はじまりの風は紅く
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紅貴妃が誘拐され、国王が殺害されそうになったあの謀反から早一月。綾は雨の降る庭院で一人、傘もささずにぼけらっと突っ立っている末の弟を見つけた。
「傘もささないのかい」
「兄上…」
綾は傘を傾けた。末の弟は、恐る恐る顔をあげると泣きそうに顔を歪めた。懐かしいその顔に、綾は思わず苦笑する。あのときからこの子は全然変わっていないな。
「兄上は、私がお嫌いですか…?」
「兄として、劉輝のことは大好きだよ。可愛い可愛い末の弟だもの、愛しているのは変わらないさ。…だがね、一家臣として、今の国王はとるに足りないお方だと思っているのは否めないな」
「っ…」
「兄としてはね、お前がきちんと王様仕事を頑張っていれば、お茶くらいいつでもしてあげるよ。私だって可愛い弟とたまにはゆっくりしたいのだから」
甘えるなと、言っているわけではない。もろもろになって崩れそうなときは支えてやるし、甘えたければ胸くらいいつでも貸してどろどろに甘やかしてやる。…でも、それはきちんとやるべき事をやっていればの話。
「早く、絳攸や楸瑛殿と協力して一人前になっておくれ」
よしよし、と公子時代の時のように頭を撫でてやりながら、綾はふわりと微笑んだ。
「早いわねぇ。もう一月もたつのね」
するすると桃を剥きながら、秀麗はそう呟いた。綾は早いものだねぇなんてのんきに呟きながら剥かれた桃を食べやすく切って小皿に盛り付ける。静蘭はそんな二人を見ながらそっと主張してみた。
「…私も、もうこの部屋にいる意味はないんですけどね」
「ダメよ。二、三日で回復した私と違って静蘭は重症だったんだから、きっちり養生しないと」
「そうだよ。お前が運ばれてきたときは本当に心ノ臓が止まるかと思ったんだから。足だって下手なところを刺していたらもう二度と歩けない体になっていたかもしれないんだよ。」
二人の勢いに、静蘭は苦笑する他ない。想像していた以上に、二人に心配をかけていたらしい。特に綾に。
無理はしないでおくれ…?なんて可愛らしく小首を傾げ、しゅんと柳眉を下げる綾にほだされてはいと言ってみれば、なんとまぁ過保護なこと。まるで新婚夫婦のように甘く、役得な気はすれど気恥ずかしくてたまらない。
まぁ綾にしてみれば、甘やかしの自覚はないし公子時代と何ら変わっていないのだが、なるほどこれだけ気恥ずかしいことなのか。どうやら自分も市井にもまれて大分常識が身に付いてきたらしい。
「王様持ちの完全看護なんだからえんりょすることないし!」
「どうせ有給扱いなのだから、これを期にしっかり体を休めなさい」
「いや、そういう意味では…」
目の前にいるのは紅貴妃と彩相閣下のはずなのだが、言っていることがとても市井に染まりすぎている。笑顔の裏で静蘭は冷や汗をかいた。はい、と静蘭に兄から受け取った桃の小皿を差し出しつつ、秀麗は歌うように告げた。
「でも、そうね―――静蘭、兄様、明日家に帰りましょ?」
「お嬢様、よろしいんですか?」
「私にできることはもう何もないわ」
秀麗は寂しげに目を伏せた。
「主上が政をするようになった今、私が後宮にいる意味はないの。そらに…やっぱり私のいきる場所はここじゃないもの」
私の後宮での役目は終わったのよ、と秀麗はそっと目を閉じた。自分にできること、自分にしか出来ないこと。今回のことでそれがよくわかった。
「ね?塾も再開しなきゃだし、夏の宴に向けて侍女仕事も舞い込むだろうし、第一私がいなくなったら家はどうするのよ。私の後宮入りに合わせて兄様もお城に泊まり込みになっちゃったでしょう?これ以上私も兄様もいなかったら家のなか大変なことになっちゃうわ!」
「そうだねぇ。父様一人を屋敷に残してしまったから、ちょっと…大変なことになっているかもね…」
綾はいつぞや一度帰った時の屋敷の惨状を思い出して遠い目をした。憂い気な表情も絵になるがその頭のなかは「父が散らばした台所やら何やらをいかにして片付けるか」がしめている。いろいろ思案して、綾ははぁ…とため息をついた。
「でも、主上が寂しがりますね。どう伝えるつもりです?」
「もう伝えたわ。それがね、「そうか」としか言わないのよ。もうちょっと別れを惜しんでくれても良いと思わない?」
「…主上はその後庭院に降りませんでしたか?」
「へ?あぁそうね。なんかブツブツ言いながら…何なの?アレ」
((それは…彼の最深の落ち込み度だよ。秀麗…/です。お嬢様…))
静蘭と綾は劉輝を思って内心ちょっと涙した。なんと言うか、伝わらなすぎて切ない。こちらがやきもきさせられる。
(ん?ではあのとき傘もささずに雨のなか庭院でぼさっと突っ立っていたのは……そういうことか)
綾はあの時ちょっとばかりのフォローも入れなかった自分に後悔した。なるほど、落ち込んでた理由はそこか。
「ふふっ。でもきっとあの子も、内心とても寂しがっていると思うよ」
「…そうね、何となく知ってる。随分懐かれたと思うもの」
「秀麗も寂しいかい?」
「そうね、三月近く…なんだかんだ言って楽しかったし。―――でも、そうね。今度は本当の奥さんを迎えるべきよ。私なんかより美人で頭のいい本当のお姫様を…ね」
秀麗の顔に寂しさが過った。綾は秀麗の言葉に、無言で目を丸くする。
「お嬢様…(そんなことを気にして…?)」
「そしたらきっと男色家なんてふっとんであっという間にお世継ぎ問題も解決よ!国も安泰!言うことなし!」
さっきまでの切ない表情は何処へやら。それこそその辺にかなぐり捨てて、秀麗はぐっと拳を握った。
そのとき、珠翠が控えめに声をかけた。
「主上のお出ましです」
部屋に入る劉輝に完璧な拝礼をとる綾と、貴妃としての礼をとる秀麗。そして、寝台から体を起こす静蘭をぐるりと見渡し、劉輝はそれを押し止めさせた。
「そのままでよい」
劉輝はいつになく感情のはりつめたような表情で、たどたどしく切り出した。
「明日…帰るのだろう?その前に三人に聞いてほしくて…来たのだ。」
劉輝と秀麗は向かい合うように椅子に。綾は静蘭の寝台へと腰を下ろす。ポツリポツリと、劉輝は話始めた。
「――――私には、大好きだった兄がいた」
二人いた一番上の兄上の片割れと、二番目の兄上だった。いつもひとりぼっちだった私に、綾兄上と清苑兄上だけが優しかった。どこで泣いていても、兄上たちだけが私を探して見つけてくれた。
『劉輝、こんなところにいたのか?』
『ふふっ**さぁおいで。お部屋で新しい異国のお話を聞かせてあげよう』
「…私は、母が死んだときも他の兄がみんな死んでも…少しも悲しくなんてなかった。けれど、綾兄上と清苑兄上がいなくなってしまったときは胸がつぶれるほど悲しくて…私はあれから一日だって兄上のことを忘れたことはなかった。」
いつもいつも待っていた。兄上ならいつかきっと私を迎えに来てくれると信じていた。綾兄上には、府庫に行ったとき上から本が落ちてきて、それを偶々来ていた兄上が庇ってくれた時に再会したのだ。
其処で、兄上が紅家に養子として貰われていったこと、もう後宮へは帰ってこないことを教えられた。待っていても、綾兄上は帰っては来れなかったのだと。再会してからは、時たま府庫に来てくださって勉学を見てくださったり、お茶をしてくれた。けれど、兄上の冠位が上がると共に少しずつ、会える時間は減っていった。
清苑兄上のことも、待ち続けて…そんなことが無理だと知ってからは私が会いに行こうと思った。末の私一人消えてもどうってことはないし、元々いてもいなくてもいいような扱いだったしな。
「ずっと城を出て清苑兄上を探すときを待っていた。だから霄宰相から王にと言われたときは本当に頭に来た。あのくそじじい、私が王位につかなければ官職を辞すと言ったんだ…!」
『こんなところに私を閉じ込めるつもりか。お前が王になれば良いではないか!』
当時全く機能していない朝廷を必死に綾兄上が彩相としてもたせていた。それを、兄上と力を合わせてまとめて動かしていけるのは霄宰相だけだったと言うのに、王のために民を捨てると…言い切った!
『お前が王に…だと?そのような世迷言、本気で言っているのなら私は王など要らぬ!』
綾兄上が初めて私に本気で激昂したのは、その時だった。あの優しかった甘い紅玉の瞳は苛烈に光り、手に持っていた扇で私を拒絶するように凪ぎ払った。体が弱いのを押して激務に身を投じていた兄上が、一番この国に新たな王がたつことを望んでいただろうに、「王など要らぬ」と。あの時は、分からなかった。いつも私を受け入れてくれた綾兄上が、何故そこまで怒り狂うのか。
「最後の最後には、邵可に頼まれて即位を承諾した。でも私は、たった一つの望みを諦めきれなかった…!」
もし私が王に相応しくないと判断されたら?次は誰が担ぎ出されるだろう?と思った。政を顧みない昏君。やがて誰かが叫ぶだろう。誰よりも優秀だった第一公子と第二公子――綾と清苑の名を
「それくらい、綾兄上と清苑兄上は私のすべてだったんだ。私はそなたを騙していた訳ではない。秀麗。私は本当に我が儘で、馬鹿な王だったのだ…!」
「劉輝…」
言いかけて、秀麗は視線をおとした。そっと劉輝のきつく握りしめられた手をとって、優しく言い聞かせる。
「もういいのよ。あなたはもう以前のあなたとは違う。そうでしょ?」
「秀麗…」
「お兄さんだってきっとわかってくれてるわよ」
二人の兄は、秀麗の言葉に優しく微笑んだ。
「貴方はきっといい王様になれるわ。ね?静蘭」
「えぇ」
「兄様もそう思うでしょう?」
秀麗の言葉に、綾はなにも言わずただ微笑んでいた。
優しく、晴れやかな笑顔で。