黄金の約束
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話は戻って数時間前。
秀麗は戸部でくるくると駒鳥のように動き回っていた。
戸部で働きだして十日…戸部尚書の人使いの荒さは、今まで働いてきた中でも間違いなく最高級。新人もベテランも分け隔てなく働きづめだ。だが、見事なのは仕事の采配。
(一見無茶に思える量でも、一生懸命働いたらなんとかできちゃうのよね)
その人の能力のギリギリを見極めている、兄と同じ人間だ。
秀麗は書簡や本、巻物の小箱などをもって部屋を飛び出した。府庫と鴻臚寺へ行かなくては。だが、これじゃ侍僮や新人ならいざ知らず、自尊心の高い官吏は辞めたくなっても不思議じゃないわね。
「まして、命令を下すのはあんな仮面の男だしな」
「燕青…たしかに、年齢、顔、声共に不詳だわね。あの仮面じゃ」
「なんでも黄尚書が人前で仮面を外すことは絶対ないらしいぜ」
燕青の言葉に秀麗は脱力した。突っ込めない気持ちもわかるが、どうなんだそれは…
「なんか顔のせいで女にフラれたらしいぜ」
「えぇ!??」
「俺も聞いた話だけどな。いまだ独身てのはたしかみたいだな。んで、今黄尚書の想い人は綾様だったりする、とか」
「はぁぁあ!??」
つっこみどころが多すぎて思考が追い付かない。いや、この際最愛の兄を想っていることは置いておこう。顔でフラれたってなんだ。それは可哀相すぎないだろうか。
「顔はどうしようもないじゃない!顔を理由に振る女も女よ!黄尚書、人使い荒いけどたぶん悪い人じゃないし、頭いいし地位もあるし、お金もあって奥さんになったら左団扇じゃないの!」
燕青は秀麗の言葉に呆れたように目を眇めた。最後のが本音だろ…。お金は大事よ!!と息巻く秀麗に、思わず笑いが込み上げる。綾といい秀麗といい、この兄妹は不思議と人を笑顔にする才能がある。
ふっと視線をあげると、書簡を大事そうに抱えた綾が此方へと歩いてくるのを見つけた。綾もこちらに気がついた様子で、きょろきょろと辺りを見回して誰もいないことを確認すると、華の咲くような笑顔でぱたぱたと駆け寄ってきた。…大変に可愛らしい。
「頑張っているねぇ、秀。燕青。暑いけど無理はしていない?大丈夫かい?」
「それはこっちの台詞よ、兄様。最近帰るの遅いけど大丈夫なの?」
「そういや、最近はよく髪高く結ったまま帰ってくるよな。…綾様一体何してんの?」
二人の訝しげな視線に、綾は困ったように頬笑む。…実は…
「最近、羽林軍で賊退治をしているでしょう?でも、どなたかわからないのだけれど、賊を伸してふん縛って下さる方がいたみたいでねぇ。白大将軍と宋太傅が暴れたりないって欲求不満らしくて、仕事のあとにお相手を、ね」
「お、お相手!??」
どっちだ!?と秀麗と燕青は目を剥いた。手合わせか?手合わせなのか?それとも夜伽とかソッチ方面なのか?いや、どっちにしろ体が弱いのに何やってんだアンタ!!!!
「ちょ、ちょっと兄様??お相手って、……何の?」
「え?武芸の手合わせだよ?ふふっ他に何があるんだい?」
デスヨネー…
秀麗と燕青は己の心の汚れを呪った。こんなこの世の穢れなんて知らないような無垢な人が、閨の秘め事なんて知るわけもないだろう。一瞬でももしかして、なんて思ってしまったのは、この夏の暑さゆえに頭が沸いているのかもしれない。
「兄様、激しい運動は控えるように言われてるわよね?葉師に!」
「?うん。だから極力動かないようにいなすだけにしているんだ」
((どういうこと―――!??))
大将軍や宋太傅と手合わせをしているのに軽くいなすことができるだと?武芸の達人だと知ってはいたが、よもやここまでとは。綾は脱力した様子の二人に、ハッとしたように静蘭には内緒だよ?と付け加える。…確かに彼が知れば面倒なことになりそうだが。それにしても、思いもよらない方向で弊害が起きてしまっていたとは。
「今日はどうだろうねぇ」
まるで明日の天気でも考えているかのようにほけっと笑う綾に、賊をふん縛っている張本人の燕青は、心のなかで土下座した。
ところ変わって、その頃賊退治をしていた静蘭はというと。
「宋太傅!白大将軍!此方です!!!!」
「こいつらも茶州のお尋ね者ですよ」
猿轡を噛まされ、ご丁寧に縄で縛られている賊たち。宋太傅と白大将軍は鬼の形相でまたか!!!!と叫んだ。苛立ちに任せて槍を賊の足すれすれに振り下ろす。怯えたような声が聞こえるが、そんなことは気にしない。
「つまらん!!!!人の楽しみを邪魔するのはどこのどいつだ!!!!」
「そうですよ!!俺たちの先回りして賊を取っ捕まえるなんて余計なことをしやがって!!まったくふてぇ野郎だ!!!!」
世間を騒がす賊を取っ捕まえてくれるんだから、軍としては喜ぶべきはずなのだが、いかんせん暴れたい二人にはそんなことどうでもいいのである。
オラ!誰にやられたっ!?と賊を蹴っ飛ばす二人を見ながら、静蘭は無言でため息をついた。やはりこんな役目は燕青に押し付けて、自分が綾や秀麗のそばにいればよかった。品の無さがとても気が合いそうだし。
黒雲が立ち込め、ゴロゴロと低い音が木霊する。湿気を含んだ風が頬を撫で、土の匂いが濃くなってくる。突然の天候の変化に白大将軍は小さく舌打ちした。
「こりゃあ一雨くるな」
(綾様、お嬢様…)
あの二人は雷が苦手だ。特に綾は。綾の母である紅貴妃が亡くなったのはひどい雷の夜。そして、秀麗の母であり綾の義母となった薔薇姫も夏の雷の鳴り響く夜にこの世を去った。
誰よりも気丈に、すぐに立ち直って皆を励ましていた綾だが、その実心には深い傷をおっていたのだ。…無論、本人は弱いところを隠そうとしてしまうがゆえに、この秘密を知っているのはいまの家族しかいない。
「静蘭!てめぇなにボーッと突っ立ってやがる!カミナリ様にぶっ殺されてーのか!!」
「白大将軍」
来ねぇと無理矢理右羽林軍に籍入れるぞ、と脅す白大将軍…白 雷炎に、あ、すぐ行きますと静蘭は踵を返す。あまりにとりつく島のない間髪いれない返事に、雷炎は舌打ちした。なんとまぁ可愛いげのない…
「おい、静蘭。一回俺と飲み明かそうぜ。したら次の日には俺の軍に入りたくてしょーがなくなるからよ!」
「結構です」
「まさか左羽林軍か!??あんな年にひと言喋るかどーかわかんねぇ燿世みたいな奴つまんねーぞ!!!」
俺んとこなら損はさせねぇ!!!!と雷炎は吠えた。右羽林軍大将軍 白雷炎と、左羽林軍大将軍 黒 燿世。元々七家でも白家と黒家は代々武将の家柄で、ことあるごとに対抗意識を燃やしていた。
そしてお互いの性格も正反対である両大将軍は、その実かなりの似た者同士であるともいえる。…はっきり言ってはた迷惑な話である。
「左羽林軍にも右羽林軍にも入る予定はありません!」
「その腕で米蔵門番なんぞに埋もれてんのを見過ごせるかよ」
「見過ごしてください。私はこれで幸せなんです」
昔より、ずっとね
ざぁざぁとけたたましい音をたてて桶を引っくり返したような雨が降ってくる。昔からこんな日は、よく綾が傘をもって迎えに来てくれたものだ。
部屋に戻りましょうと微笑むかの麗人の、その背を越えてからは傘を持つのは自分の役目であったけれど、それすら嬉しくて。
今は、ただの兄弟であったときよりもずっと近くにいることができる。それだけで十分だ。
「…チッ。早く落ちろっての」
雷炎は面白くなさそうに顔を歪めた。綾といいこいつといい、どうしてこうも元公子というものは頑固一徹なのか。綾に関しては、恋文を送っても、武官に転向しないかと聞いても「もう少し上手に口説いてくださいな」なんて微笑んでのらりくらりとかわされている。
静蘭はちらと雷炎を一瞥した。白大将軍、と呼び掛ける声に、んん?と声が返ってくる。意趣返しとばかりに苛立ちにまかせて口を開いた。
「その髭剃ったらどうです?全然似合ってませんよ」
「!!!!」
「昔から童顔でしたが髭生やした位では隠せません。あきらめて受け入れたらどうですか」
「てめぇにだけは言われたかねぇッッ!!!!堂々と21なんてふかしこきやがる厚顔野郎が――――!!!!」
「人聞きの悪いこと言わないでください」
しれっと言ってそっぽを向く。フー!!!!と威嚇する野生の動物のような大将軍を尻目に、静蘭は止まない雨を見上げた。
(綾様は大丈夫だろうか…)