天狐の桜10
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庭に妖怪達のざわめきが広がる。皆不安と焦燥に顔を歪め、右往左往することしかできない。
「なんだなんだ?庭に集合ってよぉ~~」
「鴆殿に言われてよ。リクオ様の指示らしい」
「何!?おいおい嫌だよ!!牛頭馬頭みたいになんのは~~!!」
「今は若についていく気分じゃないな~~」
「リオウ様がいらっしゃるしな。いざとなれば何とかしてくださるだろぉしぃ~~」
「重圧でゲロ吐いてたぞうちの若頭」
好き勝手言ってはぎゃいぎゃいと騒ぎ立てる妖怪たち。猩影は一人、縁側に座りこみ、その様子をぼうっと眺めていた。
「猩影」
「っ、リオウ様」
「…幻滅した、という顔だな」
クスクスと小さく笑う顔は、まるでこの非常事態など露程も気にしてはいないようで、猩影は困惑した様子で視線をそらした。
「……親父は、総大将に惚れてこの組にいると言ってました」
「ほう…狒々らしい台詞だな」
「…だから、それだけ幹部や大将も、皆強い絆みてぇな、そんなので繋がってる"家族"なのかなって、勝手に思ってて…正直、総会で幹部連中のあんな姿見て、がっかりだった」
猩影の父、狒々が率いる関東大猿会は此度の四国の奴等の騒動で、一番に狙われた。幻術と言えど、無惨な死体と化した父や下僕たちの姿を見たときはゾッとした。それと同時に、腸が煮えくり返るような思いを覚えた。
『御姫、この幻術の…"これ"の強さは、本当にワシと同じなのか』
『そうだ。…これが、現実だ』
あの時の父の悔しそうな顔と、かの麗人の寂しそうな顔が未だにまぶたの裏から離れない。だからこそ、その憂い顔を晴らすべく、自分は復讐を誓った。
仲間を殺されたなら、報復に立ち上がる。奴良組は、そういうものだと信じて。
「リオウ様は、リクオ様をどう思われますか」
「ふふ、さてな。だが、たまにはあれの横っ面を張り倒して前を向かせることも私の仕事だ」
守るだけ、守られるだけというのは私の性に合わぬ、と語るリオウは、不意に猩影の髪にそっと手を伸ばした。白魚のような指が髪についた桜の花びらを捕まえ、お前には花が似合うな、と微笑む。
「猩影」
妖艶に微笑む姿に、ごくりと喉が鳴る。形のよい唇が薄く開かれ、そこからちろちろと覗く赤い舌から目が離せない。誘うように目を細めるリオウに、無意識にふらふらと猩影は手を伸ばしていた。
『俺の嫁さんに気安く触れるな』
「っ!」
頭に直接響くような、不思議な声。猩影は弾かれたように手を引っ込めた。リオウは気にした様子もなく、クスクスと笑っている。
「ふふっでは、私はそろそろ行くぞ。ちと呼ばれてしまったのでな」
「?は、はい…」
先の醜態は見抜かれていないだろうか。いや、それよりも、呼ばれたと言っていたが、今彼を呼ぶ声は聞こえなかった。不思議そうに首をかしげる猩影の頭をそっとなで、リオウはふわりと桜吹雪に消えた。
「―――まったく、嫉妬深いにも程があろう」
その姿が虚空に消える瞬間、小さく呟かれた呆れたような、しかし楽しくて仕方ないと言わんばかりの苦笑混じりのその言葉の意味を、その時猩影は理解することができなかった。
妖怪任侠世界において盃とは、種族の異なる妖怪同士が血盟的連帯を結ぶものである。祖父の代、あるいは父の代でこの組の百鬼となった猛者たちと――あるいはその子孫と義兄弟の盃を交わすとき、その割合から五分五分の盃といい、対等な立場となる。
だがこの時、妖怪達は七分三分の盃を望んだ。それは、忠誠を誓うという親分子分の盃。真の信頼がなければ出来ぬ契り――――
「―――終わったか」
「兄さん」
リオウはすとんとリクオの目の前に正座した。その目には先の怒りはなく、ふわりと優しい笑みが浮かべられている。
「腹は決まったか?」
「……僕は……(僕は、僕の本当の気持ちは…)」
そうだ。僕は知っている。あいつもまた、僕の"本音"の一つなんだって。
「オイ、昼の俺。人間ごときのお前に…何ができる?」
枝垂れ桜の枝に座る"リクオ"は、悠然と人間の"リクオ"を見据えた。ニヤリと浮かべられた笑みは実に不敵で。
「夜は俺の領分なんだよ。そこを、どけ」
「……君にすべてを譲るつもりはないよ」
この体も、意思も、組も…兄さんも。小さく呟いて、リクオはどこか切なげに眉を寄せた。"君"のようになるのは難しい。"君"は強くて、恐ろしくて怖いから――
「―――そうだな。お前は人間共とじゃれあってるのがお似合いだよ」
「……………」
「人間のことは、お前に任す」
だから――"妖怪"は、俺に任せろ
目の前のリクオから妖気が溢れ、"夜"の姿に変わる。ついでリオウは手首を素早く捕まれて引き寄せられ、リクオの胸に飛び込んだ。
「っ!?」
リオウは思わず身を固くした。ふわふわとした尻尾もぶわりと逆立ち、動揺が垣間見える。側仕えの三人が腰を浮かすのを視線で制し、リオウは急に何をするんだと不満そうな顔で尻尾をゆらした。
「…こんなことをしている場合か」
「こんなときだからこそだろ。出入りの前に、嫁さんから英気をもらって何が悪い」
あぁそうか、と返事するのも億劫になったらしく、リオウの耳がぺたりと垂れる。とりあえず、リクオの胸に懐くようなこの姿勢だけでも何とかしなくては。
「離せ」
「嫌だ」
「………………………私は真面目な話をするためにここに来たんだが?」
「このまますりゃあいいじゃねぇか」
ニヤリと浮かべられた笑みに、リオウは頬をひきつらせた。こういうところは本当に父親の鯉伴や祖父のぬらりひょんによく似ている。…まったく余計なところまで似なくてもいいものを。
「―――このまま腹に風穴開けてやろうか」
「フッ物騒な話だな」
腰に回されていた腕がそっと背中へ回り、優しく抱き起こされる。が、今度はリクオがにじりよる様にして腰を抱く。最早抵抗するのも諦めたのか、リオウはぺしぺしと尻尾でリクオの胸を叩いた。
「…………で、お前は答えは出たんだな?」
(あ、リオウ様諦めた…)
(結局あのまま話すのか…)
「あぁ。――人間のことは、"アイツ"に任せることにした」
「ふふ、そうか。…よい選択だ」
生暖かい視線を送る氷麗たちも何のその。主人二人は気にした様子もなく話を進める。リクオはリオウに盃を持ち上げて見せた。
「飲むか?」
「ほう?私を臣に下すのか?」
クスクスと冗談めかして笑い、盃を受けとる。盃を傾ける様すら実に絵になる最愛の兄に、リクオはくつりと喉奥で笑った。
「いいや?兄貴と交わす盃は、三三九度だけと決めてるからな」
「っ、ぐ、ごほっ…」
思わぬ言葉にリオウは思わず噎せた。ばっと自身に酌をする男の顔をみれば、この上なく無駄にキラキラとしたものを振り撒きながら、にっこり笑って、ん?と首をかしげる。
「言っただろ?兄貴は俺の嫁さんだ」
「………………………お前とは満足に酒も飲めぬ」
脱力するリオウに、心底愛しいと言わんばかりに紅玉の瞳を蕩けさせたリクオは、ふっと微笑んでふわふわとした耳に唇を寄せた。