天狐の桜10
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深い深い漆黒の闇。無数の気配が混在する中で、一際強く知覚することができる気配。
前にもこんなことがあったぞ、こんなこと。庭に隠れていて、夜になって何も見えなくなって。でも、その闇の中に雪のような白い肌が目立っていて……
「リクオ、いつまでも惚けているなよ」
リオウはリクオを抱いて跳躍した。玉章から距離を取り、リクオの腹の濡れた感触に柳眉を寄せる。これはまた、随分と深手を負わされたな。
「せめて出血だけでも止めなくては…」
「いい。必要ない」
「…何だと?」
リクオはふらつきながらも、リオウの手を払いのけた。治癒の力を使わせて、リオウがふらふらになってはもとも子もない。奴等はリオウを狙っているのだ。敵陣の真っ只中で倒れられては、目も当てられない。
「兄貴は帰れ。ここはいいから、下がってろ」
「――――いい加減にしろ!」
凛とした声の怒号が耳に届く。リクオは殴られたような衝撃を覚えた。今、自分は誰に怒鳴られた?…リオウに?
「いつまで格好つけるつもりだ。この私に下がってろだと?私に自分の隣に立てと言ったのはお前だろうが!」
珍しく声を荒らげ、怒りを露にするリオウに、リクオは呆気に取られた様子で目を瞬かせた。まさか、そんなことを言ってもらえるとは。
一方、玉章は面白くなさそうに顔を歪めた。弟というだけで、自分よりも優先されるリクオが憎い。あんな風に庇ってもらえるなんて。あんな風に叱ってもらえるなんて。
『お前が、玉章か。…ふふ、良い目をしているな』
あの美しい声も笑顔も体も力もすべてが欲しかった。初めて会ったあの日から、ずっと。嫉妬にかられ、本能のままにふらふらとリオウたちに向かって歩き出す。一瞬の隙をつき、黒羽丸と氷麗が玉章の前に躍り出た。
「リオウ様!!!リクオ様!!!」
「助太刀いたします!!!」
「黒羽丸、氷麗、すまない。少し持たせろ。私もリクオもすぐに行く」
「何を――」
リオウはリクオの顎を持ち上げた。先の足手まとい扱いの怒りが未だ冷めやらないのか、その手つきは少々荒っぽい。
「お前に私の加護をくれてやる。―――飲め」
「は?っんぐ!?」
ぶつりと己の手首に刃をたてる。みるみるうちに白い肌を鮮血が染め、ぶわりと甘やかな香りが辺りに満ちる。溢れるそれを口に含むと、リオウは躊躇うことなくリクオの唇に己のそれを重ねた。
酷く甘美な液体が、とろりと喉の奥に否応なく流し込まれる。ごくりと飲み下せば、リオウは漸く唇を離した。
リクオの視界に光が戻っていく。ついで体が芯から熱くなり、みるみるうちに傷が癒えていく。
「…見、える…」
「それは良かったな」
ぐい、と口許をぬぐうリオウの唇は、掠れた鮮血が紅のように主張していて。実に妖艶で扇情的なのが血腥い戦場には不釣り合いで、その存在を一層際立たせていた。
「―――悪かった」
「そう思うならその分無駄口叩かずに働け。狸の小倅ごときに負けるなど、奴良組副総大将として許さぬ」
「フッ…嫁さんにそこまで言われて、ここで勝たなきゃ男が廃るな」
二人は風のように飛び出した。
「リオウ様!リクオ様は…!?っぐわっ!」
「あれならもう大丈夫だ。よく耐えたな、黒羽丸」
一瞬にして玉章の懐に滑り込んだリオウは、玉章の面に一撃を叩き込むと弾かれた黒羽丸を受け止めて着地する。氷麗は、激闘の末に夜雀を羽ごと凍らせることに成功したらしく、ぴょこぴょこと嬉しそうに跳ねながらリオウを呼ぶ。
「リオウ様リオウ様!!!私!!!やりました!!!」
「ふふっよくやった。後でたんと誉めてやろう」
だが、未だ戦いは終わってはいないぞ、とリオウは目を細める。視線の先には玉章と対峙するリクオがいる。あれなら大丈夫か、と呟いて、リオウは黒羽丸の顔を覗きこんだ。
「黒羽丸。…大事ないか?」
「は…お見苦しいところをお見せしました」
「よい。…私の背中を守るのはお前だと決めている。お前にいなくなられては困るからな」
ふわりと頬笑むリオウに、黒羽丸は無言で頭を垂れる。従者冥利に尽きる言葉だ。側仕えとして、また一人の男として、愛するお方の背中を守れるとはなんと幸福なことか。
「っ、見つけたぜよ!リオウ様!!」
「犬神。…ふふっその様子では、なかなか駆けずり回った様だな」
疲労困憊、と行った様子で肩で息をつく犬神に、リオウはクスクスと笑う。朧車から降りて、この戦乱の中を律儀に探し回ってくれるとは、見上げた忠義心だ。
「リオウ様、あの男の持つ刀…」
「?玉章の刀…?」
「あぁ、お前達はまだ知らぬか。よい、あれには決して触れるな」
「「え?」」
「何、今にわかる」
どうやら犬神にもあの刀の力を隠して持ってきていたらしい。あのおぞましい刀の正体を知らないことが、四国妖怪達にとっては僥倖だったかもしれないか。
「どいつもこいつも、役に立たない奴等だね」
玉章の体から妖気が膨れ上がって爆発した。長い髪がまるで意思を持っているかのように、しゅるしゅると刀を絡めとる。
「ま、関係ないけどさ。所詮…使われる存在だからな」
お前達、僕のために身を捧げろ
髪にからめとられた刀が、周囲にいた妖怪達の首を飛ばした。ぐるぐるとまるで旋風のように、次々と味方の妖怪達を切り伏せていく。
「た、玉章様!?」
「ギャァアア!!!」
「!?何をしているんだあいつは!?」
「味方を、切っているのか!?」
首無や黒田坊たち、交戦中の奴良組妖怪達は、信じられない光景に戦いた。彼が、味方を殺すことを全く苦に思っていない少年だというのは、犬神の一件でわかっていた。…だが、これは異常だ。
「玉章様!?お止めください!!!仲間に何をな―――――」
止めに入った針女の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。胸元から腹にかけてをばっさりと切り捨てられ、数ある骸の上に倒れこむ。
「ふはは…見ていろリクオ!!!下僕の血肉で、僕は魔王となるのだ!!!」
「――犬神。…あれが、お前のかつての主人だ」
「あ、ぁ…」
犬神は、リオウの声に視線を彷徨わせた。冷水を頭からかけられたかのように、体が思うように動かない。自分は、いままでこんな男恐ろしい男についていたのか。
「……おぞましい力よ。あれを止めねば、刀は持ち主の精神はおろか肉体すら食い荒らしていくだろう。最早獲物も、人間と妖の区別すらつくまい」
リオウはついと視線を投げた。そこには恐れ戦き腰を抜かす者や、何事かとカメラを構えるものなど、逃げ遅れた人間たちがいる。まずはあれをどうにか守ってやらなくては。
「俺も、行く」
リオウはぱたりと一つ瞬いた。無理せずとも良い、という静かな声に、犬神は無言で首を振った。
恐らく、あそこで止めにはいるのが針女ではなく自分であったとしても、あの男はばっさりと切り捨てたんだろうな、と他人事のようにぼんやりと思う。
だから、かつてリオウの学校で玉章に消されかけたことは、かえって幸運だったのではないかと思うのだ。彼に捨てられたことで、自分は、こうしてリオウに拾ってもらうことができたのだから。
「俺は、俺の意思で、主たるあんたについていく。それだけぜよ」
「…そうか」
リオウは犬神の頭をそっとなで、ふわりと切なげな微笑みを浮かべると、二人の側仕えを連れて人間たちの元へと駆け出した。