いてくださっているだけありますね」
綾は官吏たちの言葉にホッとしたように頬を緩めた。続いてくる「だが彼処で完成してもいない案を根回しもせずにぽんと出してくる国王は愚か極まりない」という言葉には苦笑を禁じ得なかったが。
「さて、あの件は李侍郎に任せましょう。彼はとても優秀ですから、王の尻を臆せず叩いてよい方向へ引っ張っていってくださるでしょう」
私たちも仕事にかかりましょうか。
((((…………縄でふん縛って引き回しそうな気がするのは私だけでしょうか???))))
絳攸の劉輝に対する態度を知っている者たちは、心のなかで独り言ちる。だがここにいるのは優秀な部下たち。ふわふわ微笑んでいる愛する上司に、余計なことは言わず、無言で頭を垂れるのだった。
夜のとばりが降りた庭。月明かりが雲間から差しこみ、所々を淡く照らしている。燕青は、紅邸の庭を独りふらふらと歩いていた。
「燕青」
燕青は不意にかけられた優しい声に肩を揺らした。見れば薄い夜着に身を包んだ無防備な格好の綾が、穏やかに微笑んで立っていた。
「今夜はお出掛けしないのかい?」
「あっりぃー…バレてた?」
「ふふっお見通しだよ」
ふわふわ微笑んでいる綾は幼げで可愛らしい。これで28かぁ…とまじまじとその姿を凝視した燕青は、思い出したようにぽつりと呟いた。
「…なぁ、綾様はなんで結婚しねーの?」
その見目で、それだけの地位で、しかもなんでもできるし性格もいい。そもそも28なんて結婚していてもおかしくない年だ。
現に引く手数多で、恋文や贈り物もわんさか届いたりしているのを知っている。なのに、なぜ?
「―――――私が、けっこん?」
綾はこてんと小首を傾げた。考えても見なかったらしく、ついと視線を巡らす。辿々しく紡がれた言葉は、彼の困惑をありありと表している。
やがて迷ったように漸々唇を開いた綾は、困ったように笑った。
「結婚なんて、したら…きっと取り上げられてしまうから…」
私が成したい事の為に必要な…大事なものを
燕青は僅かに瞠目した。この御仁は聡明であるがゆえに必死なのだ。周囲から多くを望まれるがゆえに、その期待に応えようと、声をあげる人々を守ろうと全力を尽くしている。
綾の能力は揺るぎなく、朝廷になくてはならないものになっている。だが、彼個人が守りたいものは二の次だ。皆、そ知らぬ顔であれもこれもと押し付ける。
その華奢な両肩に、一体どれだけのものがのし掛かっているのだろう。
「28にもなってと思うでしょう?」
でも、誰かと結婚したら…私はそのとき彩相でいられるかわからない。大切な人たちの未来を守っていくためのこの手に握るものを、伴侶の為に空けろと言われてしまうかもしれないのなら、まだ結婚なんかできない。
「それに、恋なんてどんなものだか…私は書物でしか知らないから。…ふふっ相手が理解のある方なら、バリバリ仕事をしていてもいいのかもしれないけどねぇ」
「…そーだな。綾様仕事人間だもんなぁ。"俺と仕事どっちが大事なのよ"とか聞くような奴には勿体無いな」
「ふふっいつも思うのだけれど、それ、「貴方が大切だから貴方のためにお仕事してるんですよ」って考えは理解してもらえるのかな?」
かーっこいい~~
燕青は思わず口笛を吹いた。普段は深窓の姫君みたいなおっとりした御仁なのに、中身はこうも男前だ。これは惚れる。いや惚れてる。
("俺にしといたら?"って言うにはまだ早すぎるな)
恋を知らないこの人を困らせるべきではないと、燕青はふっと柔らかな笑みを浮かべた。
綾と別れ、庭に降り立った燕青の背後から冷たい地を這うような声がした。
「綾様と何を話していた」
(げ~~っ一番面倒なのに見つかったな)
静蘭を見つけた燕青は、酷くめんどくさそうな顔をした。己が仄かな思いを綾に寄せる以上に、この青年が苛烈な恋心を綾に寄せているのを知っている。
「あー、んー、まぁちょっとな。結婚観について?」
なんだそれはと言いたげな視線にヒラヒラと手を振り、暗にこの話は終わりだと告げる。静蘭は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「今夜は賊退治に行かないのか」
「……やっぱバレてた?」
「捕まった連中は口を揃えて「左頬に十字傷のあるを探してた」だ。お前が夜中に賊退治なんぞしてる理由に興味はないし、なんであんなやつらに追われているのかも知らないが…旦那様とお嬢様、特に綾様には絶対に迷惑をかけるな!」
(既に手遅れなんだよな~~)
ごめん綾様!と燕青は心のなかで手を合わせた。綾はここ最近、行き場のない白大将軍と宋太傅の鬱憤を晴らすために武術の手合わせに付き合わされている。
静蘭には内緒だよ?と悪戯っ子のように笑っていたのを思いだし、まだ上手く隠し通しているんだなとホッとする。
「お前ほんといいとこに拾ってもらえたんだなー」
脈絡のない言葉に静蘭は眉を跳ね上げた。黙って一瞥をくれる静蘭を気にすることなく、燕青は続けた。
「な、綾様の話だけどさ。四方上手く収まる話があるよな。お前も気がついてるだろ?お前と綾様が夫婦になればいーんだもんな!」
綾様恋愛経験無いだろ~、と燕青はからから笑う。恐らく綾も秀麗も無意識に考えないようにしてんだろう。
恋愛すれば結婚は自然とついてくる。そうすると官吏を続けるのは難しいと思っている。それに綾自身が背負う「名」が大きすぎるのだ。
"稀代の彩相""紅家長子""元第一公子"……これだけのものを背負う彼は、その身自体が政の交渉材料ともなりうる。下手な家に嫁いで家の権威を持ち上げてしまうより、のらりくらりと交わしている方がいいと判断したんだろう。
「姫さんも、恋愛より国試の勉強の方が重大なんて見上げたもんだ。其処らの男どもよりよっぽど気骨があるよなぁ」
それに、傍にはお前がいるし。まぁ二人とも、下手な男にゃ注意は向かねーわな。
「戸部で毎日一緒に働いてよくわかったよ。姫さん、本当一生懸命なんだわ。今も黄尚書からもらった「宿題」を嬉しそうに読んでる」
綾様は綾様でその夢を守るためにいつだって全力だ。いや、もしかしたら、かの人が考える「民草のために必要なもの」に、かの少女の夢が含まれているだけなのかもしれない。
「お前と結婚すりゃあ、綾様の守りたいもんはみーんな守れるんだぜ。姫さんはずっとこのまま官吏になる夢を見ながら勉強を続けられるお前だって綾様の他に好きな奴なんていないだろ?見てりゃわかるって」
「………………………燕青………」
「いやー、綾様ほんといい嫁だし。捕まえとくなら今のうちだぞ?大体性格悪いお前が、好いて一緒にいたいと思う人なんてそうそういないだろ」
「………だまれ」
米搗き飛蝗が調子に乗りやがってと静蘭は内心舌打ちした。自分と結婚すればすべて丸く収まる?あぁそうだろう。だがあの恋すら知らない純粋無垢な御仁を困らせることは得策ではない。
それもこれもすべて分かってて言ってるのが、更に腹が立つ。
「…やはり明日白大将軍にお前の所業を報告する」
「あっごめん!!!もう言いません!!!!」
「遅い」
「静蘭~~~~」
静蘭はギロリと一睨みすると、綾の部屋の方へと歩いていく。
(まぁ俺も、諦める気はさらさらないんだけど)
背中押しといてごめんなー、と遠退く背中に向けて燕青は苦笑ぎみに呟いた。