天狐の桜10
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かつて四国は、妖怪の宝庫であった。とりわけ狸妖怪たちにとっての楽園であったという。その数は人間の人口を遥かに上回っていた。
300年ほど前―――四国に伝わる妖怪譚
狸妖怪たちは勢いを増していき、やがて「慴」の旗のもとに組織を結成。人間の城を乗っ取ろうとした。
松山城にて待ち構えるのは、一万人のただの人間。対するは、人智を超えた神通力を持つ"隠神刑部狸"率いる妖怪軍団。勝敗は、火を見るよりも明らか………
だが、狸妖怪たちは殲滅せしめられた。人間側が持っていた一本の刀によって―――――
銘を"魔王の小槌" 「妖怪を滅ぼす力」を持つ刀―――
ゆらは人混みを掻き分けて走っていた。今まで、陰陽師として妖怪とは度々遭遇してきた。だが、今回は今までと感覚が違う。
この先に妖怪がいるのは確実。―――さっきまでは。
(なんで変わった?妖気がどんどん減っていってる――――)
大通りに出たとき、ゆらはあまりにおぞましい妖気に身を竦ませた。それを遠くから見ていたリオウは、ついと後ろの側近二人を振りかえる。
「―――犬神、黒羽丸。暫しここは任せる」
「どちらへ?」
「すぐ戻る。お前達はここにいろ」
リオウは桜吹雪と共にふわりと姿を消した。黒羽丸はリオウの視線の先を見て、合点がいったように目を細める。…あの陰陽師の娘か。
(花開院が憎い、と仰っていたが、本当にあの方は面倒見がよくていらっしゃる)
ゆらは次々と辺りの妖怪を皆殺しにしていく玉章の姿に、かたかたと足が震えるのを感じた。
(違う。妖気が減ってるんやない…死んでいく妖怪の気を、あの妖怪が…いや、あの刀が吸いとってるんや。そんな…あれは蠱術や…!)
なんで、そんな刀を妖怪が持っているんだ…!?
蠱―――蠱術の「蠱」とは、読んで字のごとく、一つの皿に多くの毒虫が混在している状態である。毒虫は生き残るために殺し合い、やがて一匹だけが生き残る。
その"一匹"には、死んでいった他の虫どもの"恨み"や"念"が籠り、呪われた生物"蠱毒"が造られる。その虫を使役し、人を暗殺などするのが蠱術の方法。
"犬神術"と同じように、もっとも原始的な…人が生んだ呪術の一つ――――…
あの刀はその蠱術のように、斬った者の血肉や恨みを力に変えている。蠱毒は…死んでいった恨みや憎しみを背負い、力に変えるもの。
(いやや…見えてまう。あの妖怪…)
一人で百鬼夜行を背負ってるかのようや―――――
一方リオウは、魔王の小槌の力を得て莫大な妖力を手にした玉章を―――否、魔王の小槌を見て、小さく舌打ちした。
「やはり術は解けたか。―――くたばり損ないの"亡霊"風情が」
苦悶の表情を浮かべた、かの刀に斬られた者たちの顔がゆらりと玉章の背後に見える。酷くおぞましい妖気。リオウはぐちゅぐちゅと濡れた音をたて、生き物のように形を変える刀にぎり、と奥歯を噛み締めた。
かの刀とは―――あの刀がかつてある人物の一部であった時からの因縁がある。此度の組に出た"裏切り者"といい、"魔王の小槌"といい…嗚呼、二と合間見えることはないと、そう願っていたものがこうして今目の前にあるなんて、運命とはなんて思い通りにはいかぬものか。
「花開院におぞましい刀、ついでに傲慢ちきな狸の小倅。…嫌なものが集まるときは本当に一同に会してくれるな」
私への嫌がらせか?とリオウは柳眉を寄せる。横に並んだリクオは、げんなりする様も麗しい兄にふっと笑った。こんなことを言えば十中八九機嫌を損ねそうだが、子供っぽくて可愛らしい。
「リクオ。私は彼処の陰陽少女を逃がすが…あれの相手を頼めるか」
「当然だ。…無理はするなよ」
「言われずとも渦中で倒れるようなへまはしない」
リオウはすらりと刀を抜いた。懐にするりと入り込むと、思い切り刃を叩き込む。
「"花開院"は憎いが、その直向きさは評価してやろう。―――小娘」
「お前は…天狐!?なんでここに!?」
魔王の小槌は、ぬちゅぬちゅと粘着質な音をたてながら、リオウに向かって触手を伸ばす。それがとある人物の下卑た笑みに重なり、リオウは嫌悪感も露に凪ぎ払った。
「小娘。ここは退くぞ」
「なっ!?い、嫌や!!!なんであんたにそんな指図されなあかんの!!!」
「……その脆弱な術式で、よもやあれに勝てると思っているのではあるまいな?」
リオウは問答無用でゆらの肩を抱き、跳躍した。入れ替わるようにリクオが玉章の面を切りつけ、刀を受け止める。
「玉章…それがテメェの百鬼夜行だってのかい」
「そうだよ…リクオ君。素敵だろう?僕の百鬼夜行は…」
「魑魅魍魎の主ってのは、骸を背負う輩のことじゃねーんだよ!!!」
(あれの嫁にされていたらと思うと、ゾッとする)
リオウは柳眉を寄せた。玉章のことは嫌いではない。が、あの刀は別だ。絶大な力は使用者の心を狂わせ、酷くおぞましい存在へと変えてしまう。
「お前は人間たちを逃がしてやれ。…我ら妖怪ではどうも怖がってしまうようなのでな」
「っ待て!!!天狐!!!私はあんたを―――」
「花開院の娘よ」
リオウは苦しそうに目を伏せた。ゆらは悪くない。これは本家でそう教育されてきたからだ。…そう、わかってはいるけれど、継承された天狐一族の凄惨な記憶が、リオウの身の裡を焼き焦がす。
「私を"保護"してなんとする?人間と番えと?言うことを聞かなければ一族を滅ぼしたあの時と同じように私や私の愛しい者を殺すのか……!!!」
憎い。憎い憎い憎い…
人間が憎い。恐ろしい。今まで自分達を守護してきた無抵抗な神を惨殺し、生き残りの自分すら執念深く追ってくる、その神を神とも思わぬ傲慢さが。
「え、つが…滅ぼしたって…花開院家が…?」
「頼む。お前達今を生きる子らに罪がないのはわかっている。これは先祖の咎だ。だが、私は今も…お前達が憎くて堪らぬ」
私に構うな。何も知らぬ人の子風情が、正義を振りかざすんじゃない。
拒絶の言葉に、ゆらは呆然と立ち尽くした。天狐は妖怪に滅ぼされたのではなかったのか?花開院が?人間と番えとはどういうことだ。
リオウは暫し逡巡したように繊手を彷徨わせていたが、恐る恐るといった様子でゆらの頭を撫でた。人型の時とは違い、今は天狐として対峙している。己を害する者と、本来の姿で合間見えることの、なんと恐ろしいことか。
「…まだ未熟だが、筋は悪くない。お前はどうやら心根が素直なようだ。術にそれが現れている。…そのまま、まっすぐ育ってほしいものだ」
人間を、頼んだぞ
ふわりと桜の花びらが風に乗って舞い降り、はっと気がついた頃にはリオウの姿はもうない。ゆらは一人、情けなさと焦躁に拳を握りしめた。
(あかん。分からへんことが多すぎる…もっと、もっと修行せな…)
自分の知り得ないところで、深くて巨大な闇が渦巻いている。そんな気がして、ゆらはくるりときびすを返すと、人混みの方へと消えていった。