はじまりの風は紅く
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夜更けの後宮。朝廷随一の才人李 絳攸はぴたっと足を止めた。やばい。これは、まさか…
「くっ」
見取り図があるから油断していた――――
「どう考えてもおかしいだろうが!!この俺が見取り図通りに歩いてなんで迷う!!!この地図間違ってるんじゃないか!?」
絳攸は手に持っていた楸瑛作の見取り図をぐしゃりと握りつぶした。そもそも何度か綾に手を引かれるようにしてここが何の部屋で…と簡単に教えられたこともあるのだが、それでも分からないし見取り図通りに歩けもしない。
――そろそろ認めたらどうだい?君。自分が絶望的な方向音痴だということを
「楸瑛!?――幻聴か…」
あの常春頭め~~💢と怒り狂う絳攸。そもそも幻聴というものは思い込みである故、藍将軍に関しては風評被害というべき他ないのだが、そこはまるっと無視しておく。
そんな絳攸に、そっと声をかけるものがいた。後宮の女官たちだ。
「李 絳攸様。宜しければご案内しますが、どちらへ?」
「い、いや結構」
絳攸はぎこちなくいなすとさっさと歩き始めた。こそっと覗いていた女官たちはその後ろ姿に皆目をぎらつかせる。
(李侍郎よ)
(絳攸様)
(朝廷随一の才人と名高い)
(王から花を賜られたとか)
(将来有望!)
(若くて独身!)
………なんてたおやかな所作でしずしず歩いたりしながらも、肉食獣のように狙ってるなんて、初な羽林軍の武官やら下っぱ官吏達が見たら卒倒するだろう。
と、まぁ相変わらずぐるぐるぐるぐるずんずかずんずか進みながら、絳攸は苛立ったようにぎりっと歯噛みした。
―――十六歳で状元及第して最短距離の出世街道を突っ走ってきた君だ。一道を尋ねるのはプライドが許さないって?君はいつかその自尊心で遭難死を遂げるかもしれないねぇ
「うるさい!幻までムカツク男だ!」
大体室が多すぎるんだ!材木も無駄だ!人件費も無駄だ!俺が万一後宮管轄の内侍省に飛ばされることがあったら絶対に半分叩き壊して薪にして国中に無料配布してやる!絶対だ!
声を大にして言いたい。こんなにキレて叫んでいるこの男。これでも朝廷随一の才人であり、鋼の理性なんて吟われている男、李 絳攸である。鋼の理性だと慕っている官吏たちには見せられない光景である。
その時、女の声が聞こえてきた。一瞬幻聴かと舌打ちするも、今度はきちんと聞こえてきた口論に、絳攸は耳を済ました。声を頼りに室を特定すると、途切れた声に部屋に飛び込む。
「誰だ!」
中で倒れていたのは香鈴という秀麗付きの女官。すべてを察した絳攸は香鈴を抱き起こし、大声で叫んた。
「誰かいないか!紅貴妃の部屋を調べろ!!」
夜更け、陶老師と薬について話し込んでいた綾のもとに、紅貴妃が拐われたという報告が入った。
「なんと…っ。!綾様!お気を確かに!」
「…大丈夫です。ありがとう。皆さん、治療の準備をしてください。怪我と、そうですね。一応解毒の準備を」
くらりと綾の華奢な体が傾いだ。気を張りすぎたのやも知れない。ここ最近、秀麗の周りの害悪をはね除けるために尽力し、主上が政に手をつけ始めたとは言えまだまだな面が多いため、王の仕事も手直しやらなにやらしている。…元々体が弱いのに無理をしすぎたのだ。
そばに控えていた医務官が綾の体を支えた。それに短く礼を言いながら綾は次々と指示を飛ばす。一通り準備を終えた綾は紅貴妃の部屋へ医務官たちを配置し、自身は主上の執務室へと向かった。
陶老師はかつて…実をいうと今も弟子にと望んだかの公子を、切な気に見つめた。まるで今にも壊れそうになる自身から目を背けるように働くのは何故…
暗い屋敷のなか。静蘭は一人佇む茶大保に剣を突きつけた。怒気も露に、しかし静かに問いかける。
「お嬢様はどこだ?」
「やれやれ。お話だけでも聞いていただけないですかな?」
「何を聞けと?私はあなたが求めるものではない!」
「あなたを見ていると昔を思い出しますよ。清苑公子」
茶大保は懐かしむように目を細めた。静蘭は苛立ちにぎりっと奥歯を噛み締める。早く、早く秀麗を助け出さなくては。…これ以上##NAME1##に負担をかけないために。大切なものを失わないために。
茶大保はそんな静蘭に、いやににこりと微笑んだ。
――霄や宋とともに陛下のあとに従い、私はがむしゃらに上を目指していた。七家の中でも格下の茶家からのしあがってやろうと、ただそれだけを考えて先王陛下にお仕えしておりました。
「…それを貴方は成し遂げた。その地位も権力も揺るぎなく、今のあなたには紅藍両家さえ貴方に従うだろう。何故今さらこんなことをする必要がある」
賭けをしているのだと、その人は言った。最初で最後の命がけの賭けを。常に自分の前を行く霄太子を憎んだ。
「―――霄の上に。今の望みはそれだけです」
あれがどう動くか。私は彼を追い落とせるのか。それとも―――
「そのためにお嬢様を………っ」
「フム…紅貴妃に劉輝様があれほど入れ込んでしまわれたのは計算外だった。綾様があそこまで妹姫想いでいらっしゃるのも。まぁ仕方がありませんの。だが、そこに現れたのがあなただ」
かつての第一公子であり、誰よりも優秀で誰よりも美しい綾は、玉座にはつかぬとはっきり言った。その言葉通り、家臣として目覚ましい能力を開花させた綾は、今では朝廷にかけがえの無い人物となっている。
「私は清苑ではないと言っている!」
「その目など先王陛下のお若い頃にそっくりです。まぁこちらにとっては血の真偽などどうでもよいこと。劉輝様の風聞はあの通り。綾様も王座にはつかぬと宣言されておられる。かの優秀な公子が戻られたと知ったら皆喜んで王に戴くでしょう」
「馬鹿な!貴方はまた八年前の争いを繰り返すつもりか!!!」
「ご安心を。主上が亡くなられればよいのです。幸いあの方にはお子がいらっしゃらない。綾様もまたしかり。争いになどなりませんよ」
「…!!!何をした!?」
ダンッ
茶大保の顔の横に、静蘭は剣を突き立てた。
「言え!劉輝に何をした!?」
「相変わらず弟思いでいらっしゃる。ひとりぼっちの劉輝様を、貴方と綾様だけが心から可愛がっておられた。綾様はともかく、貴方はご自分と同じ境遇だったからですか?」
「違う…あれだけが私を慕ってくれたからだ。何の裏もなくただ純粋に。劉輝と兄上がいたから私は王宮で生きていけた!心の拠り所にしたのは私の方だ…!愛していたのは私の方だ!!!」
兄は、彼の母亡き後後宮を去った。兄のいない後宮であの子に愛されなかったら、この魔物の巣窟で心を守っていきることはできなかった。ひとりぼっちでうずくまっていた末の弟。私を愛してくれた幼い弟。
――兄上もいない後宮で、突然私がいなくなってあの子はどんな日々を過ごすのだろう!?
その事をどれだけ悔やんだことか
「言え!何をした!?」
「そう簡単には玉座についてはいただけぬようですな」
「…愚かだな、茶大保。お前の目も曇ったものだ」
朝廷はもう次の世代へ代替わりしようとしている。お前は時期を逸したんだ。藍 楸瑛も李 絳攸もすでに忠誠のありかを定め主を決めた。傀儡など王位につけたところで彼等は自分もろともお前を失墜させることにいささかの躊躇いもないだろう。
特に、かの気高く民思いで、誰よりも弟に甘い彩相は。
「そして何より私の末の弟は、お前が考えているほど愚かではない。そして私もお前が考えているほど従順ではないぞ。あの方もな」
「ならば…従順になっていただくまで!」
茶大保は香を凪ぎ払った。床に落ちたそれはもうもうと香を含んだ煙をあげ、静蘭は抵抗して何人か襲いかかる兇手を切り伏せるも、朦朧とする意識に膝をついた。
お嬢様…劉輝…
(兄上…っ)
ざくっ
太股に短剣を突き刺した。痛みに意識を奮い立たせ、抜いた刃を茶大保目掛けて投げつける。見事背後から胸を貫く短剣と、崩折れる静蘭。
その後音もなく部屋へと忍び込み、周囲の兇手たちを皆殺しにした者の正体を……その存在も分からぬままに、静蘭の意識は闇に飲まれた。